Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

103系を求めて-大阪、広島へ

2010年12月31日 23時15分41秒 | 他線区の103系
今年も残すところあと数分となりましたが、今年最後のレポートを簡単に述べたいと思います。実は先程、大阪から戻ってきたばかりですが、29日から本日31日にかけて、大阪、広島へと行って参りました。今更言うまでもなく103系を求めて西進したのですが、ご承知のとおりJR西日本では12月1日から最新鋭の225系が東海道・山陽線系統と阪和線系統に投入され、それによって103系や113系の運用が減少するのではないかと噂されているため、大阪環状線に乗り入れる4+4のウグイス103系などを撮影したしだいです。
また、今年の1月から3月にかけて関西線にウグイス+オレンジの混色編成が登場し、同様に大阪環状線でもオレンジ+ウグイスの混色編成が見られ、JR西日本らしい珍場面を提供してくれたのですが、4月に入ってからブログでも紹介させていただいたように、その関西線の混色編成が一部の車両と差し替えを行った上で阪和線に転出し、スカイブルー塗装1色だった当路線でも国鉄末期を思わせる異色かつ混色編成が見られるようになりました。11月に入ってからこの混色編成は吹田工場に入場し、全てスカイブルーに塗り替えるのではと我ながら想像していましたが、出場してビックリ、20年以上前の横浜線のようにウグイス+スカイブルーのシマシマ編成を彷彿させるような姿で登場し、103系ファンにとってはまた楽しみが増えました。

下の写真は現在も奈良区のウグイス103系が大阪環状線へ乗り入れますが、来年3月のダイヤ改正から形式が変更されるのか気になるところです。


ということで、今回のメインは横浜線の良き103系時代を思わせるこの編成を撮りに行ったのですが、結果から申しますと空振りに終わってしまいました。
29日はA21運用に充当されたようで、私はムーンライトながらから乗り継いで大阪へ入ったものですから、いくら追っかけても先にこの編成が日根野の車庫へ入ってしまいますので、端から諦めておりました。

29日昼間、日根野区の車庫を覗いて見ると予想どおりA21を表示していました。


30日は順調に行けばA22に充当されるのですが、これがまた朝の運用(休日)が日根野→天王寺→和歌山で、その後、新在家派出所においてお昼寝という撮影のチャンスが少ないため、31日に賭けてみることにしました。
したがって30日は広島で今や風前の灯状態となった103系4連の瀬戸内カラーを撮影することにしましたが、経度が東京より約8度西に位置するため、当然のことながら日の出の時間は約30分遅く、かつ当日は朝からしとしと雨が降り、中々良い撮影ができませんでした。

可部線の朝の運用に充当されているE07編成を撮影しに安芸長束まで行ってみたものの下の写真のようにブレぎみになってしまいました。


ならば103系3連D編成の運用に充当されているB09編成を撮影するため呉線沿線で撮影してみました。
日本の103系の中で最も原形に近い編成で、私としても最もお気に入りの編成ですが、少しでも長く活躍してほしいものです。


30日夜再び広島から大阪へと戻りましたが、この日の朝、大阪で撮影に同行させていただいた方から阪和線混色編成の運用について知らせをいただき、予想に反してA22運用ではなく予備という結果になりました。

31日は混色編成が運用に入ってくれることを期待しながら、日の出の時間よりも早い時間にホテルをあとにしました。まずは運用を把握するため我孫子町で1時間半近く冷たい風が吹き抜ける中、1本1本確認していましたが混色編成は現れず、とうとう最後の1本を確認する段階で、ほとんど望み薄の状況の中、淡い期待を抱いていましたが、水色の車体が見えた瞬間、やっぱりかと落胆してしまいました。

今年の締めくくりは何とも残念な結果になってしまい、今回、大阪で撮影に同行させていただいたmasaさんには私が厄病神的な存在になってしまったようで申し訳ありませんでしたが、次回以降はアンラッキーなことが続かないことを信じ、再度チャレンジしていきたいと思っています。また、JR西日本のことですから思わぬ転配劇があるのではないかと思いますが、私としては来年も異色、混色の103系を多く見れることを期待しております。

