Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

横浜線開業80周年

2008年07月25日 15時39分00秒 | 横浜線
先日もお伝えしましたが、今年の9月23日で横浜線は、開業100周年を迎えます。各種のイベントも盛り沢山のようで詳しくは先日の記事やJR東日本八王子支社のホームページを参考にしていただきたいと思います。
ところで写真は20年前の1988年9月頃に撮影したもので、この頃も開業80周年ということでクモハ40の運転やオレンジカードの販売などいろいろイベントが行われましたが、ちょうどこの頃は昭和から平成に移る時代で、横浜線においては103系から205系に移行する時代でした。205系の投入は首都圏では山手線に次ぐもので、当時稼ぎの良い路線ということもあったかと思われますが、1988年9月より投入され、翌年の2月末までの異例の早さで従来の103系を全て取り替えてしまい、横浜線のイメージが急にアップされました。その次の205系投入線区に選ばれたのは南武線でしたが、こちらも黒字路線といえども、横浜線のように全車両を取り替えるには至らず、約半分が103系のまま残されたわけで、南武線の格付けが横浜線よりも下ということを象徴づけられたようなイメージが残っております。
ともあれ20年前に投入された205系が今もなお走り続け、そろそろ新車投入ということも噂されるような時期に入ってまいりましたが、私としては少なくともあと10年は使い続けてもらいたいもので、できれば1日でも長く走り続けることを願っております。205系が引退ということであれば、第2の人生を送れるように、あるところに積極的に話しを持ちかけてみたいと思います。(それほどの力はありませんがね!)

湘南色として活躍するMzc143-52

2008年07月22日 12時49分56秒 | その他
下の記事の続きですが、せっかく18きっぷを使っていたこともあり、松本まで行ってみました。松本での目的は、先日のクモユニの運転時に松本に在籍するクモヤ143-52を見たのですが、そのまま素通りしてしまったため、再び足を運びました。(何とも効率が悪いですが)
松本駅に到着したのは13:30を過ぎており、標高600m近くであるこの地でも、外に出た瞬間猛暑が襲ってきました。気温は31度を示しており、熊谷、多治見など猛暑で有名になった土地からすれば、こんなの序の口ではありますが、私の足取りも自然に暑さで重くなってしまい、車庫までの道のりが遠く感じました。ともあれ松本車両センターに着いてみると、例の湘南色クモヤが先日と位置を変えていないようで、絶好なポジションではありませんが、撮影することができました。このような事業用車は濃い青に警戒色の黄色を纏うのが一般的なのですが、松本のクモヤ143-52や新潟のクモヤ143-51は湘南色として活躍し、湘南色が恋しいものとしては嬉しいかぎりです。最近では国府津のクモヤ143-4も湘南色となっていますが、やはりこちらのクモニから改造したクモヤ143の50番台の方が私としては湘南色にはお似合いのように見えます。

南武線を走行する「せせらぎ」

2008年07月22日 11時47分31秒 | 南武線
7月19日~21の3日間、南武線の川崎~甲府間に快速「お座敷もも狩りエクスプレス号」が運転されました。使用された車輌は高崎の485系「せせらぎ」のお座敷車輌であり、私はこのようなジョイフルトレインには実際のところ興味がありませんが、最後の21日には朝早く起きて見に行って参りました。写真は回送シーンを登戸で撮影したもので、このあと武蔵中原に30分ほど停車するため、武蔵中原まで行って205系との並びのシーンを撮影しました。武蔵中原において「せせらぎ」は2番線に入りましたが、この停車中には武蔵中原止りが1本もありませんでしたので、1番線に入ってきた車輌とのツーショットの撮影になりました。
私はもともと松本まで行く予定でしたので、この列車に乗車してもよかったのですが、小心者の私としては、このような車輌に1人で乗車するには相当な勇気が必要ですので、やはり乗車しませんでした。私はこの列車に先行し、立川で待っていると中央線と南武線の間にある待避線に、この列車が入線し、乗務員も交代されました。乗客はほとんどがグループ客であり、1人で乗車されている方は見られませんでした。私は一足先に「ホリデー快速ビューやまなし号」にて、小淵沢へ向いました。
9月13日~15日においてもこの「せせらぎ」を使用して、「お座敷ぶどう狩りエクスプレス号」が川崎~甲府間に運行されます。それよりも私としては横浜線のように特急「はまかいじ」ならぬ「南武かいじ」でも運行されることを願っておりますが、はたしてそれだけ需要があるのかどうかはわかりません。

