Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

20年前のサバ州鉄道

2016年02月20日 00時49分11秒 | マレーシア
マレーシアのボルネオ島にあるサバ州鉄道(Sembulan~Tenom間旅客営業)に名鉄、会津鉄道で活躍していたキハ8500が譲渡されたということで、私もビックリしておりますが、キハ8500が譲渡されたということで非常に行ってみたい気持ちになりつつある状況で、次回のマニラ帰国にあわせてそのまま足を延ばしサバ州の州都コタ・キナバルへ行き、その後、元南武線の205系や103系を求めて、エアアジアでジャカルタへと考えているところです。
それはさておき、サバ州鉄道で譲渡されたキハ8500に乗車してみたい気持ちが募る中、約20年前にこのサバ州鉄道に乗車した時の想い出を少々振り返ってみることにしました。94年10月に私が4年間勤めた会社をあっさり辞め、約7ヶ月間のフィリピン全土、サバ州+ブルネイ放浪の旅を行っていた時に、この鉄道を利用したことがあったのですが、その懐かしい写真が何枚かありますので、乗車記とともに話しを進めていきたいと思います。
当時、フィリピン全土を旅してみたいということで、スルー諸島の最も西端でボルネオ島に近いSitangkaiというイスラム勢力の小さな島に来て、このあたりには海漂民族で船の上で暮らすバジャウ族が多く、違法ながらもそのSitangkaiからボルネオ島マレーシア領のSempornaという都市まで頻繁にスピードボートが発着していましたが、そのボートに乗ってボルネオ島に足を踏み込むという勇気まではありませんでした。
数ヶ月してから、やはり行ってみたいという気持ちが湧き出し、フィリピン、ミンダナオ島最西端のZamboangaから船が1週間に1便、山崎朋子の小説でも知られているSandakanまで行く船があるということで、正規にその船に乗船しSandakanに到着するとサバ州の地図を購入しました。サバ州鉄道の存在については地図を購入する前まではその存在を全く知らなかったのですが、その地図に書き込まれた鉄道を見て、これは是非見てみたいということで、バスでKota Kinbaluを目指しました。

私がこのサバ州鉄道を利用したのは、当時の日記によりますと1995年4月23日で、この日は日曜日ということで、終点のTenomまで行く直通列車は平日であれば2本あったのですが、日曜日は1本のみでTanjung Aru発は11:20でした。Kota Kinabaluの宿を10:15にチェックアウトし、黄色と赤のツートンカラーのミニバスで駅に到着すると約50人の客が列車を待っていました。とりあえずTenomまでの切符を購入し、車庫へ向かうと車庫の手前にはその日にお世話になる列車が停まっており、前からDL1両+貨車(トラのような貨車?)5両+客車3両の編成でした。日本ではこのような混合列車は北海道を中心に走っていましたが、現在の日本ではこのような列車もなく、海外の先進国ではこのような混合列車はあまりないのかもしれません。
下の写真は別の列車でありますが、このような客車と貨車の混合列車が主体だったかもしれません。


また、車庫には1台の蒸気機関車と1975年に川崎重工で製作された客車とどこかの国で作製された気動車が居ました。蒸気機関車は1955年にイギリスで製造されたものらしく、かつては使用されていたようなのですが、この当時は残念ながら使用されておらず、ただ留置されているだけのようでした。



列車は11時前に駅に入線し、私は最も後ろの車両に乗り込むと乗車率は40%程度でした。定刻11:20に出発したのですが、突然、列車は急停車し、乗り遅れた人を待っていました。その後は何のトラブルもなく、のんびりと畑の中や海岸沿いを走り、乗車率も全員が楽々座れる40%程度と変わりなく、この路線の中間駅では最も大きいBeaufortに約10分遅れの14:10に到着しました。
Beaufort駅ではTenomに行くための大勢の乗客が乗り込んできたのですが、大半がヨーロッパやアメリカ大陸などの白人系バックパッカーばかりで、私の周りの席は彼らによって占領されました。また、列車はTenom方面からの列車の到着を待っていたため、定刻には発車できず少々遅れて発車したようですが、このBeaufortから山間部のTenomまではPadas川に沿って走り、渓谷美と雄大な自然が見事だったものの雨が途中から降りだし、路盤が軟弱なのか列車は今までの快調なスピードで走行できずゆっくり走り、Tenomにはおよそ1時間遅れの17:30頃に到着しました。この日はそのままTenomのホテルに泊りましたが、山の中にあるせいが夜はかなり寂しかったかと思います。

