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屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

美ら海のジンベイザメ

2007年03月12日 | 沖縄


「あの~、シャッターを押してくれますか」
「ああ、いいですよ」
パチリ
「どうも、ありがとうございます」
「いいえ・・」


美ら海のジンベイザメのまえで、若き女性から何度も声をかけられた。
混んでいたから、ほかにもたくさん人はいたのだが、
彼女たちにとって、わたしはカメラを提げている(ここがポイント)優しいおじさんにみえたのである。

修学旅行の女子高生のグループが、ジンベイザメをみて興奮して小走りで寄ってきた。
そのとき、わたしにぶつかったから、彼女はペコリと頭を下げはしたが、
視線はジンベイザメに向けたまま・・・
その動作が面白く思わず顔を見合わせて笑ってしまった。



いよいよジンベイザメの食餌がはじまるようで、少し彼らも興奮してきたのかなあ。


沖縄 残波岬の夕日

2007年03月11日 | 沖縄


母子であったと思う・・
17~18歳位の男の子は目が不自由な様子で、
それでも、母親は彼の手をにぎりしめたまま夕日を眺めていた。
手のぬくもりをとおして夕日の美しさを伝えたかったのに違いない。

その情景を撮りたかったが、何故かそれをしてはならないと思った。



南国の夕日・・きのうは手稲山の夕日をみたばかりであった。


沖縄戦の悲劇 ひめゆりの塔を訪ねる 

2006年03月08日 | 沖縄


 いつまでもかなしくも
 あらん
 やすらかに
 ねむれとぞ
 いのるまなびの
 ともは
        仲宗根政善




”海ぶどうの木” えっ、陸にもあるの?

沖縄旅行記五日目(最後のレポートになりました)
2月25日、ひめゆりの塔
ひめゆり平和祈念資料館すぐに年表がある。
ひめゆり学徒の犠牲の事実を戦争を引き起こした背景から伝えようとしていた。
当時の皇民化教育が悲劇の根底にあったということか。
資料館ではひめゆり学徒の生存者が生々しい戦争の記憶を語っていた。

犠牲になられたひめゆり学徒の写真も掲示してあり、
沖縄戦の残酷でむごたらしい体験を綴った手記はあまりに悲惨であった。
悲しみの深さはその人が背負うた荷の重さによって決まるとしたら、
なんとか生き残られたかたにとって、
これを読むことは堪えられないほど辛いことかもしれない。



陸軍病院第三外科壕のあった防空壕
ただ眺めていただけで言葉もない。




沖縄旅行は初体験のことばかりで楽しい旅になりました。
次は琉球王朝の歴史や沖縄戦の悲劇について学んでから、
また来訪できればと思っています。

那覇の夜は更けて カチャーシーを踊る

2006年03月07日 | 沖縄
那覇の夜は国際通りの 島歌居酒屋きらら 
アーサの天ぷらとゴーヤチャンプル、そしてタコ刺しをつまみに、
泡盛かりゆし、久米仙を飲みながら「十九の春」に酔いしれる。

  私があなたにほれたのは ちょうど十九の春でした
  いまさら離縁というならば もとの十九にしておくれ


沖縄踊り カチャーシー オリオンビール乾杯 のパホーマンスに参加して
すっかり舞い上がってしまった。(笑)
人前で踊るのも盆踊り以来。。





沖縄旅行記五日目
2月25日、玉泉洞
全長5Km、内公開部分が890m、鍾乳石は100万本、
30万年を掛けて形成された東洋一の大鍾乳洞とあった。
当麻の鍾乳洞しか知らないのでそのスケールの大きさに驚いた。







”美ら花”を訪ねて その2

2006年03月06日 | 沖縄
沖縄に咲く南国の花の第二弾
そうはいっても、たまたま首里城や玉泉洞の近くで見かけたものなので、
あまり珍しい花でないかもね。
ちょうど、玉泉洞からでると雨がふっていた。
花や葉がしっとりと濡れていてより色鮮やかである。

洞窟を一時間以上も歩いたのでノド渇いた~と思って、
サトウキビジュースを頼む。
注文受けてからサトウキビをバリバリと搾るので、これは旨いよ。



ブッシュカン(仏手柑)



アメリカンブルー



ホウセンカ(鳳仙花)



コバノランタナ(小葉のランタナ)



コダチヤハズカズラ(木立ち矢筈葛)



琉球王朝の華麗な歴史

2006年03月05日 | 沖縄
沖縄旅行記四日目
2月24日、首里城
座喜味城跡や今帰仁城跡は石垣だけが残っている。
首里城は正殿などが復元されているが、
琉球の歴史を感じたいのなら、古い城跡も訪ねてみなければならない。
14世紀の三山時代から豪族同士のあいだにどのような抗争があったのだろうか。

