Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

PNR(フィリピン国鉄)近況報告-2015年9月

2015年10月20日 02時12分53秒 | フィリピン
ジャカルタ、マニラ遠征の報告の続きということで、前回はジャカルタからマニラまでの帰路の様子をお伝えしましたが、本日はPNR(フィリピン国鉄)の近況報告と元関東鉄道のキハ350の話題を中心に報告したいと思います。
TutubanからNagaへ送り込むキハ350の回送列車に乗車させていただくことになっていましたが、前回、報告しましたように8時30分過ぎにキハ350とビコール地方におけるコミューター列車の安全などを祈願し、新GM、車両課のB氏や幹部立ち会いのもと神父さんが祝福式(blessing)を行っていました。
しかしながら、予定されていたNagaへの送り込みは残念ながら、投石避けネットの設置が完了しておらず、送り込みは中止になってしまいました。

下の写真は9月9日のTutuban駅での様子ですが、急ピッチでキハ350の第1編成と第2編成に投石避けネットが取り付けられていました。


その後、私がマニラから帰国する9月14日にTutubanからNagaまで第1編成が回送され、18日からNaga~Legazpi間で、キハ350による運行が開始されたようです。
投石避けネットの付いた写真はありませんが、第1番編成は前面の投石避けネットが左右ともに同じ形のものが取り付けられているようですので、マヨン火山との撮影は絵になるかと思いますが、1日たった1往復するのみですので、撮影は1発勝負か、車を借りるなどして追いかけて撮影する必要があるかもしれません。せめて2往復ぐらいしてくれると良いのですが。(Legazpi駅に7:30~17:00まで置いておくだけですので)
なお、第2編成の前面の投石避けネットは行先表示器が残ったため、運転席側のネットの天地が長く、見た目あまりカッコイイものではありません。
また、キハ350が使用されているNaga~Legazpi間の時刻ですが以下のとおりで、日曜日は運行されていません。(土曜日は不明)
Naga5:00→Pili5:21→Iriga5:52→Polangui6:29→Ligao6:43→Travesia6:58→Daraga7:22→Legazpi7:30(主な駅のみ掲載で、Legazpi駅以外は発車時刻)
Legazpi17:00→Daraga17:09→Travesia17:34→Ligao17:49→Polangui18:03→Iriga18:39→Pili19:10→Naga19:30(主な駅のみ掲載で、Naga駅以外は発車時刻)
ちなみにSipocot~Naga間は以下の時刻のとおりですが、こちらはDL+ブルトレ色キハ52の3両が使用されているようです。
Naga5:30→Sipocot6:40 Sipocot6:40→Naga7:50(途中駅の時刻は省略)
Naga15:30→Sipocot16:40 Sipocot16:45→Naga17:55(途中駅の時刻は省略)


車両前面の左上に番号の付いていないのは第3編成目で、第3編成は予備のため、Tutubanに留置されているようです。細かいところを見ると前照灯まわりの色やガラス支持のHゴムの色などに違いが見られます。また、第1編成にはジャカルタの電車のようなスカートが取り付けられていますいが、第3編成には付いていません。
各編成の組成については以下のとおりです。(←Tutuban  Alabang→)
第1編成 354 353
第2編成 358 3511
第3編成 3518 3519



第3編成はとりあえず予備ということで、この時点では投石避けネットが取り付けられていませんが、今後投石避けネットやスカートも取り付けられることが予想されます。
また、当初、キハ350は3両編成で使用される予定でしたが、どうも2両編成で使用されるようです。


続いて、このキハ350の車内を覗いてみました。
キハ350には簡易クーラーが取り付けられていますが、1年中常夏のフィリピンではAU75のような集中式の強力なクーラーが必要かもしれません。
まあ、基本的にNaga近郊の路線で、朝と夕方に使用されますので、このままでも良いのかもしれませんが、3扉というのはマニラ首都圏向きなのかもしれません。


