らんかみち

童話から老話まで

医療崩壊が間近に迫ってきた

2010年10月18日 | 暮らしの落とし穴
 近所に住む叔母を町の病院に連れて行ったところ、折悪しく総理大臣のパレードがあって病院への道は大渋滞。ようやく到着したとき、叔母は既に手遅れ……なわけがないです。30分足らずで地域の基幹病院に着き、半年に一度の術後観察のCT撮影しただけです。いつもは早く済むんですが、今日はなんと9時に始まって病院を出たのが11時半。

 待合室には病人のような顔をした患者たちが咽せるように屯して、というか病気でもない人でも病人のように表情を失っているんじゃないかしらん。それほど沈鬱な空気が充満して、これはいったいどうしたことだろう?
 その疑問は叔母の診察に立ち会って解けました。ドクター不足で手術ができないばかりか、満足な診察すらもできない状況だったのです。
 
 病院って、ジャンジャン人を切り刻んで病室を埋めてナンボでしょう。オペができないんじゃ病院の経営が成り立たないっていうなら、遠からず閉鎖の憂き目を見るんじゃなかろうか。
 ぼくが納入業者の立場でこの病院を訪れていたころは、職員も活気に溢れていたように思うけど、今じゃ患者と見まごうほどに生気を失っているんです。

 医療崩壊のニュースは他人事のように耳にしてきたけど、現実を目の当たりにすると背筋が寒くなりました。救急車で運ばれることがあったとして、ぼくならこの病院には来たくないと思いましたが、よその病院だって事情は大して変わらないんじゃなかろうか。
 医師とすれば、待遇が良くて経営の上手な都会の病院に勤めたくなるのもうなずけますが、患者からすれば手術をやりまくっている病院とは距離をとった方が良いんじゃないでしょうか。
 関西のとある病院に10日ほど入院して患者さんたちと接してみて、この人たちの手術って本当に必要だったの? と疑問に思ったので本人たちに聞いてみたら、「この病院に来たのが災難だったと思う」と暗い顔をされました。

 小泉改革の「市場原理に任せる」ということは、必要のない手術までして儲けている病院は優等生で、真っ当な診療をして利益を出せない病院は劣等生ということなんでしょうか。
 いまさら小泉パレードを呪ってもしょうがないけど、小泉以前に戻せるものは戻して、天下り団体のようなうろんなものこそ市場原理に任せて淘汰されるべきではないんでしょうか。中核病院から産婦人科医がいなくなり、安心して子供が産めない国って、もはや先進国と呼べませんもんね。