Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

田町車両センター183系、南武線に入線

2008年09月29日 01時27分52秒 | 南武線
先日、9月27日、田町車両センター183系が久しぶりに南武線の府中本町以南へ入線しました。団体専用列車とのことで、往路は武蔵溝ノ口まで顔を出し、一時的に折り返し専用の3番線に入線しました。ホームを挟んでのツーショットになりますが205系との並びも見られ、普段は南武線では見ることができない車両とあってか、乗客からは脚光を浴びているようでした。昨年の11月頃も修学旅行列車が頻繁に運行されましたが、今年も運行されるのか期待がかかります。

祝・横浜線開業100周年-ハマセンと記念ストラップなど

2008年09月26日 09時53分05秒 | 横浜線
横浜線の話題も今回でとりあえず最終回にしたいと思います。ちょうど開業100周年の9月23日に小机駅において記念弁当や横浜線パンの他に横浜線せんべい(略してハマセン)や記念ヘッドマークレプリカ、103系と73系の記念ストラップが販売されましたが、この日、私は記念弁当を購入しただけにとどまり、24日にも午前10時より主要なニューデイズやキオスクで、記念ストラップやハマセンが販売されるとあって、自宅から最も近い町田駅へと行ってみました。記念ストラップの方は販売個数が少ないため、かなり早めに行って並ばないといけないのではないかと思っておりましたが、9時30分に駅構内にあるニューデイズに行ってみるとだれも並んでおりませんでした。店員にストラップを購入したいのですが、店の入口に並べば良いのかと告げると、責任者らしき方がとりあえずここに並んで待ってくださいとのことで、店の入口に待つことにしました。すると年輩の女性が孫に頼まれてストラップを購入するように言われた方が続いて私の後に並ばれ、さらにやはり子供か孫に頼まれた女性もその後に続いていきました。発売10分前頃になると列も15人ほどになり、店の前に貼られたストラップの広告には完売御礼のシールが貼られ、1人1種類1個ずつという条件で購入することができました。10時ちょうどになると店員の案内により記念ストラップとハマセンが購入できたのですが、ストラップはジャカルタの友人のためにも購入しようと思い淵野辺駅に行ってみると、ストラップはまだ10個ずつ残っており、町田のように1人1種類1個ずつではありませんでしたので、103系と73系を2個ずつ購入しました。ストラップは1個700円であり、合計6個購入しましたので4200円もかかりましたので結構な出費でしたが、このようなイベントは頻繁にありませし、購入できたのだから満足すべきではないかと思っております。(23日の記念弁当やハマセンと合わせて計1万円になりました)
写真は103系の箱がハマセン、茶色(73系)の箱が関係ありませんが昨年販売された南武線かりんとう、左下が103系と73系の記念ストラップ、真中と右側の切符のようなものが、まちだ中央公民館で行われた原町田周辺・今昔写真展と横浜線開通100周年関連写真・関連グッズの展示で記念として配付された切符です。(20日町田市民ホール横で開催されたミニ電車などの切符)
今回販売されたハマセンですが、実際に横浜線では黄緑色と水色の先頭車は存在しましたが、エメラルドとオレンジ色は中間車でしか存在しないと思うのですがいかがなもんでしょうか? もしかしたらオレンジ色は三鷹区転出前にでも横浜線で見ることができたのでしょうか?

祝・横浜線開業100周年-記念列車運行

2008年09月23日 23時21分45秒 | 横浜線
記念弁当を自宅に置いてすぐに古淵駅へと急ぎました。記念グッズや記念弁当の販売とともに、記念列車が2本運行されたのですが、1本は長野の485系彩を使用した「横濱ものがたり号」で、東神奈川~松本で運行され、12:30~16:00は小机駅にて展示されました。もう1本は485系やまなみを使用した「横濱線100周年号」で、東神奈川~八王子で運行されました。この2本の形式は私の趣味の対象でもないことから、できるだけ横浜線で使用されている205系とのツーショットを狙うことにしました。彩は上記の時間においては小机駅で展示されていることから下り列車とのツーショットを狙いましたが、あまりにもギャラリーが多過ぎて思うような写真が撮影できず、やっと待つこと20分で記念ヘッドマークの付いた編成とのツーショットが撮影できました。やまなみの方はというとかなりチャンスはあったかと思うのですが、残念ながら思うようには撮影できませんでした。
明日24日も横浜線の主要駅などのキオスクやニューデイズで横浜線せんべいや記念ストラップが販売されるようで、時間があれば購入することにチャレンジしてみたいと思います。
とりあえず、横浜線のお祭りは本日が最高潮となったわけですが、今後も何かイベントがあるかもしれませんので、何かありましたら情報を提供していきたいと思っております。

