Asian Railway Plaza

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南武線の車両を追い求めてジャカルタへ

2017年04月09日 10時31分05秒 | インドネシア
またまた、大変ご無沙汰しております。
報告が大変遅くなりましたが、先日のブログでも述べましたように2月26日〜3月5日の約1週間、マニラとジャカルタに行って来ました。
フィリピン航空の航空券代が前回訪れた昨年5月と同じ4万円ちょっとと全部込みで東京〜マニラ間に比べてなぜか安く、家内の許可の元にジャカルタまで足を延ばし、ジャカルタで活躍する元南武線の205系やCikaumに葬られた103系を求めて、撮影に行って参りました。

今回は元南武線の205系を中心に活躍ぶりを簡単に報告したいと思いますが、ジャカルタ滞在は2月27日〜3月2日の午前にかけてということで3日半の時間を費やしたのですが、結果的にCikaumの103系の撮影も含めても3日半は短く感じており、あっという間のジャカルタ滞在でありました。
今回の訪問においても前回と同様に宿はJakarta Kota駅の近くに滞在しましたが、205系を追っかける上では中央線(Jakarta Kota〜Manggarai間)には205系が多く運用されており、9割程度が205系なのですが、朝夕のラッシュ時を中心にKota駅の9番線〜12番線をフルに使い、205系たちが並んでいる姿を頻繁に見かけることができました。
また、「JABODETABEK COMMUTERS NEWS」の管理人であるパクアン急行様のご報告のとおり、最近、車体前面の南武色の帯がKCJ色へと変更されつつあるという話題が提供され、私も最後に南武線の名残である南武色の姿を残すため、ジャカルタまで来てみたのですが、初日の26日の朝にKota駅に入場してすぐに南武色の205系の並びを拝むことができました。
南武色が少なりつつあるこのような時期に、いきなり並びを見れるのは感激ですが、譲渡時において南武色を新たに貼付けているせいか、中原区時代よりも南武色が輝いて見えます。
左の車両が元ナハH41であり、右が元ナハH3でありますが、元ナハH41のほうは編成札が緑地に白文字でBUD25に変更されており、中原区時代を彷彿するものに徐々に作成、変更されているようです。(編成札の中には地が黄緑っぽいもの、スミ文字もあり)
この編成札は、テレビや新聞などの報道でも話題になった元南武線の車両譲渡時にBukit Duri区においてスマートフォンを発見した若手社員により、編成札が作成されていますが、日本好きなところが高じてなのかこのような細かいところにも興味があるようです。


続いてDepok車庫にお邪魔させていただくことにしたのですが、日本出発前に予め車庫入場のための手続きを行い、少ない時間ながらも撮影させていただきました。
車庫の留置線には元南武線の205系3編成と203系の12両編成が並んでいましたが、左から元ナハH12(後部はナハH11)、マト52、ナハH13(後部はナハH10)、ナハH39(後部はナハH34)で、全てDepok区所属の12両編成でありました。一番左の元ナハH12と後部のナハH11の前面方向幕はLEDに変更されており、中間に封じ込まれてしまった元横浜線の車両から移植されたものと思われます。


翌日の28日にはBukit Duri車庫にお邪魔させていただきましたが、こちらも予め日本出発前に車庫入場の手続きを行い、撮影させていただきましたが、車庫内には期待どおり南武色の元ナハH42+ナハH37の編成が留置されており、この編成はBukit Duri区所属車であることから、編成札も車両番号からとったものに変更されていました。
BUD21の編成札は札式のものになっていますが、BUD26のほうは編成札の掛け金具がないためなのか、左上の隅に貼られているようです。


また、この日もDepok車庫に用事がありましたので、再びDepokへ行ってみたのですが、ちょうど前面方向幕がLEDに変更されたBukit Duri区所属の元ナハH43(後部はナハH38)が留置されており、初めて南武色で前面LEDの車両を撮影することができました。前面の塗装が赤くなければ、以前、横浜線から転入したナハH17を思い出すものになりますが、今のところ南武色で前面方向幕がLEDなのはこのT'c27とTc28、T'c19だけのようです。


Depok車庫をあとにすると、途中どこかで太陽の角度を見ながら撮影することを考えていたのですが、この時期、イスラム寺院と一緒に撮影できるJuanda駅では太陽が南に廻るため撮影には適さず、終点であるJakarta Kota駅まで来てしまいました。
結果オーライで、下の写真のように先程Depok車庫で撮影した車両と元ナハH3の並びとなり、南武色のツーショットが再び見ることができました。


元ナハH43(T’c27)の反対側はナハH38(Tc22)が組まれていますが、こちらの前面帯は既にKCJ色になっていました。いずれは前面帯の南武色はKCJ色へと変更されるものと思われますが、私がジャカルタへ訪問する前に実施されていた南武色からKCJ色の変更はその後実施されていないようで、しばらくこの南武色は検査時まで見ることができるのかもしれません。


号車番号札に注目すると、号車番号の変更は必ずしも実施されていない車両が多く、以前のままであったりするのですが、中には号車札をひっくり返して新たに号車番号を手書きで加えられているものがありました。(車内の号車番号についても同様)


続いて3月1日は、103系の廃車体が置かれているジャカルタ中心部から東に約100kmに位置するCikaumに行くことにしたのですが、Cikaumへ行く前にManggarai駅の1つ手前であるCikini駅で撮影することにしました。駅でのカメラによる列車の撮影については駅によって禁止されているところと禁止されていないところと基準が曖昧ですが、Cikini駅のホーム先端での撮影については、許可証もしくは駅員の同行が必要とのことで、ホテルで拙いインドネシア語による手紙を書いて駅員に見せたのですが、タイプライターかパソコンで文章を書いてほしいと言われたものの、運良く許可をいただき駅員が同行していただくことになりました。
この時期、Cikini駅は順光になる時間も長く、列車も団子状態であることから低速で進入する列車が多く、撮影する上では非常にお手頃で、私のような下手くそな者でもある程度まともに撮影ができます。

下の写真の編成は元ナハH4(Tc88)+ナハH2(T'c86)であり、南武色からKCJ色に変更されていますが、Bukit Duri区所属車であることからスミ文字で「88」の編成札が取り付けられています。


続いて来た列車は元ナハH11+ナハH12で、譲渡当初は南武色であったものの、すぐにKCJ色に変更されましたが、前面の顔は塗り替えから1年以上経っていても綺麗な姿が保たれています。また、前面の方向幕は編成の前後ともにLEDに変更されています。


下の写真は元ナハH3+ナハH36で、Depok区の所属車であるため、編成札はそのままになっています。ナハH3側のT'c87の前面は南武色になっており、中間車のM'233、M’60は以前広告車両であったため側面の帯が南武色ですが、ナハH36側のTc20の前面帯はKCJ色に変更されています。


最後に2日ですが、この日は昼過ぎにジャカルタからマニラへ戻るため、朝だけCikini〜Manggarai間の高架からグランドレベルに下りるところで撮影しておりましたが、雨季であるにもかかわらずこの日も晴天に恵まれ、まずまずのジャカルタ滞在最終日でありました。
下の写真は元ナハH43(T'c27)であり、Depok車庫やKota駅で撮影したものですが、この南武色とLEDの方向幕の取り合わせは一時的なものかもしれません。


ここも信号機が手前にあり、この先、環状線と交差することから、列車は停止、もしくは減速で進み、私のような下手な者でもある程度簡単に撮影できます。
また、ごく希に鉄道警察隊が通りますので、彼らには注意されたほうが良いかもしれません。