ところで横浜線といえば、今年の9月23日で開業100周年を迎えます。
昨年は南武線開業80周年ということで、いろいろなイベントが開催されましたが、今年は昨年、南武線で行われたイベントがそのまま横浜線でも行われます。
おもしろそうなものとしては、南武線かりんとうで味をしめたのか「横浜線せんべい」が東日本キヨスク横浜支店から発売される予定です。南武線ではパッケージが73系でしたが、横浜線せんべいではウグイス低運の103系が使用されるようです。発売時期、販売店などについては検討中とのことです。その他、横浜線パンやNREから横浜線開業100周年記念弁当が4種類も販売される予定です。
それから、昨年南武線においては205系に南武線開業80周年のヘッドマークやステッカーが取り付けられましたが、横浜線でも8月頃から2種類のヘッドマークが計6編成に取り付けられる予定で、約1年間も装着されるようです。行先表示がLED式に変わりつつある中、私個人的には幕式の車輌に取り付けられることを願っておりますが、はたしてどの編成に取り付けられるのでしょうか。
この他、横浜線の歴史や沿線を紹介した「横浜線沿線ガイド」というパンフレットの作成、開業100周年を記念した臨時列車の運転などが予定されております。横浜線ファンとしては目が離せない1年になりそうですが、詳しくはJR東日本八王子支社のホームページをご覧下さい。

運転士はどこに?

2008年07月17日 00時13分00秒 | インドネシア
本日はインドネシアのナニコレ珍百景をお送りします。
写真は2006年9月にBogor線のUniversitas Pancasila~Universitas Indonesiaで撮影したものです。列車はJakarta Kotaへ向うEknomi列車であり、ラッシュ時とあって、客室内だけでなく屋根上や連結面、乗務員室にも乗客で溢れております。私もこのようなラッシュ時であれば、乗務員室へ乗り込むのですが、乗務員室に入った場合はチップを乗務員に渡すのが習慣のようです。
ところで運転士がどこにいるのかおわかりでしょうか?
これってナニコレ珍百景に登録決定していただけますでしょうか?
ちなみに現在は、先頭車の乗務員室には一般乗客が乗り込むことはできなくなりました。

JABOTABEKで活躍するHOLECの車輌

2008年07月14日 21時51分01秒 | インドネシア
久しぶりの投稿になりましたが、しばらくJABOTABEKの話題から離れておりましたので、1つEkonomi車輌の話題をお届けしたいと思います。(新しい情報ではありませんが)
JABOTABEKでの主なEkonomi車輌は、抵抗制御車(Rheostatik)とともにベルギー/オランダのHOLECの車輌が活躍しております。主要機器はHOLEC等からによるもので、インドネシアINKA社によって組み立てられました。(一部はそうでない車輌もあるかも) 製造時期は1994年から2001年までの6期に渡り、合計128両が製造されたVVVF車輌で、VVVFの採用は1992年に登場したHYUNDAIに次ぐものです。1編成は他のEkonomi車輌と同様にTc M M Tcの4両編成が基本であり、ほとんど2本を組んで8両編成として使用され、運用上においてはHOLEC専用の運用を8本持っております。同様にHITACHIやRheoの専用の運用もあります。
この車輌の特徴としては、1つはVVVF車輌であるため、加速、減速時に当然ながら日本のVVVF車輌と同様に「ヒューン、ヒューン、ヒューン.....」と音がするのですが、パルスモードというのでしょうか、これが日本の車輌では聞いたことがないくらい早いのです。音鉄マニアにとっては1度聞く価値はあるかと思いますが、私自身、抵抗制御車に比べて好きな車輌ではありませんので、どうしても乗車することを拒んでしまいます。
それはともかく、現地の鉄道雑誌Majalah kaにも書かれているように、時々故障を起こします。どうもこの車輌のあだ名があるのですが、JAGO MOGOK「動かない雄鶏?」と呼ばれているようで、どうりでKRDE改造への対象車輌として抜擢されてしまったようです。何方かのホームページではねずみ男とあだ名を付けておりましたが、私はまさしく「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男ではないかと思うのですが、みなさんはいががでしょうか。それにしても日本人からするとアジアの国々で活躍するヨーロッパの車輌はセンスがなさ過ぎだと思うのですが。(マニラのLRTやMRTもそうですが)

青梅線で奇跡の復活となった201系四季彩

2008年07月07日 20時09分15秒 | 青梅・五日市線
昨日は去就が注目されていました201系四季彩の確認に行って参りました。通常の四季彩運用に充当されておりましたが、何かヘッドマークや編成札にお楽しみがあるかと思いきや、残念ながら普段どおりの四季彩の姿でした。はたして今後の四季彩は再び運行されるのか注目されますが、1日でも長く運行されることを願っております。
写真は軍畑のお立ち台で撮影したものです。この撮影場所は2週間ほど前は草が背の高さほどに生い茂っていましたが、草がきれいに刈られておりました。ただ、にわか雨には降られてしまいましたが。

湘南色として活躍する訓練車

2008年07月07日 19時27分39秒 | その他
先程の山スカ115系に揺られ長野まで来ましたが、せっかくここまで来たのですから長野総合車両センターの様子を見るため、北長野に向うことにしました。飯山線15:03に乗車すると209系の多くのTcばかりが廃車を免れたのか編成札を付けたまま留置されておりました。これらのTcは今後訓練車として再利用されるのか、房総地区への209系転出として使用されるのか、はたまた南武線転出用なのか非常に興味深いところです。北長野から線路沿いをひたすら歩き、外側から様子を見ておりましたが、昨年から訓練車として抜擢され、湘南色に塗装変更されたN15編成の姿も見ることができました。
現在の長野色も清涼感ある色で私なりには良い色だと思いますが、元々長野地区は115系投入当初、湘南色が元祖であり、リバイバルカラーとして湘南色や信州色、難しいかもしれませんがコカコーラ塗装も復活すると115系ファンとしては嬉しいのではないでしょうか。投入当初の長野地区独特の編成であるMc M' M M' T'cの5両編成も見てみたいですが。

