Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

203系でAlabangへ

2016年03月10日 00時32分14秒 | フィリピン
前回の続きですが、前回は韓国RotemのDMUでマニラ首都圏の南の交通拠点であるAlabangからTutubanまでの乗務員室添乗レポートをお送りしましたが、帰りもAlabangまで乗務員室に添乗させていただきたいと思い、PNRの本社事務所をあとにすると、Tutuban12:35発の列車に乗車すべくホームに向かったのですが、この列車に抜擢されたのは先程乗車したRotemのDMUではなく、DL+203系でした。全体の列車のうちおおよそ7割がこのDL+203系が充当され、203系は基本5両編成であるため、Rotemの3両編成に比べればキャパはおおよそ1.7倍もありますので、車内の混雑度解消には寄与しているのですが、データイムにおいては1時間毎の運転ではいくら5両でもすぐにいっぱいになってしまいますので、少なくとも30分間隔で運転されることが望まれます。


車内に入っても混雑していて、列車の乗車を楽しめませんので、この列車の先頭のDL(ディーゼル機関車)に乗せてもらうことにしましたが、機関車に乗り込むと運転士はいかつい人で、いかにもマンダムなどの男性化粧品のCMにお似合いでした。この運転士はフィリピン人には珍しい物静かな男で、本人曰くアラブの血が入っているとのことでした。


列車は定刻12:35に発車し、Alabangまでの1時間ちょっとの旅を堪能させていただきました。


列車はTutubanを出発し、おおよそ1km行ったところで大きく右に90度曲がります。まっすぐの線路はCaloocan方面です。


LRT1号線のBlumentritt駅で、その向こうにはPNRのBlumentritt駅があります。この前の話でこのLRT1号線との交差部においてPNRは将来的に軌道レベルの高さが約23.6mにも達しますが、南北連結高速道路の上にPNRの駅が設置されるものと推測され、どのような構造物になるのか気になるところで、LRTの駅舎とうまく接続されることが期待されます。


Alabangまでのホーム有効長は基本的にRotemのDMU3両編成に合わせていますので、この203系は5両編成であるため、どうしても後ろ2両分足りなくなります。


203系先端がホームの端に来るように停車させるため、RotemのDMUよりも技術が必要で、停車させる際には慎重にブレーキをかけています。
列車が発車するまではこの運転士、トラックの運ちゃんのように荒っぽい運転をするのかと思いきや、見かけによらず意外に慎重に運転していました。


この駅はSta.Mesaで、Tutuban寄りに低床ホーム、Alabang寄りに高床ホームが設置されています。


車掌は203系の乗務員室でドアの開け閉めと次の停車駅の案内を行っています。
また、この駅でも降車する乗客も見られますが、乗車するほうが多く、車内の混雑度は高くなっているようでした。


マニラの母なる川であるPasig川で、対向列車とすれ違いました。現在はとても汚い川ですが、昔はきれいだったとマニラっ子はよく話しています。


機関室にはマニラ首都圏内の軌道状況と最高速度の一覧表が貼ってありましたが、運転士には既に軌道状況を熟知しているのか、いちいちこの一覧表を見ることはしていませんでした。


Paco駅停車中のところを一旦降りて急いで撮影しました。
奥に見えるのが本来のPaco駅の本屋になるところでしたが、途中まで造りかけたものの野ざらし状態となっており、建設を諦めてしまったようです。


列車が発車したにもかかわらず、横断する人や車も多くいるため、列車との接触事故が絶えません。死亡事故になるケースもよくあり、やはり道路との立体化は必要のようです。


Makatiに通じるBuendia Ave.(Gil Puyat)で、交通量がとても多い幹線道路です。高架前の阪和線の美章園~杉本町のようで、PNRはこれらの幹線道路と立体交差することが望まれます。


