Asian Railway Plaza

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南武線、矢向〜武蔵小杉間連続立体交差事業の概要について

2023年04月03日 15時46分12秒 | 南武線
毎度のことながらいつもは車両のことばかりでしたので、本日は南武線の矢向〜武蔵小杉間で計画されている連続立体交差事業について、簡単にお話しさせていただきたいと思います。

以前もお話ししたかもしれませんが、幼少から少年時代の1968年から1983年まで鹿島田に住んでおりまして、1975年頃から朝のラッシュ時の南武線は3分間隔で運行され、沿線の各踏切ではまさしく”開かずの踏切”となり、踏切が開くのは1時間のうちたった10分少々と南武線の反対側の地区に行くには大変なものであり、主要道路や駅前の通りは長い渋滞を引き起こしていました。
私自身は線路の東側に住んでおり、同じく線路の東側にある小学校や中学校に通っていましたので、生活上、南武線の踏切で苦労することはほとんどありませんでしたが、時々、母親といっしょに買い物へ行く時には線路の西側にある商店街に行く時もあり、夕方は踏切で列車を2〜3本も待たされることもざらで、当時、少年ながらもなんとか解決できないものかと考えることもありました。
しかしながら、当時から南武線好きな私としては踏切で待たされ、何本も通過する列車を眺めることができるのも面白いと感じつつ、小学校の絵画コンクールでも、確か「将来の我が街」というタイトルのもと何でも書いてもよいとのことで、鹿島田駅が高架化された姿を書いてみたところ、私の書いた絵が絵画コンクール出展に選ばれるところまで行ったのですが、もう1人が書いた絵が若干優秀であったためか私の絵は落選してしまいました。
まあ、そのようなことはどうでもいいのですが、昔から平面を走る南武線の尻手〜武蔵小杉間だけでも早期に連続立体化事業を実施し、安全な街づくりができないものかといつも考えていたところ、私が高校生の頃に武蔵小杉〜第三京浜間約3.9kmの連続立体交差事業の工事が開始され、工事は仮線方式と一部は直上高架方式によるため沿線の風景がみるみるうちに変わっていき、205系が投入されるほんの少し前の1988年11月に下り線が高架に切り替えられました。私が生きている中では南武線で初めて高架化された姿を見ることができたのですが、列車が高架線を静かに走り、車窓から見える景色が一変し、富士山や丹沢山地を目の前に見えた感動は忘れられません。

またまた話しが本題に進みませんのでいい加減にここで戻しますと、南武線の連続立体交差事業についてはある程度関心を持っており、今回ご説明します矢向(尻手)〜武蔵小杉間の連続立体交差については川崎市の都市計画マスタープランでも十数年前からも優先度の高い事業とされていたのですが、京急大師線の東門前〜小島新田間の連続立体交差事業が実施されていることもあり、当該区間の事業化にはなかなか進みませんでした。
事業費の圧縮が求められる中、今まで日本の全国各地で実施されている連続立体交差事業の中ではあまり例がない「別線高架工法」により当該区間の事業が計画されていますが、今年2月に実施された住民説明会とオープンハウス型の説明会に参加させていただき、その資料による概要については以下のとおりになります。


事業区間 矢向〜武蔵小杉間約4.5km
除去踏切数 9箇所(塚越、鹿島田、川崎堀、平間、平間駅前、中丸子第1、中丸子第2、中丸子第3、向河原駅前)
対象駅 鹿島田駅(相対式ホーム)、平間駅(島式ホーム)、向河原駅(相対式ホーム)
変電所移設 向河原変電所
設計最高速度 110km/h
工法 別線高架工法
総事業費 1387億円