車内の扇風機には国鉄の象徴であるJNRマークが付いていました。


国鉄の101系と同様にキハ350の運転台はとてもシンプルです。運転席後部にある扇風機や他の機器には国鉄のJNRマークが付いたままであり国鉄の雰囲気が漂っています。


以上がキハ350の現況でしたが、今後も長く使用されることを願いたいもので、キハ52のように数年使ったのち、休車となってしまうのか心配であります。

この他の話題としては特にありませんが、車両課のB氏の部屋にお邪魔させていただき、このようなすばらしいトレインビューが堪能できました。
Tutuban駅とTutubanのヤードが全て見渡せ、右側には203系が、左にはキハ350と12系客車、14系寝台車が留置されていました。


最後に1つ、203系の列車を見ていて思ったのですが、203系の列車がTutuban駅に到着すると機関車を203系の前に付け替えないといけませんので、別の機関車がAlabang寄りに連結し、一度、ヤード側に引き上げると同時にTutubanまで引っ張ってきた機関車もヤード側に引き上げます。
この一連の姿を見ていると、やはり203系の列車は手間がかかり、ディーゼル車両のほうが格段に良いのですが、今後、2020年頃に予定されている南方線の電化及び立体化が実施される頃まではこのような姿が見られるのかもしれません。


以上、キハ350を中心に簡単に報告しましたが、次回もPNR特集ということで、Caloocan工場訪問かTutubanからAlabang間の乗務員室添乗レポートについて報告したいと思います。




ジャカルタを離れ、マニラへ

2015年10月17日 23時45分17秒 | フィリピン
1週間ぶりの更新にになりますが、9月のジャカルタ、マニラ遠征において、ジャカルタの話題についてはおおよそ報告しましたので、マニラの話題ということでPNR(フィリピン国鉄)の話題を中心に報告したいと思います。
9月9日深夜0:55発のフィリピン航空(PR)でジャカルタを離れ、マニラへと向かったのですが、日本を離れる前にPNRに譲渡された元関東鉄道のキハ350のうち1編成が運良く9月9日の8:45にTutuban駅を出発し、回送でビコール地方の中心都市であるNagaへ持って行くという情報を聞きつけ、早速、RNRの車両担当であるB氏にメールで便乗させていただくことを聞いてみると快諾していただきましたので、マニラに到着しだいそのキハ350に乗車する手筈になっていました。
しかしながら、6日から8日までの3日間はジャカルタで歩きに歩いた結果、私の両足の裏には今まで経験したことのないぐらいの大きな豆ができており、ただ単に座っているだけでも足の裏が痛むのでありますが、これ以上ふつうに歩くのは当然無理な訳で、そのキハ350に乗車し、TutubanからNagaまでのおよそ10時間の旅は大変かもしれないと考えておりました。
私の乗った飛行機は後方に空席があったため、3時間ほどは3人席を占領し、横になってぐっすりと眠ることができたのですが、朝5時を過ぎると東の空が赤くなり、眼下を見ると陸地が見えてきました。


どこだろうと考えていると下の写真のような特徴ある地形が見えましたので、これは世界的にも大きなカルデラ湖で知られているTaal Lakeだということはすぐにわかりました。Taal Lakeということはマニラまでおよそ50kmちょっとなので30分もしないうちに到着することは推測できたのですが、しばらくはこのまま眼下を眺め続けておりました。


すると飛行機は下の写真の通り、左手側に大きな水面が見え、遠くにはCalamba近くにある1000m級の山であるMt.Makilingが現れると同時に、その山に向かって走る高速道路、SLEX(South Luzon Expressway)が見えてきましたので、よく目を凝らして見ると私の家内と子供が暮らすSta.Rosaの町が眼下にありました。思わず心の中でここで降ろしてくれと叫んでおりましたが、ここで降りてしまうと本来の目的であるキハ350の回送列車にも乗れなくなってしまいますので、ちょっと複雑な気持ちでもありました。


