Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

浜川崎線(南武支線)205系!夢の全車大集合撮影会! in 鎌倉車両センター中原支所開催

2024年02月25日 15時14分05秒 | 南武線
昨年12月18日のことになりますが、浜川崎線(南武支線)205系!夢の全車大集合撮影会! in 鎌倉車両センター中原支所が開催され、205系の撮影会には相応しい参加費20,500円を払って参加させていただきました。

浜川崎線で使用されている205系3編成が全て勢揃いする撮影会ですが、昨年夏頃に新潟で使用されていた3扉のE127系のV12、V13編成の2本が転用改造を受け、装いを浜川崎線205系で使用されてきたクリーム色帯を除く青緑と黄の帯色を纏い、それぞれV1、V2編成として中原支所に転入しました。
昨年9月13日にはこの2編成ともに営業を開始し、今まで使用されてきた205系のW1とW2の編成は新潟から転入したE127系によって置き換えられ、国府津に疎開されていましたが、この撮影会に合わせ中原支所に戻り、現在も活躍しているW4編成も中原支所に回送され、浜川崎線で使用されていた全ての205系が勢揃いする夢の撮影会となりました。

南武線ファンにとっては夢のような撮影会でありますので、ある程度納得のいける金額であれば参加したいと考えていましたが、このような有料撮影会のお知らせがいつ出てくるのかわからず、不意とJREモールをチェックしていたところ売り出し直前の15分前に撮影会のお知らせが出ていることを知り、説明文もよーく読まずに午前の部に申し込んでしまいました。
申し込んだあとに説明文をよーく読んでみると、午前中の部でも”立川方がメインになります”と書いてあるではないですか。ということは晴れてしまったらお顔は影になってしまい綺麗に撮影することができないことをキャンセルができない1時間後に知りました。
私はメールで”川崎方がメインでないのであれば午後の部に変更できませんか”というメッセージを送り、翌日には一応電話で確認してみたのですが、その翌日の夕方に”川崎方がメインになり、誤記でしたという訂正の説明をいたします”という連絡を電話でいただき一安心できました。


何はともあれ、開催時には天気にもある程度恵まれ、上の写真のように満足できる撮影会となりましたが、先日、どこかの有料撮影会において架線のビームの影が車両のお顔にかかってしまい、車両を柔軟に少しでも動かすことができず、参加者には不満が多く残る撮影会がありましたが、中原支所の撮影会においてはこの撮影会以前に2度程参加させていただいた撮影会においても参加者に対しての配慮が相当行き届いていることを感じます。


曇ってきましたので、立川方も撮影させていただきましたが、やはり順光であると被写体は映えますね。ただ、LEDの行先表示等がよく見えないのが残念なところですが、新潟から転入したE127系は1995年生まれの車両であり、この205系たちと5年少々しか年齢差がないものの行先表示が幕式なのはいいところかもしれません。

また、撮影会後の12月21日には中原支所から国府津車両センターに返却されるということで、205系2+2の4両編成の姿を見たくて武蔵中原駅に行ってみました。
出発の5分ぐらい前に入線し、私も含め50人ぐらいのギャラリーたちはしきりにシャッターを切っていました。


下の写真のような姿、国鉄時代であれば南武線の101系や103系では3+3編成が多くありましたし、73系では基本編成4+付属編成2の編成ではお馴染みでしたが、先頭車+先頭車の組み合わせする姿は久しぶりなのかもしれません。


最後に2022年3月のダイヤ改正前まで続いていた中原支所から浜川崎線への送り込み回送ですが、矢向駅付近で引き起こした車両故障が引き金になってしまったのか、すべて鶴見線営業所からの回送となり、南武線本線内で浜川崎線の列車を見る機会が交番検査等でしか見られなくなってしまいました。
当時、01H運用は武蔵中原〜尻手間は回送扱いし、尻手1番線から客扱いとなりますので、物好きな人にとってはほんの僅かなこの貴重な体験は嬉しかったのではないかと思いますが、私がまだ小学生低学年であった昭和50年以前は武蔵中原始発、浜川崎行きのクハ16+クモハ11が営業列車として運行されており、鹿島田から尻手までこの列車に乗車したことがありますが、ほとんど乗客は居ませんでした。
最後にいまだに廃車されず国府津に留置されているW1とW2の205系の今後の去就はどうなるのか気になるところですが、どこかで活躍できることを南武線ファンの私としても願いたいところですし、譲渡や廃車前に川崎市市制100周年のイベントで浜川崎線4両編成もしくは6両編成で川崎〜登戸間をかつてのドラえもん号もしくはアゼリア号のように走り、ターボ君のような加速ぶりを南武線本線で演出してほしいものです。