工法については別線高架工法によりますので、計画線は現在線よりも約5m西側に移ります。(駅舎付近を除く)
当初、横浜市市域部分の矢向駅周辺の約1.0kmを含めて連続立体交差事業が計画されていましたが、横浜市では現在相鉄線の鶴ヶ峰駅周辺の連続立体交差事業を進めており、それ以外に連続立体交差事業を実施すべく箇所は相鉄本線瀬谷駅周辺、東急東横線白楽駅〜妙蓮寺駅周辺、京急本線鶴見市場駅付近があり、横浜市矢向駅周辺については優先度を考慮すると事業化するにはまだまだ先なのかもしれません。

 
縦断図については以下のとおりで、平間駅付近は他の区間に比べグランドレベルから若干高く、軌道面の高さはGLから約9mあります。
当該事業では横浜市市域部分は対象ではないものの、今後において横浜市市域においても連続立体交差事業が実施された場合は当該事業と対応できるような構造になる予定です。


続いて各駅の構造を見ますと以下のとおりです。

まずは鹿島田駅ですが、ホームは相対式ホームで、軌道面はGLから約6mで、おそらく稲城市で実施された南武線の連続立体交差事業の構造物とおおよそ同じくらいの高さではないでしょうか。
また、ペデストリアンデッキが当該工法では支障となるため、今後は取り扱いが問題となるようですが詳細な具体策については今のところ示されていません。

ホームの長さは各駅約130mであり、有効長は6両編成分となりますが、将来の長編成化(8両化?)を考慮した構造物になる予定です。
また、ホームドア(スクリーンドア?)はもちろん整備される予定で、現在線や工事期間中においても当該事業の対象駅にホームドアの設置や使用が予定されています。
その他、計画線の中心線は上りホーム分の幅である約6m西側に位置するため、現在線では駅付近はまっすぐな直線ですが、緩やかに西側にカーブすることになります。


続いて平間駅ですが、ホームは島式ホームで、軌道面はGLから約9mで、鹿島田駅や向河原駅よりも高く、見通しは良いかもしれません。
また、相対式では島式よりも幅が広くなり、事業費も膨らむため島式のほうが最適と判断されたのではないでしょうか。(直上高架式ですと事業費がより増大するものと推測されます)


平間駅においてもホーム有効長は約130mが予定され、階段、エスカレーター、エレベーターはほぼホーム中央部に設置される予定です。


最後に向河原駅ですが、ホームは相対式ホームで、軌道面はGLから約7mで、鹿島田駅よりも若干高くなるようです。
また、屋根は丸みの形状となっていますが、あくまでも計画図ですので、変更もありえるのかもしれません。


向河原駅においてもホーム有効長は約130mが予定されていますが、川崎方の上下線ホームは狭くなっています。


当該事業の概略については以上のとおりですが、事業スケジュールについては以下のとおりです。
2023年度末 都市計画決定(数ヶ月後に事業認可)
2024年度  向河原変電所移設工事開始、用地取得
2029年度  下り線高架化工事開始
2033年度  下り線高架化予定、上り線高架化工事開始
2039年度  上り線高架化予定

工事開始から上り線が高架化されるまでの期間は、おおよそ15年の長い月日を要し、私は赤いちゃんちゃんこを着る年齢に近づいて来ているのですが、あと15年というと70いくつの年齢になり、そこまで生きていられるのか自信がありませんが、せめて下り線の高架化までには生きたいもので、幼少の頃から夢見ていた鹿島田駅付近の高架化を味わいたいものです。
鹿島田駅のホームからどのような風景が見れるのか、塚越踏切から向河原駅前踏切の先までの区間において車窓から見れる風景は富士山や丹沢山地、武蔵小杉のタワマンなど見れるのか楽しみですが、まずは夢を実現するためには健康に気をつけなければなりませんね。



南武線103系3色混色編成の思い出

2023年04月02日 14時08分28秒 | 南武線
ご無沙汰しております。
今日は4月2日ということで、昨日はウソをついてもよい日でありましたが、今日はウソをつけない日ということで、ウソ電ではなく本物の写真を掲載させていただきます。
このブログでも何回か話題を提供させていただきましたが、今から約40年前の今日の1984年(昭和59年)に南武線では初の3色混色編成が営業し、現在では考えられない見事な混色編成を見ることができました。

