屯田物語

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井上靖記念館と旭川彫刻美術館を訪ねて

2009年10月27日 | 西勝洋一


歌人 斎藤史さん直筆の歌が展示してあった。

 つゆしぐれ信濃は秋の姥捨てのわれを置きさり過ぎしものたち

                          史


この短冊は「西勝洋一氏所蔵」とのことわり書きがあって、
思わぬところで友人の名前をみて嬉しくなる。

井上靖記念館で旭川ゆかりの歌人 斎藤瀏・史展が開かれているが、
史さんと交流のあった若山牧水の歌碑が春光台にあるというので訪ねてみたい。



そしてお隣は旭川彫刻美術館・・



中原悌二郎の常設展・・
自分にはこの著名な作家の彫像を理解できる感性もなく、われながら絶望的であるが、
この建物は「旧旭川偕行社」で国の重要文化財に指定されていて、
それは歴史的にも興味のあることだ。

旭川偕行社は日本帝国陸軍第7師団が旭川に設営されたときに、
将校たちの社交場として1902年(明35)に建設された。


しかし、この階段を這うように横たわっている長いものはなにを表現したかったのか?

ただ受付の女性から云われたひと言・・

「階段をあがるときは頭をぶつけないようにご注意ください」


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5 コメント

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Unknown (乙羽)
2009-10-27 19:57:04
春さま、こんばんわ♪

斎藤史さまの歌の意味、どう受け止めたらいいのか、気持ちの持っていき場がない感じで…辛い歌ですよね…
春さまは歌をお書きになられるので、歌人のお友達もたくさんいらっしゃるのでしょう。
すごい方なんだなと、つくづく思います。
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つゆしぐれ (ぶちょうほう)
2009-10-27 20:58:35
春様 こんにちは
「つゆしぐれ」という言葉を初めて聞きましたので、正確を期するために、ネットで調べてみました。
あるサイトでは
「露時雨」:露が一面におりて時雨にぬれたようになること。また、草木においた露が、時雨の降りかかるようにこぼれること
とありました。

この歌は「ひたくれなゐ」という歌集の中にあり他には
〇おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり生は

〇死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも

という歌の流れの中にこの歌は入っていました。
病床での、一種の諦観というような読み方をすれば良いのでしょうか。

小生的には、哀しみや絶望というよりも、覚めた感覚でつむぎだした歌なのかなと受け止めてみた次第です。
やはり、凡俗からは離れた歌詠みさんだったのでしょうね。
「姥捨て」の地名に、感情移入のお仕事をさせてしまう技巧も並みのお方ではない証拠でしょうね。

階段の障碍物競走は、単純に「危険ですから良い子は絶対に真似をしないようにしましょう」という感じしか湧いてこない凡人です。
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Unknown (乙羽)
2009-10-27 21:35:18
春さま、二度目のコメントです。しつこくてスミマセン…
春さまのごブログにコメントしていらっしゃる「ぶちょうほう」さまのコメントを読ませていただきました。勝手にすみません…
「姥捨て」という地名があるのですか…
私は何も知らなくて、どう受け止めたものか入り込めずにいましたので、人さまのコメントを盗み読みさせていただいて参考になりました。
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二二六事件 ()
2009-10-27 22:49:18
乙羽さん、こんにちは!

史さんは小学校一年から六年間、旭川に住んでいらしたそうです。
戦争末期からは長野でご両親と暮らしていたとありました。

娘さんが生まれてすぐに、二二六事件で史さんの兄・瀏さんが収監され、
親しい友人(青年将校)らが処刑されたといういまわしい体験をされております。

この歌は歴史の犠牲になった友人など、
親しき人にたいする惜別の情を詠んだものと思ってました。
西勝洋一さんにうかがえば、
その歌の背景を説明してもらえるかもしれません。

歌の解釈は難しいですが、
自分で自分なりにこころで感じられればいいかと思っています。
まあ、いい加減といえばいい加減なんですね、わたしは。。

「姥捨て」という地名は知りませんでした。
いまどんな風景なのか、どんな民話が残っているのか、興味ありますね。

>すごい方なんだなと・・
えっ、それはまったく買いかぶりすぎであります。(笑)
知人に笑われてしまいます。
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姥捨ての ()
2009-10-27 23:21:31
ぶちょうほうさん、こんにちは!

斉藤史さんのひとつの歌から、
そこまで推論されたぶちょうさんの力量に感服しております。

あいにく、わたしは史さんの歌はほとんどと云うよりまったく知らなくて、
ただ、”つゆしぐれ・・”はとてもリズムがよく、
気持ちの奥深く沁みる歌だと思っていました。

たしかにこの歌は単純に悲しみや絶望を詠んだものではないかもしれません。

戦争という不幸な時代と友人の処刑という悲しい体験もあって、
それがいつ詠まれたものかによって解釈はことなると思います。

そして、比喩?としてつかわれた「姥捨ての」という一連の言葉の流れのなかに
史さんの素晴らしいセンスがあって、
そこに一度聞いたら忘れられない歌の調子を感じています。

玄関から階段を昇ってゆくこの長物はなんであったかと、
いまも理解できませんが、
そもそも理解しょうとする感覚がすでにおわっていたように思います。

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