Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

赤羽線での黄緑色+黄色の混色編成

2009年02月25日 19時50分57秒 | 他線区の103系
父の田舎へ行く時に赤羽駅の5番線に止まっている黄色の101系を見たことがありますが、赤羽線にはあまり用事がないせいか、赤羽線の思い出となると黄色の103系ATC車が導入されてからの思い出が残っております。基本的には黄色の103系が大部分を占めていましたが、おおよそ1編成だけは黄緑色が在籍し、埼京線開業時までに黄色と黄緑色の共演がよく見られていました。
昭和58年の8両から10両化に際しては201系量産車が製造されている中、赤羽線10両化名目で103系が製造されることに私もビックリした1人で、当時、国鉄の担当者であった大熊氏の話しの中で、確か”やむを得ない措置”であったと語っていたところが今でも覚えております。果たしてこの最終バージョンの103系がどのようなマイナーチェンジをして製造されるのか楽しみにしておりましたが、ご存知のようにステンレスキセのクーラーに201系のようなランボードと塗屋根、黒のHゴムには新鮮さがあり、古い103系の多い赤羽線では、個人的に若干違和感を感じておりました。

写真は埼京線開業前の昭和60年頃に撮影したもので、先日の続きにはなりますが黄緑色+黄色の混色編成ということで掲載いたしました。黄緑色+黄色の混色編成は今まで紹介しました以外に他の路線であったかどうかはわかりませんが、もしありましたら是非ご報告していただけたらと思います。また、オレンジ色の101系が走ったとこともあるとウィキペディアに書かれていますが、これって本当なのでしょうか。今まで写真でさえも見たこともありませんが、こちらももしご存知でしたら、御教示いただけたらと思います。

鶴見線減便、運転区間見直し

2009年02月23日 17時38分15秒 | 鶴見線
3月の横浜支社のダイヤ改正のパンフレットには横浜線や南武線、東海道線の増発や京浜東北線へのE233系の導入など利用者にとっては嬉しいようなニュースばかり掲載されていますが、下のほうに「その他にも」と書かれているところには必ずしも利用者にとって嬉しくないニュースも掲載されています。それは「鶴見線は、海芝浦駅、大川駅、扇町駅の各支線への直通運転を見直しします。」と書かれています。
来月のダイヤ改正では、データイムを中心に工場地帯である末端区間への乗り入れを減便するというものです。現在の平日のダイヤでは20分間隔で運行され、扇町行きが1時間に2本、海芝浦行きが1時間に1本ですが、これがダイヤ改正後は20分間隔の運行に変更がないものの、扇町行きや海芝浦行きがそれぞれ2時間置きに運行されることになり、扇町行きや海芝浦行き以外の列車は、浜川崎行きもしくは弁天橋行きとなり、工場地帯の区間では山間部を走るローカル線さながらの運行間隔となってしまうことから、これらの工場地帯へ働く方々には不便さを強いられることになります。
確かににデータイムにおいては、乗客があまりおりませんので仕方のない措置かと思いますが、3両編成の車両を走らせるにも過剰なサービスかと思いますので、宇部・小野田線などの線区で行われているように編成両数をフレキシブルに組めるようにすれば、このような末端区間へのサービスも落とさず済んだのではないかと思っております。
以前は大川支線用として活躍していたクモハ12も、その後、鶴見まで顔を出し活躍しておりましたが、浜川崎線用の205系や来年あたりから廃車になると思われる119系などを導入することで、データイム時のサービスも今までどおりのダイヤで可能となると思われますし、ワンマン運転の実施により経営側サイドのコスト削減も見込まれますので、是非フレキシブルに対応できる車両の導入が望まれるところです。今後、日本の高度経済成長を支えた鶴見線の将来がどのようになっていってしまうのか気になるところです。(一部区間が廃止にならないことを祈るばかりです)

上の写真はシングルアーム化されたばかりの205系です。
下の写真は103系が活躍していた頃に撮影したもので、AU712分散型冷房装置を搭載するMc130です。


下の写真は101系時代のもので、Mc162です。行き先のところが色別で示されているところがなつかしいです。青もしくは緑ですと海芝浦行き、オレンジもしくは赤ですと本線系統、黄色は大川行き(101系ではそもそも行先表示があったか、あったとしても黄色であったかは確認しておりません)と区別されていました。なお101系以前の73系時代も行先表示を色別で区別しておりました。

