Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

南武線103系高運(ATC車)登場

2023年01月30日 19時37分26秒 | 南武線
以前もこの103系高運(ATC)の写真を当ブログで紹介させていただきましたが、私が幼少の頃から憧れの車両であった103系高運が蒲田(元横浜線)から地元の南武線に転入するということを中原の検修の方から聞きまして、とても嬉しくて堪らなくなり、検修の方にお願いさせていただき撮影させていただきました。
この時代は昭和から平成になった時代で、何かと自粛ムードが広がる中でしたが、ちょうど横浜線用に205系を投入し、蒲田区の103系2本を中原区に転出したのですが、1本目のTc717 M641 M'797 M445 M'601 T'c774は、1988年12月に中原区の籍になったものの直接習志野区へ貸出し、2本目のTc745 M372 M'528 M573 M'729 T'c442が翌年1989年1月23日と28日に分けて中原区に転入しました。当時、南武線には低運しかありませんでしたが、ステンレス帯を入れたことで顔が引き締まった高運は目立つ存在で、その後のATS-P型設置により全て高運ATC車に統一され、2004年12月の最後の営業までこの顔の103系が活躍しました。


写真はTc745を先頭とする車両で、車内のいたるところはSUS化(M749 M'2006もSUS化)され、運転台のスピードメーターはATC仕様であり、南武線では見られない姿に感動していましたが、転入整備が既に終わってしまったのか、方向幕指示器は南武線(103系)に取り替えられており、横浜線の幕は見ることができませんでした。カナリア塗装で「快速八王子」など横浜線の幕でも見たいところでしたが、南武線の基本である「川崎」だけでも感動もので、しばらくその姿に惚れ込んでしまい余韻に浸ったりして、同行していただいた検修の方のお仕事に邪魔をしてしまいました。


なお、初の高運の営業運転開始は1989年2月7日の1700デから使用され、編成番号は14番(その後44番)が取り付けられました。一方、習志野区へ貸出したTc717の編成は1989年7月に中原区へ返却され、7月27日から編成番号15番(その後45番)で使用開始されました。



南武線E233系投入から約8年経過

2023年01月02日 19時46分14秒 | 南武線
私は昭和のオヤジですので、どうしても世代的には103系や205系世代であり、103系は好きでもE233系は好きになれませんが、カッコいい形式かと言うと確かにそうなのかもしれません。
2014年10月4日の914Fから使用開始され、103系と同様にデビュー時から乗車しましたが、投入開始から約8年が経過し、完全に南武線の顔として活躍していますが、今後はどのような動きがあるのでしょうか。
現在、南武線の各駅ではホームドアの設置工事が実施されており、数年後にはワンマン化されるということも考えられ、また、ここ3年あまりのコロナ感染により輸送需要が最盛期よりも減少しているものの、川崎市南部地域を中心に2030年頃まで人口が微増し、今後においては多少輸送需要が増加し、ラッシュ時においてはさらなる増発や場合によっては列車の編成両数を現在の6両から7両もしくは8両化というのも必要になってくるのかもしれません。
長編成化については大規模な設備投資が必要になってきますので、鉄道会社側としても予測をもとに慎重な判断が求められ、自治体側に対しても協力が要請されるものと思いますが、今後、長編成化という計画が示されるのか、その場合、新造する車両は単なるサハなのか東急等で導入しているようなQシート的な車両を導入することになるのか夢が広がります。


考えてもキリがありませんので、E233系導入時のことを振り返ってみると2014年8月7日にE233系第1編成のN1が中原に到着し、その後は線内で試運転が実施されたのち、9月28日は登戸駅中線でそのN1編成の展示会が実施されました。
展示会にあわせてE233系や205系等のグッズ、記念弁当等が販売されるとあって、南武線ファンの私も電車の動き出す前の朝4時頃にスクーターで行ってみたのですが、強者の約10人程が徹夜で並んでいたものの、お望みのグッズは簡単に購入することができました。


