Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

南武線ウォッチング-稲城市内連続立体交差事業第2期区間進捗状況

2011年10月24日 00時43分22秒 | 南武線
南武線の稲城市内連続立体交差事業第2期区間における下り線高架化が12月24日に実施されるということをお伝えしましたが、以前、私は都市計画の仕事に携わったこともあることから、このような高架工事の進捗の様子を見ていると興味が湧いてきます。
ということで、先程も高架工事の進捗状況を見に行ってきました。

矢野口と稲城長沼間のほぼ中間点の稲城大橋付近から第2期区間が始まりますが、下の写真のとおり稲城長沼駅で折り返す川崎方面行き列車は今度の切替工事により高架上り線を使用することになり、この地点において仮上り線(地平)と高架上り線のポイントが設置されるものと思われます。また、新たに高架上り線用の信号機が設置されています。


稲城長沼駅においては、高架ホームを使用する列車は下り線と折り返し川崎方面行き列車が使用し、駅本屋からこの高架ホームまで少々複雑な昇り降りが強いられます。駅員に伺ったところ、下り線高架後もやはり臨時の改札口を設置する予定はなく、現在と同様に現在の改札口1箇所のみで、高架ホーム利用者にとって不便さを強いられます。

下の写真は仮下り線ホームから撮影したもので、昔から上り線を撮影できるということで、たびたび雑誌などに掲載されていますが、この場所から撮影できるのも残すところあと2ヶ月だけとなりました。


続いて南多摩駅に行ってみると、この駅も同様に下り線の高架工事がほぼ終了しておりました。駅本屋と仮上り線ホームを結ぶ跨線橋は下り線高架後も使用されるようで、駅本屋から仮上り線ホームへのアクセスは以前の矢野口のように一度下り線ホームを経由することになるようです。


先日、中原電車区で南武線を紹介する子供向けのポスターが掲示されていることをお伝えしましたが、先程、中原電車区の前を通ってみるとNo.2(第2弾)が掲示されていました。前回は205系の運転台について説明がされており、第2弾は209系の運転台についての説明かと予想しておりましたが、予想に反して今回は車両番号の説明でした。私は子供の頃コロタン文庫の本を読んでこのような基本的な知識を身につけたのですが、確か私が小学生低学年の頃に茶色の73系に乗車し、父に「モハ72○○○」って何?と尋ねたことがありました。子供にとっては何を意味しているのか疑問に思うものですが、最近の子供は賢く、南武線の編成番号を覚えていたり、編成番号を見ただけでその編成の車両番号を全て言えてしまう子供にはビックリです。私は高校に入ってから何とか全編成の車両番号を暗記して言えるようになりましたが、その頃は101系、103系全盛の時代で頻繁に編成替えがあったものですから、覚えるのに苦労したものです。
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103系東海色、運行開始

2011年10月22日 18時49分05秒 | インドネシア
先日、東海色に塗り替え中のPT.KAIの103系についてレポートしましたが、Mc153~の4両編成は検査が終了し、Depok車庫に送られたのち、ようやく東海色の103系が運行開始されました。
編成は4両単独となり、主にBekasi~Tanjung Priok間に運行され、今までこの運用に充当されていた猫バスこと6151Fは以前から冷房装置の調子が悪く、Bukit Duri車庫に収容されているものと思われます。


写真を見る限り、検査中にPT.KAIを示すZマークが前面にありましたが、途中で新ロゴマークに変更されたものの、なぜかそのロゴマークがなくなり、きれいな1本帯となっています。私としてはこの方が103系に相応しく、また、私がデザインしたとおりになり、感激しております。
今回の検査で変更された点としては、女性専用車(Kereta Khusus Wanita)が検査時点でT'c632のみであったものが、Mc153も女性専用車となり、4両編成中半分の2両が女性専用車になっています。
その他、パンタグラフが青色のものになっていること、ワイパーが中央部にも取り付けられていることや号車番号受けがなくなっているなど、各所で改造などが行われているようです。