南武線、矢向〜武蔵小杉間連続立体交差事業の概要について

2023年04月03日 15時46分12秒 | 南武線
毎度のことながらいつもは車両のことばかりでしたので、本日は南武線の矢向〜武蔵小杉間で計画されている連続立体交差事業について、簡単にお話しさせていただきたいと思います。

以前もお話ししたかもしれませんが、幼少から少年時代の1968年から1983年まで鹿島田に住んでおりまして、1975年頃から朝のラッシュ時の南武線は3分間隔で運行され、沿線の各踏切ではまさしく”開かずの踏切”となり、踏切が開くのは1時間のうちたった10分少々と南武線の反対側の地区に行くには大変なものであり、主要道路や駅前の通りは長い渋滞を引き起こしていました。
私自身は線路の東側に住んでおり、同じく線路の東側にある小学校や中学校に通っていましたので、生活上、南武線の踏切で苦労することはほとんどありませんでしたが、時々、母親といっしょに買い物へ行く時には線路の西側にある商店街に行く時もあり、夕方は踏切で列車を2〜3本も待たされることもざらで、当時、少年ながらもなんとか解決できないものかと考えることもありました。
しかしながら、当時から南武線好きな私としては踏切で待たされ、何本も通過する列車を眺めることができるのも面白いと感じつつ、小学校の絵画コンクールでも、確か「将来の我が街」というタイトルのもと何でも書いてもよいとのことで、鹿島田駅が高架化された姿を書いてみたところ、私の書いた絵が絵画コンクール出展に選ばれるところまで行ったのですが、もう1人が書いた絵が若干優秀であったためか私の絵は落選してしまいました。
まあ、そのようなことはどうでもいいのですが、昔から平面を走る南武線の尻手〜武蔵小杉間だけでも早期に連続立体化事業を実施し、安全な街づくりができないものかといつも考えていたところ、私が高校生の頃に武蔵小杉〜第三京浜間約3.9kmの連続立体交差事業の工事が開始され、工事は仮線方式と一部は直上高架方式によるため沿線の風景がみるみるうちに変わっていき、205系が投入されるほんの少し前の1988年11月に下り線が高架に切り替えられました。私が生きている中では南武線で初めて高架化された姿を見ることができたのですが、列車が高架線を静かに走り、車窓から見える景色が一変し、富士山や丹沢山地を目の前に見えた感動は忘れられません。

またまた話しが本題に進みませんのでいい加減にここで戻しますと、南武線の連続立体交差事業についてはある程度関心を持っており、今回ご説明します矢向(尻手)〜武蔵小杉間の連続立体交差については川崎市の都市計画マスタープランでも十数年前からも優先度の高い事業とされていたのですが、京急大師線の東門前〜小島新田間の連続立体交差事業が実施されていることもあり、当該区間の事業化にはなかなか進みませんでした。
事業費の圧縮が求められる中、今まで日本の全国各地で実施されている連続立体交差事業の中ではあまり例がない「別線高架工法」により当該区間の事業が計画されていますが、今年2月に実施された住民説明会とオープンハウス型の説明会に参加させていただき、その資料による概要については以下のとおりになります。


事業区間 矢向〜武蔵小杉間約4.5km
除去踏切数 9箇所(塚越、鹿島田、川崎堀、平間、平間駅前、中丸子第1、中丸子第2、中丸子第3、向河原駅前)
対象駅 鹿島田駅(相対式ホーム)、平間駅(島式ホーム)、向河原駅(相対式ホーム)
変電所移設 向河原変電所
設計最高速度 110km/h
工法 別線高架工法
総事業費 1387億円

工法については別線高架工法によりますので、計画線は現在線よりも約5m西側に移ります。(駅舎付近を除く)
当初、横浜市市域部分の矢向駅周辺の約1.0kmを含めて連続立体交差事業が計画されていましたが、横浜市では現在相鉄線の鶴ヶ峰駅周辺の連続立体交差事業を進めており、それ以外に連続立体交差事業を実施すべく箇所は相鉄本線瀬谷駅周辺、東急東横線白楽駅〜妙蓮寺駅周辺、京急本線鶴見市場駅付近があり、横浜市矢向駅周辺については優先度を考慮すると事業化するにはまだまだ先なのかもしれません。

