らんかみち

童話から老話まで

ウォーキングをやめて、遍路をやれ!

2008年10月04日 | 暮らしの落とし穴
 スリーデーマーチに偽参加して、しまなみ海道を歩くためにモスクワからわざわざ帰国した知人にも会うことができました。
 モスクワ? まさか、なんでってだれでも思いますよね。もしかして、クレムリンとか赤の広場とかを歩いたら、KGBどかに逮捕されるんでしょうか?
 
 他国の事情はともかく、多々羅しまなみ公園で休憩していたら、やって来ました不振人物。20台の青年が自転車に寝袋を積んでいて、あからさまに怪しい。これは小銭をせびられるかな、と思っていたら案の定、「荷物を盗られました、おねがいですからお金をください、少しでかまいませんから」と。
 
 こういう手合いって大嫌いです。プライドは無いのかって思いますよね。他人にものを頼むのは最後の最後になって考えろって言いたくなるし、ただでものを頼むなら、相手がその行為に、「してあげた」と、善行を施した喜びに打ち震えるような頼みをしろって言いたくなるんです。
 
 何人かのウォーカーとも話しました。みなさんとっても明るいのは、遍路と違って、歩くことに精神的な意味など持たせようとは考えていないからでしょう。その点では付き合いやすい方々ですが、何かしら物足りなさも否めません。もっとも、それは実生活とは関係の無い、人格とも関係の無い話なので、同じ土俵で雌雄を決するべきものではないです。
 
 自転車の物乞いに対しては即座に断ったんですが、ちょっと考え直しました。ぼくが遍路道を歩いていたとき何度お接待を頂いたことでしょう。それは現金であったり物であったりしましたが、どちらにしても「気持ち」を頂いた事実には変わりありません。なので、「小銭だけど……」といって自転車物乞いに「気持ち」を渡したら「あ、どうも……」
 
 遍路道を歩く人に何がしかのことをするのは「お接待」であり、単なる施しではありません。対象の後ろにお大師様のお姿が見えていればこそです。しかし実際には歩く乞食もいるわけです。なのにそんな連中にも四国の人は施してくれます。
 憐憫の情、それこそが尊いなあ、と思いなおしてぼくも、「お遍路をしなさい」と、自転車乞食にアドバイスしておきました。たぶん意味不明だったことでしょう。