2012.11.26(月)雨
作日、旧東海道、富士山などの記事を書いたが今少し書いておきたいことがあるので連続シリーズ【晴徨雨読】と併せて本日の記事に致したい。
作日は小春日和の好天だったが今日はもうどしゃ降り、2006年の25,26日と同じ情況である。25日の箱根越えは最高の日和だったが26日の篭坂峠越えはすっかり雨、旅行中ベスト3に入る雨の走行となった。雨の日は下りがつらい、身体が冷えて、特に手指の感覚が無くなるのだ。ブレーキを掛けようと思っても手指がいうことを聞かない。これって結構恐怖なのだ。この日河口湖マラソンも行われていた、何とも気の毒な天候である。
富士吉田は富士講の拠点である。郷土資料館などは富士講の資料で満載なんだが、じつはあまり興味が無かったためか、写真なども一枚も残っていない。
雨の篭坂峠越え、視界50mってとこか
とまあこれが2006年11月26日の印象なのだが、今年になってひょんな事で富士山への興味が沸く。それは讀賣新聞6月13日の記事である。「富士山旧道 信仰の跡次々」というもので、山梨県の埋文センターが2009年から3年間かけて発掘調査をされたものである。それは明治期に開発された現在の吉田口登山道とは違う、もっと古い登山道、信仰の道なのである。石碑や礎石、古銭や火打ち石などの遺物も発見されている。なんとロマンだろう。
私自身富士山は何度も登っているがそれは御殿場口で、なんとも味気ない登山道である。一度だけ吉田口を登ったが、富士スバルラインをバスで上がり、五合目からの登山となる。もっともほとんどの登山客がそうするようで、現在の吉田口でさえ荒れているようだ。2006年には発掘調査も始まっていないのだが、今から思えば吉田口ルートを自転車で登り、スバルラインをダウンヒルするなんて面白そうだなあと思う。そんな気持にさせなかったのは悪天のせいである、なにしろ富士吉田からは一度も姿を見せなかったのだから、、、。つづく
27日になっても富士山は姿を見せなかった。本来はこの鳥居の上に見えるはずなんだが、、、。
【晴徨雨読】118日目(2006.11.26)御殿場~富士吉田
本文に登場のためお休み。
【今日のじょん】:いよいよ寒くなって、着るものが多くなってきた。朝の着替えも大変だが洗濯物も大変だ。じょんはえーわなあ、自動調節毛皮一枚で一年中間に合うのだから。毛の量と質が夏冬に変わるのだろう。それでも日中の気温差も激しいので、暑いときはうらめしじょんをしているが、寒いときはまーるくなっている。かみさんがアンモナイトじょんと言っていた。うまいこというなあ。