虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

裕次郎のルーツは南予

2010-09-02 | 宇和島藩
佐野眞一の「誰も書けなかった石原慎太郎」(講談社文庫)を読んでいると、石原慎太郎の親父について詳しく、それによると、石原本家の菩提寺は愛媛県保内町にあるという。

うー、保内町といえば、わたしの先祖の墓があるところだ。石原慎太郎とルーツが同じなのはうれしくないのだが、まあ、弟の裕次郎、裕ちゃんと同じと思えばいいか。

石原裕次郎のほんとうの人や思想など知らないが、映画の大スターだった裕ちゃんは少年にとっては、「喧嘩の強い兄ちゃん」であり、龍馬のような憧れの的だったものだ。

NHKで司馬の「竜馬がゆく」がドラマ化されるとき、竜馬役は、石原裕次郎かもしれない、という噂を聞き、「北大路より、裕次郎がだんぜんいいな」と思った。むろん、顔は丸くて細身の竜馬とはちがうけど、あの存在感、ちっとも男前ではないのに、あの輝く不思議な魅力は快男児竜馬に合うと思った。

さて、裕次郎の親父、石原潔は、旧制宇和島中学を一年で中退して、吉田町出身の海運王山下亀三郎の山下汽船に入り、たたきあげで、重役になる。

わたしの母は吉田の山下女学校(山下亀三郎が作った)の卒業生だが、その時の先生で、井上なんとかいう女の先生がいて、この人が石原裕次郎の親父の兄弟と結婚したらしい(すぐに未亡人になったらしい)、その子供が裕次郎にそっくりだった、という話を聞いた。

吉田町にもけっこう裕次郎に関連する話はあるようだ。

裕次郎は親父に似て、慎太郎は母親似だそうだ。

裕次郎の祖父、石原信直は、文久二年生まれ。保内町といえば、無役地事件の二宮新吉のいた土地であり、最も早く無役地事件に立ち上がった土地だが、石原信直はどうしていたのだろう。その後、警察官になったということだから、あるいは、取り締まる側だったのか?



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