T'c632も以前あったロゴマークが消えており、そのロゴマークが小さく車体側面に表示されています。また、下の写真では203系が2本見えますが、マト51と66がKCJカラーに変更されたものと推測されます。


女性専用車が先頭車の両方に採用されていることから、4両編成として当分使用されるものと思われますが、相棒のもう1編成(Mc105~)の出場に伴い、以前のように8両編成として使用されるのか、それとも両編成ともに4両編成として単独で使用されるのか気になるところです。

なお、この103系の運用ですが、おそらく下記のような運用に充当されているものと思われます。

Tng5:45→Jak6:48 7:00(環状西線経由)→Bks8:12 8:36→Tpk9:29 9:37→Bks10:29 10:45→Tpk11:38 11:45→Bks12:38 12:45→Thb13:20 13:30→Bks14:09

Bks16:53→Tpk17:49 18:05→Bks18:54 19:00(環状東線経由)→Jak19:45 19:50→Tng20:49

Tng=Tangerang、Jak=Jakarta Kota、Bks=Bekasi、Tpk=Tanjung Priok、Thb=Tanah Abang
上記の運用に入っているかどうかについては確認しておりませんし、この運用に充当されていたとしても毎日この運用に充当されるものと限りませんので、あくまでも参考程度にお願いいたします。

写真、情報提供(Foto dan informasi)はMas Andi Ardiansyah


最後にお知らせですが、新聞などでも報道されているようにBogor線において10月19日より11月29日までの約40日間、架線の補修工事を実施するため、29本の列車が運休します。運休する列車はKCJのホームページに掲載されていますので、利用される方は参考にしてください。
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南武線に183系入線

2011年10月18日 23時08分29秒 | 南武線
10~11月のこの時期、南武線内の武蔵中原~府中本町間では毎年恒例となった修学旅行列車が運転されていますが、今年も同様に運転されました。ということで先程ちょっと見に行ってみましたが、18日に充当されたのは幕張車両センターの旧あずさ色のマリ32編成でした。
この修学旅行列車は一時的に中原区に留置されたあと、9時過ぎに中原区を出庫し、3番線の下り中線に入線するため、中原へ入庫する列車は2番線の上り中線に入線し、中原区の車両との並びを撮影することができます。この武蔵中原止まりの列車の行先表示は誤乗防止のためか「回送」表示となり、「回送」表示を嫌う私としては「武蔵中原」表示のままで撮影したいところですが、並びが撮影できるだけでも有難いのかもしれません。


また、10月16日の出来事になりますが、大宮総合車両センターの183系OM103編成が南武線の武蔵溝ノ口~立川間に団体列車として乗り入れました。こちらは国鉄特急色であり、以前は南武線の修学旅行列車でも特急色が見られたのですが、現在では183系が南武線に乗り入れる場合は旧あずさ色が主で、特急色はなかなか見ることができません。


ということで、中原区の車両との並びが撮影できないかと思い、武蔵溝ノ口での折り返しを撮影してみました。ホーム上では何かとホームの有効長が短く、綺麗に撮影することは難しいため、いつものことですが川崎寄りの踏切から無理やり撮影してみました。


183系の話題はここまでとして、昨日、稲城長沼を利用しましたので、高架工事の様子を1枚撮影してみました。下の写真は駅本屋から2番線の下り線へ通じる跨線橋から高架下り線ホームを撮影したもので、ほぼ完成しております。
ラッシュ時において立川方面からの乗客はこの稲城長沼で折り返し川崎行き始発列車に乗り換える方が多いのですが、下り線高架後はこの折り返し川崎行き始発列車は高架ホーム上から発車するため、階段の昇り降りが強いられますので、わざわざ座りたいために乗り換える乗客もいるのか気になるところです。また、川崎方面行きは現在使用している上りホームと高架ホーム(折り返し川崎方面行き)から発車しますので、乗客に対してどのような案内、掲示がされるのか注目しております。
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さよなら203系、また、フィリピンで会いましょう!Paalam na series 203,magkita tayo sa Pilipinas ulit.

