Asian Railway Plaza

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祝-南武線快速列車復活

2011年04月25日 19時22分06秒 | 南武線
祝-南武線快速列車復活おめでとうと言いたいところですが、4月9日に快速列車が運行されてから既に2週間が過ぎ、先の東日本大震災の自粛ムードもあり、何を今更ということがあるかと思います。実は仕事などで多忙を極め、中々記事を書くことができませんでしたが、ようやく少々時間を持てるようになりましたので、南武線快速列車復活に纏わることについて述べていきたいと思います。


ご存知のように南武線の快速列車は先月3月12日のダイヤ改正より目出度く33年ぶりに復活と思いきや、その前日に発生した東北地方太平洋沖地震により、地震の影響と電力供給の低下に伴い快速列車の運行が行われず、何かの呪いにでもかけられたのではないかと思っておりましたが、電力需給バランスの安定に見通しがついたのか4月5日にJR東日本から9日に快速列車が運行を開始すると発表がありました。余震が続く中、今度こそは地震が起こらないことを願いつつこの長い日を待ち続け、ようやく4月9日に無事に快速列車が運行されました。

快速列車復活の当日、朝早くから運用状況の把握を行いましたが、この日の快速列車に充当された8運用は以下の通りでした。
下り快速、17F=54、47F=47、05F=41、25F=11
上り快速、23F=40、15F=3、53F=2、29F=50
3月11日に大震災が起こらなければ、12日は川崎駅でコンコース内と南武線ホーム上で駅員によるセレモニーが実施される予定であり、私もその祝賀シーンを撮影することを予定していましたが、残念ながらセレモニーは実施されないということもあり、下り快速一番列車に乗車することに専念することにしました。
この下り快速一番列車にどの編成が充当されるのか把握するため、中原電車区を覗いてみることにしました。南武線の運用状況に詳しい方なら既におわかりだと思うのですが、この下り快速一番列車は武蔵中原を9:36に出発し(中原区を出庫)、川崎駅で折り返し下り快速一番列車になるため、中原区の様子を窺がわなければ、どの編成が充当されるのかわかりません。ということで中原区内の様子を見ていたものの17Fが表示されている編成を中々見つけることができませんでしたが、どうも一番見にくい位置に置かれている快速のラッピングがされているナハ54ではないかということが推測できました。あらためて武蔵中原駅でその確認を行ったのですが、その17Fに充当されたのはやはりナハ54でした。私の気持ちとしては南武線生え抜きの205系に快速一番列車として担ってもらいたいと思いましたが、中原区の演出なのか2本しかない快速ラッピング編成のうちの1本が抜擢されたわけです。
私は川崎駅に先回りして、その下り快速一番列車の華々しい出発のシーンを撮影することにしました。

上の写真がまさに出発前の様子ですが、南武線ホームには駅員が利用客に対し快速列車の案内を行い、何人かのマニアの方々もそのシーンを撮影しておりました。


続いて、記念すべき快速一番列車に乗車し、登戸まで行ってみることにしました。どうも先頭車の乗務員室後方にはマニアの方々が多くいるようなので、私はモーター音を堪能することに。川崎駅を定刻に出発すると二国(第二京浜)手前の制限60kmを過ぎ、尻手駅を過ぎたあたりから少々ノッチを入れましたが、矢向駅北側にある制限55km/hがあるためか思ったほど快速の走りぶりが発揮されません。矢向駅では車掌区があるため、何人かの車掌のお出迎えを受け、およそ50km/hで通過しました。制限区間を越えると鹿島田まで一直線であるため、90km/h近くスピードが出ていたかと思います。川崎を出ると次の停車駅が鹿島田ですが、昭和44年~53年に快速列車が運行されていた頃は鹿島田駅は停車せず、80km/h近くの豪快なスピードで通過していましたが、幸区としての拠点地区で、かつ川崎市の副都心として街づくりが行われ、乗降客数も隣りの平間や矢向に比べ若干多いことから、今回の快速では停車することになったようです。私自身、以前は川崎市に住んでいたことを述べたかと思いますが、最も川崎市の中で長く住んだのがこの鹿島田であり、幼少の頃から高校生まで住んでおりました。しかも鹿島田の私の自宅から南武線が見えるとあって、茶色の73系やカラフルな101系、103系を見るたびに南武線に愛着が湧き、南武線あってこそ今の自分があるのではないかと自覚しております。


