北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

藤井匡『現代彫刻の方法』(美学出版)

2020年12月15日 08時46分06秒 | つれづれ読書録
 彫刻について日本語で書かれた本は、たとえば絵画や現代アートに比べると非常に少ないです。
 そんな中でも2018年に出た小田原のどか編著『彫刻 SCULPTURE 1 彫刻とは何か』は、一時代を劃する一冊でした。大胆に言ってしまえば、彫刻をめぐる日本語の言説は「木下直之・平瀬礼太・小田原のどか以後」と「それ以前」に分かれるというのが筆者の見方です。つまり、単なる美を探し求める言説から、社会と歴史の中にある彫刻のあり方を問うていく言説への大転換がなされているといえます。

 しかし、ロダン・本郷新と木下・平瀬・小田原の間がまったくの空白と断じてしまうのもいささか乱暴でしょう。
 その意味で、藤井匡の存在は貴重だと思いました(酒井忠康も忘れてはならないでしょうが)。
 この本は174ページと薄いながらも、あるひとつの視点から、多くの彫刻家を取り上げて、野外空間とのかかわりを論じています。
 帯には
野外彫刻を中心に、日本の現代彫刻を「方法」という視点から読み解く試み

とあります。正直なところ、これだけではよくわかりません。
 最初におさめられた「「方法」を見るための条件 『方法の発露』展」という文章に、もうすこしくわしく書かれているので引用しましょう。

 ここでの「方法」とは、制作の最初の段階で完成図や設計図がつくられ、その手順に従って作品を具現化していく作業、完成図を模倣していく作業のことではない。最初の段階で決定されるのは素材と技法。制作段階においては、物質に関わる行為から思考が触発され、さらに、その思考が手を通し、作業を触発する。完成へと向かう大まかな方向性は当初から意識されているとしても、制作の過程において手と頭が相互依存的に働くことによって、形態の着地点はゆらぎ続ける。ゆえに、制作の過程こそが作品を成立させる最も重要な点だとみなされているのである。


 筆者は実作者ではないのであまり確たることはいえないのですが、例えば漫画や詩であれば、作者が作品の隅々まで自らの意思を貫き通すことが一般的でしょう。おそらく絵画や、粘土での塑像も同じではないかと思われます。もちろん、技術(スキル)は必要ですが。
 それでは、彫刻は? 
 実は、石も木も、油絵の具や筆ほどには、作者の言うことを聞いてくれませんし、頭の中にある形をうまいこと具体化してくれるわけでもありません。のみなどを当てていても、思わぬ方向に削れていってしまったり、割れてしまったり、木目や石の組成と形とがうまく合わなかったりといったことが起きやすいようなのです。これは、スキルを磨いてもどうにもならないことなのです。

 これは言い換えると、自己を100%発揮し自然を征服するという近代西洋流の行き方とは異なるものです。つまり、石や木、あるいは周囲の環境といった、自然に耳を澄まし、自然のいうことと折り合いを付けながら、完成を探っていくやり方だといえるでしょう。
 藤井のこの本は、そういう視点からそれぞれの作家の営みに迫っていきます。
 たとえば村井進吾について述べた章では
「制作は、製作者の主体性に収斂するものではなく、他者との交通の結果として出現するものとなる」、
また、丸山富之を論じたくだりでは
「自己というものが本質に基づくのではなく、それが置かれる文脈によって形成されるという思考である。ここでの彫刻は、自律的な存在として価値が与えられるのではない」
と述べています。

 ここでは、作者と世界の関係が揺らぎ始めた20世紀末からの時代相が、評論の文章に反映しているといえましょう。
 ほかにも、戦後の抽象彫刻が、旧来の大理石ではなく、花崗岩を選択したことの意味など、門外漢の筆者にとっては、目から鱗の指摘がたくさんありました。
 裸婦や人物ではない、現代の彫刻を鑑賞するにあたって、読んでおいて損のない充実した一冊だといえます。

 ひとつだけ難を言えば、個々の野外彫刻作品の所在地やそれぞれの個展の会場といったデータがあまり記録されていないことですが、それを差し引いても、読み応えがありました。


http://www.bigaku-shuppan.jp/book/036Modern_Sculpture.html


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。