2011年10月17日 11時43分42秒 | フィリピン
京葉線で活躍していた201系が今年6月末に引退し、一昨日も房総各線で活躍した113系が引退し、JR東日本から国鉄型と言われた形式が消滅していますが、201系のアルミ車体版の203系も同様に9月26日を最後に営業を終了しました。
そのような状況の中、車体が鋼製の201系や113系はスクラップという悲しい結末になりましたが、近年、東南アジアのインドネシアやフィリピンをはじめ、マレーシア、ミャンマーでは大都市部や都市間輸送の輸送力改善が大きな問題となっており、それを緊急的に解決するべく日本の中古車導入が最も手っ取り早い方法ということで、日本の鉄道会社から中古車が各国の鉄道会社へ譲渡されています。
本日お届けする203系についても、そのような状況の中合致した車両ということで、インドネシアのPT.KAIに5編成、フィリピンのPNRに4編成が送られることになり、唐ゆきさんという言葉(フィリピンでは12系や14系のことを「じゃぱゆき」というあだ名が付いています)が適切かどうかわかりませんが、それぞれの国で活躍が期待されています。

10月1日、時間が取れましたので尻手でマト54を撮影してみました。私は普段は葬式鉄のようなことは行っておりませんが、元地元である南武線に203系が通過するということで撮影してみました。


16日は203系の姿を日本で見ることができるのも最後ということで、千鳥町の埠頭付近で撮影してみました。普段は人の姿も見られない場所ですが、当日は大勢のギャラリーが詰めかけ、日本では最後の203系を撮影しておりました。


最後は船着場まで運ばれ、あとは船の到着を待つばかりですが、読売新聞の地方版によるとこれらの203系30両は10月下旬に出港し、フィリピンのPNR(フィリピン国鉄)に送られるとのことです。おそらく1週間でマニラに到着すると思われますので、11月上旬頃にはマニラに到着するのではないかと思われます。PNRへは既に203系10両、キハ52系が7両、キハ59系(こがね)が3両の計20両が譲渡され、それらの車両は全てTutuban駅構内及び車庫に留置されていますが、留置に必要なスペースが少ないかと思われますので、今回、第2陣として運ばれる203系30両は、PNRの車両工場のあるCaloocanに運ばれることも予想されます。PNRとしては約83両分の輸送にかかる費用の予算がありますので、残り約33両分の予算が残っているという計算になりますが、今後もどのような形式が譲渡されるのか気になるところです。
また、PNRでの203系の使用方法については先日お伝えしましたが、地元のマニアからはキハ52にサンドイッチされて使用されるのかもという噂もあります。実際のところそのようなことができるのかどうか、私は技術士でありませんのでわかりませんが、使用方法についても気になるところですので、公式の情報を待ちたいと思っています。


Dumating na ang isang formation ng series 203 sa Kawasaki port noong Oct 16 at nasa Kawasaki port na ang 30 cars ng series 203 ngayon. Ayon sa Japanese newspaper, siguro aalis daw ang mga coaches na iyon sa Kawasaki port papunta sa Manila sa katapusan ng October. Kaya sa palagay ko ay siguro darating ang mga coaches na iyon sa Manila sa umpisa ng November. Hindi ko pa alam kung paano gamitin ng PNR ang series 203.

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カラフルな103系混色編成を求めて阪和線へ

2011年10月14日 23時10分55秒 | 他線区の103系
昨日お伝えしました横浜線115系による快速「富士河口湖号」は今年8月の出来事でしたが、本日お伝えする阪和線103系混色編成も今年8月に遠征した時のものです。
近年、阪和線では基本的にできるだけ新しく状態の良い車両を他線区から転入させていることから、オレンジ色やウグイスの車両が見られ、編成によっては下のような混色編成も見られました。


このオレンジ色+ウグイス編成は、以前は大阪環状線でしばらく営業されていたもので、今年4月に阪和線に転入してきましたが、9月上旬に吹田工場に入場しました。


一方、7月20日から奈良区の103系4両編成に日根野区のスカイブルー2両を組み込み、ウグイス+スカイブルーの混色編成が登場しました。残念ながらこの編成もつい最近、吹田に回送されてしまったようで、混色編成は見られなくなりました。


