らんかみち

童話から老話まで

認知症の母に切れそうになって

2010年01月08日 | 暮らしの落とし穴
 上の姉から「お母さんに贈り物があるんやけど、ついでにあんたにも何か送ってあげる」と、ありがたくも不気味な申し出をいただき、「これといって欲しいものは……椎間板ヘルニアに効く本でもお願いしようかな」
 姉は宇宙に遊んだり冥界に迷い込んだりする人なので、「あくまでも現世利益のある本で、あの世で治すとか降霊術を会得するための本ではないよ」と、くれぐれも人の世で生きているうちに治したい旨を伝えておいたら、あぁ良かった、普通の本が送られてきました。
 
 ところが、母に何が送られてきたのと聞いたら、新聞紙と答えるではありませんか。
「古新聞だけ送ってくるはずなかろが」
「いいや、あれはいっつも新聞紙を送ってくる」
「それは知っとるけど、新聞紙に包んであったのは何か聞いとるんよ」
 さすがの姉も古新聞だけを送ってくるようなマネはしないはずです。
「新聞より、無かったが……」
「こづかい、お金を送ってきたんじゃろが!」
 チラッと見たので分かってはいたけど、こっちも腹が立ってつい声を荒らげてしまいました。
「……おぅそうよ! お年玉をくれたんじゃった」
 毎日がこんなで、ホントにイライラさせられることばかり。ついつい母を叱りたくなってしまいます。
 
「こらHAL、あんたワシを盗人よばわりしとるいうじゃないか、どういうことぞ!」
 ご近所さんが、怒鳴り込んで来られましたが、これはある程度予期しておりました。ぼくが母を怒鳴った後、盗まれた物を取り返してきた言うので、それはうちのじゃないから返しに行け、とまた怒鳴ったんです。
 事情を説明したらご近所さんは納得してくれました。そう、認知症が進行すると、物を盗られたとかご飯を食べさせてくれないとか主張し始める、あの症状が母にも出ているんです。お盆、お祭り、お正月、準備に緊張した日々が続くと症状が出やすいみたいです。
 
 無邪気な姉は「新聞紙を送ってくる娘」と母に思われていることを知りません。大阪では新聞を捨てるのにも苦労するのか、と母は気の毒に思っているのです。それはぼくにとって痛痒ではないけど、送られてきたお返しに何を送ったら良いものやら悩んでまたボケ症状を出すのが怖い。
 だけど娘に物を送るのに一生懸命になるからといって、なんで頭が混乱するのかなとよくよく考えてみて、もしかしたらぼくのせいかもしれない。
 
 母は何かに夢中になっているとヘマをやらかす。たとえば風呂のお湯を抜いてしまったりとか、冷蔵庫に入っている玉子を見ずにまた玉子を買ってくるといった他愛もないミスです。それを見たぼくがブツブツ文句を言う。叱られたと思った母は緊張してさらにミスを重ねた挙句、「息子に怒られたから盗んだものを返せ」と近所に文句を言いいに行く。たぶんこんな図式じゃないでしょうか。
 
 ご近所さんに謝りに行ったら、「あれね、実は4年ほどまえに借りて、それっきりだったの忘れとった。あれはあんたの家の物じゃわい」と。
 いや驚いた、何にって、母の記憶力の良さに。母は時々混乱するけど、その原因はぼくにあるんじゃないだろうか。今年こそは母を叱るまい、腹を立てまい。母を罵ったところで何が好転するでもないし、むしろ悪化するだけだ。そうは誓えど、日々をイライラしながら過ごす。この一年、誓いが持つか知らん。