Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

2005年のちびっこぎゃらりーごう

2007年10月29日 23時10分07秒 | 南武線
またまた投稿がご無沙汰になってしまい申し訳ありません。先日、南武線の名物列車であった「ちびっこぎゃらりーごう」のことについて少々触れましたが、先程ちょっと写真を探してみました。
毎年10月頃にこの「ちびっこぎゃらりーごう」が運転されており、7年間ぐらいは運行されていたと思いますが、2005年を最後に昨年、今年は残念ながら運転されておりません。車内には川崎市立小学校の生徒の絵が展示され、他の路線ではあまり見られない名物列車でありました。来年の秋には復活してもらえるといいのですが、同時に201系四季彩の川崎-奥多摩ハイキング号も復活してもらいたいと強く願っております。(四季彩の去就も注目されるので)
また、時間がありましたら、ハイキング号や広告車両の写真を後日アップしたいと思います。

これどこの車両?

2007年10月22日 21時39分53秒 | その他
昨日は近所の淵野辺駅近くで、さがみはら国際交流フェスティバルがあり、その準備などで先週はブログの更新ができませんでした。じつは私、淵野辺にある、さがみはら国際ラウンジで毎月第2・4週の金曜日の夜、インドネシア語を習っていて、昨年の12月に入会したのですが、今年度からこのインドネシア語サークルの取りまとめを行うコーディネーターに抜擢されてしまいました。したがって昨日のフェスティバルの準備やサークル活動での問題も取りまとめる必要があり結構たいへんですが、相模原周辺に在住するインドネシア人やマレーシアの方々にも御会いできる機会もありますで、これはこれで楽しませていただいております。
もともとインドネシアと関わりをもったのはフィリピンが始まりで、話せば長くなってしまいますが、簡単に説明しますと1990年に都市計画・交通計画のコンサルタント会社(パシコンではありません)に就職し、入社直後マニラ支社に研修で初めて海外の地を踏みました。フィリピンの公用語は英語とフィリピノ語(タガログ語)で、現地人どうしでは英語よりもフィリピノ語を使用する機会がほとんどで、私も英語が満足に話せないにもかかわらず、私にとっては鳥の鳴き声に聞こえるフィリピノ語の魅力に取り付かれてしまいました。フィリピノ語はもともとマレー系の言語であり、発音は日本語のようにローマ字読みすればよく、日本人からすると簡単な言語ではないかと思います。(動詞の使い方は難しいですが)
というわけで、フィリピノ語の魅力に取り付かれた私は上智大学での社会人講座でフィリピノ語を教えていただいたのですが、先程述べましたようにフィリピノ語はマレー語系の言語ですので、同じマレー語系のインドネシア語も驚くほどまったく同じ単語や近いものが多くあり、インドネシア語も勉強してみたいと安易に思ったのがインドネシアとのかかわりのきっかけでした。94年に初めてジャカルタ、バンドン、ジョグジャとスラバヤへ列車でまわり、人口密度が高いせいかジャワ島の鉄道の発達には当時の私としては驚かされました。その後フィリピノ語の勉学を続けると同時にインドネシア語も勉強しておりましたが、どうしてもインドネシア語は片手落ちしてしまい、未だにうまく話すことができません。とはいうものの鉄道好きな私にとって、2000年からジャカルタに都営6000形が譲渡され、その後のJR103系や東急8000系など多くの日本の中古車両が譲渡されたのを期に毎年1年に1度はインドネシアを訪問するようになりました。
インドネシアと私のかかわりについては話しが長くなってしまいましたので、この辺で終わりにして本題ですが、忙しいとはいうものの20日(土)に千鳥町の埠頭にインドネシアへ搬出されると思われる東急の2編成がまだ留置されていいるかどうか、確認しに行って参りました。
東急の8039Fと8010Fの2編成については留置されており、まだ出港しておりませんでしたが、なんとその留置されている車両の脇にE231系に似た車両が1両トレーラーに載せられているではないですか。この車両の帯の色が紫色であり、クーラーも搭載されておらず、謎が深まるばかりです。衝突実験の材料にされるのかどうかわかりませんが、もしご存知の方いらっしゃいましたら、是非お知らせいただきたいと思います。
また、さがみはら国際ラウンジでインドネシア語を習いたいという方いらっしゃいましたら、是非メールでご一報ください。この他フィリピノ語も町田国際交流センターで毎月第2・4土曜日午後授業を行っておりますので、こちらもご一報いただければと思います。(フィリピノ語のコーディネーターも行っております)