 
縦断図については以下のとおりで、平間駅付近は他の区間に比べグランドレベルから若干高く、軌道面の高さはGLから約9mあります。
当該事業では横浜市市域部分は対象ではないものの、今後において横浜市市域においても連続立体交差事業が実施された場合は当該事業と対応できるような構造になる予定です。


続いて各駅の構造を見ますと以下のとおりです。

まずは鹿島田駅ですが、ホームは相対式ホームで、軌道面はGLから約6mで、おそらく稲城市で実施された南武線の連続立体交差事業の構造物とおおよそ同じくらいの高さではないでしょうか。
また、ペデストリアンデッキが当該工法では支障となるため、今後は取り扱いが問題となるようですが詳細な具体策については今のところ示されていません。

ホームの長さは各駅約130mであり、有効長は6両編成分となりますが、将来の長編成化(8両化?)を考慮した構造物になる予定です。
また、ホームドア(スクリーンドア?)はもちろん整備される予定で、現在線や工事期間中においても当該事業の対象駅にホームドアの設置や使用が予定されています。
その他、計画線の中心線は上りホーム分の幅である約6m西側に位置するため、現在線では駅付近はまっすぐな直線ですが、緩やかに西側にカーブすることになります。


続いて平間駅ですが、ホームは島式ホームで、軌道面はGLから約9mで、鹿島田駅や向河原駅よりも高く、見通しは良いかもしれません。
また、相対式では島式よりも幅が広くなり、事業費も膨らむため島式のほうが最適と判断されたのではないでしょうか。(直上高架式ですと事業費がより増大するものと推測されます)


平間駅においてもホーム有効長は約130mが予定され、階段、エスカレーター、エレベーターはほぼホーム中央部に設置される予定です。


最後に向河原駅ですが、ホームは相対式ホームで、軌道面はGLから約7mで、鹿島田駅よりも若干高くなるようです。
また、屋根は丸みの形状となっていますが、あくまでも計画図ですので、変更もありえるのかもしれません。


向河原駅においてもホーム有効長は約130mが予定されていますが、川崎方の上下線ホームは狭くなっています。


当該事業の概略については以上のとおりですが、事業スケジュールについては以下のとおりです。
2023年度末 都市計画決定(数ヶ月後に事業認可)
2024年度  向河原変電所移設工事開始、用地取得
2029年度  下り線高架化工事開始
2033年度  下り線高架化予定、上り線高架化工事開始
2039年度  上り線高架化予定

工事開始から上り線が高架化されるまでの期間は、おおよそ15年の長い月日を要し、私は赤いちゃんちゃんこを着る年齢に近づいて来ているのですが、あと15年というと70いくつの年齢になり、そこまで生きていられるのか自信がありませんが、せめて下り線の高架化までには生きたいもので、幼少の頃から夢見ていた鹿島田駅付近の高架化を味わいたいものです。
鹿島田駅のホームからどのような風景が見れるのか、塚越踏切から向河原駅前踏切の先までの区間において車窓から見れる風景は富士山や丹沢山地、武蔵小杉のタワマンなど見れるのか楽しみですが、まずは夢を実現するためには健康に気をつけなければなりませんね。



南武線103系3色混色編成の思い出

2023年04月02日 14時08分28秒 | 南武線
ご無沙汰しております。
今日は4月2日ということで、昨日はウソをついてもよい日でありましたが、今日はウソをつけない日ということで、ウソ電ではなく本物の写真を掲載させていただきます。
このブログでも何回か話題を提供させていただきましたが、今から約40年前の今日の1984年(昭和59年)に南武線では初の3色混色編成が営業し、現在では考えられない見事な混色編成を見ることができました。

順を追って説明しますと、1984年3月6日付けで、松戸から非冷房のエメグリM319 M'475が南武線の車庫である中原に転入し、余り気味であったオレンジサハ2両のT210を松戸へ、T211を豊田へ転出させました。


上記の車両の転入前に中原と松戸の検修の方々からこの転配については聞いており、南武線に初の非冷房103系とエメグリ塗装が転入するということで大変期待していましたが、松戸からの車両の転入後すぐに転入整備が実施され、車体側面隅の所属表記が「西ナハ」に書き換えられ、南武線の仲間として認められたような感覚で、南武線デビューを楽しみにしておりました。
その後、中原の検修の方から「早速、3色混色で使用するから楽しみにね!」という言葉をお聞きし、デビューを待ち望んでいたところ、確か台検の差し替えで使用することになり、以下の組成で3色混色編成でデビューしました。