祝・横浜線開業100周年-記念弁当発売

2008年09月23日 22時12分46秒 | 横浜線
ここ数日は横浜線開業100周年ということで、横浜線の話題を提供させていただいておりますが、本日9月23日でちょうど100周年であり、小机駅などでいろいろなイベントが実施されました。
私はここ数年、JRからの記念オレンジカードの発売もほとんど行われていないことから、記念の駅弁が発売されれば駅弁を購入し、その掛紙を収集することにつとめるようになりました。今回の横浜線開業100周年においては、先日も述べましたようにNRE(日本レストランエンタープライズ)、地元の崎陽軒、大船軒トラベルフーズから4種類の駅弁が販売され、掛紙もそれぞれ違うものが用意されるということから、私はこの全ての種類の駅弁を購入することにしました。
自宅を朝7時過ぎに出発し、スクーターで町田駅へと向い、町田駅から横浜線に乗車し小机駅に到着したのが7時30分を過ぎておりました。改札を出ると横浜線の記念グッズと駅弁売場の列がそれぞれ南口と北口に分かれて整列しているとの情報をJRの職員の方からお聞きし、早速、北口側へと向いました。すると熱心な駅弁ファンと思わしき方々が既に20名ちょっとおられ、私は列の最後尾に並びました。記念グッズの列はこの時点で既に長い行列をつくっており、結構徹夜組もいらっしゃたということで、かなりの熱狂ぶりを呈しておりましたが、駅弁組の方はというと私のような駅弁ファンもいらっしゃいますが、興味があって来られていた一般の方々もいらっしゃったことから、とても平和的でありました。
時間が経過するとともに、これらのグッズや駅弁などを購入されるお客も増え、イベントの準備がJR職員や関係者によって着々と進められました。駅弁の準備においては大船軒が最初に来られたようで、本日限りの記念弁当が机の上に並べられると、駅弁組みの何人かの方々は興味本意ですぐに殺到し、駅弁の掛紙に目をやるとともに、大船軒の販売員に心配になったのか「1人1種類1個ずつ購入できるのですよね」という質問も飛び交い、販売員の方が「どうしようかな?」なんて他人事のように返事をされる一幕もありました。続いて崎陽軒やNREも販売員が来られ準備が進められていきました。10時頃になるとそれぞれのグッズや駅弁などが10時30分から販売開始ということもあり、かなりの混雑ぶりになり、駅の南北を結ぶ自由通路は身動きがとれなくなるほどでした。駅弁側の列もこの時間になるとかなり長い列をつくっており、最後の方に並ばれている方は本当に購入できるのかという心配と私が購入できるという複雑な気持ちもありましたが、やはりどうしても購入したいならば早く並ぶべきではないかと感じております。
10時30分、いよいよグッズと駅弁などの販売が開始されました。駅弁の売場は自由通路に設置されたことから、10人ほどのグループに区切って誘導され、私達のグループも数分で駅弁売場に誘導され、すんなりと購入することができました。駅弁を購入すると駅弁を運ぶために用意したDパックの中にそっと入れ、駅弁の汁などが溢れないようにしました。その後すぐにこの日限りの販売である記念ヘッドマークレプリカも購入したいということで、並ぼうと最後尾を探しましたが、イベント関係者の方から購入の見込みはありませんとのことをお聞きし、とりあえず購入した駅弁を自宅に持ち帰ることにしました。
自宅に到着したのは11時30分を過ぎており、駅弁をいただくには良い時間かと思い、とりえず全部の駅弁を開け、食べる前に記念撮影を行いました。私なりに感想を言わせていただくと、掛紙が良いと思ったのは大船軒であり、続いて73系の写真が付いている崎陽軒、最後にNREだと思いますが、駅弁の中身に関しては、最も良かったのが崎陽軒、NRE、大船軒の順番ではないかと思っております。ただ、私は全て食べておらず見た目だけで評価しておりますので、その点ご了承いただきたいのと、もし大船軒の関係者が当ブログを見られ、不快に感じられてしまいますと、今後のイベント時において、大船軒さんの計らいで掛紙と駅弁を特別に別々に用意していただけなくなるかもしれませんので、あくまでも見た目で判断させていただいただけですということをご理解していただければと思っております。(本当は大船軒さんにはいつも感謝しております→他の駅弁屋では掛紙と駅弁は別々に売りませんので) ちなみに上の写真の解説を簡単にしますと左上が崎陽軒、右上がNRE、下の2つが大船軒です。下の写真は駅弁の中身ですが、左上と左下が大船軒、右上が崎陽軒、右下がNREです。
最後になりますが、駅弁の列に並ばれた方々、今日はどうもお疲れさまでした。また、横浜・川崎近辺のイベント時には出没するかと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