今年は以上ですが、来年も103系、南武線、アジアの鉄道などにスポットをあて、レポートしたいと思っております。

南武線ウォッチング-近況報告

2010年12月23日 18時54分02秒 | 南武線
本日23日、時間が取れましたので、朝からお昼にかけて南武線ウォッチングに行ってまいりました。今回は特に報告することはないのですが、私なりに感じたことについて簡単にご報告したいと思います。

今年も残すところあと僅かとなり、季節的にも本格的な冬を迎えておりますが、この季節関東地方は乾燥した晴天が続いているため、富士山と絡めて南武線を撮影してみたいということで、お決まりの場所ではありますが、多摩川に行ってみることにしました。
今朝は雲1つない快晴であり、寒さのほうは思ったよりも厳しくなく、撮影にはもってこいの条件でしたが、雪で覆われた富士山の姿もはっきりと見ることができました。


続いて、稲城市内の連続立体交差事業の様子を見てみることにしました。
昨年度末(2010年3月)に第2期区間の完成が5年遅れるという発表がありましたが、工事のほうはというと着々と進められ、下り線の構造物が70~80パーセント完成しているのではないかと思います。南武線と交差する府中街道は南武線の高架化にあわせ、南多摩駅西側に都計道、多3・3・7が府中街道として整備され直線的に是政橋と結ばれる予定で、現在、その道路と南武線が交差する付近に鶴川街道交差部と同じようなアーチ橋が出現しています。多摩川のほうから見ますと非常に立派で美しい橋に見えますので、鶴川街道交差部と同様に稲城市のシンボルになるのではないかと思われます。一方、現在、府中街道の大丸踏切に行ってみると、交差部付近は下の写真のとおり、構造物が完成しておりません。1989年(平成元年)の話しになりますが、この大丸踏切で下り立川行とダンプカーが衝突し、冷房車のクハ100-91が脱線しました。この頃私は大学へ通っていたのですが、授業にも出ず、この事故を見に行った覚えがあります。車両は大破まで行かず済みましたが、たしか近くのドブに落ちたような状況だったかと思います。車両は武蔵小杉駅近くの事故のように現場では解体されず、中原区まで自力で回送したと思われます。また、この事故で運転士は負傷したものの命には問題がなかったかと思います。(本当は過去の新聞記事でちゃんと調べればよいのですが申し訳ありません)


先程、完成が5年遅れると申しましたが、ちょっと補足をしておきたいと思います。5年遅れるというのは全体の事業完了が5年遅れるということで、踏切除去に関しては3年とのことらしいです。ですので南武線上下線ともに高架化されるのが3年遅れるということで、線路北側に整備される付属道路は5年程度遅れるものと解釈されるかと思います。

続いて、本当はこちらが本日最初に撮影したものですが、先日もお伝えしたようにナハ35の編成番号の表示がステッカーから編成札に変更されたということで、営業している姿を撮影してみることにしました。本日のナハ35の運用は39Fに充当されたため、この838Fのあと矢向でお昼寝となりました。


ということで、矢向へ行って並びを撮影しましたが、方向幕は私の嫌いな「回送」でした。運転士によっては次のことも考え「川崎」にセットする場合もありますが、私が撮影しようと思うと何かと「回送」が多いような気がします。また、矢向の上り線ホームと駅本屋を結ぶ跨線橋から鹿島田付近の高層ビル群を絡めて南武線を撮影できると以前紹介しましたが、バリアフリー化工事により、跨線橋の北側にそのバリアフリー化による跨線橋が設置されたため、撮影することができなくなりました。私にとってはお気に入りの場所が1つ失われてしまい非常に残念です。


最後に本日は祝日ということで、もしや米タンが運行されているのではと思いお隣鹿島田へ行ってみることにしました。下り列車に被られそうになりましたが、運よく運行されており、本日はEF65+黒タキでした。