順を追って説明しますと、1984年3月6日付けで、松戸から非冷房のエメグリM319 M'475が南武線の車庫である中原に転入し、余り気味であったオレンジサハ2両のT210を松戸へ、T211を豊田へ転出させました。


上記の車両の転入前に中原と松戸の検修の方々からこの転配については聞いており、南武線に初の非冷房103系とエメグリ塗装が転入するということで大変期待していましたが、松戸からの車両の転入後すぐに転入整備が実施され、車体側面隅の所属表記が「西ナハ」に書き換えられ、南武線の仲間として認められたような感覚で、南武線デビューを楽しみにしておりました。
その後、中原の検修の方から「早速、3色混色で使用するから楽しみにね!」という言葉をお聞きし、デビューを待ち望んでいたところ、確か台検の差し替えで使用することになり、以下の組成で3色混色編成でデビューしました。


デビューは4月2日の1637デからで、4月9日の843デまでまず使用されましたが、4月2日に乗務した乗務員から「これじゃ、まったく信号機だね!」なんて言う冗談も聞かれ、当然、乗客からもこの珍しい3色混色編成に相当驚いていた人もいらっしゃいましたが、私もこの3色混色編成のエメグリ電動車に乗車し、窓を全開にしてモーター音などや乗客の反応を楽しんでいました。


その後においても主に台検時の差し替えで使用されることがあり、少なくとも上記の編成表のとおりの組成で活躍し、南武線ではこのエメグリ車両を含む見事な混色劇場が展開されました。
夏場の冷房使用時期においては冷房電源がありませんので、時より車掌からのアナウンスで「立川方の1両は冷房車でございますが、冷房は使用できませんので川崎方3両の車両をご利用ください」などの案内がされていました。


9月には全般検査で入場するとともに東急車両で冷房改造が実施されましたが、11月に当時の南武線では見られなかったステンレスキセのAU75Eの冷房装置を付けた姿と南武線本来の塗装色であるカナリアで出場しました。
出場後の12月3日1750デから上記の編成表の組成で使用され、早速その姿を見たくて冷房改造後の様子をうかがいましたが、客室内の塗装が綺麗ではなかったのは印象的でした。

以上、混色・異色好きな者にとっては良い思い出でしたが、また、時間がありましたら101系や103系の醍醐味である混色・異色のエピソードなどについてお話ししたいと思います。

南武線205系投入時を振り返る

2023年02月06日 12時08分30秒 | 南武線
昨日は2月5日ということで、語呂から205系の日になりますが、南武線に投入された205系のことについて投入当時を振り返ってみたいと思います。
国鉄当時、車両の墓場とまで揶揄された南武線には都心部の路線で活躍した101系や103系のお古の車両が都落ちして南武線で活躍していましたが、時代は国鉄からJRへと、また、昭和から平成へと時代が変わり、今まで新車の恩恵を受けていなかった南武線に対して新車が投入されることは新鮮でした。

南武線に投入された205系は最初の第1陣が平成直後の1989年春頃に3本、第2陣が1989年秋頃に4本、第3陣が1990年秋頃に9本投入され、その後Tc103〜の編成が1993年に三鷹に転出し、南武線の生え抜き編成としては15本(その後の晩年時の武蔵野線転出分を除く)が活躍しました。

下の写真は山手線の試作車編成1本4両編成を借りて乗務員訓練が実施されていました。登戸駅での折返時間を使って乗務員が南武線の各駅の行先表示をサービスのためか見せていただきました。


下の写真は中野島〜稲田堤間を走る山手線試作車編成4両編成です。3月のダイヤ改正時から線内の最高速度85km/hから95km/hに引き上げし、川崎〜立川間で3〜4分の所要時間の短縮を実施することになり、乗務員さんの運転技術は相当問われたのかもしれません。特に101系や103系はダイヤ改正後は各駅間で90km/h近くまで加速し、ギリギリのタイミングでブレーキをかけていました。


