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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

ちょっと旅に出てみようかな。

2010年07月30日 04時07分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 畑、裏の山、前庭と家のまわりには仕事がいろいろあるのですが、ふと旅に出たくなることがあります。そこで行ってみたいところを考えてみました。パックツアーに申し込んで出掛けるのは面倒がなくていいのですが、お仕着せの旅はなぜか印象に残りません。ちゃんと現地に立ち、景色をしっかり見てるはずなのに「あそこには行った」と記憶が残るだけです。
 そこで6月から行き先を考えています。まず石見銀山。昔の繁栄といまの限界集落の様子を、現地のボランティアガイドにじっくり話を聞きながら見て歩きたい気がしました。
 次に京都の山奥の花背峠か芹生(せりょう)峠。ここも限界集落か廃村です。you tube を見ると単車か乗用車で峠の悪路を走リ抜ける様子がアップされています。でもどこか憧れに似た「いつか訪ねてみたい」という気持ちと you tube で見た山奥の荒廃した自然にギャップがあって行く気になれませんでした。
 鳥取県の山奥の町・智頭町の板井原集落。ここは昔、人間が住みついてから車の入ったことのない山奥の集落です。村の家家は六尺道をはさんで建ち、いまでは観光客が集落のはずれまで車で来て、村の中を歩いて見学します。昔のままの家家と小川と畑が醸成する空気に身をひたしてみたい。
 写真は去年の秋、同窓会で鳥取県に帰ったときに撮りました。鳥取県中部の温泉町・三朝町の山奥の集落『中津』の倒壊した廃屋です。名勝・小鹿渓沿いに山に入ると『中津』に着きます。見かけて話をしたおじいさんは、もう住めないから下のから通って家のまわりの片付けをしていました。もう一人訪ねた雪囲いをした家のおばあさんは、家の横の荒廃した茶室風の建物を、冷たく見放すように「よその人が建てたでわたしゃ知りません」と話していました。
 茶室風の建物は屋根が剥げ落ち、『平家』と書いた表札が見えました。その前には『安徳稜』の看板と粗末な石積みがあり、道の向うには『平家一門』と書いた墓があり、その横に『二位尼の墓』(建礼門院)と看板が出ていました。「さすが山奥だけあってここは平家の落人か」と思いましたが、おじいさんと話したら「中津というはあちこちにあって平家と関係があるようにいいますけえな」と突き放すような言い方をされました。
 よそ者が村に入り込み、勝手に気どってつくったのでしょう。そして見捨てたのでしょう。かつて30軒以上あった集落にいま住む人は三軒の老人だけです。それをさらしもののように見るつもりはありませんが、ではどういうつもりだ、ときかれると詰まってしまいます。
 
 
 
コメント
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