本日は私のくだらない南武線ウォッチングレポートにお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
来年3月のダイヤ改正から快速列車が運行されますが、今後、快速列車運行に伴い、車両や駅施設などに何らかの動きがあるかと思いますので、南武線ウォッチングを時間のあるかぎり行っていきたいと思っています。
また、南武線の歴代の車両に関する話しもご無沙汰になっておりますので、こちらも少しずつ報告したいと思います。

南武支線開業80周年記念-101系さよならまでの思い出

2010年12月22日 10時11分55秒 | 南武線
南武支線開業80周年記念ということで、南武支線(浜川崎線)にスポットをあて述べてきましたが、本日は101系がワンマン化改造を実施し、さよなら運転が行われた2003年12月14日までの出来事を簡単に紹介したいと思います。

昭和63年(1988年)3月13日のダイヤ改正からワンマン化改造を受けた2本の南武支線用の101系が新たな塗装色で営業を開始しましたが、ほとんどの路線では冷房化率100%に近い状況であるにもかかわらず、いまだに冷房化率0%の南武支線では冷房化の機運が高まっていました。
南武線には205系が平成元年(1989年)から投入され、玉突きで南武線用101系冷房車をその年の9月から鶴見線に回したり、検査時期が迫っている車輌については廃車になりましたが、南武支線には南武線本線の101系冷房車が充当されず、ワンマン化された車輌を冷房改造することになり、平成2年(1990年)にAU712の冷房装置を搭載した待望の冷房車が登場しました。もう2年ぐらい南武線に205系が投入されることが早まっていれば、おそらく南武線から冷房車が充当され、AU75の冷房装置を搭載した南武支線用の車輌が登場したものと私なりに妄想しております。(このようなことは秩父鉄道の1000系についても言えますが)

南武支線用の101系の思い出として、昭和63年4月2日に中原電車区の一般公開に合わせて川崎~稲城長沼間に運行されていました。(翌3日にはクモハ12053が同区間でJR1周年記念運転)また、平成11年(1999年)10月にスタンプラリー号が川崎~登戸間に運行され、脚光を浴びていました。


その後、101系も老朽化が激しくなり、平成14年(2002年)3月に鶴見線用の1両も含めて、205系改造車が登場しました。いよいよ101系の活躍もあと僅かということで、この時期からよく南武支線沿線に足を運びました。


205系が営業することに先立ち、習熟訓練が南武支線内で実施されましたが、8月20日から運用開始され、2本の205系に絵柄の違うヘッドマークが1ヶ月間ほど取り付けられていました。


その年の11月に南武支線用101系4両が、鎌倉総合車両所に廃車回送されましたが、辛うじて残った1本が活躍していました。しかしながら、翌年の平成15年(2003年)11月26日に3本目の205系が中原区に到着し、28日に101系が最後の営業につき役目を終えました。当時、101系のさよならのイベントは何もないものだと思っていたものの、鶴見線でさよなら運転を行うことになり、私もその「さよなら101系」に乗車しました。
さよなら運転は12月13日、14日に鶴見~大川間で実施され、午前、午後の計2往復が運転されました。私は13日の午後の部に参加し、楽しませていただきましたが、101系の絵柄のマグカップや乗車証明書が記念品で付いていました。


24日には残念ながら鎌倉総合車両所へ廃車回送されてしまい、101系の活躍に終止符が打たれましたが、廃車回送後もしばらく解体されず、平成17年(2005年)の一般公開では塗装が褪せていたものの見ることができました。


簡単に101系ワンマン車輌時代の出来事を述べましたが、また、時間がありましたら南武支線の思い出、出来事を述べていきたいと思います。とりあえずは開業80周年記念特集は今回で終了したいと思います。

南武支線開業80周年記念号運転

2010年12月21日 08時43分54秒 | 南武線
先日、12月18日、19日と南武支線開業80周年記念号が運転されました。運行ルートは浜川崎→尻手→浜川崎→鶴見→浜川崎→尻手→浜川崎の順で運行され、普段は客扱いで利用できない線路にも入線した他、南武支線(浜川崎線)用の車輌が鶴見駅へ乗り入れました。

