らんかみち

童話から老話まで

鉄砲玉になどされたくない

2012年10月21日 | 暮らしの落とし穴
 小春日和というより初夏のような1日で、朝から半袖で動いてもびっしょり汗をかいた。水門のフラップゲートも調子が良くて、何の憂いもないな~と楽観していたところへ、知人からの不可解なメールが。
 どうも人間関係に悩んでいるようだが、ぼくが手をさしのべて解決するようなことでもなさそうだ。それなのに「共同してなになにしよう」と持ちかけられてもねぇ。しかもあんた、ぼくを陥れようとしたことを棚に上げてないかい?

 ああ、また他からも奇妙なメールが……いったいぼくを利用して何をやりたいの、といいたくなる資料が添付されていて、情熱みたいなものは感じるのだけど。また別の人から電話があって、これは間違いなく選挙関連のお誘いだ。
 なんだかどんどん流されていくような気がする。ぼくに見えていないだけで、この小さな島内で何か大きな動きがあるのかも知れない。共助とか共働といったことではなく、戦いが始まるような流れがあるんじゃないだろうか。気が付いたら鉄砲玉にされていたり……。

バラ祭りに浮かれている場合か

2012年10月20日 | 暮らしの落とし穴


 来週の土日は秋のバラ祭り。まあ、実行委員としてこの会議には顔を出しているんだけど、ぼくとしてはやる気は皆無。イベントも結構なんだけど、これを開く金があるなら猪を退治してほしいわけよ。

 喫緊の問題を脇に置いて何を浮かれているんだって言われるわけだけど、その予算とこの予算は別で、市長の公約である島嶼部の活性化も蔑ろにはできない。実際のところ、このイベントに、仮に1万人が来て下さったとしても島にとっての経済効果は相当なもので、かかった費用はペイできるだけでなく、それなりの見返りはあるのだろう。

 ではこのイベントの費用を使ったらどれだけの猪を退治できるのだろう。ぼくは猟のことは全く分からないけど、少なくとも1年は猪被害に怯えることは無くなるんじゃなかろうか。
 しかしそれはカンフル剤に過ぎず、やがて猪は隣の島から海を泳いで上陸するだろう。無人島も含めた近隣の島で一斉にハンターを動員して猪と対峙するしかないのだけど、活性化予算だって今治市の全てに配分されているわけだから、広島県と協力したら相当なことがやれるはずなのだ。

 ではなぜ猪の駆除が一向に進まないのかと言えば、まず第一にメディア受けしないから。いやむしろ動物愛護協会から突き上げを食らうかも知れない。次に、たとえば1日で100頭の猪を仕留めたとして、どうやって山から麓に下ろすんだ。その肉はどうやって処理して流通させるのだ、人間の斎場だって一杯一杯の状況で。

 難問が山積していて、誰もができないと思っている猪の駆除だけど、法律をいくつか改正したらなんとかなりそうにも思える。時限立法という手もあるんだから、是非とも実現してほしい。次の選挙では、猪対策をマニフェストに盛り込んだ党に一票を投じようと思っている。

とにかく猪をなんとかしてほしい

2012年10月19日 | 暮らしの落とし穴
 そばを刈り終えた。といっても雑草の中に勝手に生えた萌そばなので、収量は粉にして食べられるほどもなく、来年蒔くだけのために収穫した。それで気が付いたのは、雑草に埋もれて倒伏しているものの、幹が太くて背も高く、結実も悪くないこと。夏そば実験で化成肥料を昨年の倍である10kg使ったのと、発芽の時期がお盆前後だったことが関係するのだろう。

 信州のそば農家(といっても駆け出し)のブログを読んでいると、「猪に入られた」とあった。、最悪ぅ! 奴らが寝転ぶだけで臭いが実を汚染してしまうので、出荷できなくなる。そばはまだマシで、稲の場合は一カ所入られただけで、田んぼ一枚全ての米が出荷できなくなるという。それだけならまだしも、「熊に入られた」では命の危険もある。四国に熊はいないとされるが、当地で鹿の目撃情報が寄せられたという噂もある。

 野生動物の駆除、という言葉は好きになれないけど、彼らによって遠からず人間が駆逐されてしまうだろう。だったら彼らを狩って食べてあげようじゃないか。猪は本当に美味しいんだって。カラスだって食べる習慣がないだけで、本当は食べられると聞く。鳩を飼育して食べるくらいなんだから、カラスを食べても罰は当たるまい。
 地域おこし協力隊員に「あんたらが猟友会に入って猪を退治してくれたら、うちの村に銅像を建ててあげる」と唆したのだが、見通しは暗い。