私の地元、横浜線を思わせるような混色編成で、一時期、ウグイス+スカイブルーの混色シマシマ編成が昨年12月から今年1月にかけて見られました。


平日の昼間、鳳派出所では時々スカイブルー+オレンジ色+ウグイスの編成が並び、103系ならではのカラフルな姿を見ることができました。現在ではウグイスは見られなくなり、オレンジ色2編成のみが阪和線で異彩を放っています。
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115系、快速「富士河口湖号」運転

2011年10月13日 09時33分24秒 | 横浜線
何を今更という話題になってしまいますが、今から2ヶ月前の8月6、20、27日、横浜線の東神奈川~河口湖間に快速「富士河口湖号」が運転されました。横浜線ではごく稀に115系が入線し、前回は2009年9月26日の豊田車両センターのスカ色115系と長野総合車両センターの115系による「旅のプレゼント号」以来の入線かと思われますが、私も地元ということもあり楽しみにしておりました。(旅のプレゼント号の話題は2009年9月に記述しております)
実は既にご承知の方もいらっしゃるかと思いますが、本来であれば今年の春の行楽シーズン(3~4月)に運転されることになっていたものの、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により運行が中止され、115系の横浜線入線が実現されませんでした。

そのような中で今年夏の臨時列車として再び快速「富士河口湖号」が設定され、今度こそは大きな地震もなく無事に運行されることを願いつつ、全ての運行日に横浜線沿線に撮影に行ってみました。

まずは運行初日の8月6日は、残念ながらヘッドマークの取り付けはなく、ガッカリさせられましたが、それでも115系が運転されただけでも良かったのではないかと開き直っていました。


続いて20日ですが、この日はなんとヘッドマークが取り付けられていました。東神奈川駅では横浜線205系との並びが撮影できるとあって狙ってみました。


最終日の27日ですが、この日はおそらくギャラリーの数も少なくなっただろうと思い片倉駅で狙ってみました。


いずれの日も豊田車両センターの6両貫通M40編成が使用されました。豊田のスカ色115系の活躍も残すところ数年かと思われますので、再び来年春の行楽シーズンにも運転されることを願っておりますが、私の元地元である南武線にも115系が乗り入れ、快速「川崎-奥多摩ハイキング号」として利用されることも願っております。
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Djoko Lelono2(猫バス)でBekasiへ

2011年10月12日 10時24分48秒 | インドネシア
本日は昨日の続きでRajawaliからまずはTanjung Priokに行き、折り返しBekasiまで乗車してみたいと思います。
Tanjung Priok行きは15分程遅れてやって来ましたが、この列車に充当されたのは昨年の9月1日に乗車した時と同じ猫バス(Djoko Lelono2)として愛されている元都営6000形でした。


車内はやはり前回乗車した時と変わらないぐらいの乗車率で、昼下がりの鶴見線のような雰囲気でした。また、Tanjung Priokまで路盤が脆弱なのか40km/hぐらいのゆっくりしたスピードで進みました。


Tanjung Priokに到着するやいなや列車は遅れているためすぐに発車するとのことで、切符売場まで走ってすぐに切符を購入し、再び列車のところまで走り、ギリギリ列車に乗車することができました。
先程来た同じレールの上を今度は逆に進み、Rajawaliまで戻ってきました。Rajawaliから次の駅であるKemayoranまでは環状線の横にTanjung Priok方面用の線路が敷設されているため、実質、複々線のようになっていますが、このTanjung Priok方面の線路は片方しか使用されていないようです。
Kemayoranからは複線になるため、列車は環状線に入り、まもなく環状(東線)のターミナルPasar Senenに到着しました。Pasar Senen駅のホームは島式の1面2線しかありませんが、地方への中・長距離列車が運行されていることから下の写真のようにホームが広々としています。