18日は撮影することに徹しましたが、いつもの場所へ参り、この土地を管理されている方に断って撮影させていただきました。


この後、すぐに安善駅へと足を運び、尻手側の顔(偶数方)も撮影しました。


鶴見駅では、この80周年記念号が30分程停車したため、鶴見線用の205系との並びを見ることができ、しかも18日はヘッドマークの付いた17T編成と19日は18T編成が05運用に充当され、両日ともにヘッドマークの付いた車輌どうしが並びました。どうみても鶴見線営業所の粋な計らいがうかがえます。


鶴見線開業80周年記念号同様に、この南武支線開業80周年記念号にもお手製のヘッドマークが運転台のところに設置されました。浜川崎方(奇数方)には歴代の使用された車輌の絵が描かれ、尻手方(偶数方)には地図でJR線(国鉄線)を表現するハタザオの線路と各路線の車輌が描かれていました。鶴見駅の社員が作成したとのことですが、歴代の車輌にクハ16の絵がどうもクモハ40のように見えます。101系もジャンパー線受けや前面窓の高さから103系に似ているような気もしますが、そこはご愛嬌ということでよくぞここまで作成していただき、感謝しております。


翌19日は、この80周年記念号に乗車してみました。浜川崎駅がこの列車の始発ということで浜川崎駅で受付を済ますと、記念の鶴見線・南武支線の入場券(鶴見線開業80周年記念号と同じもの)、南武支線のHMのバッジ、乗車記念証(ハガキ大)、乗車した線路が描かれている記念証とお弁当を受け取りました。
開業80周年のヘッドマークの付いたワ1編成が入線すると一斉に乗り込みましたが、どう見てもほとんどの方が私を含めて筋金入りの鉄ばかりで、家族連れ、もしくは夫婦どうしの方はごく僅かのようでした。社員に尋ねたところ、この企画は10月下旬に実施された鶴見線開業80周年記念号が好評だったため、その後、南武支線でも企画してみたとのことですが、マニアックな方ばかりで車内の雰囲気がいつもの浜川崎線と違っていました。
列車は浜川崎を11:40に出発すると鶴見到着12:34までドアは開かないとのことで、トイレを念のため済ませておいたのですが、どうも1時間あまりもドアが開かないとなると、お腹が痛くならないかとか小便がしたくならないかと余計なことを考えてしまいます。
そのようなことはともかく列車は定刻どおり出発し、尻手まで向かいましたが、駅には多くの鉄道マニアが撮影しておりました。尻手駅ではドアが開かないため鉄道マニアが撮影していますが、こちらは動物園の檻の中に入っている熊かゴリラのような状態で、少々恥ずかしさを感じてしまいました。
尻手を出発すると浜川崎へと向かいましたが、その後鶴見線へと入るため、浜川崎駅では普段は弁天橋~武蔵中原間の検査回送や弁天橋~南武支線運用などでしか使用されない10番線へと入線しました。


浜川崎駅は線路が10本ぐらいあり、高度経済成長期には貨車で賑わっていたようですが、その後、京浜工業地帯の工場が地方や海外へ移転し、貨物の取扱量がその当時と比べ極端に減ってしまい、今ではチチブセメントの貨車やタンク車などが数量の貨車が留置されているだけです。
スイッチバック後、鶴見駅へと向かいましたが、沿線には撮り鉄の方が多く見られました。
鶴見駅到着後、私はランチタイムということで、浜川崎駅で受け取ったお弁当をいただくことにしました。掛紙は浜川崎駅で撮影された南武支線のクハ16の写真で、18日の掛紙とは違うようです。(18日の掛紙は何だったのか気になりますが)
お弁当は前回の鶴見線の時と同様に地元崎陽軒のお弁当で、中身もおかずはほとんどいっしょで、ごはんは鶏そぼろになっていました。


鶴見駅を13:05に出発すると、これも前回の鶴見線開業80周年記念号と同様に鉄道友の会の方が貨物線や引込線など貨物に関するお話しをしていただきましたが、今回は南武支線に纏わる話しを中心に聞かせていただり、昔の写真を見せていただき、懐かしく感じました。
列車は再び浜川崎から尻手、尻手から浜川崎へと向かったのですが、途中、川崎新町において、朝の中原電車区からの送り込みで一時的に停車する貨物線に入り、貴重な体験をすることができました。