祝・横浜線開業100周年-183系団臨と205系との並び実現せず

2008年09月21日 23時42分06秒 | 横浜線
20日(土)は13日に引き続き、自宅近くの淵野辺駅に撮影に参りました。鉄道ダイヤ情報にはこの日、横浜線内のみ客扱いする大宮の183系による団臨の列車が掲載されており、どのような列車なのか確かめることにしました。この列車は町田駅において11:51に到着。12:11に出発し、20分も停車することから、205系との並びが撮影できるのではと予想されていました。183系と205系との並びを撮影するためには、もちろん町田駅で待てばいいのですが、町田~八王子ではこの183系の走行写真を撮影した後、後続列車で追いかけても撮影できることから、今回は横浜線のホームでは問題なく撮影できる淵野辺駅のホームで撮影することにしました。9時ちょっと前に到着するとホーム先端では1人の方が早くも撮影に来られておりましたが、ホームも広いことから問題はありませんでした。今回183系と並ぶ予定の39K運用に開業100周年のヘッドマークの付いた編成が入ると、とても絵になるのですが、なんとこの39Kに充当されたのがHMの付いたH21編成でした。これで全てお膳立てが整ったので、あとは遅れが出ないことだけを願っておりました。団臨の183系は淵野辺駅を11:46頃に通過するのですが、何分待っても来ずということで、私の思い描いていた183系団臨と205系との並びは実現しませんでした。結局12時30分過ぎまで粘っていましたが、183系の姿を見ることもなく退散しました。その後はたまたまというかもともと午後2時より淵野辺で用事があったため、その用事のついでに撮り鉄ということでもあったのですが、実はその後駅員に尋ねてみたところ、台風の影響により運休になりましたということで、振替日も設定されていないということでした。一体今回の団臨183系は何のための列車であったのか謎が深まるばかりです。(駅員も何のための列車か、わからないようです)
写真は町田駅において、団臨183系と並ぶ予定であった205系H21編成です。

祝・横浜線開業100周年-短命に終わった103系快速

2008年09月18日 22時58分10秒 | 横浜線
先日も横浜線103系の思い出を述べましたが、本日は短命に終わった103系快速の思い出を少々述べたいと思います。昭和63年3月13日のダイヤ改正により横浜線に快速列車が運行されました。停車駅は東神奈川を出ると、新横浜、鴨居、中山、町田、橋本と橋本~八王子は各駅に停車し、南武線の快速と同じデータイム1時間ヘッドで運行されておりました。私も快速が運行された当時はこの103系快速に何度か乗車したことがありますが、通過駅では必ず45k/h制限がかけられ、これでは何のために快速列車が運行されたのかと疑問を抱いておりました。結局、その年の9月より205系が配置されると103系が徐々に置き換えら、平成元年2月26日の103系さよなら運転をもって、103系による快速列車の運行が終了し、僅か約1年間の短命に終わりました。
また、快速にまつわることではありませんが横浜線の103系の思い出としては、車輪にフラットができやすいのか、車輪の音がうるさい車輌が多いのと先頭車が埃だらけの車輌が多く見られました。どうも畑が多いからというのが理由であるみたいですが、現在の205系では埃だらけの車輌は見られなくなりました。他にも中原区の検修の方から蒲田区の車輌が今度来るよと教えてもらい、南武線初の高運転台車登場と喜んで転入予定の車輌を東神奈川駅などへ行って事前にチェックした思い出があります。実は蒲田区にも103系のことでいろいろ聞きたいことがあって何度かお邪魔させていただいたのですが、残念ながら蒲田区では1枚も写真を撮っておりません。
写真は快速列車が運行されて間もない頃に撮影したもので、JR1周年を記念して、このようなヘッドマークが各路線に取り付けられておりました。