飛行機はフィリピンで最も大きい湖であるLaguna de Bayを通ると、先程見えたMt.Makilingよりも2倍高い2000m級の山であるMt.Banahaoが見えましたが、明らかにMt.Makilingよりも高いことがわかりました。


飛行機は旋回を始めると一直線の川が見えてきましたが、この川はManggahan放水路で、Passig川の洪水対策として円借款により1983年に完成したようで、両岸には集落がきれいに整備されています。


飛行機は高度を下げ、マニラのビジネスエリアのMakatiに近接する近年開発されたGlobal Cityが見えてきました。


飛行機は遅れもなくマニラにほぼ定刻の6:05に到着し、すぐにイミグレで出国手続きをしたものの、なぜかこのような時に限ってお腹の調子が悪くなり、20分ほどトイレで悪戦苦闘し、30分ほど余計な時間を使ってしまいました。まあ、空港からPNRのBuendia駅までタクシーで向かい、Buendia駅から列車でTutuban駅に行けば良いかなとタクシーに乗り込むと、マニラの街も他の東南アジアの都市と同様にラッシュ時が早く、所々で渋滞にハマりました。また、私が余計なことを運転手に言ったもんだから、タクシーの運転手はLRT1号線の駅ほうのBuendia駅へ向かってしまい、結局、LRT1号線でTutuban駅近くのDoroteo Jose駅に行くことになりました。
Tutuban駅近くのJollibeeで朝食を済ませ、Nagaまでのおよそ10時間の長旅に備えパンをいくつか購入し、Tutuban駅へ向かったのですが、Tutuban駅に到着するとPNRの新GM、車両課のB氏や幹部立ち会いのもと神父さんが祝福式(blessing)を行っていました。


この続きは次回になりますが、果たしてキハ350の回送列車でNagaへと向かったのでしょうか。



KFW I-9000の現状と今後の活躍

2015年10月10日 22時30分29秒 | インドネシア
先日のBalai Yasa Manggarai(Manggarai工場)訪問の報告に続き、本日は9月のジャカルタ遠征の報告の最後として、KFW I-9000について簡単に述べていきたいと思います。
KFW I-9000は地元の鉄ちゃんの間ではKFWと呼ばれ、ドイツ復興金融公庫からの支援を受け、ボンバルディアの機器を使用し、2011年からINKA(国営鉄道車両会社)で組み立てられ、4両編成10本の計40両が製造されましたが、機器などの不調から本格的に全車両が営業運転で使用されることはあまりないようで、私が滞在した9月6日から8日時点では、計10本中4本のみが使用されていました。
その4本の編成は2本が1編成に組成され、8両編成として運用に充当されていましたが、1編成は環状線のManggarai~Duri間のManggaraiフィーダーに使用されていました。


もう1編成のほうはというと、こちらも軽めの運用でKota~Kampung Bandan間のフィーダーに使用され、Manggaraiフィーダーともに重要な任務から外されていることから、信頼のできる形式とは言えないのかもしれません。


残り6本がDepok車庫などに留置され、運用についているKFWも時々他の形式の編成が使用されているようですので、今後もこのKFWの全車両が使用されることは難しいのかもしれませんが、機器の大規模修繕を実施し、INKA製造の車両の信頼回復ができるのか注目されます。
また、2016年完成目標のスカルノ・ハッタ空港とManggarai間を57分で結ぶ空港鉄道用車両においてもボンバルディアの機器を使用し、INKAで組み立てられると思われますが、このKFWを見ていると心配になるばかりです。


