祝-南武線快速列車復活おめでとうと言いたいところですが、4月9日に快速列車が運行されてから既に2週間が過ぎ、先の東日本大震災の自粛ムードもあり、何を今更ということがあるかと思います。実は仕事などで多忙を極め、中々記事を書くことができませんでしたが、ようやく少々時間を持てるようになりましたので、南武線快速列車復活に纏わることについて述べていきたいと思います。
ご存知のように南武線の快速列車は先月3月12日のダイヤ改正より目出度く33年ぶりに復活と思いきや、その前日に発生した東北地方太平洋沖地震により、地震の影響と電力供給の低下に伴い快速列車の運行が行われず、何かの呪いにでもかけられたのではないかと思っておりましたが、電力需給バランスの安定に見通しがついたのか4月5日にJR東日本から9日に快速列車が運行を開始すると発表がありました。余震が続く中、今度こそは地震が起こらないことを願いつつこの長い日を待ち続け、ようやく4月9日に無事に快速列車が運行されました。
快速列車復活の当日、朝早くから運用状況の把握を行いましたが、この日の快速列車に充当された8運用は以下の通りでした。
下り快速、17F=54、47F=47、05F=41、25F=11
上り快速、23F=40、15F=3、53F=2、29F=50
3月11日に大震災が起こらなければ、12日は川崎駅でコンコース内と南武線ホーム上で駅員によるセレモニーが実施される予定であり、私もその祝賀シーンを撮影することを予定していましたが、残念ながらセレモニーは実施されないということもあり、下り快速一番列車に乗車することに専念することにしました。
この下り快速一番列車にどの編成が充当されるのか把握するため、中原電車区を覗いてみることにしました。南武線の運用状況に詳しい方なら既におわかりだと思うのですが、この下り快速一番列車は武蔵中原を9:36に出発し(中原区を出庫)、川崎駅で折り返し下り快速一番列車になるため、中原区の様子を窺がわなければ、どの編成が充当されるのかわかりません。ということで中原区内の様子を見ていたものの17Fが表示されている編成を中々見つけることができませんでしたが、どうも一番見にくい位置に置かれている快速のラッピングがされているナハ54ではないかということが推測できました。あらためて武蔵中原駅でその確認を行ったのですが、その17Fに充当されたのはやはりナハ54でした。私の気持ちとしては南武線生え抜きの205系に快速一番列車として担ってもらいたいと思いましたが、中原区の演出なのか2本しかない快速ラッピング編成のうちの1本が抜擢されたわけです。
私は川崎駅に先回りして、その下り快速一番列車の華々しい出発のシーンを撮影することにしました。
上の写真がまさに出発前の様子ですが、南武線ホームには駅員が利用客に対し快速列車の案内を行い、何人かのマニアの方々もそのシーンを撮影しておりました。
続いて、記念すべき快速一番列車に乗車し、登戸まで行ってみることにしました。どうも先頭車の乗務員室後方にはマニアの方々が多くいるようなので、私はモーター音を堪能することに。川崎駅を定刻に出発すると二国(第二京浜)手前の制限60kmを過ぎ、尻手駅を過ぎたあたりから少々ノッチを入れましたが、矢向駅北側にある制限55km/hがあるためか思ったほど快速の走りぶりが発揮されません。矢向駅では車掌区があるため、何人かの車掌のお出迎えを受け、およそ50km/hで通過しました。制限区間を越えると鹿島田まで一直線であるため、90km/h近くスピードが出ていたかと思います。川崎を出ると次の停車駅が鹿島田ですが、昭和44年~53年に快速列車が運行されていた頃は鹿島田駅は停車せず、80km/h近くの豪快なスピードで通過していましたが、幸区としての拠点地区で、かつ川崎市の副都心として街づくりが行われ、乗降客数も隣りの平間や矢向に比べ若干多いことから、今回の快速では停車することになったようです。私自身、以前は川崎市に住んでいたことを述べたかと思いますが、最も川崎市の中で長く住んだのがこの鹿島田であり、幼少の頃から高校生まで住んでおりました。しかも鹿島田の私の自宅から南武線が見えるとあって、茶色の73系やカラフルな101系、103系を見るたびに南武線に愛着が湧き、南武線あってこそ今の自分があるのではないかと自覚しております。
