Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

ジャカルタで活躍した色とりどりの103系

2020年05月07日 01時42分30秒 | インドネシア
私自身、今でも最も好きな車両と言ったら103系なのですが、103系の中でやはり一番カッコいいのは高運転台の車両であり、小学生の頃はこの車両を1度でよいから運転してみたいと思っていましたが、高校生の時に南武線の中原電車区を訪問した時に検修の方から、運転士をやると1度は人を轢いてしまうよと言われ、それが怖くてその道に進むことを諦めてしまいました。
しかしながら、いつもこの高運の103系を見るたびに惚れ惚れするもので(私の場合、女性以外でも車両に対してもこの言葉を使います)、私の住まいであった南武線にこの高運転台の車両が入ることを中原電車区の検修の方から教えてもらい、営業する前に撮影させてもらった時は人生で最高に嬉しい気持ちでした。南武線では本来の計画であれば1989年から205系が配置されていた状況の中で、1991年度の計画で全体のうちの残り半分の103系を205系によって置き換える予定でしたが、その計画が変更されてしまい、結果的には103系の高運転台の車両は1989年2月から2004年12月までの約16年間使用されました。


また、話しは変わりますが、他線区で活躍する103系に対してもも追いかける性分で、ジャカルタでは2004年12月〜2015年12月までの11年間活躍したのですが、その間オレンジ色時代から旧新潟色、濃淡青色、東海色、そしてKCJ色と検査ごとに色を変え、103系ならではの色とりどりの姿を見せられるたびに自然と足を運んでしまいました。
ジャカルタでの103系デビューは、元都営6000形と同様にオリジナルのままの姿のオレンジ色でデビューし、当時、その姿はネットの新聞で知るのですが、私自身はインドネシア語も10年間勉強していましたし、何度もインドネシアへは乗り鉄で行っていましたので、他の人に比べればハードルは低いのですが、103系がデビューしてジャカルタへ行ったのが2005年のゴールデンウィークでした。あの時は香港に立ち寄ってからジャカルタへ入ったのですが、まずはKota駅で待っていると30分程でTc384のオレンジ色の編成が12番線に入線し、あの時の感動は今でも忘れられませんが、Bojonggede行きのEkspresに充当されていましたので、すぐにBojongまでの切符を購入し往復したことを思い出します。


続いて2005年末から翌年の春にかけて検査時期を迎え、新潟地区でかつて活躍した旧型国電に採用された塗装色がこの103系に塗装され、かつ投石防護ネットも取り付けられ、また、違う味わいの103系を楽しむことができました。


2008年にはこれまでの暖色系から一転して寒色系の濃淡青色が採用され、日本ではあまり見られない塗装となったのですが、この頃から4+4の8両編成が登場しました。


続いて2011年に検査入場することになるのですが、私自身、検査時に同じような塗装色を採用することはないだろうと想定し、事前にPT.KAIの幹部の方に15案のデザインを送り、できれば次回の塗装色の参考にでもなればと思っていたのですが、ちょうど検査時期にジャカルタを訪問した時にManggarai工場へ行ってみると、私が提出した1つの案である東海色が採用され、直接工場内で東海色へ色替中の姿を見てビックリしたものでした。


続いての検査入場は2014年になるのですが、次回の検査入場前に東海色が採用された時と同様にいくつかのデザインを提案しようと思っていたのすが、すでにこの頃からKCJ色の標準色である赤と黄色のコーポレートカラーが当たり前のように車両に採用されていました。現実的にデザインを提出するのはほぼ無理と判断しましたが、それでもいくつかのデザインを作成し提案したところ結果的には採用されず、KCJ色の標準色が採用されました。これはこれでお似合いのデザインではないかと思っていたところ、この頃から少しずつ車両の調子が悪くなり、環状線Duri〜Manggarai間のManggaraiフィーダー運用に使用されることが多くなるのですが、最後は修繕がほぼ無理とみたのか2015年12月を最後に再び営業に就くことはありませんでした。その後はしばらく休車扱いとなりましたが、東海色でKCJ色に塗られることなく休車になっていた2編成の車両も含めて2016年11月にジャカルタ東方約100kmに位置するCikaum駅に廃車回送され、ついに103系の活躍に終止符が打たれました。