次回はジャカルタを離れ、マニラへと飛びます。

南武線E233系デビューから1周年

2015年10月04日 23時55分07秒 | 南武線
ジャカルタの話題を中心に報告しましたが、本日、10月4日は南武線E233系のデビューからちょうど1年ということで、南武線の話題を述べていきたいと思います。
埼京線や横浜線の205系からE233系への置き換えに比べれば遅いものの、1年も経ってしまうと気づいてみればE233系も28本も投入されており、残るのはあと7本の2割程度となり、めっきり205系や209系を見ることは少なくなり寂しいかぎりです。
しかも、先月の中頃から毎週末の土曜日・休日は205系や209系をできるだけ運用に入れないこととしているのか、平日以外ではE233系が運用に入る可能性が高くなり、先月のシルバーウィークの期間中においては全てE233系が充当されるという、いかにも205系や209系は運用に入れませんよと見え見えの方針があるようにも思えます。
おそらく、中原電車区以外での夜間滞泊において、205系や209系の車両が荒らされるという事件からの措置かと推測されますが、はっきり言ってこのような盗鉄(とりてつ)は立派な犯罪であり、早期に捕まることを願いたいものです。

下の写真はちょうど1年前に武蔵中原駅で実施されたE233系デビューのセレモニーの様子です。
あと数ヶ月もすれば、ハマ線205系のさよならの時と同様にさよなら運転が実施されるのかどうかですが、いつ頃に実施されるのか、最後の1本は209系のH53となるのかなど気になるところです。


8割近くが既にE233系によって置き替わり、すっかり南武線の顔になりましたが、7月からN14の編成に川崎アゼリアのラッピング車両がお目見えし、E233系では初めての広告車両となりました。ヘッドマークを付けてくれるとなおさら良いのですが、最近では広告車両の編成にはヘッドマークが付いてくれないのが残念です。


また、本日4日はちょっと時間がありましたので、久しぶりに南武線に乗車してみました。先程も申し上げたように日曜日ということで、日中は205系H36の1本のみが運用に入り、残りの205系、209系については全ての編成が中原で寝ていたようで。本当に寂しいかぎりです。


ついでにこの205系H36に乗車してみましたが、車内を見回してみると、今まで南武線独特の黄色の号車番号札が枠ごと外され、ステッカーのようなもので号車番号が示されていました。これも盗鉄対策かと思いますが、側引戸横の外の号車番号札は従来どおり黄色の号車番号札が使用されていました。


駅には小さなお子さんにはおなじみの「南武線ニュース」と「なんぶ南でも情報」が掲示されていますが、下の写真のとおり「南武線の古い車両はどうなるの?」と書かれており、その答えとして「6月から順次船でインドネシアへと運ばれており、すでに現地へと到着しております。インドネシアへ旅行へ行ったら南武線が走っている姿を見ることができるかもしれません。」と書かれています。


これを読んで、はい、確かにインドネシアで南武線が走っていますよということで、できれば下の写真のように示してくれたならば、ちびっ子たちもわかってもらえたかもしれませんし、インドネシアのしゅとであるジャカルタで走っていますと付け加えてもらえるとよかったのではないかと、ちょっと突っ込みを入れたいところでした。(インドネシアと言っても日本の国土の約5倍もありますし、インドネシアのメジャーな観光地であるバリには鉄道がありませんしね)


というようなことで、南武線の話題については、また、イベントがありましたらご報告したいと思いますが、先日、浜川崎線(南武支線)の新駅の駅名が、住民投票の結果「小田栄」駅に決定し、来年3月に開業するようです。今後、新駅建設に向けて短期間で工事が実施されるかと思いますが、今後、この新駅建設の様子についてもお伝えしていきたいと思っております。

