Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

国鉄型を求めて房総へ

2010年08月18日 00時36分02秒 | その他
千葉地区には房総ローカルの113系をはじめ、京葉線で活躍するスカイブルーの201系など、国鉄時代に新製された車輌が活躍しておりますが、209系の転入やE233系の新製により、これらの国鉄型と呼ばれる車輌もあと僅かの活躍ということで、房総地区へと足を運びました。

まずは房総ローカルの113系ですが、他のホームページやブログなどでも紹介されているように6連の湘南色113系と4連の湘南色113系が7月下旬から初めて湘南色どうしペアを組んだようで、10連運用にここしばらく充当されているようです。私も7月29日に出撃したしだいですが、この日は終日運用ということで、沿線にはこの湘南色を求めてギャラリーの姿が多く見られました。
横浜線始発で乗り継ぎ、まずは袖ヶ浦~巌根へ向かうとやはりここもギャラリーが多く見られ、その後ろから狙ってみました。


このあとはこの湘南色10連113系が内房線内を行ったり来たりということで私も追いかけたのですが、この日の天候はあまりにも暑く、炎天下での撮影は灼熱の地獄のようで、非常に汗ばむ指でシャッターを切りました。


夕方にはこの湘南色も外房線へと転線し、そのついでに快速「白い砂」が運行されているということで大原へ行ってみることにしました。私が幼い頃に見たまさに113系の「白い砂」を思い出させ、両国までそのまま乗車してみました。千葉から西の総武快速線上では普段113系の営業運転はないということで、感動したしだいであります。


また、201系を東金線内で撮影してみたいと以前から思っていますが、始発を乗り継いだとしても、東京西郊に住む私のところでは東金線内での201系には間に合わないということで、201系の分割併合を行う誉田でその姿を先週末撮影してみました。


ところで話は変わりますが、ここ最近私の知り合いの方々がジャカルタへ訪問するものですから、当初、私はジャカルタへ行くことを控えていたものの、ただ指をくわえてブログや皆さんの話を聞いているだけで羨ましくなり、思い切って来週26日から訪問することにしました。
今回はジャカルタ以外にマニラ、クアラルンプールも同時に訪問する予定で、それぞれの地域で鉄道の現状を調べたいと思っております。帰国は来月9日の予定ですが、随時少しずつ報告するつもりですし、乗車記も述べていきたいと思っております。

期待されるマニラ首都圏のLRTとMRTによる環状化

2010年08月13日 01時07分03秒 | フィリピン
フィリピンの話題がご無沙汰になってしまいましたので、ここで話題を1つ。
マニラ首都圏で人口1000万人を擁するものの、他の東南アジアの国の都市に比べ鉄道整備が遅れており、マニラ湾と平行するように敷設されたLRT1号線(1984年開通)と半環状のEDSA Ave.上に敷設されたMRT3号線(1999年開通)、マニラ市街地を東西に横切るLRT2号線(2004年開通)しか主要な鉄道がありません。韓国や中国のように目覚しい鉄道整備が計画どおり実施されていないのが現状ですが、ようやく今年11月を目処に念願であったLRT1号線とMRT3号線が開通するようで、東京の山手線のような環状運転ではありませんが、この2本の鉄道によってマニラ首都圏が環状で結ばれることになります。
11月に開通する予定の区間は、Balintawak~Edsa North Grand Central(正式駅名でない)間をLRT1号線として開通させ、現在、North Ave.が北の終点となっているMRT3号線をEdsa North Grand Centralまで延伸する予定です。

写真はMRT3号線の終点駅であるNorth Ave.駅前のTriNoma MallからSM City(Edsa North Grand Central駅)方向を眺めたもので、SM Cityまでは僅か約400mほどしかありません。


LRT1号線とMRT3号線の結節点の駅となるEdsa North Grand Central(正式駅名でない)では、駅の整備費用は新駅駅前に位置するフィリピン大手百貨店のSM(Shoe Mart)が基本的に負担するようですが、その代わりLRTとMRTを両路線を利用する乗客は乗換が強いられます。また、LRTとMRTの車輌限界については微妙に異なり、かつシステムも異なるため両路線への直通乗り入れは現状では不可能であります。この新駅の構造についてはDOTC(交通通信省)の資料によりますと以下のようになっています。



この図からもわかるようにEdsa North Grand Central駅では、LRT1号線、MRT3号線ともに駅構内は単線であり、列車本数の頻度が多い場合には対応できません。両路線を乗り継ぐ場合においてもホームが島式でないため、ホームから一度下のコンコースへ降り、再びホームへ上がるというようなことになります。また、今後建設されるMRT7号線も乗り入れる予定です。
なぜ、Edsa North Grand Central~Monumento間をMRT3号線としてではなく、LRT1号線として整備してしまったのか非常に疑問が多く残り、利用客重視よりも民間企業や政治家たちの癒着が懸念されます。

今までLRT1号線の終点であったMonumento駅の現状(今年1月現在)ですが、引上線が1線のみとなり、東側の引上線については本線として使用されています。


この先は線路が東に90度方向を変え、Edsa North Grand Central方面へと向かいますが、私としてはこのまままっすぐValenzuela方面にLRT1号線が延伸し、MRT3号線がEdsa North Grand Central~Monumento間を運行し、将来的にそのままフィリピン国鉄(PNR)Caloocan駅を経由したのち、Navotas方面に延伸した方がより利便性の向上が図られ、より効果的であったのではないかと思います。