以上、私と103系についてと、ジャカルタまで好きな103系を追っかけてきた話しでしたが、詳しいことは鉄道ピクトリアルのNo.941号に記事がありますのでご覧いただけたらと思います。
(次回は私と家内についてと、マニラまで好きな彼女(現家内)を追っかけてきた話しでもと思いましたが、恥ずかしくてそんなことは話せませんのでやめておきます)

ジャカルタで活躍するJR車両の現況

2019年03月23日 00時59分47秒 | インドネシア
今月発売の鉄道ピクトリアルですが、約1年ぶりにジャカルタで活躍する元JRの車両(205系・203系)について記事を出させていただきました。
カラーページ2ページ、本文8ページと僅かであり、細かいところまでまとめておりませんが、興味のある方はご覧いただけたらと思います。
今やジャカルタで活躍する日本の中古鉄道車両は1000両に達し、205系だけでも500両を超え、来年には合計800両にも達する予定です。205系のトータル両数が約1500両ですから、全体の半分がこのジャカルタで第2の人生を過ごすことになり、今後もジャカルタ首都圏の庶民の足として活躍が期待されます。
記事をまとめるにあたり、お世話になりましたPT.KAIならびにPT.KCIのスタッフ、ジャカルタの鉄道ファンの方々の皆様には感謝を申し上げるしだいです。
Saya sudah membuat artikel tentang gerbong KCI yang dari JR East(seri 205 dan seri 203) untuk majalah kereta api.
Terima kasih banyak!




Selamat datang ke Jakarta. 武蔵野線205系、ジャカルタに到着

2018年04月14日 22時25分52秒 | インドネシア
今年初めてのブログ更新となり、前回からおおよそ半年ぶりとなりますが、ジャカルタへ譲渡されることになった武蔵野線の205系についてご報告いたします。
ジャカルタへは埼京線、横浜線、南武線から計476両の205系が譲渡されましたが、今年から2020年にかけて武蔵野線の全車両計336両が譲渡されることになり、205系の総両数約1500両の半分強がジャカルタで活躍することになりますが、ジャカルタは205系王国と言っても過言ではないかと思います。
今年から3カ年で武蔵野線から譲渡されるということは、今年度は単純に3で割ると約110両ですので、それに近い両数が譲渡されるのではないかと思いますが、おそらく12両編成を主体に組成されるものと思われますので、8両×3編成を12両×2編成とし、1編成は貫通編成、もう1編成は8+4の非貫通編成になるのではないかと予測しています。
また、界磁添加励磁制御の編成は全部で6編成あり、2編成は元南武車、4編成はメルヘン顔ですが、メルヘン顔にはスカートがなく、前面窓の形状はオリジナルの車両と若干形状が違いますので、このメルヘン顔は既存の編成の中間に封じ込まれて顔を拝むことができないのか、それともスカートや投石防止のネットの取付も実施され、顔を拝むことができるのか注目されます。


続いて譲渡の動きですが、3月2日、M24編成が新津に回送されると、翌週の3月9日にM15編成が新津に回送され、3月30日にもM3編成が回送されたのですが、京葉車両センターの社員による特別な計らいか1本目のM24は前面の方向幕が「むさしのドリーム、ジャカルタ」となり、2本目のM15は「しもうさ号、ジャカルタ」と表示されていましたが、3本目のM3はただ「ジャカルタ」となっていたものの、桜シーズンということもあり、桜の花びらがあしらわれていました。


また、編成札は通常使われているものではなく、1本目から順番に、「1/42」、「2/42」、「3/42」という札が付いています。(分母の/42は小さく遠くからであればほとんど見えませんが)
ジャカルタではおそらく12両編成に組成されるかと推測されますが、この編成札をそのまま使用するのかどうか気になるところですが、Bukit Duri車庫のO君、記念に全て回収し、先頭車の車両番号を編成番号として編成札を作成するのか、それともVVVF編成ということもあり、この黒い編成札をそのまま特別に使用するのか注目かと思われます。


カラフルな新潟の115系の撮影を兼ねて4月2日に新潟西港へ行ってみると、すでに船が到着しており、車両の積込作業が実施されておりました。船舶の位置状況、新潟港の入出港予定から推測すると武蔵野線の205系3編成分を載せた第1陣「ZELADA DESGAGNES」号は翌3日夕方に新潟港を出港しました。