デビューは4月2日の1637デからで、4月9日の843デまでまず使用されましたが、4月2日に乗務した乗務員から「これじゃ、まったく信号機だね!」なんて言う冗談も聞かれ、当然、乗客からもこの珍しい3色混色編成に相当驚いていた人もいらっしゃいましたが、私もこの3色混色編成のエメグリ電動車に乗車し、窓を全開にしてモーター音などや乗客の反応を楽しんでいました。


その後においても主に台検時の差し替えで使用されることがあり、少なくとも上記の編成表のとおりの組成で活躍し、南武線ではこのエメグリ車両を含む見事な混色劇場が展開されました。
夏場の冷房使用時期においては冷房電源がありませんので、時より車掌からのアナウンスで「立川方の1両は冷房車でございますが、冷房は使用できませんので川崎方3両の車両をご利用ください」などの案内がされていました。


9月には全般検査で入場するとともに東急車両で冷房改造が実施されましたが、11月に当時の南武線では見られなかったステンレスキセのAU75Eの冷房装置を付けた姿と南武線本来の塗装色であるカナリアで出場しました。
出場後の12月3日1750デから上記の編成表の組成で使用され、早速その姿を見たくて冷房改造後の様子をうかがいましたが、客室内の塗装が綺麗ではなかったのは印象的でした。

以上、混色・異色好きな者にとっては良い思い出でしたが、また、時間がありましたら101系や103系の醍醐味である混色・異色のエピソードなどについてお話ししたいと思います。

南武線205系投入時を振り返る

2023年02月06日 12時08分30秒 | 南武線
昨日は2月5日ということで、語呂から205系の日になりますが、南武線に投入された205系のことについて投入当時を振り返ってみたいと思います。
国鉄当時、車両の墓場とまで揶揄された南武線には都心部の路線で活躍した101系や103系のお古の車両が都落ちして南武線で活躍していましたが、時代は国鉄からJRへと、また、昭和から平成へと時代が変わり、今まで新車の恩恵を受けていなかった南武線に対して新車が投入されることは新鮮でした。

南武線に投入された205系は最初の第1陣が平成直後の1989年春頃に3本、第2陣が1989年秋頃に4本、第3陣が1990年秋頃に9本投入され、その後Tc103〜の編成が1993年に三鷹に転出し、南武線の生え抜き編成としては15本(その後の晩年時の武蔵野線転出分を除く)が活躍しました。

下の写真は山手線の試作車編成1本4両編成を借りて乗務員訓練が実施されていました。登戸駅での折返時間を使って乗務員が南武線の各駅の行先表示をサービスのためか見せていただきました。


下の写真は中野島〜稲田堤間を走る山手線試作車編成4両編成です。3月のダイヤ改正時から線内の最高速度85km/hから95km/hに引き上げし、川崎〜立川間で3〜4分の所要時間の短縮を実施することになり、乗務員さんの運転技術は相当問われたのかもしれません。特に101系や103系はダイヤ改正後は各駅間で90km/h近くまで加速し、ギリギリのタイミングでブレーキをかけていました。


2月中旬になると南武線用の205系1本6両編成が川重で落成し、2月13日に品川〜茅ケ崎間で公式試運転が実施されたのち、翌14日に中原電車区に回着しました。
ということで、南武線初の205系を一目見たくて、車庫へお邪魔させていただき、撮影させていただいたのが下の写真で、205系の横に並ぶのは103系のMc11という特徴的な車両でした。


ダイヤ改正前(205系デビュー前)までの動きは主に以下のとおりです。
205系投入前は山手から試作車編成4両を借りて、区内での講習(1988年12月5日〜12月12日までで、Tc3 MM'7 T'c7)、その後線内で試運転(1989年1月12日〜1月18日までで、Tc1 MM'3 T'c1、試運転自体は13日〜17日に武蔵中原〜稲城長沼間で)が実施され、南武線用の最初の205系1本が落成後は試運転(1989年2月17日、18日、20日、21日に武蔵中原〜稲城長沼間で)と性能試験(1989年2月27日に川崎〜立川間で)、試乗会(1989年3月5日に川崎〜稲城長沼間で)が実施されました。

1989年3月11日にダイヤ改正が実施され、南武線では205系3本の使用が開始されました。デビュー時の3月11日は205系3本とも終日運用に充当され、Tc86〜(編成番号27)は513デから、Tc87〜(編成番号28)は621デから、Tc88〜(編成番号29)は615デから使用開始されました。