本日のパンクラ

2012年10月18日 | 酒、食


 毎月8日と18日はパンクラの日、と勝手に決めて本日はパン焼きクラブだけど、顔だけ出した。石窯なんぞ使わなくても、最近じゃ冷やご飯からでもパンを焼いてくれる機械があるそうだ。本日石窯前に集った10名余りの人はそういう機械を既に持っていたり、オーブンでケーキも焼いてしまうような主婦ばかりだと思う。食パンを焼くのに石窯のような面倒なものを使う必然性は全くないのだけど、物珍しさもあって来て下さったと思う。

 先日石窯の中に二段入れられるように溶接で棚を作ったことで、12ケース焼けるようになった。1ケースが2斤のはずだから、全部で24斤も焼いたことになる、純斤じゃないか!
 しょーもないことを言いたくなるのは、このやり方だと四角いパンしか焼けないからだ。食パンには食指が動かないんだよなぁ。しかしこの石窯の構造上、ケースに入れないとパンが燻製になってしまう。

 石窯を管理運営しているのはぼくじゃなく窯爺なのだが、窯爺はアメリカ生活が長かったので食パンは主食なのだろう、スーパーでも「食パンをそんなに大量に買ってどうするの」というほど一度に仕入れている。ぼくは米の飯が無くても生きていける人間なのでパンは歓迎なのだが、窯爺のズッシリしたのは、ちょっとね。
 彼にしてみたら「牛乳と玉子だけで、水なんか使ってないよ」というのが売りなんだろうけど、ぼくとしてはふわっと軽いのが好みだ。ベーグルなんかは別として、世間のトレンドもふんわりではなかろうか。「パン屋は材料費をけちっているんだ」という窯爺の主張を的外れだとは言わないが、それが日本のパンなんだって。

またもや高潮被害だ!

2012年10月17日 | 暮らしの落とし穴
 一年で最も潮位が高くなるこの季節、昨年は特にひどくて島の一部は水浸しになった。ついてないことに今うちの村は樋門のフラップゲートが不調で、「綱渡りの状態だから早急に対策を」と市にお願いしておいたのだが、これまたついてないことに土建屋さんの都合がつかない。土建屋業界において10月というのは平均して仕事が忙しというのだ。「来週工事に入ります」との連絡をいただいたけど、そんなに待てないんだよ、なんとかして!

 本日の満潮は11時30分、潮位は371cm。昨夜11時のときに推移を確認したとき、なんとか凌げると判断したけど、今朝になってみたら雨が降っている。つまり気圧が低いということなんだけど、ここまで潮位が上がるとは思ってもみなかった。



 市に連絡したらすぐに来てくれたのだが、彼らにもどうすることもできない。どんどん水が溢れるのを雨に濡れながら見守るしか手がないのだ。



干潮になった夕方4時、水門に詰まっている砂を除去するためにラフターでバックホーを海に下ろしてもらう。危なっかしいぞ! で、なんとか砂を撤去してもらった。



 海岸線は波によって削られ、どんどん形を変える。一方で砂の堆積も容赦なく、入り組んだ場所には人の手ではどうしようもない量の砂が一年で押し寄せる。海の砂がどこからやって来るのかは知らないが、我々にとっては迷惑な話だ。
 当地に住んでいる限り砂との戦いは永遠に続くのだろうけど、子どものころはこんなじゃなかった気がする。昔と何がどう違うのか分からない。

無料講演会の裏を読んでみると

2012年10月16日 | 暮らしの落とし穴
「経済ジャーナリストである須田慎一郎さんの講演を聞きに行きませんか」とお誘いがあった。先日知り合ったばかりの同年代のおじさんなのだが、間際になって打診があったということは、ドタキャンを食らったのだろうか。
 なんにしても、この手の講演会の誘いをしてくる人は今までにいなかったので、まずはお付き合いしてみた、という次第。

 講演の内容は、「政治の動きを見ないで経済を予測することはできない」というものだった。当たり前といっちゃ当たり前だけど、「経済紙はここのところが分かっていない」って、先生も経済紙で活躍なさってたんでしょ? 
 こういう講演会を聞いて思うのは、まず先に新聞をこき下ろすのはなぜか、ということ。新聞をこき下ろしていながら、数字の引用は新聞からだったりする。須田先生も例外じゃなかったけど、話はとても面白かった。

