以前もこの103系高運(ATC)の写真を当ブログで紹介させていただきましたが、私が幼少の頃から憧れの車両であった103系高運が蒲田(元横浜線)から地元の南武線に転入するということを中原の検修の方から聞きまして、とても嬉しくて堪らなくなり、検修の方にお願いさせていただき撮影させていただきました。
この時代は昭和から平成になった時代で、何かと自粛ムードが広がる中でしたが、ちょうど横浜線用に205系を投入し、蒲田区の103系2本を中原区に転出したのですが、1本目のTc717 M641 M'797 M445 M'601 T'c774は、1988年12月に中原区の籍になったものの直接習志野区へ貸出し、2本目のTc745 M372 M'528 M573 M'729 T'c442が翌年1989年1月23日と28日に分けて中原区に転入しました。当時、南武線には低運しかありませんでしたが、ステンレス帯を入れたことで顔が引き締まった高運は目立つ存在で、その後のATS-P型設置により全て高運ATC車に統一され、2004年12月の最後の営業までこの顔の103系が活躍しました。
写真はTc745を先頭とする車両で、車内のいたるところはSUS化(M749 M'2006もSUS化)され、運転台のスピードメーターはATC仕様であり、南武線では見られない姿に感動していましたが、転入整備が既に終わってしまったのか、方向幕指示器は南武線(103系)に取り替えられており、横浜線の幕は見ることができませんでした。カナリア塗装で「快速八王子」など横浜線の幕でも見たいところでしたが、南武線の基本である「川崎」だけでも感動もので、しばらくその姿に惚れ込んでしまい余韻に浸ったりして、同行していただいた検修の方のお仕事に邪魔をしてしまいました。
なお、初の高運の営業運転開始は1989年2月7日の1700デから使用され、編成番号は14番(その後44番)が取り付けられました。一方、習志野区へ貸出したTc717の編成は1989年7月に中原区へ返却され、7月27日から編成番号15番(その後45番)で使用開始されました。
この時代は昭和から平成になった時代で、何かと自粛ムードが広がる中でしたが、ちょうど横浜線用に205系を投入し、蒲田区の103系2本を中原区に転出したのですが、1本目のTc717 M641 M'797 M445 M'601 T'c774は、1988年12月に中原区の籍になったものの直接習志野区へ貸出し、2本目のTc745 M372 M'528 M573 M'729 T'c442が翌年1989年1月23日と28日に分けて中原区に転入しました。当時、南武線には低運しかありませんでしたが、ステンレス帯を入れたことで顔が引き締まった高運は目立つ存在で、その後のATS-P型設置により全て高運ATC車に統一され、2004年12月の最後の営業までこの顔の103系が活躍しました。
写真はTc745を先頭とする車両で、車内のいたるところはSUS化(M749 M'2006もSUS化)され、運転台のスピードメーターはATC仕様であり、南武線では見られない姿に感動していましたが、転入整備が既に終わってしまったのか、方向幕指示器は南武線(103系)に取り替えられており、横浜線の幕は見ることができませんでした。カナリア塗装で「快速八王子」など横浜線の幕でも見たいところでしたが、南武線の基本である「川崎」だけでも感動もので、しばらくその姿に惚れ込んでしまい余韻に浸ったりして、同行していただいた検修の方のお仕事に邪魔をしてしまいました。
なお、初の高運の営業運転開始は1989年2月7日の1700デから使用され、編成番号は14番(その後44番)が取り付けられました。一方、習志野区へ貸出したTc717の編成は1989年7月に中原区へ返却され、7月27日から編成番号15番(その後45番)で使用開始されました。