この他、この当時、武蔵小杉〜第三京浜間で連続立体交差事業が展開されていましたが、1990年12月20日に上り線が高架線に切り替わり、高架化を祝してヘッドマークが205系に取り付けられました。


以上が南武線205系投入時の出来事になりますが、既にあの時代から30年ちょっとが経過し、その後も205系は南武線の顔とも言うべき形式となり数々の思い出が残っていますので、時間のある時に205系に関係する写真をお見せするとともに語っていきたいと思います。

南武線103系高運(ATC車)登場

2023年01月30日 19時37分26秒 | 南武線
以前もこの103系高運(ATC)の写真を当ブログで紹介させていただきましたが、私が幼少の頃から憧れの車両であった103系高運が蒲田(元横浜線)から地元の南武線に転入するということを中原の検修の方から聞きまして、とても嬉しくて堪らなくなり、検修の方にお願いさせていただき撮影させていただきました。
この時代は昭和から平成になった時代で、何かと自粛ムードが広がる中でしたが、ちょうど横浜線用に205系を投入し、蒲田区の103系2本を中原区に転出したのですが、1本目のTc717 M641 M'797 M445 M'601 T'c774は、1988年12月に中原区の籍になったものの直接習志野区へ貸出し、2本目のTc745 M372 M'528 M573 M'729 T'c442が翌年1989年1月23日と28日に分けて中原区に転入しました。当時、南武線には低運しかありませんでしたが、ステンレス帯を入れたことで顔が引き締まった高運は目立つ存在で、その後のATS-P型設置により全て高運ATC車に統一され、2004年12月の最後の営業までこの顔の103系が活躍しました。


写真はTc745を先頭とする車両で、車内のいたるところはSUS化(M749 M'2006もSUS化)され、運転台のスピードメーターはATC仕様であり、南武線では見られない姿に感動していましたが、転入整備が既に終わってしまったのか、方向幕指示器は南武線(103系)に取り替えられており、横浜線の幕は見ることができませんでした。カナリア塗装で「快速八王子」など横浜線の幕でも見たいところでしたが、南武線の基本である「川崎」だけでも感動もので、しばらくその姿に惚れ込んでしまい余韻に浸ったりして、同行していただいた検修の方のお仕事に邪魔をしてしまいました。


なお、初の高運の営業運転開始は1989年2月7日の1700デから使用され、編成番号は14番(その後44番)が取り付けられました。一方、習志野区へ貸出したTc717の編成は1989年7月に中原区へ返却され、7月27日から編成番号15番(その後45番)で使用開始されました。



南武線E233系投入から約8年経過

2023年01月02日 19時46分14秒 | 南武線
私は昭和のオヤジですので、どうしても世代的には103系や205系世代であり、103系は好きでもE233系は好きになれませんが、カッコいい形式かと言うと確かにそうなのかもしれません。
2014年10月4日の914Fから使用開始され、103系と同様にデビュー時から乗車しましたが、投入開始から約8年が経過し、完全に南武線の顔として活躍していますが、今後はどのような動きがあるのでしょうか。
現在、南武線の各駅ではホームドアの設置工事が実施されており、数年後にはワンマン化されるということも考えられ、また、ここ3年あまりのコロナ感染により輸送需要が最盛期よりも減少しているものの、川崎市南部地域を中心に2030年頃まで人口が微増し、今後においては多少輸送需要が増加し、ラッシュ時においてはさらなる増発や場合によっては列車の編成両数を現在の6両から7両もしくは8両化というのも必要になってくるのかもしれません。
長編成化については大規模な設備投資が必要になってきますので、鉄道会社側としても予測をもとに慎重な判断が求められ、自治体側に対しても協力が要請されるものと思いますが、今後、長編成化という計画が示されるのか、その場合、新造する車両は単なるサハなのか東急等で導入しているようなQシート的な車両を導入することになるのか夢が広がります。


考えてもキリがありませんので、E233系導入時のことを振り返ってみると2014年8月7日にE233系第1編成のN1が中原に到着し、その後は線内で試運転が実施されたのち、9月28日は登戸駅中線でそのN1編成の展示会が実施されました。
展示会にあわせてE233系や205系等のグッズ、記念弁当等が販売されるとあって、南武線ファンの私も電車の動き出す前の朝4時頃にスクーターで行ってみたのですが、強者の約10人程が徹夜で並んでいたものの、お望みのグッズは簡単に購入することができました。