祝・横浜線開業100周年-思い出の103系

2008年09月17日 00時08分18秒 | 横浜線
9月は横浜線開業100周年にもあたる大きな節目のため、できるだけ横浜線の話題を提供していきたいと思います。私はもともと南武線沿線で生まれ育ったため、南武線の車両の変遷を見ながら国鉄の通勤形車両に魅了されたわけですが、南武線の新性能化は101系により達成され、南武線と同じ東京南西部を走る横浜線においては103系により達成されました。南武線を走る101系は中央線や総武線、赤羽線などで使用された車両が転入したため、黄色とオレンジ色(一時期、黄色と水色もあります)の混色編成が長い期間見られ、横浜線においては京浜東北線や山手線で使用された車両が使用されたため、こちらでは103系の水色と黄緑色の混色編成が長い期間見られ、南武線とは対照的でした。私は地元の南武線の混色編成に触発されたのか、小学生の頃から横浜線の駅まで歩いて、横浜線の103系の混色編成を見てよく堪能したものです。横浜線は南武線に比べるともっとのどかであり、小机より八王子までが単線であったにもかかわらず101系よりも新しい103系が使用され、103系に対する憧れのようなものを抱きました。昭和53年には南武線にも101系の冷房車が登場しておりますが、横浜線においても冷房車が投入され、毎年の両線区の冷房化率を見ても、ほとんど横浜線の方が先を行っていましたので、いつも横浜線の方が優遇されておりました。昭和54年には早くも横浜線にATCタイプの車両が登場し、横浜線に対する憧れが一層強まったものですが、先頭車両だけがATCタイプの冷房車であるものの、中間車は非冷房車といういわゆるキセル編成のため、冷房装置を搭載していながら冷房が効かないという編成が多くありました。昭和58年12月現在でもこのようなキセル編成は18本中の6本もあり、毎年、冷房改造を行うとともに品川区などから蒲田区に冷房車を転入し、代わりに非冷房車を転出させ、少しずつキセル編成を解消していきました。
横浜線の営業係数も成績が良いせいかもしれませんが、JR化後の昭和63年には山手線に次いで205系が投入されたのは横浜線であり、103系全車を置き換えました。(横浜線の103系さよならは平成元年2月26日) ちなみに南武線に初の103系ATCタイプが登場したのは平成元年1月であり、奇しくも横浜線からの転入車両でした。(Tc717の編成は昭和63年12月に中原区に転入したものの習志野区へ貸出し)
写真は205系の投入時期に相原駅にて撮影したもので、編成はおそらくTc313 M133 M'246 T217 M199 M'354 T'c704と思われます。編成の中間のT217は横浜線で唯一のAU712冷房装置搭載車かもしれません。

祝・横浜線開業100周年-快速「ベイ・ドリーム横濱号」

2008年09月15日 00時34分15秒 | 横浜線
横浜線の開業100周年も9月23日に控え、いよいよ横浜線祭りが大詰めを迎えるのですが、13日(土)は長野総合車両センターの189系N101編成を使用して、上りは松本→磯子、下りは桜木町→白馬に快速「ベイ・ドリーム横濱号」が運転されました。この日は午後から別の用事がありましたが、午前中は運よく用事もありませんでしたので、自宅の近くの横浜線沿線で撮影することにしました。このベイ・ドリーム横濱号の詳細については、すでにいろいろな方のホームページやブログなどでも詳しく紹介されておりますので、省略させていただきたいと思います。この写真を見ただけですぐどこかとわかる方はいらっしゃるかと思いますが、この区間は比較的撮影しやすいこともあり時間が経つにつれ、沿線住民の方やチビっ子鉄も線路沿いでカメラを構え、かなりの盛況ぶりでした。この列車が通過する約5分前までは陽が射しておりましたが、たまたまかなり分厚い大きな雲が陽を遮り、条件的にはあまり良い条件とはなりませんでした。この列車が通過するとカメラを構えていた方々が一斉にシャッターを切るとともに、ヘッドマークが「臨時」表示であり、特別な飾りもなかったせいか落胆した表情が印象的でした。私も何の飾りもないのは残念でありましたが、ある程度予想もしておりましたし、まあーこんなもんだよと思っておりましたので、特にがっかりはしていないつもりです。また次回もありますので、それをお楽しみということにしたいと思っております。
ちょっと話しは変わるかもしれませんが、横浜線と言えば20年前から205系が活躍する線区ですので、今や横浜線の顔と言ったら205系は過言ではないかと思います。開業100周年行事の一貫としてジョイフルトレインなどが運行されますが、1987年4月に山手線において運行された103系5色混色編成のおもしろ電車のように、205系でも南武線や埼京線、京葉線、武蔵野線などからかき集めて、混色編成による横浜線開業100周年号でも運行するのもいかがかと思いますが、今や20年以上前と違って予備編成も少ないことから、実現は難しいのでしょうか?是非とも205系の各色が揃った姿や混色編成を101系や103系時代に育った私としては見てみたいものです。

