晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の盃状穴(48) 10/27

2015-10-27 | 盃状穴

2015.10.27(火)晴 上林の盃状穴(47)は2015.8.25

 まずお断りしておかないといけないのは、「上林の盃状穴」とタイトルを付けながらも上林以外の盃状穴についての記事が多いことである。最終的には上林の盃状穴を網羅したいと考えているのだが、盃状穴とは何か?なぜ、何のために、どのようにして穿たれたのかという本題を解決するためには上林だけの盃状穴を観察してもわからないという理由からである。
 また、前回の記事は書きかけなのだが今回の記事は訪問日にタイムリーに書いた方が良かろうかと割り込ませていただいた。
 
 御机神社、国中神社を訪ねる(1)
 四條畷市は古い町で、街中のあちこちに地蔵さまがあり、古い建物も残っておりとても好きな街だ。交通量は多く、道は狭くて歩きにくいが、中には静かな通りもあって、散策にはうってつけだ。かつて四條畷神社や飯盛山を訪れたとき、御机神社方面にハイキング道があることに気付いた。また
歴史民俗資料館の前を南北に走る道は東高野街道といって東寺から高野山に続くという。また、遊々館、雁屋遺跡から歴史民俗資料館の南を東西に走る道も古い街道ではないかと思い歩くことにする。

 今回御机(みつくえ)神社、龍尾(りゅうび)寺、国中神社、福成寺、周辺の地蔵様など観察したのだが盃状穴は存在しなかった。それでもなぜ記録するかと言えば、盃状穴の存在しないところも調べなければならないという思いがあるからだ。つまり盃状穴の謎を探るには盃状穴の分布を調べる必要があるが、それには盃状穴のある所、無い所の分布が必要だということだ。なぜここにあって、あそこにないかということが重要になってくると思うのだ。
 御机神社とは不思議な名前だなと思っていたが、机に関係のある神社ではなく、末社に水神社があることを考えると「水」に関係するのではないかと思う。大山咋神(おおやまくいしん)が山に打つ杭を意味するように水に打つ杭、つまり治水の神様、水咋(みずくい)が御机(みつくえ)となったのではと勝手な想像をしている。由緒書によると古くは現在地の東方宮地というところにあったようだが、変遷を重ね元禄13年(1700年)に当地に移転したということである。時代的には二義的盃状穴があってもおかしくはないが、現在でこそ周囲に家並みが迫っているが、新しい家が目立って、かつては人里離れた神社であったかもしれない。

左:花崗岩質の石材は生駒山系のものだろう、近隣の石垣や庭石も同じものが使われている。
中:末社の水神社はコンクリート造りで盃状穴はあり得ない。
右:本殿のうしろに水神が祀ってあった、これが元々の御机の神様かと想像している。
 鳥居、石段、灯籠など見ていくが盃状穴は見られない。すべてが花崗岩質の硬い石で、しかも新しく更改した石材が多い。直近のものは昭和55年のもので、この年代に盃状穴が穿たれるはずがない。そういうときは廃棄されたり、再利用された石材が無いか調べる。あるいは末社などで昔のままで残っていないかを調べる。しかしそれでも盃状穴は見つからなかった。御机神社には盃状穴は無いと断定する。
帰り道を下っていくと権現川の対岸になにやら石段が登っている。由緒のあるものらしく、訪問してみようという気になる。つづく

コメント
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