Balai Yasa Manggarai(Manggarai工場)訪問

2015年10月03日 22時59分36秒 | インドネシア
9月遠征時のジャカルタ、マニラレポートの続きですが、本日は10年間の長年に渡りお世話になっておりますPT.KAIのBalai Yasa Manggarai(Manggarai工場)に勤務するR氏のご好意により、Depok車庫以上に入ることが厳しいこの工場にお邪魔させていただきました。
先日も報告しましたように、9/7にManggarai工場にお邪魔する予定でありましたが、ちょうどR氏の上司の方が来られているとのことで、しばらく門の外で待っていたものの入ることが出来ず。暇つぶしにManggarai駅方向へ行ってみると、留置されていた南武線205系が行ったり来たりしているところへこの工場に勤務するA氏に声を掛けていただき、この日は南武線の205系を中心に撮影させていただいたのですが、他の車両については全く撮影ができませんでしたので、翌9/8もお邪魔させていただくことにしました。
工場の中へ入ると、早速、R氏にご挨拶し、R氏から紹介を受けた方が案内していただきましたが、まず、目にした車両はジャワ島MadiunにあるINKA(国営鉄道車両会社)で、2001年に組み立てられたKRL-Iの2本と元東京メトロの5000系のDjoko Visionで、素人の私でも見た目使えそうにも見えますが、しばらくここに置かれているところを見ると、検査を通して復活するようなことは残念ながらないのかもしれません。また、ちょっと奥には1994年から導入されたボンバルディアのVVVF車であるHolecの懐かしい姿も見られました。


下の写真は2005年頃に撮影したものですが、この当時、KRL-Iはご覧の色で、Tanah Abanag~Bogor間のEkspres(急行)に充当されることが多く、2008年頃から環状線に充当されていたものの、故障しがちなのか2本が揃って運用されることは少なかったようにも感じます。2003年に初めてこの車両を見た時には斬新な車両で、今後はこの車両が増えていくものと思っていましたが、僅か10年ちょっとで役目を終えてしまうのは寂しいものがあります。


続いて、下の写真はHolecですが、見た目ゲゲゲの鬼太郎に出てくる「ねずみ男」に似ているので、私もそのあだ名を付けさせていただきましたが、日本のVVVF車両では聞くことのできないパルスモードが非常に早く、モーター音好きな方にとっては印象の強い車両であります。


さらに奥のほうへ歩いていくと元東京メトロの05系が置かれていましたが、おそらくこの車両は2012年10月にCilebut駅のホームで脱線し、床下機器を大きく損傷した車両かと推測されます。こちらの車両の復活も難しいのかもしれませんが、KCJの広報誌や一部のメディアでは現状8両編成については、12両編成にするとまで書かれており、余剰の車両や部品取りなどになっている車両も復活させるのか気になるところです。


先程の05系の反対側には今となっては非常に珍しい2扉のKL3-76型が留置されていました。日本の車両メーカーによって製造されたものですので、ソウルの1000系と同様に103系とどことなく似ておりますが、車両の構造的には1Mで、編成はTcMMTcという4両編成が基本です。2編成分で8両編成を組むことはよく見られましたが、希に4両編成単独の列車やTcMMTcMMTcの7両編成も見られました。


検修庫の裏側へ行ってみると、これもVVVF車でありますが、Hitachiが留置されておりました。両数が少ないためなのかもしれませんが、なぜか私はこの車両には縁がなく、あまり乗車した覚えがありませんので、モーター音がどのような音色であったのかわかりません。というかEkonomiの車両自体、夜間は電灯も付かず走っていた車両が多く、暗闇の列車に乗車することを避けていましたので、今となってはもう少し冒険してみても良かったのかもしれません。


最後に非常に貴重な電気機関車ESS3201号、あだ名「Bon Bon」で、1925年にインドネシアの旧宗主国であるオランダで製造されたようですが、確か昨年の報道では、今年からこの機関車を使用してジャカルタ首都圏で観光列車として走らせる予定と言われていたものの、いまだに運行されていないところをみると、どうもその話はなくなってしまったのかもしれません。
また、この「Bon Bon」の後ろには昨年12月にSerpong線、Bintaro付近の踏切でタンクローリーに衝突され焼失した元東京メトロの7000系がそのままになっていました。


以上、通常の車庫では見られない光景もあり、今回は電車を中心に見させていただきましたが、次回も訪問できるようなことがありましたら、客車や気動車なども見させていただき、時間がありましたらご報告させていただきたいと思います。