 話が面白かったというより、上手だったというべきかもしれない。内容は新聞に書いてあることの補足というか復習というか、いうなれば新聞を読むための参考書、とでもいった分かりやすさだった。
 そりゃそうだ、こんな田舎で経済のコアな話をされた日にゃ、ちんぷんかんぷんで全員が眠りに落ちてしまうだろう。ぼくらには丁度良いレベルの講演だった、というよりも、聴衆のレベルに合わせてその場で内容を決めたのかも知れない。

 クラシック音楽のコンサートを良く聴くんだけど、人気の演奏家ともなると、会場の雰囲気に合わせて演奏するという。子どもの教育のためということで、母親と子ども連れが多い場合は親しみやすい演奏を。通ぶった連中が待ち構えているなら、それなりに。専門家や評論家が集っているなら大向こう受けしそうな演奏を心がけている、ということのようだ。

 さて今日の講演の要旨はというと、次の選挙では自民党に投票しなさい、とはおっしゃらなかったけど、そういう印象しか残らなかった。講演のタイトルは「政治・経済の裏を読む」だったけど、裏を読むならそういうことなんだろう。
 最近はこういった無料講演会に良く誘われるように思うんだけど、気のせいだろうか。

純と愛のでたらめぶりはどうよ

2012年10月15日 | エンタメ
 ろくちゃんの可愛らしさだけで観ようかなって思った「梅ちゃん先生」だけど、途中で挫折してしまった。そりゃ無いだろう、というようなシーンがたびたび出てくるし、ヒロインの演技力にも戸惑った。脇役に良い俳優が出演していただけに、観れば良かったなと思う反面、あれで役者さんたちを嫌いになっても困るしね。

 あり得ない、というシーンなら今度の「純と愛」はもっとでたらめだろう。毎回があり得ない状況で、よくぞヒロインは今の今まで生き延びてこられたもんだと感心する。
 客とトラブって契約を破棄されたかと思うと、次の日には安易に解決している。ホテルのオーナーがゴルフバッグをジャラジャラさせながら部長の部屋に入ってくるシーン、ないない、そんな人いない。ゴルフの後一風呂浴びてスーツとかに着替えたら、ゴルフバッグなんか担がない。

 このドラマの脚本家は「NHKの朝ドラではあり得ない物語」にあえて挑戦しているのだろう。とにかく、なにもかもぶっ飛んでいるわけだが、面白いと思う。何がって、それはたぶん、軽いストーリーを書いているようであって、実は人間模様を描いているからじゃなかろうか。
 それぞれの登場人物のキャラが立っているのはもちろんだけど、重苦しい過去を持っているとか女癖が悪いといったような、ドラマに出てくる設定だけじゃなく、ストーリーに関係のない設定がちゃんとできていればリアリティーは出せるということだろう。あり得ない展開も、「ひょっとしたら、あるかも」と許せるのだろう。

「梅ちゃん先生」が人間を描かなかったというつもりはない。ヒロインの生き方よりも、昭和という時代と雰囲気を今に伝えたかったのだろうと思う。「三丁目の夕日」みたいにね、あそうか、だからろくちゃんなのか!
「純と愛」は、まさにこの生き様というものに焦点が当てられている。自らの力で運命を切り開いていこうとする危なっかしいヒロインを、人の顔もまともに見られない愛がストーカーのように見守る。
 起承転結の起の段階はこのパターンで行くとして、承も同じというわけには行くまい。転あたりで愛を死なせてしまうのも悪くないけど、結で選択肢が限られてくる。う~んどうしたもんか……そう、このドラマの面白いところは、脚本自体の危うさにあるのだ。実績のある脚本家が、ヒロインを暴れるだけ暴れさせ、どうやって物語を締めくくるんだろうね。

ジェノベーゼのレシピ

2012年10月14日 | 酒、食


 バジルソースを作った。松の実20グラム、ニンニク10グラム、バジル70グラム、塩ティースプーン山盛り、オリーブオイル90グラム。これらを二つ用意して二回に分けてフードプロセッサにかけ(一度に入りきらないから)一つの容器に詰めた。最後にオリーブオイルを注いで約400グラムのソースが出来上がり。これってジェノベーゼ・ペーストと呼ぶのだそうな。うそだろ、チーズなんかが入っていて、もっとこってりしたやつのことだと思っていた。

 さて味はというと、やや塩辛いめだけど普通のバジルソースだった。というか、粗塩が溶けきっていない印象だ。オリーブオイルの層を作って酸化から守りつつ3時間冷凍してみたけど、固まっていない。塩の角が取れて少しマイルド感がアップしている、こいつぁいいじゃないか!