他線区での黄緑色+黄色の混色編成

2009年02月21日 17時14分23秒 | 他線区の103系
先日は南武線においての黄色+黄緑色混色編成の記事と写真を掲載しましたが、この一連に伴う転配により、中央・総武緩行線や武蔵野線でもこのような混色編成が見られ、混色マニアの私としては楽しい時期でありました。
中央・総武緩行線の車両が所属する習志野区においては、池袋区からTc289~292が転入し、玉突きで習志野区のTc113、114、140、141が豊田区に転出し、中央・総武緩行線では先頭車のTcが黄緑色で中間車が黄色、武蔵野線ではその逆でTcが黄色で中間車が黄緑色のパターンの混色編成が登場しました。また、昭和61年3月のダイヤ改正により武蔵野線用の編成は、青梅・五日市線と運用共通化により、青梅・五日市線でも見られるようになりました。
上記の一連の転配以外でも蒲田区よりTc763、780が習志野区に転入し、上記の分と合わせて3本の黄緑色+黄色の混色編成を見ることができました。

なお、武蔵野線の黄色+黄緑色の混色編成は以下のとおりです。
8 Tc113 M411 M'567 M412 M'568 T'c114
19 Tc140 M355 M'511 M356 M'512 T'c141

この他、黄緑色+黄色のパターンの混色編成は山手線、赤羽線で見られましたが、さすがに山手線でのこの混色編成は撮影しておらず、赤羽線のみ撮影しましたので、後日、時間がありましたら公開したいと思っております。

南武線103系黄緑色混色編成登場

2009年02月19日 00時46分01秒 | 南武線
昨夜に引き続き混色編成の話題を1つ提供したいと思います。昨夜と話しが前後してしまいますが、昨夜の3色混色編成が登場する前の昭和61年1月30日(転入日は1月28日)にMzc145-120 T358 T359 M413 M'569 Mzc145-119が中原区に回送されました。転入した103系は池袋区からの車両で、南武線では初めての黄緑色が登場しました。その後転入整備が行われ、これらの黄緑色の中間車が黄色の103系の間に組み込まれ、2月10日の1616デの運用から使用されました。この編成はMc11 M'84 T358 M413 M'569 T'c515です。(T359は予備になる)
続いて2月27日(転入日は2月26日)にもMzc145-119 T338 T339 M357 M'513 Mzc145-120が中原区に回送され、転入整備後、Mc59 M'160 T338 M357 M'513 T'c513に組成され、営業に入りました。(営業開始日は3月?日)また、T339も中間に入っていたT'c608を差し替え、Mc53 M'152 T339 M165 M'310 T'c528に組成しました。結局、この黄色+黄緑色の混色編成は3編成登場し、昭和62年6月の一斉色替時期まで見ることができました。南武線以外でもこの黄色+黄緑色の混色編成は、パターンは違いますが武蔵野線や青梅・五日市線、中央・総武緩行線でも見ることができ、混色好きなものにとっては面白い時期でもありました。
上の写真は久地で撮影したもので、T'c515の編成です。

下の写真はT'c515の編成で転入整備が終わり、編成替えが終了したところです。(営業前のもの)

下の写真は2月27日に回送されたシーンを撮影したものです。

南武線103系3色混色編成

2009年02月17日 19時07分20秒 | 南武線
JABOTABEKの話題もまだお伝えできていないところもありますが、本日から少しずつ南武線の過去の話しにも触れていきたいと思います。以前、103系の混色編成ということで、黄色+オレンジやオレンジ+黄色+エメラルドの混色編成をお伝えしましたが、本日は別のパターンの混色編成の話題をお伝えしたいと思います。
南武線において3色混色編成は101系では見られませんでしたが、上記にも記述したようにオレンジ+黄色+エメラルドの3色混色編成と黄色+黄緑色+エメラルドの3色混色編成が見られました。この黄色+黄緑色+エメラルドの編成については、昭和61年6月から9月までの約3ヶ月間組成されました。
組成された編成はMc55 M'154 T359
M321 M'477 T'c510で、昭和61年6月12日、1736デの運用から使用開始されました。黄色のMc55 M'154 T'c510は昭和57年度に豊田区から転入した車両であり、黄緑色のT359は昭和61年1月に池袋区からの転入によるもので、また、エメラルドの
M321 M'477については昭和61年6月に松戸区から転入によるもので、これらの車両がたまたま組成されたことにより、3色混色編成が実現されました。
この頃は103系の先頭車が余り気味でしたので、上記のような中間車を中原区に転入させると同時に、中原区のMc121 M'260 T'c608を豊田区に転出させ、できるだけ車両を有効的に使用できるように転配が行われていた時期でもありました。松戸区から転入したエメラルド2両の他に同日付でT311も中原区に転入したのですが、このT311だけは中原区の所属のまま9月まで豊田区に貸し出されました。その後T311は中原区に配置され、10月に入る前に黄緑色の
T359と差し替えを行い、3色混色編成が解消されると同時に黄色+エメラルドの2色混色編成が昭和62年6月まで見られました。
この頃の思い出としては、この編成以外にも103系3編成が黄色+黄緑色の混色編成であり、「南武線」と書かれた黄色のステッカーが車体中央窓上に貼れ、誤乗防止を図っていました。また、103系の魅力である混色編成が多く、他線区でも多く見られた時期でもあり、私なりには非常に楽しい時期でもありました。もちろん今ではこのような混色編成が見られず寂しい心境です。