そして、待望のE233系運用開始は10月4日の914Fからで、現在、このような時間に出庫する列車はなくなってしまいましたが、この当時はデビューには相応しい運用がありました。
また、この日の朝は南武線の主要駅でE233系デビュー記念入場券が発売されるということで、各駅の販売枚数が100〜300枚とかなり少なく、1人1セットに限定され、各駅で台紙の色が黄色、オレンジ、茶色と異なり、3種類をゲットしたいところでしたが、実際には黄色の台紙の武蔵小杉でしか購入できませんでした。


武蔵小杉での記念入場券をゲットしたあとは、E233系デビューの出発式と乗車を楽しむため、武蔵中原に来てみると上の写真のようなポスター等が貼られ、利用者にアピールされていました。

上りホーム川崎方は関係者以外立ち入りができませんので、マニアたちは下りホームからご覧のように撮影することができましたが、横浜支社のマスコットであるハマの電ちゃんも参加され、今だったら武蔵中原駅のマスコットである「ムナマズ」も参加していたのかもしれません。また、南武線利用者にはこの他に周知されるようになった川崎運輸区のマスコットである「カワッサー」、鎌倉車両センター中原支所の「ナハニャン」、登戸駅の「ノトちゃん」等も着ぐるみが登場すると子供さんたちを中心にもっと愛着のある路線になるのかもしれません。


2014年8月のE233系N1編成の投入開始から2015年末まで35本が投入され、2016年1月9日には205系としては最後まで残っていたナハ46のありがとう運転が実施されたものの、209系ナハ53が引き続き使用されていました。
しかしながら、このナハ53は翌年2月9日の運用を最後に静かに引退し、房総地区のサイクルトレインとしてB.B.BASEに改造されるとともに、豊田のトタ青670編成を改造した8500番台が転入し、南武線のE233系化が完了しました。


ナハ53は幕張車両センターへ回送され、マリJ1編成の編成札を付けサイクルトレインに改造され、シーズン中の週末を中心にB.B.BASE内房やB.B.BASE外房等、房総各線のサイクルトレインとして新たな活躍を見せています。

2023年、新年、あけましておめでとうございます

2023年01月01日 19時52分59秒 | 南武線
新年、あけましておめでとうございます。

昨年末は昨日も申し上げましたように、思わぬコロナに感染してしまい、自宅で正月3が日も含め1週間近い自宅静養が求められておりますが、忙しい毎日を過ごしていた中で急にブログの更新や模型鉄に少々火が付いてしまいました。
模型にしてもブログにしても、やることは元地元の南武線や横浜線、海外ではフィリピンやジャカルタ関連ばかりですので、一般の鉄道に興味のある方から見れば、私の趣味の範囲はかなり狭く、全く参考にならないですし、時々記述が間違っていたり(例えばフィリピンPNRの203系の冷房電源はMGから供給しているなど→私の記述をそのまま引用したライターさんも居ましたが)、ということもあり、信頼性もあまりありませんが、今後も興味のある方だけがご覧いただき、鉄道雑誌等への記載だけは控えていただけたらと思っております。

本日は特に述べることはないのですが、今朝の関東地方は綺麗な日の出が見れたようで、富士山も綺麗な姿を見れたのではないかと思いますので、新年に相応しい姿をお見せします。
2015年12月1日に撮影した富士山と南武線205系ナハ39です。


このナハ39、南武線からジャカルタへ譲渡された計120両のうちの最後の編成で、11月16日から73系のサボをモチーフにした「南武線⇨海外譲渡」のサボが取り付けられ、12月6日まで運用に充当されました。
下の写真は初めて「南武線⇨海外譲渡」のサボを付けて営業に入るところを撮影したものです。


最後の南武線の205系第5陣がジャカルタに到着したのは翌年新年早々で、譲渡整備において第5陣も従来どおり南武色で途中まで整備されていたものの、急遽、12両編成として使用する方針転換からKCJ色へ変更されることになり、この第5陣の編成はKCJ色へ変更されてしまいました。


上の写真のナハ39、せっかく南武色の姿に整備されたのですが、このあとKCJ色へと変更されてしまいました。

今日は、私の思入れもあることからジャカルタに譲渡された南武線の205系の話題を少々述べましたが、今後も時間のあるかぎり私の興味のある話題について提供できたらと思っております。