そして、待望のE233系運用開始は10月4日の914Fからで、現在、このような時間に出庫する列車はなくなってしまいましたが、この当時はデビューには相応しい運用がありました。
また、この日の朝は南武線の主要駅でE233系デビュー記念入場券が発売されるということで、各駅の販売枚数が100〜300枚とかなり少なく、1人1セットに限定され、各駅で台紙の色が黄色、オレンジ、茶色と異なり、3種類をゲットしたいところでしたが、実際には黄色の台紙の武蔵小杉でしか購入できませんでした。


武蔵小杉での記念入場券をゲットしたあとは、E233系デビューの出発式と乗車を楽しむため、武蔵中原に来てみると上の写真のようなポスター等が貼られ、利用者にアピールされていました。

上りホーム川崎方は関係者以外立ち入りができませんので、マニアたちは下りホームからご覧のように撮影することができましたが、横浜支社のマスコットであるハマの電ちゃんも参加され、今だったら武蔵中原駅のマスコットである「ムナマズ」も参加していたのかもしれません。また、南武線利用者にはこの他に周知されるようになった川崎運輸区のマスコットである「カワッサー」、鎌倉車両センター中原支所の「ナハニャン」、登戸駅の「ノトちゃん」等も着ぐるみが登場すると子供さんたちを中心にもっと愛着のある路線になるのかもしれません。


2014年8月のE233系N1編成の投入開始から2015年末まで35本が投入され、2016年1月9日には205系としては最後まで残っていたナハ46のありがとう運転が実施されたものの、209系ナハ53が引き続き使用されていました。
しかしながら、このナハ53は翌年2月9日の運用を最後に静かに引退し、房総地区のサイクルトレインとしてB.B.BASEに改造されるとともに、豊田のトタ青670編成を改造した8500番台が転入し、南武線のE233系化が完了しました。


ナハ53は幕張車両センターへ回送され、マリJ1編成の編成札を付けサイクルトレインに改造され、シーズン中の週末を中心にB.B.BASE内房やB.B.BASE外房等、房総各線のサイクルトレインとして新たな活躍を見せています。

2023年、新年、あけましておめでとうございます

2023年01月01日 19時52分59秒 | 南武線
新年、あけましておめでとうございます。

昨年末は昨日も申し上げましたように、思わぬコロナに感染してしまい、自宅で正月3が日も含め1週間近い自宅静養が求められておりますが、忙しい毎日を過ごしていた中で急にブログの更新や模型鉄に少々火が付いてしまいました。
模型にしてもブログにしても、やることは元地元の南武線や横浜線、海外ではフィリピンやジャカルタ関連ばかりですので、一般の鉄道に興味のある方から見れば、私の趣味の範囲はかなり狭く、全く参考にならないですし、時々記述が間違っていたり(例えばフィリピンPNRの203系の冷房電源はMGから供給しているなど→私の記述をそのまま引用したライターさんも居ましたが)、ということもあり、信頼性もあまりありませんが、今後も興味のある方だけがご覧いただき、鉄道雑誌等への記載だけは控えていただけたらと思っております。

本日は特に述べることはないのですが、今朝の関東地方は綺麗な日の出が見れたようで、富士山も綺麗な姿を見れたのではないかと思いますので、新年に相応しい姿をお見せします。
2015年12月1日に撮影した富士山と南武線205系ナハ39です。


このナハ39、南武線からジャカルタへ譲渡された計120両のうちの最後の編成で、11月16日から73系のサボをモチーフにした「南武線⇨海外譲渡」のサボが取り付けられ、12月6日まで運用に充当されました。
下の写真は初めて「南武線⇨海外譲渡」のサボを付けて営業に入るところを撮影したものです。


最後の南武線の205系第5陣がジャカルタに到着したのは翌年新年早々で、譲渡整備において第5陣も従来どおり南武色で途中まで整備されていたものの、急遽、12両編成として使用する方針転換からKCJ色へ変更されることになり、この第5陣の編成はKCJ色へ変更されてしまいました。


上の写真のナハ39、せっかく南武色の姿に整備されたのですが、このあとKCJ色へと変更されてしまいました。

今日は、私の思入れもあることからジャカルタに譲渡された南武線の205系の話題を少々述べましたが、今後も時間のあるかぎり私の興味のある話題について提供できたらと思っております。