朝一番のTenom~Beaufort間の列車は、どうも豆粒のような車両が運行されているということを知り、翌日朝早くTenom駅に行ってその列車に乗車すべく切符を購入しようとしたのですが、なんとそれは予約制であり、事前に予約していた人から切符が販売され、最後の最後に残った1席は運の良いことに予約をしていなかった私がゲットできました。


この車両はレールカーと呼ばれているようで、Beaufortまでの運賃は通常であれば2.75リンギットですが、このレールカーですと8.35リンギットと約3倍もかかります。
列車は定刻の6:40に発車したものの昨日からの雨のせいか、途中、枝や岩などが線路上に落ちており、2回程、それらを除去するため停車し、Beaufortには少々遅れて到着しました。
その後、私はKota Kinabaluに戻らず、再びTenom行きの列車に乗車したようですが、前日のように白人軍団に車内は占拠されることがわかっていましたので、1人で貨車に乗車し、大自然を堪能していました。


以上、簡単でありますが20年前の乗車記で、現在の状況と比べると変わっているところもあるものと思われますが、譲渡されたキハ8500もしばらくは活躍するものと思われますし、この譲渡が良いきっかけになれば今後も日本の中古気動車を譲渡するということにもなり、ミャンマーやジャカルタのように日本から多くの鉄道ファンがこれらの車両を追い求めて来るのかもしれません。

Air Asiaでクアラルンプールへ

2016年01月26日 15時28分48秒 | マレーシア
先日、ジャカルタの元南武線205系近況ということで報告いたしましたが、実は15日深夜から20日まで羽田発着のAir Asiaの深夜便でクアラルンプール経由でジャカルタまで行って参りました。
私が利用した便は以下のとおりで、私にとっては東京からマニラまでの約4時間が限度にもかかわらず、今回は7~8時間という飛行時間に耐えながらの行程となりましたが、羽田~KL間は羽田発着とLCCということで90%ぐらいの高い利用率で、私にとっては苦痛でした。
1/15 HND23:45→1/16 KUL6:30
1/16 KUL16:40→1/16 CGK17:45

1/20 CGK8:30→1/20 KUL11:30
1/20 KUL14:40→1/20 HND22:30

クアラルンプールには定刻6時30分頃に到着したものの、日本との時差は1時間であり、香港や中国本土などと同じ時刻を採用しているため、あたりは真っ暗で夜が明けていませんでした。空港の長い通路を永遠と歩き、イミグレーションに到着してみると長蛇の列が出来ており、ここが東南アジアの先進国マレーシアなのかと疑いたくなるほど出国手続きがスムーズではなく、出国に約40分も要してしまいました。ジャカルタやマニラでもせいぜい20~30分ぐらい並ぶことはありますが、マレーシアはやはりインドネシアと大した差がないのかと感じておりました。
服の入ったバックを空港近くで預けるとクアラルンプールの中心部へ向かうことにしたのですが、空港鉄道ですと運賃が片道35リンギット、バスですと11リンギットとバスのほうが断然お得ですので、バスで向かうことにしたのですが、結局、イミグレでの長蛇の列で待たされたおかげでバスに乗車したのは8時過ぎで、すっかり外は明るくなっていました。

約1時間でKLセントラルの駅に到着し、まずはKTMのコミューター列車でBatu Cavesに行ってみることにしましたが、今まで自動券売機で切符が買えていたのになぜか窓口で切符を購入するように変更されており、これを見るとジャカルタやマニラ以下ではないかとマレーシアの今までの優等国家を疑いたくなりました。
コミューターの発着する地下ホームに降り、日中の時刻を見ると今までどおり変更はなく、Pel.Klan~Rawang間が30分間隔、Selemban~Batu Caves間も30分間隔で運行され、本線の末端区間のRawang~Tanjung Malim間は40分間隔でこの区間でシャトルサービスが実施されていることまでは知っていたのですが、Selemban~Pulau Sebang間は1時間30分置き、Selamban~東線の分岐点であるGemas間に限っては1日たった2往復しか運行されていないことは知りませんでした。
いかにマレーシアの人口分布が都市部に集中し、郊外では人口密度が希薄であることがうかがえ、ジャワ島やフィリピンと人口分布に大きな差があるものと感じております。