守礼門は昭和8年に国宝に指定されたが沖縄戦で破壊され、
現在の門は昭和33年に復元されたものである。



瑞泉門
創建は1470年頃、沖縄戦で焼失したが平成4年に復元された。



正殿
華麗な造りは琉球王朝の華やかな歴史を偲ばせる。
ランの花で飾られた当時の宮廷人たちの人形が展示してあった。



薄曇りの那覇市街を眺める。
いよいよ明日札幌へ帰ることになる。


”美ら花”を訪ねて その1

2006年03月04日 | 沖縄
沖縄に咲く南国の花といえば、
わたしの乏しい知識では、ハイビスカスとブーゲンビレア、サルビア・・

刺激のつよい沖縄の風景のなかにいるとき、
美しい花に出合うとほっと心が和んでくる。


ハイビスカス
誰でも知っている南国の花の女王か。
和名をブッソウゲ(仏桑華)というのは始めて知った。



沖縄シャリンバイ
葉や小枝が「車輪」、花が「梅」に似ている。
別名モッコクモドキ



シャガ(射干;著莪)
和名をコチョウカ(胡蝶花)というが、アヤメ科は華やかだね。



イチハツ(一八,鳶尾)
首里城に向かう途中、たくさんの紫の花・・・
ずっと、アヤメとばかり思っていた。





”美ら海”のレモンザメ

2006年03月04日 | 沖縄
沖縄旅行記三日目その2
2月23日、美ら海水族館
サメはもっとも進化したスタイルをしていると思う。

遊泳している女性を突然海のなかへ引きずり込む、
ジョーズ  ホホジロザメ はなかなかその獰猛な姿をあらわさないが、
われわれの想像のなかで青白い眼をした狂暴で美しい姿は、
いよいよ恐怖に膨らんでいくのである。

”美ら海水族館”にも危険なサメがいた。
レモンザメ である。
体色が他のサメと比べレモン色をしているためという。



サメとエイを合わせたような シノノメサカタザメ
名前の最後にサメとついているがエイの仲間。



確認のため、サメの名前は”沖縄美ら水族館”に問い合わせしたところ、
お返事頂きましたので、訂正します。
ありがとうございました。

”美ら海”のジンベイザメ

2006年03月03日 | 沖縄
きょうは 雛祭り
生まれた女の子が健康に成長し、幸せに結婚できるようにと祈る。
しかし、3月3日が過ぎた後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるといわれる。
最近の晩婚化の原因は片付けない親のせいかもね。

沖縄旅行記三日目
2月23日、美ら海水族館
今回の沖縄旅行の最大の目的はジンベイザメである。
巨大な水槽で悠々と泳ぐジンベイザメをみたときは、鳥肌がたつような感激であった。
その雄大かつ気品ただよう姿に魅了された。

彼は世界で一番大きい魚、サメの仲間であるが、性格はおとなしい。
体長は平均7.6mで、体重は7~10t程度になり、最大20mにもなる。
頭部は偏平で幅広い形、体色は背側が濃いグレー、腹側は白にちかい色をしている。
背中全体に広がる白丸の規則的な幾何学(アラベスクかな)模様は美しい。



もし、広大な海のなかでジンベイザメをみることができたら、
どれほど驚いて感動するだろう。
できれば自然の海に帰してやりたい。
そう思いながら、二時間以上もこの水槽の前から立ち去ることができなかった。



やや後方から尾びれを捻って、ゆったりと泳ぐ姿がもっとも美しくみえる。



大きいマンタもジンベイザメと泳いでいると小さくみえる。



ジンベイザメの脇のあたりにコバンザメが寄り添っている。



”美ら海”のサンセットクルージング

2006年03月02日 | 沖縄
昨日、三年前の交通事故が解決した。
払い渋りの保険会社との示談交渉はやめて、
最初から「交通事故紛争処理センター」へ調停を依頼したことは正しい選択であった。

沖縄旅行記二日目その3
2月22日、今夕はサンセットクルージングである。
海はまったくの凪、しかしあいにくの曇天で夕日は期待できないと思った。



日没の時刻にあわせて船はゆっくり進む。
やはり厚い雲は空全体をおおっていたが、
なんとその時を待っていたかのように、空と海のわずかな隙間から日が差してきた。
なんたる僥倖か!
灯台が見える、あれは残波岬だと思う。



南国の落日を堪能、そろそろ船は停泊地へ戻るようだ。
「クジラだ!」
何人かの乗客と薄暗い海を眺めていると、
凪の海面がさっと盛り上がって沈んでいくのが見える。
背びれもはっきりと確認した。
はじめてクジラをみた昂奮もあって、見知らぬ乗客同士がきゅうに親しくなる。
クジラ談義はホテルのロビーまで続いた。



ルネッサンスリソートオキナワ