少々、私と南武線との関わりということで話が脱線しましたが、快速列車乗車に話しを戻します。鹿島田を出ると続いて武蔵小杉に停車しますが、向河原まで途中緩やかなカーブが2箇所ありますが、ほぼ一直線であるため90km/h近くのスピードが出ていたかと思います。上り線においては鹿島田駅前踏切の閉鎖時間の関係上かと思いますが、以前は鹿島田駅北側の府中街道(川崎堀踏切)南側から駅付近にかけて制限65km/hでしたが、現在は平間駅から鹿島田駅全区間が65km/hに制限されています。
向河原から武蔵小杉にかけて左にカーブすると武蔵小杉に停車します。武蔵小杉から武蔵溝ノ口にある武蔵中原や武蔵新城も以前であれば快速が停車しませんでしたが、乗降客数が多いことから停車するようになりました。また、以前の下り快速列車は武蔵中原または武蔵溝ノ口で各駅停車の追い越しを行い、私も各停に乗車し武蔵中原駅で快速に抜かれ子供ながら悔しい思いをしたことを今でも覚えております。
今ではこの区間、第三京浜より立川方を除いて高架化され、かつ武蔵中原駅では豪華な2面4線化された駅になりましたが、快速列車が連続停車するせいなのか、残念ながら緩急の接続は実施されませんでした。乗降客数の多い武蔵中原、新城と停車すると次は武蔵溝ノ口で線形が良いせいなのか、新城から高架の下り坂のせいもあるかと思いますが、制限ギリギリの95kmまで簡単にスピードが出ていたかと思います。


武蔵溝ノ口も私自身のことを述べて申し訳ありませんが、この街で約7年間お世話になった街で、もちろん高校生の頃は南武線を利用し、小田急沿線にある高校まで通っておりました。さすがに高校生の頃は快速は廃止され、各駅停車しか走らない路線でしたが、幼い頃はこの駅から快速列車に乗車したこともあります。


話が脱線してしまうといけませんので話しを戻すと、武蔵溝ノ口を出ると制限70km/hのカーブが続き、津田山駅北側の下り線のみ制限55km/hがあるため、あまりスピードを出すことができませんが、この制限を越えると70km/h近くまでスピードを出すことができます。ただ、登戸までカーブの連続ですので、豪快なスピードを味わうことはできませんが、登戸まで停車しないだけでも時間短縮の効果はあるのではないかと思います。宿河原駅を過ぎるとすぐに方向幕がただの「立川」に変更され(私が乗車したこの下り快速一番列車ではわかりません)、登戸駅到着時には快速という表示を見ることができません。また、車掌が方向幕が修正されているのかどうか、この駅で確認を行っているようです。

下の写真は上り快速一番列車で、左の2番線に停車中の列車は快速の後続の各駅停車です。


川崎~登戸間の快速一番列車に乗車し感慨深いものがありましたが、以前の快速列車のほうが一生懸命に走っていたように感じられ、今の車両の性能や保線状態などを考えると少々物足りなさというか、もう少し早く走れるなと感じたしだいです。
近年の南武線の利用客は他の東京近郊の路線に比べ増えているようで、今後、稲城市内の連続立体化も完成すれば、稲城長沼駅の2面4線が有効的に使用でき、かつ稲城長沼までの快速運行が実施できるのではないかと私なりに推測しております。また、横浜線のように20分間隔での快速運転や快速運行時間の拡大も行われることを望んでいますが、輸送人員に合わせて検討、実施されるのではないかと思っております。
この他、快速運転が実施される川崎~登戸間の駅直近の踏切では、運行時間帯に警備員が常駐し、踏切横断者への注意喚起を行っていますが、今週28日で警備員の常駐が解除されるようですので、今後、踏切での人身事故がないことを願っております。

計画停電中の南武線をウォッチング

2011年04月06日 00時03分52秒 | 南武線
3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震以降、首都圏は電力不足ということもあり、12日のダイヤ改正から運行開始される予定であった快速が現在も運行されず、南武線は新ダイヤに基づいて各駅停車のみが運行されています。
ですので、ダイヤ改正前の平日データイムにおいては10分間隔とすっきりした等分の列車間隔でしたが、現在、川崎~登戸間では10分、12分、8分と等間隔が崩れ、列車の混雑度に若干ムラがあるようです。
どのような状況なのかちょっと見てみたいということもあり、実は先程南武線ウオッチングを行ってみました。地震発生以降の3月は乗客も少なめのような状況でしたが、先程は日中であっても乗客が多く、特に川崎~登戸間においては立っている乗客が目立つほどの盛況ぶりでした。やはり本来の快速列車が運行されないと快適な利用ができないのではないかと思ったしだいですが、お隣の横浜線では計画停電中と言えども快速列車が南武線の30分間隔よりも短い20分間隔で運行されており、立っている乗客は疎らのようで、同じ運賃を払って乗る上で待遇が随分違うようです。もっぱら1時間あたりの車両数を考えてみれば納得できるのですが、南武線が6両×6本=36両に対し、横浜線(東神奈川~橋本間)が8両×9本=72両と2倍の輸送力(1kmあたりの輸送人員は同じくらい)があり、不公平差は明らかです。