今年限りで廃止される名鉄モンキーパーク線

2008年09月11日 11時02分51秒 | その他
高山線の鵜沼駅で名鉄に乗換えたのですが、ここを通ると昔の思い出がよみがえります。1つは名鉄名古屋駅から高山まで以前運行されていた特急「北アルプス」に乗車したことがあり、それもキハ82に似ている名鉄キハ8000系で、その思い出はもう20年前ぐらいのことかと思います。やはり鉄道ファンとしてはミステリーな名鉄と国鉄の短絡線はどのようになっているのか気になり興味深く列車の窓から風景を見て、その僅かな短絡線区間を味わった筈ですが、その時の思い出は私の脳裏には残っておらず、名鉄名古屋駅でキハ8000の北アルプスに乗車した時の思い出しか残っておりません。
短絡線の跡も見る時間がありませんでしたのですぐに来た電車に乗車し、木曽川にかかる橋を渡り、隣駅の犬山遊園駅で下車しました。この木曽川にかかる犬山橋もかつては1つの橋に車と列車が通る全国でも珍しい鉄道道路併用橋であり、私もこの併用橋時代には電車に乗って、慎重に車に気をつけながら運転されていたことを思い出します。2000年3月にはこの橋の西側に道路用の新しい橋が架けられ、鉄道と道路の併用が解消されてしまいました。
犬山遊園駅で一旦改札を出ると右手側にモノレール用の乗り場があり、乗り場は階段を昇って、2階にホームがあります。ホームに上がると既に3両編成の車輌が停車しておりましたが、時間も夕方なせいか乗客は僅か私を含めて4人のようでした。車内に入ると連接構造であるためか思ったよりも広く、椅子の配置が床下機器を避けるように配置されているところが、とてもユニークな車輌です。この駅の時刻表を見ると8:50~17:29まで運行され、ほぼ30分間隔で運行されていますが、動物園までの所要時間3分ですので、15分間隔でもいいのではないかと思いますが、乗客が少ないから運転間隔を短縮することはできないのでしょうか。
乗客僅か4人を乗せたモノレールは16:59に発車すると、大きな電動機の音を響かせながら左にカーブし、急坂を昇って行きます。一番後ろに座っていましたので犬山遊園駅付近の街を見渡せたのですが、さらに丘の上には犬山城を見ることができました。するとすぐに右手に成田山別院(大聖寺)が見えると、このモノレール唯一の中間駅であるその名も成田山駅に到着しました。成田山を出るとジャングルのような森の中を進み、終点の動物園駅に到着。そこには小さな子供を連れた多くの家族がこのモノレールを待っており、すぐに乗車したため、結局、私は1度も降りることができず、すぐに大勢の乗客を乗せて、犬山遊園駅に戻りました。
このモノレールは今年12月27日で営業が最後となりますが、日本最古のモノレールの車輌の今後の行方はどうなるのでしょうか。跨座式のモノレールで使用できるところがあれば、まだ活躍もできそうなのですが。

美濃太田区に保管中の103系Mc18

2008年09月10日 09時16分44秒 | その他
大阪を12時ちょうどの新快速に乗車し、まずは美濃太田区に保存中の103系を見に行くことにしました。103系などが保管されているのは、私も最初は美濃太田駅から歩いて行けると思っていましたが、実は太多線の美濃川合駅から僅か5分のところに位置することから、さらに列車に乗って美濃川合駅で下車しました。駅の美濃太田側には国道41号が太多線を跨いでおりますが、その陸橋から103系や381系、165系、キハ58などが保管されている姿を見ることができます。103系はその陸橋からうまく撮影できるところにありましたが、あいにく夕方とあって逆光になることから、この車輌を順光で撮影したいならば、朝に来るしかないようです。ここにある103系はこのMc18の1両のみであり、M'とT'cの2両も保管されれば、動態保存も可能なのですが、JR東海にとっては103系の活躍線区も中央西線と関西線(名古屋口)であり、活躍期間もそれほど長くないことから印象が少ないのか、1両だけが保管されております。
どうもJR東海では、名古屋市金城ふ頭で(仮称)JR東海博物館が2009年度中に着工され、2011年春に完成されるようで、ここに保管されている車輌が展示されるのではないかと予想されます。この103系も今は外板やベンチレーターの塗装が所々剥げ落ちておりますが、今後ちゃんと整備されて展示されるのか、それともスクラップになってしまうのか注目されます。
ここの保管車輌を撮影したあとは、列車で鵜沼まで行き、新鵜沼で名鉄に乗換え、今年12月27日で最後の営業となる名鉄モンキーパークモノレール線に乗車しました。また、この話しは後日ご紹介します。