15分程待っていると中国南車で製作した白に青と赤い帯の車両が到着しましたが、この車両は今までの3両編成のクラス81~83と違い1編成が6両編成であり、車内がとても明るく感じますが、2年前に乗車した時と同様に各窓ガラスに投石のためかひびが多く入っていました。


Batu CavesにKLセントラルから約30分程で到着するとセメント列車と思わしき貨物列車が入れ替えを行っていました。
ここで降車してヒンズー寺院に寄ってもよいのですが、1度見たことがありますので、それよりも列車を見ているほうが楽しいので、今度はすぐにクアラルンプール駅まで戻ることにしました。


折り返しの列車の先頭車に乗り込むと展望を楽しみたいということで、客室から前方を楽しんでおりましたが、列車はゆっくりしたスピードで走っていたこもあるのか、運転士がスマートフォンを取り出し、メールしたり電話をかけたりというような行為が見られ、これが日本だったら間違いなく問題になるはずかと思いますが、ここマレーシアではこのような行為は特に問題ないのかもしれません。


途中、Sentul駅近くにはKTMのコミューターの車両基地があるのですが、本線上には走っていない従来の青い車両のクラス81~83の車両が留置されていましたので、もし、できたら車庫に入れてもらい撮影できないかということで、急遽、Sentul駅で下車にすることにしましたが、先程、スマートフォンを乗務中に使用していた運転士がこの駅で乗務員交代しましたので、その運転士に車庫内での撮影について聞いてみると「この車庫では許可はできないと思うので、クアラルンプールのKTMの本社に行ってくれ」と言われました。一度、降りてしまうと次の列車まで30分は来ませんので、とりあえず車庫の入口に職員がいるのではないかと思い、入口まで行ってみたところ1人もおらず、このまま無断で車庫内へ入って撮影すると問題になるかもしれないので、ここは潔く諦めることにしました。

クアラルンプール駅に戻ると駅西側の本屋の中に以前は鉄道博物館のように鉄道模型やマレー鉄道の歴史的資料や遺物を見ることができましたが、現在ではそれらしいものは全くなくなっており、がっかりしてしまいました。また、この駅の職員にSentul車庫内での撮影許可について聞いてみたのですが、その駅員は電話で聞いていただいた結果、KLセントラル駅にKTMの事務所があり、平日でないと許可証の発行はできないとのことで、この日は土曜日でしたので次回のお楽しみということにしました。

下の写真は現在も変わらないクアラルンプール駅です。


ということで、半日近くのクアラルンプール探訪もあっという間に時間が経過し、早めに空港へ戻ったのですが、クアラルンプール出発の飛行機がおおよそ50分遅れ、おのずからジャカルタ到着も50分ほど遅れてしまったのですが、飛行機の窓からはマラッカ海峡の海とスマトラ島と思わしき島影をずっと眺めることができ、地図好きな私にとっては飛行機旅行の醍醐味を知りました。


最後はジャカルタ北方に浮かぶプラウスリブ(千の島)と夕日を拝むことができたのですが、おそらく途中パレンバンの街の近くを通過したものの、こちらは発見できませんでした。日本であれば地形の特徴がわかるのでおおよそどの場所、都市を通過しているのかわかりますが、やはり海外ですと地図を見ながらでないと難しいですね。