川重から搬入時の209系ナハ1編成

2009年02月16日 21時58分24秒 | 南武線
最近、南武線209系の話題を提供しておりますが、本日も引き続き若干その話題を提供したいと思います。最初の205系の搬入時においても品川駅に行ってその様子を撮影しましたが、209系についても同じように平成5年2月に品川駅まで見に行きました。南武線上では決して表示することのない種別表示「快速」を掲げ、私なりには鮮烈な印象を受けました。この1編成が投入されたあと中原区の103系も209系によって置き換えられてしまうのではと危惧しておりましたが、結局209系が大量に投入されることなく、平成9年の増発用の1編成の増備のみとなり、現在も2編成にとどまっております。
話しは変わりますが、南武線の車両にも動きが出るのではないかという巷の噂もあり、昨日、桐生まで行って参りました。両毛線桐生駅の近くに下新田信号所があるのですが、ここに留置されているのが京浜東北線で活躍したウラ24編成6両が留置され、以前、留置されていたウラ22編成とともに中原区へ配属されるというような予測もありますので、その車両が配置される前の様子を撮影したいということで、朝5時過ぎに自宅を出発し、東武伊勢崎線などを乗り継いで午前9時過ぎには到着しました。この編成は東急車両で製造された車両ですが、近場で良く見ると外板がペコペコ状態であり、あと10年使うとなると更新工事を行わないと持たないのでないかと思っております。このウラ24編成やウラ22編成が果たして南武色の帯を纏い出場するのか注目されるところです。写真は検査直後のピカピカ状態の115系とウラ24編成です。

南武線米タンの運用につくEF65-1000番台

2009年02月12日 22時11分56秒 | 南武線
昨日11日は米タンが運行されず、12日は運行されるのではないかと思い、昼間に少しばかりか南武線ウォッチングに出かけました。最近どうもEH200ブルーサンダーが運用についていない代わりに、EF65-1000番台が運用についているとのことで、あまり釜にそれほど興味のない私でも一応南武線ファンとして何が来るのか興味津々でした。光線状態も良い私の故郷、鹿島田駅で待ち構えていると明らかにEF65-1000番台の姿が見え、タンク車15両を引き連れてゆっくりしたスピードで通過していきました。
また、209系ナハ1編成の今日の運用は、1日運用の15F運用についておりましたので、ついでに撮影してしまおうと考えておりましたが、平日のデータイムにおいては、鹿島田駅がちょうど上下線がすれ違う場所ということもあり、平間駅に移動し昨日に続きゲットしました。
話しが飛びますが、中原電車区を覗いて見ると田町から特急色のH61編成が留置されておりました。何のために留置されていたのかはわかりません。

去就が注目される209系ナハ1編成(seri 209)