2月中旬になると南武線用の205系1本6両編成が川重で落成し、2月13日に品川〜茅ケ崎間で公式試運転が実施されたのち、翌14日に中原電車区に回着しました。
ということで、南武線初の205系を一目見たくて、車庫へお邪魔させていただき、撮影させていただいたのが下の写真で、205系の横に並ぶのは103系のMc11という特徴的な車両でした。


ダイヤ改正前(205系デビュー前)までの動きは主に以下のとおりです。
205系投入前は山手から試作車編成4両を借りて、区内での講習(1988年12月5日〜12月12日までで、Tc3 MM'7 T'c7)、その後線内で試運転(1989年1月12日〜1月18日までで、Tc1 MM'3 T'c1、試運転自体は13日〜17日に武蔵中原〜稲城長沼間で)が実施され、南武線用の最初の205系1本が落成後は試運転(1989年2月17日、18日、20日、21日に武蔵中原〜稲城長沼間で)と性能試験(1989年2月27日に川崎〜立川間で)、試乗会(1989年3月5日に川崎〜稲城長沼間で)が実施されました。

1989年3月11日にダイヤ改正が実施され、南武線では205系3本の使用が開始されました。デビュー時の3月11日は205系3本とも終日運用に充当され、Tc86〜(編成番号27)は513デから、Tc87〜(編成番号28)は621デから、Tc88〜(編成番号29)は615デから使用開始されました。


この他、この当時、武蔵小杉〜第三京浜間で連続立体交差事業が展開されていましたが、1990年12月20日に上り線が高架線に切り替わり、高架化を祝してヘッドマークが205系に取り付けられました。


以上が南武線205系投入時の出来事になりますが、既にあの時代から30年ちょっとが経過し、その後も205系は南武線の顔とも言うべき形式となり数々の思い出が残っていますので、時間のある時に205系に関係する写真をお見せするとともに語っていきたいと思います。

南武線103系高運(ATC車)登場

2023年01月30日 19時37分26秒 | 南武線
以前もこの103系高運(ATC)の写真を当ブログで紹介させていただきましたが、私が幼少の頃から憧れの車両であった103系高運が蒲田(元横浜線)から地元の南武線に転入するということを中原の検修の方から聞きまして、とても嬉しくて堪らなくなり、検修の方にお願いさせていただき撮影させていただきました。
この時代は昭和から平成になった時代で、何かと自粛ムードが広がる中でしたが、ちょうど横浜線用に205系を投入し、蒲田区の103系2本を中原区に転出したのですが、1本目のTc717 M641 M'797 M445 M'601 T'c774は、1988年12月に中原区の籍になったものの直接習志野区へ貸出し、2本目のTc745 M372 M'528 M573 M'729 T'c442が翌年1989年1月23日と28日に分けて中原区に転入しました。当時、南武線には低運しかありませんでしたが、ステンレス帯を入れたことで顔が引き締まった高運は目立つ存在で、その後のATS-P型設置により全て高運ATC車に統一され、2004年12月の最後の営業までこの顔の103系が活躍しました。


写真はTc745を先頭とする車両で、車内のいたるところはSUS化(M749 M'2006もSUS化)され、運転台のスピードメーターはATC仕様であり、南武線では見られない姿に感動していましたが、転入整備が既に終わってしまったのか、方向幕指示器は南武線(103系)に取り替えられており、横浜線の幕は見ることができませんでした。カナリア塗装で「快速八王子」など横浜線の幕でも見たいところでしたが、南武線の基本である「川崎」だけでも感動もので、しばらくその姿に惚れ込んでしまい余韻に浸ったりして、同行していただいた検修の方のお仕事に邪魔をしてしまいました。


なお、初の高運の営業運転開始は1989年2月7日の1700デから使用され、編成番号は14番(その後44番)が取り付けられました。一方、習志野区へ貸出したTc717の編成は1989年7月に中原区へ返却され、7月27日から編成番号15番(その後45番)で使用開始されました。