落ち着きのあるKuala Lumpur駅

2011年06月06日 22時32分41秒 | マレーシア
また、ご無沙汰してしまって申し訳ありません。
本日はマレー鉄道の玄関とも言えるKuala Lumpur駅を簡単にご紹介します。
歴史的なことについてはよくわかりませんが、1886年に開業し、今からおおよそ100年前の1910年に現在も残るイスラム様式の白亜の歴史的建造物が建てられました。
2001年にKL Sentralが開業し、クアラルンプールの表玄関がKL Sentralに移動しましたが、広々した駅構内の様子は変わらず、現在もその姿は保ち続けています。
駅構内は変則的な3面4線の構造で、簡単に説明すると京葉線の新習志野駅のようになっているのですが、真ん中のホームがKTMコミューターとして使用され、行き先別に列車の停車する位置が異なっています。


駅構内の西側、つまり1番線側には小さな鉄道博物館があり、マレー鉄道の歴史を簡単に把握することができます。


鉄道模型の他、歴史的な写真やマレー鉄道の地図、制服、切符などが展示されています。


駅舎の道路を挟んで西側にはマレー鉄道の本社がありますが、これもまた歴史的価値の高いイスラム様式の建造物で、夜間は下の写真のようにライトアップされます。


今やクアラルンプールの表玄関としての賑わいはありませんが、イギリス植民地時代にもかかわらずイスラム様式を踏襲した歴史的価値の高い建造物ですので、歴史や鉄道が好きな方は是非一度立ち寄ってみるのも良いかと思います。歩いて5分ほどのところにチャイナタウンもありますので食事がてらにいかがでしょうか。

次回はインドネシアやフィリピンの話題について触れていきたいと思います。
インドネシアに対しては、203系や05系などが譲渡されるようですし、フィリピンに関しても国鉄型の車両の譲渡予定があるようですので、そろそろ現地へ仕事のついでに取材したいと思います。
先日、フィリピン国鉄の輸送計画担当の方からいただいた情報によりますと、6月22日にビコール・エクスプレスの最終試運転が実施され、29日に運行が開始されるようです。おそらく形式についても昨年9月に渡った14系寝台車が使用されるものと思われますが、時間がありましたら私も乗車してみたいと思います。14系寝台で冷えたサンミゲールを飲みながら椰子の木を見れたら最高だと思うのですが、食堂車がないのが残念で予め夕食(弁当)は用意しておかないといけないようです。


KTM CommuterでBatu Cavesへ

2011年05月20日 23時38分41秒 | マレーシア
また、ご無沙汰して申し訳ありません。前回はKTM Commuterの終点駅であるTanjung MalimまでRotem車のETSに乗車しましたが、今回はCommuter trainでヒンズー教の寺院があるBatu Cavesまで向かいます。
まずは、Tanjung Malim駅でBatu Cavesまでのカードを購入し、9:55発の列車に乗り込むことにしました。列車は跨線橋を渡った3番線に到着しており、車両はKTMの電車の中では最も古い1994年製造のクラス81でした。Tanjung Malim~Rawang間については、沿線人口が少ないのかほとんど1時間置きで運行されており、Tanjung Malimからの列車は全てRawang止まりとなり、クアラルンプール中心部への直通列車はありません。


定刻9:55にTanjung Malim駅を発車すると席に座ったせいかウトウトと眠ってしまい、あまり覚えていませんが、順調に列車が運行され、途中のBatang Kali駅を10:20に発車しました。ちょうど1時間に1本しかない北行列車と擦れ違うと再びウトウトしてしまい、気がついたらRawang駅1つ手前のSerendah駅でした。10:38、列車はRawang駅2番線に到着し、跨線橋を渡って1番線に止まっているSeremban行きに乗換えました。


