虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

希少品 ロマン・ロラン研究誌 

2012-03-05 | 読書
「ロマン・ロラン研究」という小冊子を70冊以上入手した。一番古いもので、昭和29年発行の19号
、一番新しいのは昭和46年(1971年)の108号。
当初は隔月刊で30円だったが、そのうち季刊となり、値段も100円になっている。

原則として、購読料を払う会員にだけ配ったもので、希少品。国立国会図書館あたりでしか見ることができないかもしれない。編集はロマン・ロラン協会とある。

わたしも東京で学生生活(アルバイト生活か)をしていたころ、ロマン・ロランのファンだったので、1度だけロマン・ロラン研究会に参加したことがある。新聞の片隅に出ていた小さな案内で会の存在を知り、バイトを終えたあと、銀座まで出た。
この小冊子を見たら、それは1970年、6月13日(土)午後5時30分とある。場所は有楽町駅下車、そごう右向き 新国際ビル九階。そうだそうだ。当時のことがありありと思い浮かぶ。テーマは「人間平等思想と差別ー狭山事件を中心に-」だった。話し手は、岡村弘道氏。たまたまいっしょにビルに入り、隣に座った女の子がこの人に積極的に質問していたのをよく覚えている。懐かしい。

余談だけど、今、いっしょに住んでいる90歳の伯母さんは20歳くらいまでのことを一番よく覚えている。その後のこと、結婚したとか、働いたとかは、どうも記憶がないらしい。そんなものかもしれません。若い時代って、ほんとに全生涯の中では貴重なのですよ。余談おしまい。

で、この会の時にも、この「ロマン・ロラン研究」誌が置いてあった。このロマン・ロラン協会や、その機関誌「ロマン・ロラン研究」がその後、どうなったのかは知らないのだが、1970年にロマン・ロランの翻訳者宮本正清によってロマン・ロラン研究所というのが京都に設立される。そこでは、「ユニテ」という機関誌を発行している(今も続いている)。

わたしは、このロマン・ロラン研究所や「ユニテ」は、ロマン・ロラン協会や機関誌「ロマン・ロラン研究」の事業を引き継いだものだとばかり思っていたのだが、どうもそうではないようだ。

ロマン・ロラン研究所の前身はロマン・ロラン友の会で、ロマン・ロラン協会とは別の組織のようだ。だって、ロマン・ロラン研究所の「ユニテ」にはロマン・ロラン協会のことも、「ロマン・ロラン研究」の執筆者も出てこないし、「ロマン・ロラン研究」誌でも、宮本正清や片山敏彦は登場しない。二つの組織は相容れないものだったのだろうか?

どちらかというと、ロマン・ロラン友の会、研究所は、宮本正清や片山敏彦に代表されるように、ロマン・ロランの大御所、既得権益者(なにせ、宮本正清氏は、ロマン・ロランの翻訳を独占している笑)、高級文化人の組織。ロマン・ロラン協会は、蜷川譲に代表されるように、若手の、無名の、庶民派なのかもしれぬ。(勝手な想像なので、暴言、おゆるしを)

ロマン・ロラン研究所は、音楽などに力を入れているが、ロマン・ロラン協会は、むしろ社会・政治への関心が高く、ラデイカルな志向を持つ。

ロマン・ロランを愛する仲間の組織も、一つではなく、二つの流れがあるのだろうか?

と思っていたら、「ロマン・ロラン研究」誌に物理学者の武谷三男氏の言葉が出ていた。
「日本のロラン愛好家について私が不思議に思うことが一つある。それはそういった人たちに、ロランのものを道学者的な受け取り方をする人が多いことである。きわめて敬虔な態度で信仰告白のようにロランを語る人を見かける。ロランのものはそのようなものとまったく反対のものではないか。「ジャン・クリストフ」は、今日のフリーセックスといわれているもの、ヒューマンな、人間解放的な面をもっている」

やはり、ふたつの流れがあるのかもしれない。

とはいえ、まだよく調べたわけでもなく(調べるつもりもない)、ただ、「ロマン・ロラン研究」という古い小冊子をペラペラとめくってみて思いついたことを 書いただけです。

ロマン・ロラン協会はその後どうなったのか、それだけが気になります。





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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ロマンロラン研究 (虎尾の会)
2012-06-21 18:18:30
鶴見俊輔「日常的思想の可能性」を読んでいて、
「ロマン・ロラン研究へ一言」に当たり、ネットでそれを見ようとして、ここに行き着きました。
65年11月、66年1月、3月の三回、発足間もないべ平連について「誤解に満ちた非難を掲載された」と鶴見が述べています。どんな研究会だったのだろうと、思った次第です。
Unknown (荘太郎)
2012-06-21 20:25:23
虎尾さん、コメントありがとうございます。
さっそく、調べると、65年11月と66年3月の雑誌は所有していました。

65年の11月は雑誌の巻頭言でおそらく編集者の蜷川譲氏が書かれたのでは、と思います。

8月15日のベトナム戦争をめぐる徹夜討論会について、聴取者の反応は文化人の話よりも、若手の自民党議員の小数の発言がアピールしたとか、主催者はアメリカ国務省に招待を受けた、とか、短文の中では、たしかに誤解を受ける内容で、ベ平連の集会に否定的な見方をしています。最後に、ロランやサルトルやボーヴォワールのような行き届いた創造性と配慮はどのようにして生まれるのであろうか、と結んでいるのも、いただけません(偉大な先人を持ち出しても意味ありませんね)。

ただ、66年1月号には乙骨淑子さんというロマン・ロラン研究誌の常連投稿家の方が、「ベトナム平和運動についての誤解」と題して、巻頭言の誤解を指摘し、批判しています。「それぞれの人々が、自発的にそれに参加し、自分の足でたしかめながら、なにかの方法をさぐりだそうとして、黙々と歩いているそのことが、あの巻頭言にすっぽりぬけているのが、なにか残念のような気がいたしました」と結ばれていました。
66年3月号は持っていませんので、何が書かれているかわかりません。

ロマン・ロラン研究会というのは、ロマン・ロランに関心があるという1点だけ共通し、思想、生き方は多様だと思っています。

コメント欄ですので、長文は書けません。以上、ご参考になれば。
追加 (荘太郎)
2012-06-21 23:07:16
「ロマン・ロラン研究」66年1月号をよく見たら、前号巻頭言への二つの手紙として、先に紹介した乙骨さんの文の前に田原さんという方の「日韓条約反対とベトナム平和」という文もありました。こちらは、巻頭言に賛成の立場で、「ベ平連に疑惑を感じていたところ、巻頭言を読んで成る程とうなずきました、と書いてあります。ベ平連の人たちは、なぜ日韓条約反対のデモをしないのか、という当時、よくあった見当違いのベ平連批判です。ベ平連も、発足当初は、いろいろ批判されたようですね。わたしは、ベ平連支持派です(笑)。

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