南武線E233系投入から約8年経過

2023年01月02日 19時46分14秒 | 南武線
私は昭和のオヤジですので、どうしても世代的には103系や205系世代であり、103系は好きでもE233系は好きになれませんが、カッコいい形式かと言うと確かにそうなのかもしれません。
2014年10月4日の914Fから使用開始され、103系と同様にデビュー時から乗車しましたが、投入開始から約8年が経過し、完全に南武線の顔として活躍していますが、今後はどのような動きがあるのでしょうか。
現在、南武線の各駅ではホームドアの設置工事が実施されており、数年後にはワンマン化されるということも考えられ、また、ここ3年あまりのコロナ感染により輸送需要が最盛期よりも減少しているものの、川崎市南部地域を中心に2030年頃まで人口が微増し、今後においては多少輸送需要が増加し、ラッシュ時においてはさらなる増発や場合によっては列車の編成両数を現在の6両から7両もしくは8両化というのも必要になってくるのかもしれません。
長編成化については大規模な設備投資が必要になってきますので、鉄道会社側としても予測をもとに慎重な判断が求められ、自治体側に対しても協力が要請されるものと思いますが、今後、長編成化という計画が示されるのか、その場合、新造する車両は単なるサハなのか東急等で導入しているようなQシート的な車両を導入することになるのか夢が広がります。


考えてもキリがありませんので、E233系導入時のことを振り返ってみると2014年8月7日にE233系第1編成のN1が中原に到着し、その後は線内で試運転が実施されたのち、9月28日は登戸駅中線でそのN1編成の展示会が実施されました。
展示会にあわせてE233系や205系等のグッズ、記念弁当等が販売されるとあって、南武線ファンの私も電車の動き出す前の朝4時頃にスクーターで行ってみたのですが、強者の約10人程が徹夜で並んでいたものの、お望みのグッズは簡単に購入することができました。


そして、待望のE233系運用開始は10月4日の914Fからで、現在、このような時間に出庫する列車はなくなってしまいましたが、この当時はデビューには相応しい運用がありました。
また、この日の朝は南武線の主要駅でE233系デビュー記念入場券が発売されるということで、各駅の販売枚数が100〜300枚とかなり少なく、1人1セットに限定され、各駅で台紙の色が黄色、オレンジ、茶色と異なり、3種類をゲットしたいところでしたが、実際には黄色の台紙の武蔵小杉でしか購入できませんでした。


武蔵小杉での記念入場券をゲットしたあとは、E233系デビューの出発式と乗車を楽しむため、武蔵中原に来てみると上の写真のようなポスター等が貼られ、利用者にアピールされていました。

上りホーム川崎方は関係者以外立ち入りができませんので、マニアたちは下りホームからご覧のように撮影することができましたが、横浜支社のマスコットであるハマの電ちゃんも参加され、今だったら武蔵中原駅のマスコットである「ムナマズ」も参加していたのかもしれません。また、南武線利用者にはこの他に周知されるようになった川崎運輸区のマスコットである「カワッサー」、鎌倉車両センター中原支所の「ナハニャン」、登戸駅の「ノトちゃん」等も着ぐるみが登場すると子供さんたちを中心にもっと愛着のある路線になるのかもしれません。


2014年8月のE233系N1編成の投入開始から2015年末まで35本が投入され、2016年1月9日には205系としては最後まで残っていたナハ46のありがとう運転が実施されたものの、209系ナハ53が引き続き使用されていました。
しかしながら、このナハ53は翌年2月9日の運用を最後に静かに引退し、房総地区のサイクルトレインとしてB.B.BASEに改造されるとともに、豊田のトタ青670編成を改造した8500番台が転入し、南武線のE233系化が完了しました。


ナハ53は幕張車両センターへ回送され、マリJ1編成の編成札を付けサイクルトレインに改造され、シーズン中の週末を中心にB.B.BASE内房やB.B.BASE外房等、房総各線のサイクルトレインとして新たな活躍を見せています。