2009年02月11日 22時50分27秒 | 南武線
先週に引き続き、先程も時間が取れましたので、南武線ウォッチングに出かけて参りました。昨日、11日は去就が注目される209系ナハ1編成を中心に追っかけることにしました。
京浜東北線の209系は初期に製造された車両を中心に当線区から離脱し、これらの車両を訓練車等への改造や主に房総地区へ投入するようですが、南武線に2編成配属されているうちのナハ1編成(Tc13~)のほうは廃車されるのではという巷の噂もあり、後悔しないためにも今のうちに撮影でもということになりました。
考えてみればこのナハ1編成も平成5年2月に新製投入され、平成5年5月号の鉄道ファンの表紙でも飾ったように華々しいデビューでしたが、既に早いもので15年が経過しております。川崎重工製のためか外板もペコペコ状態であり、平成9年2月に新製投入された東急車両製のナハ32に比べて、くたびれた感じは否めないようです。京浜東北線で使用された209系の一部をこの南武線に転入させ、ナハ1編成を置き換えるのではとのことですが、先日、ウラ22編成が東京総合車両センターに入場したとのこで、この編成が南武線の3色の帯の色を纏い、ナハ1編成の置換用になるのか注目されます。

昨日は1日運用である27F運用についていることもわかっておりましたので、まずは形式写真からということで、スクーターを武蔵中原駅に置いて、電車に乗込むと府中本町へと向いました。府中本町では武蔵野線のホームから橋上駅舎の影に隠れない川崎方3両が撮影できるのですが、武蔵野線の発車待ちや列車の入線もなく、難なく撮影することができました。ところでこの駅の臨時改札口付近では、府中本町駅の昔の写真が飾られております。当駅の開業が80周年を迎えたためこのような写真展示が行われておりますが、一部の写真は臨時改札口外側にも展示されておりますので、この改札口の使用される土曜・日曜日でないと全部の写真をみることができません。写真の方は見応えのあるものばかりであり、南武線ファンにとっては必見かと思いますが、展示会も当分行われているようですので、興味のある方は是非足を運んでいただければと思います。

このあとは矢向に留置されている車両の撮影と209系ナハ1編成の撮影を行うべく矢向へと向いました。日中においては電留線の1番と2番(1両半分川崎寄りに)に留置され、撮影しやすいので非常に助かっております。強いて言えば4・5両目も撮影できると良いのですが、立川行きホームの1番線から狙うと背丈の高い枯れ草が邪魔になってしまいます。ちなみに本日はナハ36と7編成が留置されており、ありがたいことに行先表示が両編成ともに「川崎」となっておりました。(よく「回送」となっている場合が多いです)
しばらく待っていると先程撮影しましたナハ1編成が現れ、上りホーム側と駅本屋を結ぶ跨線橋の上から撮影しましたが、沿線駅周辺の超高層マンションやインテリジェントビルの建設が今もなお進行中のようで、2007年8月に掲載しました同じ場所から撮影した103系と209系のツーショットと比べても、このような超高層のビルの建設が進んでいるということがよ~くわかります。特に武蔵小杉周辺では超高層マンションの建設ラッシュとあって、南武線の車窓からはこのような超高層マンションの林立が目立つようになりました。やはり横須賀線の武蔵小杉駅新設や交通の要所ということもあり人気が高いようですが、駅南側に以前ありましたフロムや変電所跡にも超高層マンションが建設されるようです。昼飯がてらちょっと武蔵小杉駅に降りてみたのですが、このように住居系の建物ばかりで商業系の施設が少なく、溝の口のような活気ある街づくりが展開されておりません。

このあとはいろいろな場所で撮影したのち、最後は矢野口駅へと向い、鶴川街道にかかる見事なアーチ橋とナハ1編成を絡めての撮影で今日の最後を締めくくりました。このアーチ橋は鶴川街道から見るともっと見事な姿なのですが、南武線が実際8両化される場合については、ホームが川崎寄りに延伸できる構造となっておりますので、ホームが当然このアーチ橋部分にもおよび、構造物には影響が全くないもののホームの屋根がこの橋にも設置されると思われますので、見事なアーチ橋も8両化時にはあまり良い姿になっていないかもしれません。

本日の南武線ウォッチングの話しは長くなってしまいましたが、今後、南武線の209系や205系にどのような展開があるのか予測できませんので、できるだけ足を運びたいと思っております。

最後に1つ報告ですが、実はこの南武線ウォッチングのあと千鳥町埠頭へと行ってみたのですが、例の8613Fの姿が見えず、5日から10日の間に出港されたと予測され、おそらくジャカルタには来週もしくは再来週に到着すると予測されます。
Saya pergi ke pelabuhan Kawasaki kemarin. Rangkaian 8613F sudah berangkat ke Jakarta. Jadi mungkin rangkaian 8613F akan datang ke Tanjung Priok minggu depan atau 2 minggu yang akan datang.

