元禄15年12月14日・・
赤穂浪士吉良邸討ち入りの日である。
でも、いまの人は忠臣蔵のことなんてご存じないようで、これも時代の流れというものである。
佐藤條右衛門一敞覚書によると・・
四十七士の堀部弥兵衛は討ち入りの刻限に遅刻して、
本懐を遂げ意気揚々と泉岳寺にひきあげた堀部安兵衛は條右衛門のインタビューに笑いながら応じたとある。
こうした資料から意外とおおらかな討ち入り風景が目に浮かぶ。
浅野内匠頭辞世の句・・
風さそう花よりもなおわれはまた春の名残をいかにとやせん
”いかにとやせん”か”いかにとかせん”か両方あるようだが、
赤穂駅に掲げてある辞世の句では”いかにとやせん”であったように記憶している。
二年前、四十七士の眠る花岳寺まで行ってきた。
赤穂の名物は塩饅頭というが、わたしは塩饅頭より塩ラーメンの旨いと思ったのである。