下の写真は1番線に停車しているSeremban行きで、3扉の現代製造のクラス83でした。


Seremban行きの列車に乗り込むと既に席は埋まっており、ドアの脇に立って外を眺めることにしました。10:48、3分ほど遅れて出発しましたが、各駅で少しづつ乗客が乗り込んできたためか、遅れが少しずつ拡大し、途中のKepong Sentral駅では遅れが5分に拡大しました。この時点で乗車率はおおよそ120%と言ったところでしょうか。Rawang以南は30分間隔で運転されているもののクアラルンプール近くでは人口密度が高いため、徐々に車内が混雑してきました。Segambut駅付近では高層マンションが林立し、KLタワーが見えてくると間もなく乗換駅のPutra駅に到着しました。
この駅でBatu Caves方面の列車に乗換えなければならないので、反対側のホームで待つと10分ほどでBatu Caves行きが到着しました。最後尾の車両に乗り込んだのですが、客室から乗務員室へ通じる扉のとってを握って開けてみると簡単に乗務員室へ入ることができました。KTMはワンマン運転のため最後尾の車両には乗務員がいないのですが、乗客も私のことを見ていなかったこともあり、堂々と中に入り込み最後尾の展望を楽しんでおりました。今まで終点駅であったSentul駅を過ぎると車両工場や車庫のある脇を通り過ぎました。


2010年7月29日、Sentul~Batu Caves間、7.2kmが開通したばかりとあって、下の写真のように新しい軌道面の上を静かに進みました。また、この区間は双方向運転が可能のようで両方の線路に信号機が設置されています。


KTMのホームは基本的に相対式のホームが多く、新線区間においても全て相対式のホームが設置されています。


11:40過ぎ終点のBatu Caves駅にようやく到着し、私のKTM Commuter区間の全線踏破も完了しました。この駅を利用するのは初めてであり、何もわからずに来てしまったのですが、この駅のさらに先にセメント会社があるのかセメント用の貨車らしき車両が止まっており、機関車が入れ替えを行っていました。なお、線路へ降りての撮影は禁止されておりますので注意してください。(私は注意されましたので)


ついでにこの駅の直近にヒンズー教の寺院がありますので、ちょっと寄ってみました。マレーシアにはインド系の方々も多いので多くのインド系の人々が訪れているのですが、中には本国インドから来た人もおり、もちろん彼らにはマレー語は通じません。

上の写真の階段を昇るとたくさんの猿がお出迎えしてくれて、猿を見ていて楽しいのですが、さらに上に昇ると大きな洞穴があり、とても神秘的です。時間がありましたら、是非寄ってみるのもいかがかと思います。


ところで、マレーシアに譲渡された14系と24系客車ですが、私の知り合いの方の話では東線に使用されるという情報をいただいていますが、まだ営業には入っていないようです。新たな情報が入りましたらお知らせしたいと思います。






ETS(Electric Train Service)乗車体験記

2011年05月10日 22時22分14秒 | マレーシア
本日は先日のお約束どおり海外の鉄道について、ご紹介していきたいと思います。
昨年8月、マレーシアを訪問し、Kuala Lumpur南郊のSeremban駅までKTM-EMUコミュータートレインの簡単な乗車記をご紹介しましたが、その後KTM(Kereta Tanah Melayu)についてご紹介していないところもありますので、本日はその一部をご紹介したいと思います。


本日はETS(Electric Train Service)で、KL Sentral駅からEMUコミューターの終点駅であるTanjung Malim駅まで乗車しましたので、その乗車体験を簡単に述べていきたいと思います。
このETSはSerembanからIpohまでの160.3kmをおよそ3時間で結ぶ特急列車で、韓国Rotem社で製造された車両によって2010年8月12日から運行開始されています。
私がマレーシアを訪れたのは昨年8月下旬ということで、運行開始されたばかりのこのETSを乗車してみることにしました。
まずはKL Sentral駅でTanjung Malim駅までの切符を購入し、9402列車8:30発の列車に乗り込むことにしました。ETSの改札口はKTMコミューターの上の階にあり、KTMコミューターのホームとは別にETSや長距離列車用のホームがあります。地下にあるホームへ降りてみると既に2番線に私の乗車するETS6両編成が止まっていましが、ホームを挟んで1番線にはおそらくシンガポールから来た寝台列車が止まっていました。私もこれから乗車する列車につては故宮脇俊三氏と同様にその列車の先頭から最後尾まで見ないと気が済まないタイプですが、このETSは最新型の電車ということもあり、1両1両に際立った特徴があるものではありません。ただ、この列車の号車番号が数字ではなくA~Fまで付されており、BとE号車には2つのトイレが設置され、そのうち1つは車イス用のトイレとなっています。また、C号車には台所などが設置されており、運行区間の延長の際にはビュッフェとして使用されるのではないかと思います。
車内に目をやるとイスの配置が、マレーシアではおなじみの車両中央から進行方向側は進行方向に配置され、残りの半分は進行方向とは逆にイスが配置されています。車両の妻面には2つのモニターが設置されていますが、流れてくる画像はRotem社の宣伝とETSの宣伝ばかりで乗客にとってはどうでもいいようなビデオが放映されていました。


