虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

万石騒動②

2007-03-30 | 一揆
9月24日、二人の名主が江戸の上屋敷に出頭すると、川井藤左衛門がこういう。「今度の一件は必ず頭取がいるだろう。その名を正直に言え、さもないと」と刀をぬき、討ち果たすまねをする。二人は、願いは百姓一同のもので、頭取はいない、と答えると、川井は、さらに7人の名主を呼び出し吟味するぞ、という。

川井は、百姓をなめていたのですね。領民など、おどかせば、恐れ入りました、と文句をいわなくなるだろうと思っていたのではないか。平成の今の国民は、たしかにそういう面があるのだけど、300年前の百姓はちがいます。

二人が江戸に留置され、今度はまた7人の呼び出し、これはほっとけない、」おれたちも江戸に出ようと、百姓たちは続々と江戸に出、小伝馬町、博労町の宿に分宿する。

川井は、このようすを聞き、江戸で騒動がおきれば、屋代家の恥、これは百姓たちをすぐに国に帰さなくては、と二人の名主を呼び、「願いの趣旨、聞き届けるから、この書面を百姓たちに見せ、帰国させろ」という。箱に入った封書には宛名もない、何が書いてあるかもわからない。うっかり者なら、へへー、ありがたき幸せ、なんて頭をさげながらこの箱をいただいてすぐに引き帰したかもしれない。
しかし、百姓たちは、こんなわけのわからないものは受け取りがたい。明日は、屋敷の門前で門訴をする、という。二人の名主は川井のもとに引き返し、この封書はかえって百姓たちをかえって激怒させています、たしかなお墨付きを出してください、と注進。川井はしかたなく、「願いの趣旨は聞き届ける。陣屋の林武太夫に申し渡す」という書付を渡す。願いは聞き届ける、といっても、年貢の具体的な回答はない。こんな回答で国許に帰るわけにはいかない、と門訴を決める。

11月7日、約600人の村人が屋代家の門前につめかけ、訴状を渡す。川井は、しかたなく、陣屋の郡代林武太夫あてに、「願いの通り、年貢は過去10年間の年貢で決めることにした。正式の文書(ご免状)はあとで送るので、届いたらそのようにはからえ」というお墨付きを渡す。

百姓たちは国に帰り、林武太夫にそのお墨付きを見せるが、もちろん、郡代の手には渡してしまわない。もし、渡してしまったら、握りつぶすこともできる。百姓たちは、郡代にそのお墨付きの受取書をわたし、箱に入れて大切に保管する。
川井は、郡代林武太夫を「ばかめ、なぜ、そのお墨付きを渡してしまったのだ」と思ったにちがいありません。あのお墨付きはただただ百姓を国に帰すための方便だったのに。

11月12日、川井は村人を追うように江戸をたち、国もとの陣屋にいき、明日は、名主ども陣屋に出頭すべし、の触れを回す。
名主たちが集まると、川井は、「先ごろ、江戸屋敷で渡したお墨付きは返却せよ」
という。名主が「あれは正式のご免状とひきかえにわたすものです。今はおわたしできません」と答えると、川井は怒声を発し、6人の名主を縛り、牢屋にほりこんでしまう。おそれいったか!

しかし、川井が怒れば怒るほど、村人の対抗心は高まる。再び、江戸に出て、老中に駕籠訴しようと決定。600人が江戸にいく。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。