おそらく後ろ2両分はホームからはみ出し、先程の幹線道路であるBuendia Ave.までかかってしまっているのではないかと思われます。
以前も説明したかと思いますが、Buendia Ave.のTutuban寄りにホームを設置すれば少しでも交通渋滞は避けられたのかもしれませんが、なぜ、ここにホームを設置してしまったのか今でも疑問が残っています。


時刻は午後1時を過ぎたところでしたので、お腹も減るところですが、この運転士、何も食べていなかったのかビニール袋からメロンパンのようなパンを取り出し、私に「お前も食べるか」と声をかけていただいたのですが、私は「Alabangで食べるからお気遣いなく」と言うとそのパンをおもむろに頬張っていました。メロンパンのようなものを食べている姿を見ると、ちょっとお茶目な一面があるのかもしれません。


EDSA駅に到着です。この駅は別名Magallanesと言われており、多くの人たちはEDSAよりもMagallanesと言っていますが、EDSAと言ってしまうと環状道路のEDSAやMega Mallの近くのEDSAなのか混乱するので、私もMagallanesと言っています。


このあたりが2015年4月29日にレールを盗まれたことにより脱線事故が起こったところです。使っているレールを盗むとどういうことになるかわかるはずなのですが、どうしてそこまで考えないのでしょうか。ちなみに盗んだ犯人は捕まったようです。


この駅はBicutan駅です。このあたりまで来ると圧倒的に降りる人が多いようです。


Bicutanを過ぎると軌道の補修工事が手作業で行われていました。列車はゆっくりしたスピードで通過していきました。


Sucatを過ぎると複線から単線にりますが、既に複線の用地が確保されており、あとは枕木と線路を設置するだけのようですが、以前から用地だけは確保されているものの複線化は実現化されていません。このSucat~Alabang間だけ複線化すると画期的に輸送力増強はできるのですが、複線化は今後の官民連携事業までお預けとなってしまうのでしょうか。


終点Alabangに到着です。11時から15時までは1時間ヘッドの運転のため大勢の乗客が待っていました。また、バスよりも列車のほうが安いので、増発をすれば確実に乗客は増えると思うのですが、増発する上でいろいろと問題があるのかもしれません。


DLを切り離して、一旦、DLをCalamba方面に。そして機回線を通り、再びこの203系に連結されますが、慣れているのかものの5分もかからずに一連の作業が終了してしまいました。


Alabang駅のホームもこの203系の列車に対応すべく3両分のプラットホームが建設中で、おそらくAlabangの隣駅のMuntinlupa~Calamba間で整備されたホーム有効長120mに合わせるのではないかと思われます。


いかがでしたでしょうか。PNR乗務員室添乗レポートはこれにて終了ということで、次回の話題もフィリピン関連でPNRのCaloocan工場かBicutanにあるDOST(科学技術省)施設内の次世代の乗物について簡単にご報告させていただきたいと思います。






RotemのDMUでTutubanへ

2016年03月06日 22時30分53秒 | フィリピン
前回9月のマニラ訪問時の続きで、昨年10月の記事で乗務員室添乗レポートをお届けしますと言っていながら今頃になりますが、昨年9月10日にAlabangから起点のTutubanまでを韓国Rotemの気動車の乗務員室に乗車し、戻りもTutubanからAlabangまでを203系を牽引するDL(ディーゼル機関車)に乗車させていただきましたので、本日はAlabangからTutubanまでの添乗レポートを簡単ながら報告したいと思います。
前日の9月9日早朝、ジャカルタからマニラに到着し、8:45に元関東鉄道のキハ350がマニラからビコール地方の中心都市Nagaへ回送で持って行くということを事前に聞いていたものですから、是非、その列車に乗せてもらい次の日にマニラへ戻って来ようと考えていたものの、投石避けのネットが設置されておらず、Nagaへの回送はキャンセルされてしまいました。
ということで、もう一度、マニラ首都圏だけで良いので乗務員室に添乗したいと思っていましたので、翌日の10日に家内の許可をもらいSta.Rosaの自宅を出発しました。以前であればSta.RosaにはCalambaまでの203系によるCommuterとキハ59こがねによるPremiere trainが運行されていたのですが、現在ではAlabang以南は運行されておらず、Alabangに行かざるをえませんでした。
フィリピンの代表的な公共交通であるジープニーでAlabangに到着すると時刻は10時30分になりかけていましたが、0分、30分の切りの良い発車時刻ということもわかっていましたので、なんとか10:30発の列車に乗車できないかと駅まで走ってみたところ、ちょうど10時30分にホームに到着し、韓国RotemのDMUは発車する直前でした。切符を買わないままPNRの幹部から事前にいただいた許可証を乗務員に見せると、その列車の乗務員室の中に招かれ、添乗させていただくことができました。