10月14日から運行を開始したスカイブルーの1000系

2007年10月15日 02時41分11秒 | その他
昨日、14日は秩父鉄道で先日の1000系(元101系)オレンジ色復活に次いで、スカイブルーの運行開始ということで、私もこのスカイブルーは是非見てみたいと思い、町田の自宅からスクーターで行って参りました。自宅から八王子に出ると国道16号で拝島まで行き、まっすぐ奥多摩街道で東青梅まで向かい、成木、名栗、正丸TN出口を経由し、R299で秩父へと向かいました。
途中、スクーターにとってはつらい峠を何度か通らなければいけないのですが、その中でも名栗(現在は飯能市に属す)と横瀬の境界に位置する山伏峠が難関で、私のスクーターも喘ぎながら辛うじて山越えすることができました。
まずは大野原付近で撮影を考え、ロケーション探しを行い、スカイブルーの編成が来るまであまり時間もなかったので、今回選んだ場所が黒谷~大野原に位置するこの写真の場所です。オレンジ色の1000系が羽生方面に通過後、間もなくこのスカイブルーの編成が来ました。黒谷駅ではおそらくオレンジとスカイブルーの並びが見れたかと思うのですが、11月に出場するカナリアも登場すると3色が揃いますので、是非とも3色の並びも見てみたいものです。(当然そう思っている方は多いと思いますが)
私自身この3色の中では、スカイブルーに非常に思い入れがあり、オレンジやカナリアは当たり前のように存在しておりましたが、スカイブルーですと京浜東北線と南武線ぐらいで、しかも短期間にしか存在しなかったため、貴重な出来事ではないかと思っております。(103系2050番台は除く)
南武線には昭和50年12月にスカイブルーが登場し、最初の編成がおそらくMc186を含む1編成全てスカイブルーで、この編成を見た時の感動は今も忘れられません。その後カナリアとスカイブルーの共演も見られ、楽しませてもらいましたが、残念ながらスカイブルーの101系の写真を1枚も撮っていないことが、今でも悔いに残っております。


影森駅で休息するスカイブルーの1000系

2007年10月15日 01時34分33秒 | その他
大野原付近で撮影後、このスカイブルーの1000系は影森駅に一時的に留置されますので、すぐに影森駅へ行ってみました。天候は雨が降らないものの撮影には不向きな状況でしたが、このスカイブルーの1000系(元101系)をお目当てに来られた方も多く、影森駅ではこの車両を撮影されている方を多く見かけました。

多摩川クラシコに抜擢されたナハ16編成

2007年10月15日 01時24分11秒 | 南武線
10月14日から2週間、南武線の1編成が「多摩川クラシコ」の広告車両として営業を開始しました。多摩川クラシコとはJリーグのサッカーチームであるFC東京と川崎フロンターレのホームグランドがそれぞれ味の素スタジアムと川崎の等々力ということで、地理的に多摩川を挟んで対峙することから、この両者が戦うリーグ戦において多摩川クラシコと命名されております。(○○ダービーのようなもの)
この多摩川クラシコの広告、車体の外板や前面にも付けらのかと楽しみにしておりましたが、どうも車内だけのようで、広告車両に抜擢されたのはナハ16編成のようです。秩父鉄道の帰りにちょっと寄って確認するため撮影してみました。ちょうどこの時期ちびっこぎゃらりー号もあったのですが、昨年から実施されていないため、ヘッドマークの付いた列車が見られず、201系の四季彩も今秋も運転がないようで、南武線では話題が少ないような状況になりつつあります。

広島運転所のマスカット色103系

2007年10月11日 23時06分11秒 | その他
先日、10月5日~7日に広島・岡山に遠征した話題を少々。元岡山区のマスカット色103系3本が広島に転出し、E06編成の1本が瀬戸内色に塗り替えられましたが、E05とE07編成の2本が現在もマスカット色として活躍しております。いつまでマスカット色が見られるのか興味深いところですが、車両の妻面の検査表記を見ると、E05編成が平成16年3月、E07編成が平成15年10月に検査を受けております。広島所の検査回帰の方法についてはわかりませんが、そろそろ検査時期を迎えつつあるかと思いますので、マスカット色も見られるのもあと僅かかもしれません。
掲載しました写真は10月6日に呉線安芸阿賀で撮影したものです。

昭和55年11月2・3日に運転されたドラえもん号

2007年10月10日 20時54分27秒 | 南武線
本日は昭和55年11月と昭和56年11月に、川崎~登戸に運転されたドラえもん号について述べたいと思います。
今や世界的な漫画のアイドルであるドラえもんの原作者藤子不二雄さんが、当時川崎市在住であったということもあり、国鉄の職員がドラえもん号運行実現のため何度も藤子不二雄さんのところに訪問し、ドラえもんのキャラクター使用許可のお願いに参りましたががおりませんでした。5・6回目の訪問時にようやく許可がおりて、かわさき市民まつりの企画の一部として、川崎~登戸をノンストップで結ぶドラえもん号が運転されました。
川崎~登戸をノンストップで運行されましたが、通常のダイヤの中に臨時列車を組み込む形となり、昭和44年から53年に運行された快速(川崎~登戸間を21分で結ぶ)のようなダイヤが組めず、各駅と同じ所要時間(30分)でゆっくりしたスピードで運行されました。