着々と進められている稲城市内連立事業

2009年02月07日 00時23分47秒 | 南武線
4日に引き続き、6日午前もちょっと時間が取れましたので、稲田堤~府中本町で進められている連続立体交差事業の工事の様子を見て参りました。昨年の6月末に第二期区間において、上り線が仮線にふられてから、ゆっくりしたスピードで工事が進められておりますが、現在は下り線を仮線に移設するための工事と旧上り線上に高架構造物の基礎工事が進められております。稲城長沼駅周辺や南多摩駅付近ではこの高架構造物の柱が現れており、今後も少しずつこのような柱が増えていくものと思われます。来月3月のダイヤ改正後も稲城長沼始発が従来どおり設定され、稲城長沼駅立川方にある電留線も使用される予定です。下り線を仮線に移設する工事については、今年秋(9月頃)を予定しており、大掛かりな工事となりますが、前回の上り線を仮線に移設した時と同様に登戸~矢野口と府中本町~立川の区間運転が見られるのでしょうか。もしこのような運転が再度見られるのでしたら、再び完全密着レポートを実行したいと思っております。
稲城市の話しでは予定どおり平成22年度高架化完成を目指しておりますが、工事のほうは若干遅れ気味とのことで、目標年度までに本当に完成するかどうかはわかりませんとのことです。

また、以前にも記述しましたが、川崎~武蔵小杉で連続立体交差事業の調査費が来年度も見込まれるようです。建設新聞では地下化も検討という記事が掲載されておりましたが、今のところ地下にするのか高架にするのか絞りきれていない状況です。以前の川崎市のマスタープランでは矢向駅北側の横浜市界(塚越踏切南側)から高架にするような形になっておりますが、横浜市側も一体となって連立を考えていくとのことで、果たして本当に横浜市と連携をとりながら進められるのかわかりません。武蔵小杉以南の連立についてはここ数年で本格的に動くものではないと予測されますし、完成までに少なくとも10年でおおよそ20年程度の時間がかかるものと思われますので、私の人生が終わらないうちに完成の日の目を是非見てみたいものです。

鶴見線用205系T12編成、シングルアーム化

2009年02月05日 18時27分47秒 | 鶴見線
昨日ちょっと時間が取れましたので、久々に南武線ウォッチングに出かけました。愛用のスクーターでまずは中原電車区に向ってみると、中原区のクモヤ145がミュージックホーンを鳴らし、区内で何やら入換えを行っておりました。しばらく見ていると区内に留置されたいた鶴見線用205系T12編成がこのクモヤに連結され、一旦レストラン夢庵側に引き上げ、その後は検修庫(以前、台検を行っていた所)に取り込まれ、私も場所を変えてその様子を眺めておりました。しばらくすると何人かの作業員が屋根の上でパンタのあたりをいじっているようで、20分ほどで従来のパンタグラフがクレーンによって降ろされ、代わりに今流行りのシングルアームのパンタが吊り上げられ装着されました。僅か1時間ほどの作業のようで簡単に換装が行われたのですが、JR東日本の205系では相模線用の205系や鶴見線用の205系に普及しつつありますので、残りの鶴見線用205系もすぐにシングルアームへ急速に変更されるのではないかと思われます。また、南武線本線用の205系にはいまだシングルアームの車両は登場しておりませんが、こちらの動向も気になるところです。

南武線ウォッチングのあとは、川崎、千鳥町の埠頭へとスクーターを走らせました。埠頭へ到着すると既にジャカルタへ向けて出発していたと思っておりました東急8613Fがいまだに留置されており、船に積み込むような様子も見られませんでした。いったいいつ出発するのか気になりますが、時間がありましたら、再び確認に参りたいと思っております。ちなみにミャンマーへ向うと思われる車両も留置されておりました。また、なぜか相鉄の中間車2両の姿も見られました。

ところで、先程鶴見線205系の話題を述べましたが、3月のダイヤ改正で鶴見線は日中を中心に大幅減便されるようです。各JRの駅にあるダイヤ改正のパンフレットには鶴見線のダイヤについてはいっさい書かれておりません。利用者にとってデメリットのような記事については記述しないや言葉を濁すような表現をするのがJRのやり方で、現在の政治家のようにも思えます。

Saya pergi ke pelabuhan Kawasaki kemarin. Rangkaian Tokyu 8613 masih berada di Kawasaki. Saya tidak tahu kapan berangkat rangkaian itu.