列車は私が乗り込んだとたんに発車し、列車は50km/hほどのスピードで快調に走りましたが、以前のようなもう少し早いスピードは出さなくなりました。というのは昨年4月29日に発生したレール盗難により100名ほどが負傷するという脱線事故が発生し、事故前はTutuban~Alabang間約28kmを55分で結んでいたものの、事故後のダイヤでは安全重視の観点からこの間を約1時間30分で結ぶことになり、その後ある程度の安全が確認できたので、この時点で同区間を1時間12分と少々スピードアップしました。
また、前方の乗務員室には車掌も同乗しており、ドアの開け閉めはこの乗務員室のスイッチを使用し、次の停車駅の車内放送の案内も実施されていました。


ビジネスエリアの玄関口であるEDSA(Magallanes)はMakatiへの最寄駅であり、かつMRT3号線の乗換駅であるため、多くの乗客が乗り降りしますが、この駅は珍しく高床ホームが整備されておらず、女性専用車の停車する車両部分のみコンクリート製の階段が設置されています。
また、このDMUは3両編成であり、進行方向先頭車1両は終日女性専用車になっていますが、他のLRTやMRTも同様で進行方向の先頭車寄りの車両は女性専用車になっていますので、マニラで鉄道を利用する際にはこのような感覚を身につけなければなりません。


列車はBuendia(Gil Puyat)を過ぎるとSLEXに接続するSky Wayと言われている高速道路は途切れますが、遠くはPangasinanまで結ぶNLEXと接続するため、南北連結高速道路の建設工事が下の写真のとおり実施されており、マニラの母なるPasig Riverを渡ったあたりから、元々PNRの線路に沿って標準軌用の新線建設用として確保されていた敷地は、PNR軌道の上空も含めてこの高速道路の建設に利用されるようで、PNR南方線の今後の連続立体化と電化計画と整合性が取れるのか疑問であります。


Paco駅のあたりから北側ではスケーターと呼ばれるお手製のトロッコでお客を運ぶ姿をよく見かけるようになりますが、列車が絶えず警笛を鳴らしているため、列車が近づくといとも簡単にそのスケーターを持ち運び、一時的に避難させています。


Sta.Mesaまで来ると、乗車よりも圧倒的に降車が多くなり、列車の中は少しずつ混雑が解消していきます。
線路の奥のほうに見える高架橋はLRT2号線であり、Pureza駅が乗換駅となりますが、マニラにおける鉄道と鉄道の乗換が非常に不便で、駅と駅が近接していない場合が多く、ある程度の距離を歩かされます。LRT駅同士、またはLRT駅とMRT駅の乗換駅であるDoroteo Jose駅とRecto駅、EDSA駅とTaft Ave.駅においてもこの駅間の通路はあるもののある程度距離があり、しかも乗車券の通しでの利用はできず、再び購入する必要があります。


下の写真は通行票のようなもので、フィリピン国鉄ではタブレットのようなものになっていますが、各駅で駅員からこの通行票をもらわなければなりません。
通行票の左下には40KPH PD-SAと書かれていますが、PDとSAは略号でそれぞれPandacanとSta.Mesaを指し、この間の最高速度が40km/hを意味しています。


