観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

最後にシメ

2009年02月11日 | 野鳥
今日も青い鳥を求めて出掛けたが、本日は駄目だった。あわよくばトラツグミも物にしてやろうと考えていたが、簡単に問屋は卸してくれなかった。
それもお仲間が5人が集まり、鳥談義をしていたとき、目の前の切り株に一度姿を見せたのだが、すぐに飛び去ってしまった。誰もシャッターを切らずじまいという悔しい思いをした。
天気も良さそうなので、昼弁当を食べて再挑戦したが駄目だった。すっきりしないので、前回、いい思いをした「シメ」を最後にもう一度撮りに行った。




目に松葉がかかって見えにくいのが残念だが、舌が出ているのが見える。


丹波篠山

2009年02月10日 | 旅・風景・グルメ

たんば田園交響ホールは、兵庫県篠山市にあるクラシック音楽公演を中心とした市立の多目的コンサートホール。
鄙にはもったいないような立派な施設である。
「音響家が選ぶ優良ホール100選」に選ばれている。これは、日本音響家協会が、「音響家からみた使いやすいホール」を称賛することを
目的として設けられた制度である。ちなみに四国のホールは、全く選ばれていない。
テーマと関係ないけど今、徳島市は、音楽ホールを中心とした再開発で県ともめている。


篠山城跡 ホールの南に壕を鋏んで篠山城跡がある。2000年4月に大書院が復元されている。(真ん中に屋根が見えている。)


今年は、篠山築城400年である。丹波篠山の名物は、猪肉と黒豆である。松茸もそうらしい。


この近くにある大正ロマン館で飲んだ黒豆でできたジュース(飲みかけてから写真を撮るのを思い出した。)

熊本城(本丸御殿)

2009年02月08日 | 旅・風景・グルメ
またもや熊本城公式ホームページから
”往時の本丸御殿には、藩主の居間、対面所(接客の場)
や台所等の機能が備わっていました。今回は大広間(対面所)、数寄屋(茶室)と大台所を復元しています。
延床面積:約2,951平方メートル  総事業費:約54億円 ”
一般公開は、平成20年4月20日からで、まだ1年にも満たない真新しい建物。


天守閣からみた本丸御殿
右端奥のビルが熊本市役所(左端の瓦は天守閣の瓦)


”本丸御殿は畳数1570畳、部屋数53もある建物群でした。その中でもひときわ大きい建物が本丸御殿大広間(ほんまるごてんおおひろま)で、
ここは藩主の居間として使われたり、部下と対面する場所でもありました。
大広間にはたくさんの部屋がありましたが、なかでも一番格式の高い部屋が「昭君の間(しょうくんのま)」と呼ばれる部屋です。この部屋には、
中国の漢の時代のお話で、胡の国に送られた絶世の美女、王昭君の物語が描かれていました。”

昭君之間  右から2番目の絵が王昭君(楊貴妃・西施・虞美人と並ぶ古代中国四大美人の一人)


この台所を見て、木村拓哉主演の「武士の一分」で毒味役になってる彼が貝の毒に当たって失明する場面を思い出した。

青い鳥

2009年02月07日 | 野鳥
青い鳥を探しに行った。
なかなか見つからなかったので、いつもの場所と少し離れた川のほうに行ってみると、実にたくさんの野鳥が見えた。そちらのほうが面白くなったので、夢中になってつい時間が経ってしまった。今日は早めに切り上げ家電量販店でも行こうと思い駐車場へ引き上げた。
しかし、青い鳥を思い出し、最初の場所に戻った。
目の前にルリビタキが


背中だけでは


でもやっぱり止まっている場所が悪い。


一部が枝にかかっている。




熊本城(天守閣)

2009年02月06日 | 旅・風景・グルメ
「熊本城公式ホームページ」によると
”西南戦争薩軍総攻撃の3日前、明治10年(1877年)2月19日午前11時頃、御天守御廊下付近から出火し、天守閣と本丸御殿(ほんまるごてん)一帯が全焼しました。原因は台所からの「失火説」、薩軍の「放火説」、鎮台(ちんだい)自ら火を付けたとする「自焼説」がありますが、時代遅れの天守閣を焼き、兵に籠城を覚悟させるため、司令長官の谷干城(たにたてき)が命じ、参謀の児玉源太郎(こだまげんたろう)が火を付けた、という説が現在では有力になりつつあります。”
現在の建物は、1960年に再現したもの


石垣の下で槍を持った門番が控えている。


人を入れないで撮ってみた。


パキスタン人?(右端)の見学
コートを着てる人も多いが、実際この日は大変暖かく1月17日というのに春の陽気だった。

熊本城(宇土櫓・頬当御門)

2009年02月04日 | 旅・風景・グルメ

中学校の修学旅行とオイルショック時のドライブ旅行以来の熊本城である。しかし、目の前に見える建物は違うような気がする。
この宇土櫓という名前の由来は、宇土(うと)の小西行長が関ヶ原で滅んだ後、小西の家臣の一部を加藤清正が召し抱え、現在に名前を残す京町に住まわせ、櫓をこの一団に管理させたことによる。また、宇土櫓の屋根の鯱は、従来からあったものではなく、1927年に陸軍が解体修理した際、城内に保管してあった鯱を取り付けたらしい。国の重要文化財である。


この門は、頬当御門という。左が宇土櫓で右に見えるのが天守閣


側面から見た宇土櫓



キリシタン大名として有名な小西行長は、熊本県宇土市にあった宇土城の城主であった。
京町の説明については、熊本県観光サイトのこのwebページ中程に説明が載っている。









島原外港~熊本港

2009年02月03日 | 旅・風景・グルメ
何でこんなに多くのカモメ(この日私が見たのはすべてユリカモメ)がついてくるのか、後で調べて納得した。どうやら船内売店でカモメの餌としてかっぱえびせんを売っているらしい。それを目当てにフェリーにずっとつきまとっているらしい。
私が乗ったフェリーは、船に強くない私が船酔いはおろか船に乗っているという感じが全くしないくらい快適だった。出発の時も到着時もほとんど体にショックがなく、おまけにユリカモメがついてくるので、30分の船旅では短いと思えるくらいだ。
乗船した熊本フェリーのオーシャンアロー号をウィキペディアで検索すると”石川島播磨重工業と東京大学船舶海洋工学科宮田秀明教授のグループが共同で開発した双胴船の一種、造波抵抗低減のため各船体を細長くした超細長双胴船(SSTH:Super Slender Twin Hull)であり、燃費効率が高いなどのメリットがある。”と書かれていた。









アトリ

2009年02月02日 | 日記
今日はせっかくの休みで、しかもこんなにいいバードウォッチング日和なのに病院へ行くはめになった。
土、日は休めない仕事で医者に診てもらえなかったので、今日になったのだが、案の定、インフルエンザA型。
早速、タミフルを服用して寝ていたが、怖い夢ばかり見る。
ほとんどが、車が止まらなくなったり、ぶつけられそうになったり。傑作は、エンジンがはずれたりしたのだが、このエンジンはまるでプラスチック模型の箱に入ったライナー(樹脂フレーム枠)に取り付けられたパーツといった具合(詳しくはライナーとパーツを繋いでいる部分はゲートという)
寝ているばかりでもつまらないので、本来ならば、今日撮影に行きたかった大麻比古神社の野鳥(アトリ)の写真ををアップ。