南武線恒例の修学旅行列車に185系を充当

2022年12月31日 19時48分51秒 | 南武線
今年も残すところあと数時間となりましたが、皆様はどのようにしてお過ごしでしょうか。
私は本来であれば今の時間も副業の宅配の仕事で夜9時過ぎまで働くはずでしたが、4日前の夜に微熱と寒気、倦怠感を感じ、翌朝、自宅近くの診療所で検査してみてもらったところ予想していたインフルエンザではなく、結果はコロナ陽性でした。症状が3年前にかかったインフルエンザと全くいっしょであり、その症状がそれほど重いものではありませんでしたので、今回もインフルエンザではないかと予想していたところ、診療所の先生から結果を言われた時は一瞬疑ってしまいました。
ということで、年末年始はまったく外にも出れず、自宅で静養するしかありませんが、せっかくこのような貴重な時間を作れるのも今のうちかもしれませんので、私の愛する元地元路線の南武線の話題を簡単にお話ししたいと思います。

つい先日、今年の南武線の話題として最も注目を浴びた話題は水素電車FV-E991系「Hybari」の登場であると申しましたが、もう2つ上げるのであれば、相模線205系500番台の南武線内入線と南武線恒例の修学旅行列車に185系が久しぶりに充当されたことかもしれません。
修学旅行列車の運転についてはダイヤ情報にも記載されていますので、おおよその運転日がわかり、形式も記載されていますが、11月7日だけは185系と記載されていることにビックリし、これは久しぶりに修学旅行列車に充当されるとあって、私も武蔵中原駅まで見に行ってみました。


平日であれば中原支所へ入区する南武線E233系と並ぶことになるのですが、その並びを是非撮影したいということで、川崎方のホーム先端で待ち構えておりました。今回、運良く乗車することができる小学生は中原区内にある玉川小学校の生徒さんでしたが、駅構内のアナウンスで「たまがわしょうがっこうのみなさま〜」と案内されていた時に思わず「たまがわではなく、ぎょくせんと読むんですがね」と呟いてしまいました。
まあ、私が中学生の頃も担任が同じように「たまがわちゅうがっこう」と言って、別の生徒と一緒に私も「ぎょくせんちゅうがっこう」と読むのですよと教えてあげたのですが、地名等の読み方は難しいものですね。
それはともかく、通常、E257系5500番台で運行されている修学旅行列車が、なぜかこの日だけ185系で運転されるとは運の良い日であり、小学生の中でも鉄道に知識のある生徒さんはきっと自慢しているに違いないのではないでしょうか。

続いて、185系の人気も高まる一方、定期列車からの運用には充当されることなく、廃車も続く中、去就が注目されますが、185系が南武線の修学旅行列車に充当されるようになったのはいつからでしょうか。


2012年のシーズンまでは183系1000番台が使用されていたようですが、2013年のシーズンからは185系が使用されるようになり、この年の6月に4両編成の入線試験、習熟訓練とともに中原電車区で一般公開が実施されました。
中原電車区の乗務員さんの中には185系を運転された方もいらっしゃるようですので、南武線内を運転する上でも難しいことはないかと思いますが、南武線ファンからすると東海道線等ではお馴染みの車両が南武線に入線するのは新鮮さがありました。また、この撮影会では185系のヘッドマークを変えていただくとともに、南武線205系に対しても「川崎-奥多摩ハイキング号」等のようなレアな表示にしていただき、サービスたっぷりの撮影会でした。


2013年から始まった185系の修学旅行列車は2015年頃までは田町色であったようですが、2016年頃からは初代の踊り子塗装であるストライプタイプになりました。


2016年頃からはご覧のストライプになり、特急「踊り子」が南武線上を走っているようにも見えます。しかしながら2018年秋頃からはE257系500番台、最近ではE257系5500番台が充当され、185系の姿を南武線で見ることはほとんどなくなりましたが、昨年、2021年6月に運転された青梅〜鎌倉間の快速「鎌倉あじさい号」に充当され、私も1度乗車し、貴重な立川〜西立川間の青梅短絡線や南武線(府中本町〜立川間)の乗車を楽しみました。


来年も185系が運転され、南武線に乗り入れることがあるのかどうかわかりませんが、南武線ファンとしてはやはりその姿は見たいものですし、武蔵中原駅のでE233系との並びは撮影したいところです。
ところで、南武線の各駅ではホームドアの設置工事が実施されているところがありますが、武蔵中原駅においてもやがて上り本線と下り本線には設置されるはずであり、ホーム先端での撮影ができなくなるのではと危惧しているところです。(このような構図での撮影はできなくなるのでしょうか)


南武線73系を模型で楽しむ

2022年12月30日 15時21分01秒 | 南武線
つい先日、鉄道模型メーカーのTomixから南武線と鶴見線73系が発売され、今回新たに南武線シリーズではクモハ73600やモハ72500等が製品化されたということで、普段、鉄道模型をあまりやらない私も少々注目しておりました。