購入したばかりの切符を見るとF号車ということで、最後尾の車両へと移動し、発車時間を待ちましたが、定刻ちょうどに発車し、ゆっくりしたスピードで隣駅であるKuala Lumpur駅に到着しました。かつてはKL Sentral駅がありませんでしたので、非常に賑わいのある駅でしたが、現在ではクアラルンプールのターミナル駅の座が隣駅に移ったため、落ち着きのある静かな駅となりました。


Kuala Lumpur駅を出発すると東側に座っていたせいか太陽の光が車内を射し込み、車内が一気に明るくなりました。クアラルンプール中心部では高層マンションが林立しているものの、中心部から離れることによってインドネシアとは違うような田園風景を見ることができ、Rawang駅の手前からは列車はジャングルの中を走りました。
Rawang駅直近でセメント列車と擦れ違うと、ゆっくりしたスピードで駅本屋のある1番線へ転線しました。


9:05に定刻よりも1分早く出発し、再び下り本線へと進み、左手を見ると雨ざらし状態のボロボロになったKTMコミューター車両を何両も見られました。列車は快調にスピードを上げると124km/hのスピードを記録しました。Batang Kali付近で1時間に1本のコミュータートレインと擦れ違い、目的地Tanjung Malim駅の手前で148km/hのスピードを記録しました。


定刻どおり9:37、列車は2番線に到着し、降りた乗客は淋しいことに私1人だけでした。
この駅のホームは日本の新幹線のように400mほどもある立派な駅ですが、駅周辺は田舎の鄙びた風景が広がり、街の規模からすると駅は贅沢なつくりとなっています。


とりあえずはETSに乗車しましたが、日本の列車のようにほぼ定刻どおり運行されており、やはりマレーシアは東南アジアの国では優秀な国だと思ったしだいです。(少しはインドネシアやフィリピンはマレーシアを見習ってほしいものですが)
次回はこのTanjung Malim駅からコミュータートレインでクアラルンプル郊外のBatu Cavesに向かいます。

KTM-EMUコミュータートレインに乗車

2010年09月14日 21時59分08秒 | マレーシア
どの国の鉄道の話しから進めてよいのか困るところですが、まずはマレーシアのKTMの乗車記から述べていきたいと思います。
クアラルンプール入りしたのは8月27日夕方でありましたが、エアーアジアというマレーシアを本拠地とする格安航空会社を利用しました。私が利用したのはフィリピン、クラークからの路線で、料金が僅か約1万円というかなりの安さであります。将来的には日本へも乗り入れが計画されていますので、就航となれば往復4万円を切る料金で利用できるのではないかと思われますが、このような話題はあとにして先に進めたいと思います。
空港からスカイバスでKL Sentral駅に到着したのが、夕方5時を廻っていました。とりあえず隣駅のKuala Lumpur駅までKTMを利用し、駅から10分ほどの前回クアラルンプール訪問時に利用したホテルにチェックインすると、パスポートの提示が求められるのですが、パソコン上に私の記録が残っており、前回訪問したのが2003年と既に7年が経過しておりました。早いもので7年が経過しており、マレーシア訪問は本当に久しぶりであることを痛感しました。