 WEBで調べたレシピには「バジルは洗うな」とか「松の実は軽く煎ってから使う」などとあるけど、ハーブバーバのグループはそんな面倒なことやってなかった。ぼくは彼女たちのレシピを目視で踏襲したにもかかわらず、市販の下手なものよりマシな味のものができたと思う。ただ、バジルの葉がちょっと固い。花芽が生長したせいかもしれないけど、フードプロセッサより擂り鉢に軍配が上がりそうだ。

バジルソースの作り方

2012年10月13日 | 酒、食


 バジルソースは一度作ったことがあるけど、松の実がが高価であるのと美味しくできなかったのを理由に、「自分で作るもんじゃないな」と顧みなかった。しかし今日、ハーブバーバから「バジルソースを作ります」と連絡をいただいたので、失敗した原因と、ノウハウを教わろうと見学に行った。

 材料は、バジルの葉が丼に山盛り一杯。松の実が小皿に載せてこぼれない程度。塩は案外多くて、ティースプーンにすくえるだけ。ニンニク一個。オリーブオイルはカップ半分くらい。彼女たちはきっちり計量しているけど、だいたいそんなところか。
 後は洗ったバジルを手動遠心分離器で水切りし、全ての材料をフードプロセッサに投入して1分ほど回すだけ。これで200グラムのバジルソースになる。
 
「たとえ高価でも、松の実は良いものを使わないと美味しいソースになりません」というのだが、スーパーで中華材料として売られているのを流用するなんてできない。それをやるとバジルソースを買う方がずっとに安上がりになってしまう。
 かくなる上は山に分け入って松ぼっくり(うちの田舎ではツングリと呼ぶ)を採ってきて実を採取……え、日本の小さなツングリじゃだめ?

 たまにお徳用松の実を見つけたら買うんだけど、ビールとかのおつまみに消費してしまうので、バジルソースを作ることにまでは頭が回らない。しかし今回教わったように、バジルソース作りは案外簡単だったので、バジルの最後に大量に作って冷凍して置こうか。「花芽が少しくらい混じっても大丈夫ですよ」だって。

神事はお婆ちゃんたちに委ね

2012年10月12日 | 暮らしの落とし穴
 アーティチョークの芽が出始めた、よっしゃよっしゃ。だけどジフィーに蒔いたのは全く芽が出ていない。思うに、フィジーはポットに入っておらず丸裸なので、気化熱を奪われて苗床が冷たいんじゃなかろうか。ハーブバーバに確かめてみたいけど、いかにも素人丸出しで恥ずかしいぞ。

 スーパーで同級生の姑さんに会った。スーパーでなくても色んなコミュニティーで会う人なんだけど、400坪ほどの畑を一人で耕作されているらしい。猪対策も三重の垣根を巡らせて今のところ被害は無いという。う~ん、83歳の所行とは思えないなぁ! 

 うちの島は年寄りの力によって保たれていると言って過言ではない。造船所のような大きい産業もあるけど、外部から島に来ている人がほとんどだ。彼らの一部でも村祭りに参加してくれるなら憂いは無いけれど、地元に関心のある人はいないと思う。

 仮に企業が祭りのために人材を供出してくれたとして、それが地元の祭りなのかどうか……。そんなことをしてまで祭りを続ける意味を問われたら、ぼくも答えに窮する。
 誰のためにする、なんのための祭りかってことなわけだけど、五穀豊穣や海上交通の安全祈願などという動機は失われて久しい。「神は死んだ、我々が殺したのだ」などとニーチェを引き合いに出すまでもなく、神は人と共に滅んでいくのだろう。

 畑の作物は年と共に変化しているし、神様にお供えにする野菜や果物も昔とは違ってきている。そういうことが許されるのなら、隣村の神様とうちの村の神様を一緒に祀って許されないはずはないと思う。
 そもそも神社というのは村人がこしらえたもので、神様がこしらえたものでもなく、ましてや宮司が建立したものではない。だからといって神社と縁を切るというのは村人が許さないだろう。ここはひとつ、元気なお婆ちゃんたちの手によって祭りを続けてもらうとしようか、そうだそれがベター!だ