本日は私のくだらない撮影記と乗車記を述べましたが、今後も南武支線開業80周年特集ということで、南武支線に纏わる出来事を述べていきたいと思っています。




南武支線開業80周年記念-ワンマン化時代の思い出

2010年12月17日 19時31分38秒 | 南武線
南武支線(浜川崎線)が昭和5年3月25日に開業し、今年で80周年を迎えましたが、当ブログにおいても積極的に南武支線特集を行っていきたいと思います。
本日は101系をワンマン化改造した時のことを若干述べていきたいと思います。
南武支線に101系が投入されたのは昭和55年11月で、旧形のクハ16+クモハ11と取替えられましたが、初めて南武支線に登場した101系は南武線本線と変わらない黄色1色の車輌でした。各車輌の車輌履歴簿の写しから推測すると、当時、中原電車区において計4編成がユニット交換を行い、南武支線用の車輌が用意されました。
詳細については以下のとおりです。
Mc130 M'c172(昭和55年11月4日ユニット交換)
Mc150 M'c169(昭和55年11月13日ユニット交換)
Mc180 M'c145(昭和55年11月25日ユニット交換)
Mc188 M'c186(昭和56年1月19日ユニット交換)

その後、Mc150のユニットは、昭和62年に廃車され、3ユニットが在籍しました。(編成表が手元にありませんので、廃車間際の処遇についてはわかりませんが、仙石線用の105系改造に伴い、貸し出されたような気がします。)
今まで黄色1色だった南武支線も国鉄からJRに移行し、利用者へのサービスがより一層高まる中、昭和62年暮れから1編成ずつワンマン化工事が実施されることになり、同時に外部塗装の変更が行われました。
また、1編成が工場に1~2ヶ月と長期入場してしまうため、南武線本線用の車輌計4両(2ユニット)をユニット交換し、南武支線用の予備編成を1編成生み出すことになりました。
Mc168 M'207(冷房車)とM244 M'c179(非冷房車)をユニット替えを行いMc168 M'c179とM244 M'207のユニットをつくりました。M244 M'207は本線用の車両として使用され、Tc76 M244 M207 T298 M224 M'c167(川崎方2両は非冷房車)という編成で一時的に使用されておりましたが、一方のMc168 M'c179は一時的に使用されました。
まずは昭和63年1月27日~29日に使用され、初めて南武支線に冷房車が登場しました。


写真は初めて使用されるということもあり、27日の夕方に撮影したものです。このMc168はATS-S型が設置されていないため可搬式のATS-S型を付けました。ユニット交換する前のMc168の相棒であるM'207には冷房用MGが付いていませんが、この季節、冷房は使用する必要がないということで問題はありませんでした。

最初にワンマン化工事で工場入場したMc188 M'c186が、昭和63年2月16日付けで出場し、黄色から新色に変更されました。
この新色についてですが、クリーム1号をベースに青緑1号と緑2号の帯が巻かれ、当時としては斬新なものでした。中原電車区の検修係の方から聞いた話しでは、たしか社員にいろいろなデザインを考えてもらい、その中で採用したカラーリングで、どうも浦和電車区の方が考えたものが採用されたということを聞いております。

私もそのカラーを見たいということで、電車区内に入れさてもらい撮影したものが下の写真です。この当時は205系が新製配置される前で、101系や103系のクモハが南武線で活躍していました。



ワンマン化改造の詳細については、いろいろありますので説明は省略しますが、1つだけ述べておくこととして、101系在来車との併結は戸閉回路が異なるため、回送を除いてできなくなりました。ですので今まで南武支線用の101系が本線用の101系と併結して運用されることが稀にありましたが、この時期から見られなくなりました。


2本目にワンマン化改造を受けたMc180 M'c145もダイヤ改正前に出場し、昭和63年3月13日のダイヤ改正時からワンマン化改造を受けた2本が使用され、各々異なる絵柄のヘッドマークが取り付けられました。
下の写真はMc188です。