早速、必要な荷物を持ってKTMコミュータートレインに乗車してみることにしました。今までPel. KlangやSentul、本線上のRawangにコミュータートレインで行ったことがありましたが、唯一行ったことがないのが本線上のクアラルンプール南郊のSerembanに行ったことがありませんでしたので、この方面の列車に乗車することにしました。
駅の窓口でSerembanと告げると紙製の磁気カードが渡され、それを自動改札に差込、ホームの中へ入りました。Kuala Lumpur駅ではコミュータートレインが2・3番線のホームを利用し、2番線が北行でRawang方面とBatu Caves(Sentul)方面で停車する場所が異なります。Rawang方面はホームの北側でBatu Caves方面はホームの南側に停車し、誤乗を防止しています。3番線が南行で先程と同様に方面によって停車する場所が異なります。Pel.Klangがホームの北側で、Serembanがホームの南側に停車します。
実は私も最初はこのことを把握しておりませんでしたが、要領がわかり18:54発のRawang行きに乗車しました。次のKL Sentral駅は2面4線の地下駅で、列車は最も外側の線路に入り停車しました。この駅はクアラルンプールの中心にあるため乗降の多い駅ですが、そこへ2人の女性がホーム上で乗るかどうするか躊躇しておりました。私はどこの国の人かわからないので「Ke Selemban」と言うと、それでもわからなかったようで、そのうちその1人の女性が「どっち」と日本語で言うので、私は何だ日本人かと指で「こっち」と示したのでした。しかしながら、その女性達はそれでも乗車することに躊躇し、扉は無情にも閉まってしまいました。私は最初から「どちらまで行くのですか」というような聞き方をしていたら、彼女達もすぐに答えられ乗車するのかどうか判断できたのではないかと思いますが、あせっている時はなかなか適切な尋ね方ができません。
列車は少々の遅れがありましたが、郊外へ行くにしたがってスピードを上げていきました。
車内に目をやると扉に「Jangan bersandar pada pintu(扉に寄りかからないで!)」と書かれていましたので、タガログ語だけわかる人でも理解できるなと思い、その言葉をノートに書き込みました。すると隣に居たインド系の青年が私のノートを覗き込み、興味深くみていました。私は目が合ってしまったので、マレー語とタガログ語はとても似ているんだよと説明し、この扉に書かれている言葉の中のbersandar(タガログ語の語根=sandar 寄りかかる)とpintu(タガログ語=pinto 戸)はお互いに共通する言葉ということを説明しました。
Serdang駅付近で空港連絡鉄道のKLIAに気持ち良く抜かされるが、列車は100km/h近いスピードで飛ばしています。マレーシアはマレー半島でも日本との時差が僅か1時間なため、19時を過ぎても明るかったのですが、さすがにSerdang駅を過ぎたあたりから暗さが増してきました。
Serdangから先は駅間が長く、100km/h近いスピードを出す。車内も先程までかなりの混みようでありましたが、この時点で半分ぐらいの椅子が空いています。この国の三大人種はマレー系、中国系、インド系でありますが、やはり車内の様子も同じ人種同士が元々使用している母国語を使って話しをする姿が我々日本人には異様に思えます。もう少し人種の垣根を越えて付き合えば良いのではないかと思いますが、やはり思っている以上に簡単にはいかないのでしょうか。
そのようなことを考えているうちにBangiに到着。先行する列車がこの駅止まりであったため、この駅より先の利用者が乗車し、椅子は満席となり、ドア付近に立つ乗客が見られました。
車内の椅子の配置に目を向けると、実にユニークであります。写真のとおりで場合によっては隣の人の視線が気になるもので、このような椅子の配置はジャカルタのHolecの車輌でも見られます。

ところで、待避施設を持った駅が多く見られ、その配線の状況が昔の小田急線の東北沢駅のような駅が多く、有効長がとても長い。なので本線に出るまでかなり時間がかかるのでありますが、日本に比べて豪勢なつくりとなっています。何もここまで多くの駅に待避施設をつくる必要があるのかどうかわかりませんが、あって損はないかとも思ったしだいです。
列車は6分遅れの20:21で終点Serembanに到着。クアラルンプールから1時間以上も時間を要したわけですが、駅前の雰囲気は郊外の駅というよりも地方都市そのものでありました。
すぐに折り返し列車でクアラルンプールに戻りますが、クアラルンプールに到着したのは22時近くでした。