Españaでもかなりの乗客が降車し、車内はほぼ全員の乗客が座れる程度となりました。
また、この駅名の由来はおそらくフィリピンを最初に植民地支配したスペインのことでありますが、フィリピンの地名やファミリーネーム、ミドルネームの中にはスペイン語から由来するものが多くあり、かつ、タガログ語にないÑ(エニェ)が付く地名があります。ちなみに私の家内のファミリーネームもEsquierdo(左という意味)を名乗っています。


そのEspaña駅のTutuban寄りにはQuiapoとQuezon Cityを結ぶ大きな通りであるEspaña Blvd.が横切ります。
先程の話で南北連結高速道路がPNRの上空に建設される予定ですが、鉄道のほうも将来的には整備され大増発が予測されるのですから、将来的にも鉄道はこのような幹線道路といつまでも平面交差するのは大渋滞の元になりますので、高速道路と連携、もしくは一体的に鉄道も整備されることが望まれるのですが、どのようにして鉄道を立体化するのか気になるところです。


España駅のTutuban寄りには渡り線がありますが、他の駅でもこのような渡り線が所々に設置されており、何かしらの障害発生時に臨機応変に対処するためのものかと思われます。2010年9月まで左側通行でしたが、その後、原則右側通行に変更されています。


LRT1号線の接続駅であるBlumentrittに到着しました。奥に見えるのがLRT1号線のBlumentritt駅で、ここは駅が近接していますので乗り換えが容易です。
2000年12月にLRT1号線のこの駅で爆破事件が発生し、20名以上の方々がお亡くなりになったことは記憶に新しいところです。
また、LRT1号線の高架下には幹線道路のRizal Ave.が通っていますので、必然的にPNRはLRTとこの幹線道路と立体交差することが将来的に望まれるのですが、DOTC(交通通信省)の南北鉄道南方線の計画を見ますとこの南方線が高架でオーバークロスし、グランドレベルから軌道面の高さが23.625mもあり、結構な高さの構造物となるようです。


列車は終点Tutubanに向けて発車すると、方角的には真西に向かっていたところから90度左にカーブし真南へ向かいますが、Caloocan方面に延びる単線の線路がそれとは逆に北に向けてカーブし、やがてTutubanからCaloocan方面へ向けて延びる線路も見え、ここではデルタ線が形成されています。
昨年、PNRの幹部にTutuban~Caloocan間の運転再開について伺ったところ、2015年末には再開すると述べていたと思うのですが、運転が再開されていないところをみると、Tutuban~Malolos間の整備まではやらないのではないかと個人的には感じており、せっかく軌道強化と高床ホームの整備ならびに新駅設置を実施したにもかかわらず、なんともこれらの施設が活かされないのはもったいないような気がします。
下の写真はTutuban方向からCaloocan方面を見たところです。


やがて終点Tutuban駅に近づくと、進行方向右側にTutubanヤードが見えてきます。


ヤード内にはPNRのコーポレートカラーで塗られたブルートレイン色のRotem製のDMUや203系などが留置されており、塗られていない車両は運用に入らない離脱している車両です。


Tutuban駅は行き止まり式のため、あらかじめスピードを落とし、慎重にブレーキを操ります。
203系については機回線が駅構内にないため、一旦、列車丸ごと引き上げなければならず大変ですが、このようなDMUであればそのような面倒くささもなく、かつ安全ですので、本来であれば日本の中古気動車があると助かるのかもしれません。


今回、お世話になった運転士と車掌さんで、この運転士は双子の兄弟がおり、その兄弟もこのPNRで働いているとのことでしたが、現在はその兄弟はサウジアラビアで鉄道の運転士を担っているようです。


最後にTutuban駅本屋の上にあるPNRの事務所に寄り、PNRの方々にご挨拶させていただきましたが、2階の事務所には指令所があり、この女性が各駅からの列車の状況の報告を受け、1本1本の列車の状況や時間を記録しているとのことです。