Pasar Senenを過ぎると中央線のような沿線とは違うジャカルタの下町の中を走り、東京の下町を走る私鉄沿線にも似ています。
どの駅のホームも下の写真のように相対式のホームが続き、隣のホームへのアクセスは線路を平面で横切る形になっています。
また、将来的には環状線のPondok Jati~Manggarai間に短絡線を建設し、環状線の完全ループ運転ができるように計画されているようですが、完成は当分先のような気もします。


環状線とBekasi線の接続駅Jati Negaraが近づくと進行方向左側に機関区が見えてきます。私はそもそも機関車にあまり興味がありませんので、この機関区にはお邪魔したことがありません。


Jati NegaraからはBekasi線となり、しばらく3線区間が続きます。以前も述べたようにこの3線区間を利用して、客車列車が電車を追抜くというようなことが稀にあります。また、Jati Negaraの次の駅はこの3線区間の終わるCipinangという駅ですが、戸籍上、駅として登録されているもののホームもなく、列車も1本も停車しないようですので、実質、信号所のような扱いになっています。


Klender駅はホーム有効長が4両しか対応しておらず、ホームのない場所に停車した車両の乗客は車両に付いているステップなどを利用して乗降する必要があります。
Bogor線や中央線ではホーム有効長が足りない駅はありませんが、他の路線では稀にこのような駅もあります。


Bekasi線線路北側には将来的に複々線として計画されているため、用地がほとんど確保されていますが、軌道の敷設工事はいまだに実施されていません。


Rawa Bebekは戸籍上、停留場でありますが、列車は1本も停車しません。このような停留場であり、使用されていない駅は環状線やTangerang線などにもあります。
また、Rawa Bebekは日本語であひる(Bebek)、湖(Rawa)を意味し、Tangerang線の駅でもRawa Buaya(わに湖)という駅名があります。このように駅名の由来がその土地の特徴や英雄の人名などから名づけられているものが多く、駅名のルーツを探るのも楽しいものです。


進行方向左側にBekasiの電留線が見えてくると間もなく終点Bekasiに到着です。
このBekasiの電留線内への入場についても、以前であれば簡単に入ることができましたが、現在では基本的に許可証がないと入場できません。


Bekasiでは折り返し用の2番線に遅れて到着し、この列車はすぐにTanjung Priokへと引き返して行きました。


簡単に乗車記をご紹介しましたが、また、他の路線でも乗車記を作成して面白いものがありましたら、ご紹介させていただきたいと思っております。
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Kampung Bandan、Rajawali駅をウォッチング

2011年10月11日 10時46分05秒 | インドネシア
7月のジャカルタ訪問時のことをお伝えしていないこともありますので、今回は車両以外のことで述べていきたいと思います。

7月20日の朝、実はこの日も103系の走行写真を撮影したいということで考えていたのですが、103系運用に充当されたのは別の形式が充当されましたので、どこへ行こうかと考えつつとりあえずは私の宿泊先の最寄駅のGondangdia駅からManggarai駅へ行ってみることにしました。
Manggarai駅に到着すると駅本屋に近い1番線にKRL-Iが停車しており、今日はおそらく103系も運行されていないことだし、気が趣くままにまかせ行きたいところに行ってみようかということで、このKRL-Iに乗車することにしました。
このKRL-Iはおそらく環状線内回り(Tanah Abang方面)の列車であろうと推測のもとで乗車したのですが、4両編成であるためかぎゅうぎゅう詰めの混雑を呈しておりました。8時ちょうどに出発し、中央線のレールを斜めに横切り、私の予想どおりに環状線へと入って行きました。オフィスビルの集中するSudirman駅に到着すると大勢の乗客が降車し、次のTanah Abang駅でも降車が相次ぎ、車内は日中の鶴見線のような閑散とした状態になりました。列車はこのまま行くとManggarai駅に戻ってしまいますので、どこへ行こうかと思いついたのがTanjung Priokでした。Tanjung Priokへは1日に3本の電車と数本の列車が運行されていますが、Tanjung Priok方面に分岐するRajawali駅を9:15頃に発車することがわかりましたので、しばらくは時間があるということで環状線とJakarta Kota方面が分岐するKampung Bandan駅で降りてみることにしました。
このKampung Bandan駅はご存知の方も多いと思いますが、先程、環状線とJakarta Kota方面の分岐駅と申しましたが、実はその他にJakarta KotaからTanjung Priokへ向かうTanjung Priok線が環状線を跨ぐ形で通っており、かつてはこの路線にも列車が運行されていたようなのですが、現在では1本も列車が運行されていません。
この路線のホームや線路がどのようになっているのか覘いてみたところ、線路はかつての荒れ放題の状態から整備されたようで、いつでも列車が走れるような状態になっていました。

