立体交差道路の始まり
ある時、”セントラルパークは美しくて、振り向き振り向きつ帰りま
す”と日本の友人に手紙を送った。私は知らなかったが、同じことを
書いて送ったのは明治政府が選んだ最初の留学生の一人、帰国後
専修大学の創始者となった相馬永胤であった。当時、専修大学
100年誌を編纂していた私の手紙を受けとった友人は驚き、早速
依頼されて相馬永胤の住んでいた学生時代の下宿先をを探し当て
た事があった。日本初の法律をまとめた永胤のNY滞在日記と会計
簿を読むと胸が熱くなる。何よりも大切なのは精神である事を教えら
れる。ブランドの買い物アサリではない。
現代の若者たちに読んでもらいたいと思う。同じ感慨でパークを歩
いた100年前の人に思いを馳せながら歩くのも心豊かな散歩になる。
歴史が分かるとパークの見方も違ってくる。
パークは、ニューヨーク市が1853年当時開発されていない843エー
カーの土地を購入し二人の建築家を最高額(当時の月給$1,500
市長りも高級)で雇用した。1858年~1873年完成まで15年を要し,
すべてが人工的にデザインされ、人々を楽しませる目的で作られた。
1858年といえば日本では幕府が日米修好通商条約を結んだ年。
江戸では福沢諭吉が蘭学塾を開いた。その2年後、批准書交換のた
め遣米使節団が渡米している。
何よりも特別なのは、何処から見ても視覚的に楽しめるように人工
的に高低を作り、太陽の降り注ぐ草わらから木陰まで、そして水ぎわ
から岩のぼりまで、綿密に計算してデザインされている。デザインの
インスピレーションは17世紀のヨーロッパの絵画から影響を受けたと
いわれている。アメリカで最初の立体交差をアーチや橋を使って散歩
道にバラエティをつけている。歩く道は総計93.5kmに及ぶ。橋、アー
チを含めて40あり、キャストアイロン、石、ブリック、御影石、ブラウン
ストンや木製などそれぞれのデザインがすべて異なり、トンネルをくぐ
っているときは上や下の道に気付くことはない。
セントラルパークはコンくリートジャングルであえぐニューヨーカーに
新鮮な空気を補給してくれるニューヨーク市の肺にあたるところだ。
心身ともにエネルギーが補給され、ニューヨーカーにもっとも愛され、
それぞれ暮らしの物語が入っている大切な宝石箱である。
相馬永胤 参考
*http://rokugou.cside.com/sensyu001.htm
*www.koutouclub.net/iikenohitobito2.htm