終点のSerembanにようやく到着。

KTM Komuterの車両たち

2007年12月13日 23時30分51秒 | マレーシア
今日は海外に目を向けてマレーシアの通勤電車のKTM Komuterについて述べたいと思います。マレーシアのマレー半島にはシンガポールとタイを結ぶKeretapi Tanah Melayu Berhad(マレー鉄道)がありますが、人口密度がインドネシアのジャワ島のように高くないため、クアラルンプール首都圏を除いて全国的に鉄道は発達しておりません。しかしながら首都圏ではおよそ175Kmが25kVで交流電化され、1995年8月よりコミューターサービスが開始されております。KTMのkomuter路線は西海岸線と重複するRawang-Sermban線とSentulから港町のPelabuhan Klangを結ぶSentul-Palabuhan Klang線の2路線があり、Putra~KL Sentralはこの2路線が重複する形となり、Xの字運転の形態をとっています。この2路線のデータイムの運転間隔はともに平日で20分間隔、休日では15分間隔で、Putra~KL Sentralにおいては重複区間のため平日で8~12分間隔、休日で7~8分間隔となります。また、朝のSeremban→Sentulには快速が2本と急行が1本運行され、Seremban~KL Sentralを急行で55分、快速で63分で結んでおります。(各停は76分)また、夕方にはSentul→Serembanには快速が3本運行されております。Sentul-Plabuhan Klang線及びRawang方面には急行、快速列車は運行されていないようです。なお、Rawang~Rasaは2007年4月21日にコミューターサービスが開始されたようですが、この間をシャトルサービスし、中心部の方へは直通列車がないようです。
このKTM Komuterに使用されている車両については下記に示しますが、3種類の車両が使用されているようです。
私はKTM Komuterに何度か乗車したことがありますが、他の国の通勤路線に比べてスピードが遅いというような印象があります。また、列車密度も低いので首都圏の路線としては物足りなさを感じてしまいますが、旅客需要も少ないので仕方がないのかと思っています。電化複線化も今後郊外へ延長され、高速化も図られると思いますので、通勤路線としての需要やシンガポールやバタワースなどへの長距離の需要も高まっていくのではないかと思います。
写真は2003年7月にRawangに留置されているKTM Komuterの車両を撮影したものです。

KTM Class82

2007年12月13日 21時48分34秒 | マレーシア
こちらの車両はKTM Class82の車両です。この車両は1996年から97年に南アフリカで製造されたようで、3両編成が22本あるようです。この他1994年から95年にオーストリア・ハンガリーのJenbacher Transport製造のClass81が18本、1996年から97年に韓国現代製造のステンレス製Class83が22本あります。全ての編成は3両編成であり、6両編成や9両編成の列車はないようです。(2003年7月現在)

サバ州鉄道で活躍する川崎重工の客車

2007年05月12日 23時06分33秒 | マレーシア
サバ州鉄道には1975年頃製造された川崎重工製の車両が活躍しております。一見すると103系のように見えるためか、私もすぐに日本製ではないかと思っておりました。この川重製の車両は4両ほどと貨車を1両、機関車1両を連結し、普通列車として運行されていました。ちなみに貨車に乗車することも問題ないとのことです。

サバ州鉄道のRail Car

2007年05月12日 22時53分44秒 | マレーシア
サバ州鉄道はボルネオ島サバ州のTanjung AruからBeaufortを経由しTenomまで、約130kmあまりを結んでいます。私がこの鉄道に乗車したのは1995年4月でしたが、Tanjung Aru~Tenomの全線を走る列車が平日で2往復、休日で1往復ありました。Tanjung Aru~Beaufortは畑の中や海沿いを走り、乗車率も40%程度で、とてものんびりしたかんじですが、Beaufort~TenomはPadas川沿いに進み、車窓もダイナミックになるためか、西欧人らしき白人がたくさん乗込んで、車内はいっぱいになってしまいました。
また、Beaufort~Tenomには区間列車もあり、写真のような豆つぶのような車両が運行されていました。朝早くこの車両に乗るため切符を購入しようと思いましたが、予約制だとはつい知らず駄目でもしょうがないと駅員に聞いてみると、運良く切符を購入することができました。ちなみに当時のこの区間の料金は、普通列車が2.75リンギットで、この豆つぶの車両が8.35リンギットで約3倍しますが、定員はわずか13名とあって、このような料金でも納得できるのではないかと思います。