下の写真はJakarta Kota方面を見たところです。架線柱の形状やカテナリーの方式から推測すると左側の線路はオランダ統治時代に電化し、のちほど右側の線路も日本の援助によって電化されたのでしょうか?(間違っていたらゴメンナサイ)


下の写真は逆方向のTanjung Priok方面を望んだところで、ホーム近くにトラス橋が見えますが、この下に環状線が通っています。
このTanjung Priok線の旅客列車の運行の再開予定があるようですが、旅客需要が極端に見込まれないことから計画が実施されないままなのか気になるところで、INKAの新車KFWやKRL-Iなどの4両編成を1日数本実験的に運行させてみてはいかがかと思うのですが、運行が再開するのはいつになるのでしょうか。


再び環状線のホームに戻るとホームは嵩上げ工事が行われていました。近年どこの駅でもホームの嵩上げ工事が実施され、乗り降りが楽になっています。


環状線内回りのホームの南側にはTanah Abang・Duri方面とJakarta Kota方面と行き来できる線路があります。列車はこの線路でスイッチバックを行っているのですが、客車列車ですと何とも面倒な推進運転が行われているようです。
新Kota駅が環状線に設置できれば、効率的な列車運行ができるのですが、果たしてこの計画が実現するのはいつになるのでしょうか。
また、2005年時点で103系はTangerang線のBenteng Ekspresに充当されていましたが、この時はこの引上線を使用せず、駅北側にあるホームのない引上線を使用していたかと思います。(確かとらえもんさんが、以前、この場所でビデオカメラで撮影したものが販売されたかと思います)


7月訪問時点でTangerang線Ekonomi列車に6両編成のDjoko Lelonoが充当されていましたが、先月の訪問時にはBalai Yasa Manggaraiに入場していました。


そろそろTanjung Priok行きの列車の出発の時間が近づいてきましたので、Rajawali駅に移動してみることにしました。Ekonomi列車に乗り込み外を眺めているとMangga Dua Squareのショッピングセンターが見えますが、その線路脇に「香港城」と書かれた門があります。この近くに中華街でもあるのでしょうか。


Rajawali駅近くではおそらく1日1往復かと思いますが、Surabayaからやって来た緑色の荷物列車と擦れ違いました。もう少し早くRajawali駅に到着していればこの列車を綺麗に撮影できたのですが残念です。


Rajawali駅に到着するとTanjung Priok方面のホーム近くで待っていたのですが、突然とPasar Senen方面から客車列車がやって来ました。この列車はおそらく西ジャワ、Banten州Rangkas Bitung行きかと思われます。Rangkas Bitung、Merak方面の列車はJakarta KotaやTanah Abangからも列車が出発しています。


Tanjung Priok行きの列車が遅れているようですので、駅の外に出てみました。するとインドネシアではどこでも見ることのできるオレンジ色のバジャイが止まっていました。フィリピンでもそうですが、このような乗り物に乗る時には運転手に料金を聞くのではなく、乗車する前に周りの人か知人に料金を聞いた上で乗車するようにしていますが、時々ぼられてしまうこともあります。


上の写真を見て既にお気づきになった方もいるかもしれませんが、バジャイのうしろに何やら怪しげな女性のマネキンが街燈に括り付けられていました。真夜中に見たら何とも不気味かと思うのですが、何のためなのか近くにいた方に尋ねてみると、ただ飾っているだけと言っていました。
このような女性、Gajah Mada通りのKota駅からモナス付近で、今でも見かけることができるかもしれません。