次回は203系を引くDLに添乗させてもらい、TutubanからAlabangへ行きましたので、そのレポートをお送りしたいと思います。

ソウルメトロ2000系を求めて

2016年03月05日 00時25分54秒 | 韓国
前回の投稿からちょっと間があいてしまいましたが、前回はソウルメトロや韓国鉄道公社で活躍した1000系の話題をお届けし、ソウル探訪の続きということで今回はソウルメトロ2号線で活躍する2000系について少々話題をお届けしたいと思います。
301系もどきの1000系は103系ファンの私としても初めてソウルを訪れた時には非常にインパクトがあり、乗車した時にはドアコックの注意書きや車内のつくりを見るかぎり、まさしくソウル版の103系だと感動していましたが、ソウルの環状線である2号線を走る2000系は顔の表情がまさしく103系の低運にそっくりで、右上に行先表示と左上には運行番号窓の準備工事のような跡があり、前照灯こそ両サイドの下部にあるものの、103系の前照灯の位置には違和感がないような配慮なのか、ソウルメトロのようなロゴが飾られており、この形式も私にとっては衝撃的な車両の1つであります。
しかも塗装は鉄道庁のスカ色の1000系とソウルメトロ1号線の赤とクリームに対比させるためなのかこの2号線は緑とクリーム色で、塗装の色といい、塗り分け方といい、これも私の趣味にピッタしあっているのですが、最近では2007年頃から登場したステンレス製の新2000系が増殖し始め、この103系似の2000系もいずれは消滅してしまうものと思われます。
そこで、この103系似の2000系を再び撮影したいということで、高架ホームから撮影できないかと探していたのですが、2号線はどの駅もホームドアが設置されているようで、まともな撮影はできそうもないようでしたので、漢江を渡るあたりのどこかで撮影できないものかと探しておりましたが、蚕室(チャムシル)から2つ目の駅で漢江を渡った北側に位置する江辺(カンビョン)で降りてみることにしました。駅から線路に沿って歩道が漢江の橋まで続き、その道と線路を仕切る高い柵があるのですが、その柵の上から無理をするとなんとか撮影することはできるようです。
103系似のオリジナルの2000系はいったい何編成が残っているのかわかりませんが、滅多に見ることができないものの1本だけ撮影することができました。


上の写真のように10両編成であるため、編成のお尻まで全部入れるには非常に厳しいところがありますが、ホームでの撮影はほぼ困難でありますので、ここでの撮影は賢明だったのかもしれません。
また、時刻はすでに18時頃でありましたが、韓国は日本の標準時と同じであり、かつ東経135度よりも西側に位置するということで、この季節としては20時近くに日の入りでしたので、18時頃でも明るさをそれほど気にせず撮影ができました。
ステンレス製の新2000系を多く見かけることがありましたが、こちらはそれほど好きではないものの先頭改造の2000系も撮影できました。
やはりオリジナルのほうがカッコイイですね。


小田急9000系似の4号線から転入したずんぐりむっくりの2000系も編成数こそ少ないようですがやって来ました。やはり、私には小田急の9000系はカッコイイと思うものの、このような不細工な車両はなかなか好きになれないようです。


ということで、簡単ではありますが2号線で活躍する2000系を紹介しましたが、今回のソウル探訪では1号線と2号線、それから往十里~水原間を結ぶ盆唐線(ブンダンソン)の撮影で精一杯で、3号線や4号線、1号線に乗り入れる以外のKORAILの電鉄線の撮影はできませんでしたが、次回、ソウルに寄る機会がありましたら新規開業区間の乗り鉄にあわせて、これらの路線で活躍する車両の撮影も楽しみたいと思います。
最後に懐かしい写真ですが、92年頃に社員旅行で訪れた時に仁川まで乗車した際に撮影した鉄道庁の1000系です。