少々、私と南武線との関わりということで話が脱線しましたが、快速列車乗車に話しを戻します。鹿島田を出ると続いて武蔵小杉に停車しますが、向河原まで途中緩やかなカーブが2箇所ありますが、ほぼ一直線であるため90km/h近くのスピードが出ていたかと思います。上り線においては鹿島田駅前踏切の閉鎖時間の関係上かと思いますが、以前は鹿島田駅北側の府中街道(川崎堀踏切)南側から駅付近にかけて制限65km/hでしたが、現在は平間駅から鹿島田駅全区間が65km/hに制限されています。
向河原から武蔵小杉にかけて左にカーブすると武蔵小杉に停車します。武蔵小杉から武蔵溝ノ口にある武蔵中原や武蔵新城も以前であれば快速が停車しませんでしたが、乗降客数が多いことから停車するようになりました。また、以前の下り快速列車は武蔵中原または武蔵溝ノ口で各駅停車の追い越しを行い、私も各停に乗車し武蔵中原駅で快速に抜かれ子供ながら悔しい思いをしたことを今でも覚えております。
今ではこの区間、第三京浜より立川方を除いて高架化され、かつ武蔵中原駅では豪華な2面4線化された駅になりましたが、快速列車が連続停車するせいなのか、残念ながら緩急の接続は実施されませんでした。乗降客数の多い武蔵中原、新城と停車すると次は武蔵溝ノ口で線形が良いせいなのか、新城から高架の下り坂のせいもあるかと思いますが、制限ギリギリの95kmまで簡単にスピードが出ていたかと思います。
武蔵溝ノ口も私自身のことを述べて申し訳ありませんが、この街で約7年間お世話になった街で、もちろん高校生の頃は南武線を利用し、小田急沿線にある高校まで通っておりました。さすがに高校生の頃は快速は廃止され、各駅停車しか走らない路線でしたが、幼い頃はこの駅から快速列車に乗車したこともあります。
話が脱線してしまうといけませんので話しを戻すと、武蔵溝ノ口を出ると制限70km/hのカーブが続き、津田山駅北側の下り線のみ制限55km/hがあるため、あまりスピードを出すことができませんが、この制限を越えると70km/h近くまでスピードを出すことができます。ただ、登戸までカーブの連続ですので、豪快なスピードを味わうことはできませんが、登戸まで停車しないだけでも時間短縮の効果はあるのではないかと思います。宿河原駅を過ぎるとすぐに方向幕がただの「立川」に変更され(私が乗車したこの下り快速一番列車ではわかりません)、登戸駅到着時には快速という表示を見ることができません。また、車掌が方向幕が修正されているのかどうか、この駅で確認を行っているようです。
下の写真は上り快速一番列車で、左の2番線に停車中の列車は快速の後続の各駅停車です。
川崎~登戸間の快速一番列車に乗車し感慨深いものがありましたが、以前の快速列車のほうが一生懸命に走っていたように感じられ、今の車両の性能や保線状態などを考えると少々物足りなさというか、もう少し早く走れるなと感じたしだいです。
近年の南武線の利用客は他の東京近郊の路線に比べ増えているようで、今後、稲城市内の連続立体化も完成すれば、稲城長沼駅の2面4線が有効的に使用でき、かつ稲城長沼までの快速運行が実施できるのではないかと私なりに推測しております。また、横浜線のように20分間隔での快速運転や快速運行時間の拡大も行われることを望んでいますが、輸送人員に合わせて検討、実施されるのではないかと思っております。