次回はTanjung Priok行きの列車に乗車し、Tanjung Priokで折り返して、Bekasiへと向かいます。
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PT.KAI情報-元JR車両の話題

2011年10月10日 10時19分09秒 | インドネシア
一昨日、昨日と南武線の話題を提供しましたが、本日から再びジャカルタのPT.KAIについて話題を提供したいと思います。
本日は元JRの車両である103系や203系の新たな情報を現地のマニアからいただきましたので簡単に紹介します。

まずは103系の話題で、検査入場した低運の編成が東海色で塗り替えられていることを先日お伝えしましたが、しばらくDepok車庫に留置されていた高運の編成もBalai Yasa Manggaraiに今月5日頃入場したようです。
この編成も東海色に塗り替えられると思われますが、高運の東海色は今まで存在しませんでしたので、どのような姿になって現れるか楽しみです。おそらく広島のヨン様ことE04編成のようなサプライズがあるのではないかと個人的に期待しております。

下の写真はBalai Yasa Manggaraiへ検査入場した高運編成。(Foto:Masa Andi Ardiansyah)


一方、203系の話題で9月22日にマト68と69がジャカルタに到着しましたが、これらの車両ものちほどDepok車庫に送られ、転入整備待ちのような状態になっているようです。また203系の転入整備のトップバッターとしてマト66がKCJカラーに変更されましたが、女性専用車の装飾以外の整備は終了したようで、下の写真のように夢のようなJR時代の編成とのツーショットが実現しました。

下の写真はDepok車庫に留置中のマト69(左)とマト66(右)です。(Foto:Mas Adam Faridl al Fath)
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南武線ウォッチング-快速電車平日運転再開

2011年10月09日 23時34分00秒 | 南武線
昨日に続き本日も午前中だけ南武線ウォッチングを行いました。昨日述べましたように快速「秋の山梨お座敷ぶどう狩り号」が運行され、武蔵中原駅での205系や209系との並びが撮影できるということで、まず向かったのが武蔵中原駅でした。
本日は205系オリジナル顔のナハ13とナハ44編成で可能性的には最もありえるパターンの並びとなりました。


ここで節電ダイヤと快速列車の運行について今更ではありますが、簡単に述べたいと思います。
電力需要の高まる夏の期間において節電ダイヤが実施され、川崎~登戸間については平日の日中全体の約6割の運転となり、快速の運転は中止されていました。列車本数も1時間に5本と12分間隔の運転となり、かつてのダイヤのような状況で不便さを強いられていましたが、8月22日より電力需給に余裕が見込まれたことから1時間に5本から6本に列車の増発が実施され、運転間隔は10分になりました。しかしながら快速運転は実施されず、休日でしか快速列車が運転されていませんでしたが、9月12日より平常運転に戻され、快速列車の運転が再開されました。
ということで何か南武線の平日における快速列車の運転再開を知らせるものがないかと探していたところ、川崎駅に下の写真のようなポスターが貼られていました。このポスター、今年4月の快速デビューの時も同じようなデザインで使用されていましたが、それをタイトルのところを変えてアレンジしたようです。


現在では快速が毎日運転されているため、特に珍しいということではありませんが、やはり私個人としては今でも快速の幕を見るとカッコイイなあーと思い、ついつい快速列車を中心に本日も撮影していました。
下の写真は稲田堤~矢野口間の原島踏切から撮影したもので、以前も述べたと思いますが、上りの快速列車が通過する場合は列車が矢野口駅に入る手前から踏切が鳴り出しますので、踏切の遮断時間が長くなります。


ついでではありますが、約20年前にもこの踏切付近から撮影したことがあり、当時は田園風景がまだ多く残っていました。下の写真の列車はクモハの103系で、101系冷房車も健在でした。


こちらの写真もついでで、昨日の記事に関連して掲載しましたが、約20年前は稲城市内では水田や梨畑も多く残っていました。下の写真の列車は101系冷房車で、当時、稲城市周辺で南武線の列車をよく撮影していました。また、時間のある時に昔の南武線の写真を掲載したいと思います。
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