らんかみち

童話から老話まで

最後の村祭りだったかも知れない

2012年10月08日 | 暮らしの落とし穴
「助からないと思っても助かっている」とは、将棋の大山康晴十五世名人が残した名言だ。「もうだめだと勝負を諦めてはいけない、局面を別の角度から読み直してみろ、助かる道はきっとあるはずだ」という意味だと解釈している。恐らく自分自身に言い聞かせながら名人は戦っていたんだろうな。

「ブクができた」と、村に不幸事が相次ぎ、今年の村祭りは湿っぽいものになるだろう、いやそれどころかお神輿を神社から下ろすことすらできないんじゃないか、と思っていた。
 ところが、色んな確執があって何年も祭りをボイコットしてきた青年たちが出てきてくれ、なんとか祭りの体をなすことができた。それでも神輿の担ぎ手は10人いなかったが、助かった。

「こんな人数で祭りをやっていることが不思議だ」という声があるように、来年はもっと厳しくなるかも知れない。このまま手をこまねいていたら、来年はきっと助からない。
 祭りは男だけのもんじゃないんだから、来年はギャル神輿でも出そうかと思っても、「どこにギャルがおるんぞ?」という話になる。だったら、女子会にあやかって「女子神輿」というのはどうだろう、これなら年齢の上限は無いにちがいない。
「しかしそれはイベントであって、村祭りじゃなかろがね」という声もある。なるほど、自分たちが自分たちの祭りをやりたいから少人数になってもやっているだけで、よそからギャルを雇ってまですることじゃないわな。

 祭りというものの本質と向き合わなければならない状況に立たされ、「だったらオレの代で祭りを終わらせてやる」と投げ出すのは簡単なのだが、それは村人の本意ではなかろう。
 助からないと思っても助かっている・・・・・・もう一度だけ局面を見直そうか、それとも「ありません」と、あっさり投了を告げようか、そうすれば誰もがきっと楽になれるよね。