この他、快速運転が実施される川崎~登戸間の駅直近の踏切では、運行時間帯に警備員が常駐し、踏切横断者への注意喚起を行っていますが、今週28日で警備員の常駐が解除されるようですので、今後、踏切での人身事故がないことを願っております。
ご存知のように南武線の快速列車は先月3月12日のダイヤ改正より目出度く33年ぶりに復活と思いきや、その前日に発生した東北地方太平洋沖地震により、地震の影響と電力供給の低下に伴い快速列車の運行が行われず、何かの呪いにでもかけられたのではないかと思っておりましたが、電力需給バランスの安定に見通しがついたのか4月5日にJR東日本から9日に快速列車が運行を開始すると発表がありました。余震が続く中、今度こそは地震が起こらないことを願いつつこの長い日を待ち続け、ようやく4月9日に無事に快速列車が運行されました。
快速列車復活の当日、朝早くから運用状況の把握を行いましたが、この日の快速列車に充当された8運用は以下の通りでした。
下り快速、17F=54、47F=47、05F=41、25F=11
上り快速、23F=40、15F=3、53F=2、29F=50
3月11日に大震災が起こらなければ、12日は川崎駅でコンコース内と南武線ホーム上で駅員によるセレモニーが実施される予定であり、私もその祝賀シーンを撮影することを予定していましたが、残念ながらセレモニーは実施されないということもあり、下り快速一番列車に乗車することに専念することにしました。
この下り快速一番列車にどの編成が充当されるのか把握するため、中原電車区を覗いてみることにしました。南武線の運用状況に詳しい方なら既におわかりだと思うのですが、この下り快速一番列車は武蔵中原を9:36に出発し(中原区を出庫)、川崎駅で折り返し下り快速一番列車になるため、中原区の様子を窺がわなければ、どの編成が充当されるのかわかりません。ということで中原区内の様子を見ていたものの17Fが表示されている編成を中々見つけることができませんでしたが、どうも一番見にくい位置に置かれている快速のラッピングがされているナハ54ではないかということが推測できました。あらためて武蔵中原駅でその確認を行ったのですが、その17Fに充当されたのはやはりナハ54でした。私の気持ちとしては南武線生え抜きの205系に快速一番列車として担ってもらいたいと思いましたが、中原区の演出なのか2本しかない快速ラッピング編成のうちの1本が抜擢されたわけです。
私は川崎駅に先回りして、その下り快速一番列車の華々しい出発のシーンを撮影することにしました。
上の写真がまさに出発前の様子ですが、南武線ホームには駅員が利用客に対し快速列車の案内を行い、何人かのマニアの方々もそのシーンを撮影しておりました。
続いて、記念すべき快速一番列車に乗車し、登戸まで行ってみることにしました。どうも先頭車の乗務員室後方にはマニアの方々が多くいるようなので、私はモーター音を堪能することに。川崎駅を定刻に出発すると二国(第二京浜)手前の制限60kmを過ぎ、尻手駅を過ぎたあたりから少々ノッチを入れましたが、矢向駅北側にある制限55km/hがあるためか思ったほど快速の走りぶりが発揮されません。矢向駅では車掌区があるため、何人かの車掌のお出迎えを受け、およそ50km/hで通過しました。制限区間を越えると鹿島田まで一直線であるため、90km/h近くスピードが出ていたかと思います。川崎を出ると次の停車駅が鹿島田ですが、昭和44年~53年に快速列車が運行されていた頃は鹿島田駅は停車せず、80km/h近くの豪快なスピードで通過していましたが、幸区としての拠点地区で、かつ川崎市の副都心として街づくりが行われ、乗降客数も隣りの平間や矢向に比べ若干多いことから、今回の快速では停車することになったようです。私自身、以前は川崎市に住んでいたことを述べたかと思いますが、最も川崎市の中で長く住んだのがこの鹿島田であり、幼少の頃から高校生まで住んでおりました。しかも鹿島田の私の自宅から南武線が見えるとあって、茶色の73系やカラフルな101系、103系を見るたびに南武線に愛着が湧き、南武線あってこそ今の自分があるのではないかと自覚しております。