下の写真はMonumento駅引上線北側に位置するRizal Ave. Ext.とEDSA Ave. Ext.のロータリーにある英雄Andres Bonifacioの銅像で、もしLRT1号線がこのままNavotas方面へと北進してしまったら、Bonifacioの持っている鉈(itak)で線路を切り落してしまったかもしれないという噂話が広まっています。

再び103系を求めて西へ

2010年08月11日 00時35分38秒 | 他線区の103系
1ヶ月以上のブログの更新で、管理人が生きているのか病気にでもなったのかと気になった方もいらっしゃるかと思いますが、一応ちゃんと生きております。
最近、鉄活動も行っておりませんでしたが、ここ1週間ほど前から久々に鉄活動もできる時間があり、夏恒例の103系を求めて西へと遠征して参りました。言うまでもなくこんな私でも18きっぷを使用して、広島、岡山、大阪地区の103系などの撮影に7日から9日まで行って参りましたが、まずは風前の灯状態である広島地区へと足を運ぶことにしました。いつものように大垣行きのムーンライトながらを利用し、そのまま乗り継いでまずは岡山に到着。岡山で先行する列車に乗車し、岡山区内の様子を下り列車から覗うといつも2本いるはずの103系の姿が見当たりません。北長瀬で上り列車に乗車し、再び区内の様子を覗うとやはりどこにも103系の姿が見当たりませんでした。岡山駅で貸自転車を使って区内の様子を確認しようとも思ったのですが、この炎天下を走るのは苦痛で、しかも時間の無駄になるかもということで、あっさりと広島へと向かうことにしました。途中、尾道でちょっと昼飯ということでラーメンでも食べようかということで尾道で下車。実はつい1ヶ月前に亡くなった尾道の有名犬ドビンちゃんのご冥福も兼ねて下車したのですが、尾道住吉花火大会がこの日にあるということを尾道に到着してから知りました。私は1週間前に終わったものだと勘違いしていましたが、花火大会ということは花火臨があるわけで、食事後再び列車に乗車し、広島方面へ向かうと、次の糸崎で岡山区のH19とH20編成が一列に並んで留置されていました。とりあえずは広島へとこのまま足を運んだのですが、せっかくのチャンスを逃がすわけにはいきませんので、広島到着後すぐに引き返し、再び糸崎へと戻って参りました。時刻は既に16時を過ぎており、糸崎駅構内の留置線を見渡すと103系は1本が残っており、1本は既に出て行ってしまいました。もしや8連の103系を見れるのではと期待を抱いておりましたが、この時点で単独運用されることがわかり、それはそれで2本撮影できるのだからと開き直りました。糸崎駅構内に留置されていた103系が構内を移動し、岡山方から1番線に入線すると、その編成はH20(回送表示)でした。糸崎駅で臨時列車の時刻表を入手し、できるだけ光線的にも条件の良いところへ移動しようということで備後赤坂へと向かいました。花火臨は103系2本とも大門まで回送され、折り返し糸崎もしくは三原まで客扱いされるということで、その列車を狙うことにしました。花火臨の1本目(大門16:55発)がH19編成で、方向幕の表示が「臨時」と斜体文字で表示され、岡山地区の103系では普段見れないものであり、少々感動しました。

そして、先程、糸崎で回送で大門へ送り込まれたH20編成が花火臨の2本目(大門17:17発)として使用され、この列車の方向幕もH19と同様に「臨時」と表示されていました。残念ながらこのあとの103系上り方面の方向幕は確認できませんでした。(夕方の上り花火臨は尾道まで客扱い、その後回送)

広島到着後は113系・103系共通運用内に103系が運用されているのではないかということで全てチェックしたところ、この日は全て113系でした。広島所内も確認してみるとB09編成が確認でき、E07の方は確認できませんでした。(8日朝は天神川寄りの新幹線側に留置されているのを確認)

8日は可部線の朝の運用に103系が充当されることを想定し、今や定番になってしまいましたが、安芸長束の堤防へと向かうことにしました。広島7:22発の729Mに乗車し、途中、三滝でB09編成と交換を行いました。日曜日でも103系が充当されていたのですが、このまま予定どおり長束の堤防で1時間ばかし撮影しておりました。

103系D編成運用についてですが、この日はD1、D3編成と下関所115系C13編成が充当され、D2編成については広島所内の修繕庫内でクモヤにサンドされるように留置されていました。今後動きがあるものと思われますが、被害の状況が外から見れませんのでわかりませんが、果たして復帰できるのか、復帰できず阪和のMc車編成3連を改造の上転入するのか、どのような動きがあるのか今後が楽しみです。
広島での撮影後は大阪へと向かうのですが、途中、岡山区の様子を覗うと昨日花火臨として活躍した2本の103系はお休みということで動く様子もなく、18時代のかつて103系が運用についていた列車を確認後、大阪へと向かいました。

9日朝、前回も阪和線の103系混色編成を撮影しましたが、物足りないのか再び撮影することにしました。8日夜に運よくこの混色編成がA23に充当されているところを確認でき、この日はA24ということで予想ができましたので、まずは堺市の有名な踏切へ行ってみると先客が既に何人かいるということがわかり、急遽、我孫子町へ行ってみることに。阪和線の朝のラッシュ時はひっきりなしに列車が通過しますので、被られてもしょうがないのですが、無事に撮影でき、さらに長滝でも被られそうになりましたが、この混色編成を撮影することができました。


そう言えば、この混色編成の方向幕は字の大きさ(Q数)が小さいものが使用されていますが、私としては大きい方に取り替えてほしいものです。