山スカ115系と長野色の並び

2008年07月07日 18時29分40秒 | その他
姨捨での撮影後はこの「スイッチバック街道惜別羽尾号」聖高原行きに乗車し、廃止される羽尾信号場を乗車体験することにしました。列車はクモユニを除くと3両編成であるため、車内もかなりの混雑ぶりでしたが、この車内から見下ろす善光寺平の風景は日本の三大車窓の1つでもあり、天候も良かったせいか、素晴らしいものがありました。いずれは満月の夜に棚田に映る月と善光寺平の夜景をセットで見てみたいものですが、いつも時間が取れず未だに実現には至っておりません。話しを元に戻すと姨捨から5分程でこの信号場に到着し、上り「みすず」を通過させると、間もなく聖高原に向けて出発しました。終点、聖高原の手前には先程見たカメラマンの数は2倍以上に増えており、姨捨などで撮影された方が先回りして撮影されていたのではないかと思います。聖高原に到着するとクモユニ143の車内公開があるのですが、私はそれよりも外側からきれいな編成美を撮影すべく、すぐに下車しホームの反対側へとまわりました。しかしながら反対側は線路敷内ということもあり、最初のうちは入ることに躊躇しておりましたが、列車が入線することもなく、JRの職員も全く咎めることもありませんでしたので、ゆっくりと撮影することができました。
再びこの列車に乗車し、長野まで行ってみることにしました。途中、姨捨では30分ほど停車するのですが、長野から来る松本行き長野色115系との並びを撮影することができました。次回は松本のクモヤ143湘南色と長野の115系訓練車湘南色(もしくは高崎の115系)との併結運転でも行ってくれると嬉しいのですが、どのようなイベントを開催していただけるのでしょうか。

クモユニ143と併結される山スカ115系

2008年07月07日 17時00分19秒 | その他
先日5日の出来事ですが、クモユニ143と豊田の山スカ115系が併結され、「スイッチバック街道惜別羽尾号」として運転されるとあって、まずは姨捨まで行ってみることにしました。町田5:23発の横浜線に乗車し、高尾から長野色の115系に乗車、岡谷で飯田線から直通する「みすず」に乗換えて、とりあえずの目的地、姨捨に到着したのが10:13頃でした。手前の聖高原を過ぎた撮影地でもかなりの人出でしたので、姨捨のお立ち台でもかなりの人がいるのではないかと想定していると、思ったとおり1等地には人だかりができており、全く割り込む余地もありませんので、私はその下の空いたところで撮影することにしました。私ながらクモユニは併結されるだけで、このような人気が出ると想像もつきませんでしたが、もし、これが山スカの115系だけでクモユニは併結されなければ、おそらく人出は半減程度ではなかったかと思っております。(あくまでもクモユニがメインでは?)
話しは変わりますが、山スカ115系の思い出としては、皆さんがそれぞれ思っているように私が幼かった頃は新宿~長野間に運転されておりました。編成もMc M' T'c T T Mc M' T'cの8両編成で運転されるものがあり、新宿方にクモユニ82やクモニ83が併結され、MT54と吊りかけモーターのコラボレーションを聞くことができました。もちろんこれらのクモニやクモユニと併結する111系や113系、115系は東海道線をはじめ高崎線や信越線などの中距離電車を運行する路線であれば、当り前のように見れた光景ですので、当時としては特に珍しいことではありませんが、今となってみるとこのような光景は非常になつかしさもあります。今やこのクモユニの車輌もここ長野にしかおらず、希少な2両(Mpgc143-1と3)となっており、長野駅と車輌センターを結ぶ職員用の輸送を細々と担っております。

中央線201系の去就

2008年07月05日 00時03分21秒 | その他
先程、梅雨の晴れ間ということで、豊田までちょっと行って参りました。ここに着いたのは夕方の4時頃でしたが、実は中央線のポイント故障も知らずに201系を待ち続けました。中央線に遅れが出ていことには手持ちの時刻表の運用番号と見比べたことにより、すぐに気づくことができました。しかしながら待てど来ずということで、いつ来るのかわかりません。結局、撮影場所を変えている最中に東京方から201系が通過してしまい下りの201系は撮影できなかったのですが、少々悔しいのでその折り返しを待ち続け、日も弱くなった6時頃にゲットすることができました。撮影した列車の運用番号は07Hで、通常であれば折り返し河口湖行きとなるのですが、その後残念ながら運用番号が変更されてしまったようです。
話しは変わりますが、去就が注目されている201系四季彩ですが、5日、6日は青梅線で通常の四季彩の時刻で運行されるようです。4日夕方は豊田に留置されておりました。