先程の南武線ウォッチングで気がついたことを簡単に述べていきたいと思います。
現在、登戸~立川間に運行されている快速列車のスジは上下線ともに登戸において接続する各駅停車の列車のスジに入るため、約3分間の停車と運用番号の変更があります。ですので、乗務員は手作業でわざわざ運用番号を変えています。


5日は米タンの運行がないのではと思っていたところ、こんなのが来ました。私にはカマのことがよくわかりませんが、これって珍しいのですよね。


1年ほど前に矢向駅でバリアフリー化工事に入り、上り線プラットホームを結ぶ跨線橋から上り列車と鹿島田方面の高層ビル群が入った写真が撮れなくなると述べましたが、その新たにできたバリアフリー用の跨線橋が先程述べました一般の跨線橋の北側に設置されたため、今度はこちらのバリアフリー用の跨線橋から撮影できるようになりました。


続いて稲城市のあたりの連立の状況を確認しましたが、連立1期と2期の分岐点においてはポイントが設置されるようです。下り線高架時の稲城長沼折り返しをどのように処理するのか興味深いところです。


およそ1ヶ月前に南多摩駅西側に府中街道が整備され、3月下旬から供用開始されると述べましたが、地震の影響なのか4月下旬に変更されました。舗装工事もほぼ終了しています。


快速列車のラッピング編成ですが、現在もナハ46とナハ54にラッピングが施されておりますが、ヘッドマークについては全て撤去されております。
気になる今後の快速運行開始時期ですが、4月9日から運行開始予定ということで、晴れて快速がデビューすることになり、ヘッドマークも再び装着されるのか気になるところです。


ダイヤ改正後に再び大阪へ

2011年04月01日 19時37分12秒 | 他線区の103系
3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震からちょうど3週間が経過し、地震や津波などの被害を受けた路線では依然復旧の目処もたたない路線や区間もありますが、徐々に復旧作業が行われ運行が再開されつつあり、今後も被災された地域の交通機関が一刻も早く運行再開ができることを願っております。
被災されていない地域では計画停電の影響や自粛ムードが広がり、大規模遊戯施設の営業中止やお祭り行事が中止され、何かと無用な遠出も避けるような空気がありますが、そのような状況の中、この前の週末(26、27日)に関西圏のダイヤ改正後の状況を確認するため、大阪へ行って参りました。

まずはダイヤ改正を機に大阪環状線から103系4本転入した阪和線へと向かってみました。4本のうち3本はオレンジ色のまま転入し、Tc149~のウグイス4両編成とともに阪和線では異色編成として活躍し、異色・混色好きな私にとってはとても魅力がありますが、ダイヤ改正後から日中(11時頃~15時頃)の運行区間が天王寺~鳳のみに限定され、しかも今まで10分間隔で運行されていた各停がダイヤ改正以降15分間隔に変更され、運用本数が大幅に削減されてしまいました。ですので阪和線において、通勤形車両を撮影する上では朝夕のラッシュ時以外は条件的には良くなく、かなり制約されてしまったような気がします。

26日の日中は私の運も悪くオレンジ2本とウグイス1本は、日根野区でお昼寝状態で、予備のウグイスTc97は奥のほうに留置されていました。手前のオレンジはT355、356です。


続いて鳳派出所を覗いてみるとT'c244のオレンジ編成がお休み状態でした。


異色の編成は日中お休みということもあり、宮原所へ行ってみました。所内には奈良区の4両編成のウグイス103系3本が留置され、下の写真のようにTc119~+Tc111~の4連が8連の状態で留置され、もう1本のTc133~の編成はその北側に留置されていました。これらの編成がどこへ行くのかわかりませんが、阪和線へ転入となれば異色編成が多くなり、私としてはますます面白くなります。


27日も同様に朝から阪和線へ撮影に向かいましたが、ローテーション通りの運用に入ったことと運用の巡り合わせが悪く、オレンジ2編成は昼間はお休みということになり、もう1編成は夜のみの運用ということで、朝だけオレンジを追っかけてみました。下の写真の編成はTc829の編成ですが、この前を走っていたA21運用=Tc844~の編成は下り列車に被られてしまいました。


ならば定番になりますが、大和川で撮影してみました。


オレンジ編成には恵まれませんでしたが、Tc149~のウグイス編成が日中運用に充当され、日中は天王寺~鳳間を行ったり来たりしていました。


今回は阪和線の103系を中心に追っかけてみましたが、東海道線に復活した205系(207系や321系カラー)、桜島線・大阪環状線のUSJ編成にも注目し、再び遠征してみたいと思っております。