私自身、73系の模型は初代の4両セットを所有し、その後、単品でクモハ73500とクハ79300の計2両を所有し、南武線6両編成が1編成組成できるのですが、上記の南武線の代表的な顔でもあるクモハ73600やクハ79920が加わり、ますますエスカレートする一方ですが、南武線以外のハマ線や青梅・五日市線も楽しむ醍醐味もあります。


73系のような旧型国電になると模型をやる上で苦労されるのは資料集めですが、中でも編成表になるとこの時代の情報はなかなかありませんので、車両番号のインレタを貼る上では悩むところではないでしょうか。車両番号は貼らないで行先表示、運番、シルバーシートだけ貼って楽しむのもありかなと思います。
南武線73系では1975年4月1日現在の編成表は以下のとおりで、基本編成はTc M T M'c、付属編成はMc T'cで、付属編成が立川方に組成され、稲城長沼や武蔵中原で分割・併合が実施されていました。


南武線セットの運番は01、05、27、33が入っていますが、旧国晩年の頃であれば稲城長沼で分割・併合するのは05〜11のようですので、05を付けて分割併合を楽しむのも良いのかもしれません。
また、シルバーシートは紺主体のものと白主体のものの両方が用意され、南武線は青梅・五日市線と同様に紺主体のものが使用されていましたので、紺主体のものを貼付けることになりますが、6両編成では4両にシルバーシートが付くことになりますので、101系よりも壮観で、私が少年時代に初めて南武線にシルバーシートが導入された時は感動的でした。横浜線で使用する際には白主体のものが使用されましたので、白主体のものを貼付け、幕板部があるものは幕板の下に貼るのが基本のようです。

この他、73系の快速が運行されたことがあるのかわかりませんが、模型の世界では爆走してほしいところで、運番は快速運用の61とし、クハ79920とクハ79300に大型の快速のサボを付けるもしくは小型の快速サボを乗務員室から掲示し、武蔵中原で101系各停を待避させ、下り本線を豪快に73系が駆け抜けて行くというシーンは演出したいですね。


まあ、私のように幻の73系南武線快速列車のように模型で実現化を楽しむのも1つだと思いますし、南武線だけでなく他の路線の73系を楽しむのも良いですし、浜川崎線で使用されていたクハ16+クモハ11もしくは鶴見線や南武線で使用されていたクモハ12を73系に組成し、一時期走っていた姿を再現することも楽しいのかもしれません。



南武線、鶴見線で活躍する水素電車FV-E991系「Hybari」

2022年12月27日 02時26分22秒 | 南武線
今年もあと僅かとなりましたが、私の元地元の南武線界隈での今年一番の話題と言ったらなんと言っても水素電車FV-E991系「Hybari」の登場ではないでしょうか。

J-TREC横浜事業所で製造されたFV-E991系「Hybari」の2両編成は今年2月5日に出場し、翌日の2月6日の日曜日に鎌倉車両センター中原支所へと運ばれたのですが、日曜日の日中堂々と中原支所の最寄駅の武蔵中原駅にEF65により牽引されるという南武線では非常に珍しい姿とあってか、多くのギャラリーでホームは賑わっていました。


多くのギャラリーが集まると予想してか、EF65とFV-E991系「Hybari」の2両は中線に入線せず、下り本線の4番線に入線し、下り列車は一時的に下り中線の3番線を使用し対応されていました。


EF65は切り離されたものの1時間程停車し、単機で立川方へと発車し、FV-E991系「Hybari」の2両は自走でそのまま中原支所へと入区しました。


メディアでは3月下旬から南武線の川崎〜登戸間、浜川崎線及び鶴見線で試運転を開始するとの報道でしたが、実際には2月17日の深夜に武蔵中原〜登戸〜川崎〜武蔵中原のルートで試運転が開始され、定期的に深夜帯の川崎〜登戸間で試運転が実施されました。


また、8月26日には武蔵中原〜扇町間で、日中時に初めて試運転が実施され、日中とあってか多くのギャラリーを見かけました。その後は深夜帯と日中の試運転も定期的に繰り返され、鶴見線の鶴見までのルートにおいても試運転が実施されたようです。
来年も引き続き試運転が各メディアの発表のとおりの区間で実施され、データを収集されるものと思いますが、来年は鶴見線や浜川崎線の車両の置き替えもあり得るかもしれませんので、水素電車の「Hybari」と205系の並びは撮りたいところです。