少々、私と南武線との関わりということで話が脱線しましたが、快速列車乗車に話しを戻します。鹿島田を出ると続いて武蔵小杉に停車しますが、向河原まで途中緩やかなカーブが2箇所ありますが、ほぼ一直線であるため90km/h近くのスピードが出ていたかと思います。上り線においては鹿島田駅前踏切の閉鎖時間の関係上かと思いますが、以前は鹿島田駅北側の府中街道(川崎堀踏切)南側から駅付近にかけて制限65km/hでしたが、現在は平間駅から鹿島田駅全区間が65km/hに制限されています。
向河原から武蔵小杉にかけて左にカーブすると武蔵小杉に停車します。武蔵小杉から武蔵溝ノ口にある武蔵中原や武蔵新城も以前であれば快速が停車しませんでしたが、乗降客数が多いことから停車するようになりました。また、以前の下り快速列車は武蔵中原または武蔵溝ノ口で各駅停車の追い越しを行い、私も各停に乗車し武蔵中原駅で快速に抜かれ子供ながら悔しい思いをしたことを今でも覚えております。
今ではこの区間、第三京浜より立川方を除いて高架化され、かつ武蔵中原駅では豪華な2面4線化された駅になりましたが、快速列車が連続停車するせいなのか、残念ながら緩急の接続は実施されませんでした。乗降客数の多い武蔵中原、新城と停車すると次は武蔵溝ノ口で線形が良いせいなのか、新城から高架の下り坂のせいもあるかと思いますが、制限ギリギリの95kmまで簡単にスピードが出ていたかと思います。
武蔵溝ノ口も私自身のことを述べて申し訳ありませんが、この街で約7年間お世話になった街で、もちろん高校生の頃は南武線を利用し、小田急沿線にある高校まで通っておりました。さすがに高校生の頃は快速は廃止され、各駅停車しか走らない路線でしたが、幼い頃はこの駅から快速列車に乗車したこともあります。
話が脱線してしまうといけませんので話しを戻すと、武蔵溝ノ口を出ると制限70km/hのカーブが続き、津田山駅北側の下り線のみ制限55km/hがあるため、あまりスピードを出すことができませんが、この制限を越えると70km/h近くまでスピードを出すことができます。ただ、登戸までカーブの連続ですので、豪快なスピードを味わうことはできませんが、登戸まで停車しないだけでも時間短縮の効果はあるのではないかと思います。宿河原駅を過ぎるとすぐに方向幕がただの「立川」に変更され(私が乗車したこの下り快速一番列車ではわかりません)、登戸駅到着時には快速という表示を見ることができません。また、車掌が方向幕が修正されているのかどうか、この駅で確認を行っているようです。
下の写真は上り快速一番列車で、左の2番線に停車中の列車は快速の後続の各駅停車です。
川崎~登戸間の快速一番列車に乗車し感慨深いものがありましたが、以前の快速列車のほうが一生懸命に走っていたように感じられ、今の車両の性能や保線状態などを考えると少々物足りなさというか、もう少し早く走れるなと感じたしだいです。
近年の南武線の利用客は他の東京近郊の路線に比べ増えているようで、今後、稲城市内の連続立体化も完成すれば、稲城長沼駅の2面4線が有効的に使用でき、かつ稲城長沼までの快速運行が実施できるのではないかと私なりに推測しております。また、横浜線のように20分間隔での快速運転や快速運行時間の拡大も行われることを望んでいますが、輸送人員に合わせて検討、実施されるのではないかと思っております。
この他、快速運転が実施される川崎~登戸間の駅直近の踏切では、運行時間帯に警備員が常駐し、踏切横断者への注意喚起を行っていますが、今週28日で警備員の常駐が解除されるようですので、今後、踏切での人身事故がないことを願っております。