本日のところはこの辺にして、明日、あさっての18日、19日は南武支線開業80周年記念号が運行されますが、その乗車レポートなどを、後日述べていきたいと思っております。

南武線ウォッチング-近況報告

2010年12月13日 23時02分01秒 | 南武線
なかなか時間が取れず、鉄活動ができませんが、12日も5日に続き南武線ウオッチングを少々行ってみました。
前回の南武線ウォッチングで、ナハ35編成の川崎方の編成番号が編成札に交換されていましたので、12日はこのナハ35を目当てにしていましたが、残念ながら武蔵溝ノ口でお休み中ということもあり、運行中の姿を撮影することができませんでした。
ならば機器更新工事を受けるのではないかと以前から注目されている209系0番台ナハ32に着目してみましたが、この日は日中運用の25Fに充当されていました。この編成は唯一209系0番台の原形を保ち、今は亡きナハ1には種別表示が付いていたものの、このナハ32には種別表示が付いておらず、来年3月のダイヤ改正から運行される快速をどのように表示するのか注目されています。


また、鶴見線・南武支線(浜川崎線)開業80周年記念キャンペーン中ということで、鶴見線2編成と南武支線1編成(ワ1編成)に記念のヘッドマークが取り付けられていますが、ヘッドマークの掲示は12月末までですので、無くなる前に南武支線のHM付き編成を撮影してみました。南武支線の沿線は撮影地泣かせで、ご存知のとおり東海道貨物線も並走もしくは一部を兼ねていますので、私鉄時代に設置された高圧線兼用の架線柱や信号機器などが多いに邪魔をし、撮影するほうとしては四苦八苦しています。今度の週末には前回もお伝えしましたように南武支線(浜川崎線)開業80周年記念号が運行されますので、鶴見線で開催した時と同様に多くのギャラリーが沿線に訪れるのではないかと思いますが、私も元南武線沿線の住人という地理的条件を活かして、スクーターで飛び回って撮影してみたいと思います。


ところで話は変わりますが、川崎の千鳥町に留置されていたインドネシア向け05系3編成(08F~10F)計30両が、5日の時点では確認できましたが、12日再び訪れてみると1両も確認できず、インドネシアに向けて既に出港されたものと思われます。今後計画されている6000系もこの千鳥町に搬送されるのかどうかわかりませんが、確認できましたら報告したいと思います。

南武線ウォッチング-近況報告

2010年12月05日 23時28分03秒 | 南武線
またまた、更新がご無沙汰になってしまい申し訳ありません。
先程、少々時間がありましたので、恒例の南武線ウォッチングに行って参りました。

まずは浜川崎線が開業80周年を迎え、開業80周年のHM付きでも撮影しようと現場に向かったのですが、残念ながらHM付きの車輌はどうも弁天橋でお休みのようで、終日運用についていたのはワ2の編成でした。順調に行けばHMの付いているワ1編成は6日が終日運用につきますので、時間のある時に狙ってみたいと思います。なお、HMは当初の予定より12月末まで延長されて掲示される予定です。
また、今月18日(土)、19日(日)に、南武支線開業80周年記念の旅として、浜川崎線用の205系を使用し、浜川崎→尻手→浜川崎→鶴見→浜川崎→尻手→浜川崎の行程で運行されます。旅行代金は4,200円で、前回の鶴見線の時よりも300円安いのですが、旅行代金に含まれるものとしては、上記の行程の乗車券、記念弁当、記念入場券(鶴見線の時と同じもの)のようです。ちなみに私も乗車することにしましたので、浜川崎線用の車輌が鶴見駅に乗り入れるところ味わってみたいと思います。


それから、中原電車区に寄ってみました。ナハ35編成が夢庵近くに留置されていましたが、編成番号のところをよく見ると編成札が取り付けられていました。山手区から転入の車輌については、編成番号が通常ステッカーで表示されており、南武線生え抜きの205系や209系は編成札により表示されています。(ナハ15立川方を除いて)
なお、ナハ35編成の立川方の車輌は従来通りステッカーのままとなっています。