そして、先程、地元のマニアから情報をいただきましたが、14日、武蔵野線の205系を載せた「ZELADA DESGAGNES」号はジャカルタTanjung Priok港に無事到着し、早速、車両を船から降ろす作業とPasoso駅でレール上に車両を乗せる作業が実施されました。
おそらくDepok車庫にて整備が実施されるものと思われますが、今回は205系初のVVVF車両ということもあり、従来の界磁添加励磁制御の編成と区別する上で、帯の色は武蔵野線そのままとするのか、組成については先程述べましたように12両編成として組成するのか気になるところです。
下の写真はPasoso駅にてレール上に降ろされるTc33です。(Andi Ardiansyah氏撮影)


武蔵野線の205系はPasoso駅からDepok車庫に移送され、あとは整備を受けることになりますが、帯の色は南武線の譲渡の時と同じように武蔵野線のカラーが保持されるのか、それとも他の車両と同様にKCI塗装に変更されてしまうのか注目されます。
下の写真はM3編成で、Depok車庫に留置されています。(Waldy氏撮影)


私も子供の誕生日が5月31日ですので、5月下旬頃に家内と子供のいるマニラに立ち寄り、そのままジャカルタへ足を延ばし、先日、ジャカルタに到着したばかりのMRTの車両とこれらの205系の整備されている姿を見て来ようかと思っておりますが、武蔵野線の205系がどのような姿になるのか楽しみにしております。
また、ラマダン(断食月)の始まりが今年は5月16日からということで、Mie Bakso屋(肉団子そば屋)さんなど日中は営業しておらず、水でさえも堂々と人前で飲めるようなものではありませんが、そこは少々我慢して、何とか乗り切っていきたいと思います。

ジャカルタに渡った103系

2017年11月21日 17時34分26秒 | インドネシア
およそ5ヶ月ぶりの更新でしょうか、年々、趣味に費やす時間も少なくなり、正直なかなかブログの更新ができないというのも本音ではありますが、今回、先日10月号の鉄道ピクトリアルで「ジャカルタで活躍するJR車両の現況」と題した記事に引き続き、明日発売の鉄道ピクトリアルでも「ジャカルタに渡った103系」と題して記事を執筆させていただきました。
今回は久しぶりに103系特集ということで、ジャカルタの103系が活躍した約11年間の動きを検査ごとに実施される色替の時代ごとに簡単にまとめてみました。
ネットがあまり普及していなかった2004年に103系16両がジャカルタに譲渡され、私も103系好きの1人として、ジャカルタで活躍する姿を見たかったのですが、当時としては情報量が少なく、いったいどのような姿で活躍しているのか興味津々でした。そのような中で2005年のゴールデンウィークに1週間程時間が取れましたので、ジャカルタへ行ってみたのですが、初めてJakarta Kota駅でオレンジ色のATC車のケヨE22、Bojong Gede行きを見た時の感動は忘れられず、今でも鮮明にあの時の思い出は残っております。その後も103系の醍醐味とでも言うのでしょうか、検査ごとに塗装変更が実施され、103系の魅力を思う存分発揮し、しかも自慢ではありませんが私のいくつかデザインしたものが採用され、一生の思い出となりました。
と言うことで、明日発売予定の鉄道ピクトリアル「特集:103系電車」のご案内でしたが、103系ファンの方はもちろんのこと、興味のある方は是非ご購入をいただければと思います。
また、感想やご指摘などがりましたらご自由にこのブログまでご連絡をいただければと思います。




南武線の車両を追い求めてジャカルタへ

2017年04月09日 10時31分05秒 | インドネシア
またまた、大変ご無沙汰しております。
報告が大変遅くなりましたが、先日のブログでも述べましたように2月26日〜3月5日の約1週間、マニラとジャカルタに行って来ました。
フィリピン航空の航空券代が前回訪れた昨年5月と同じ4万円ちょっとと全部込みで東京〜マニラ間に比べてなぜか安く、家内の許可の元にジャカルタまで足を延ばし、ジャカルタで活躍する元南武線の205系やCikaumに葬られた103系を求めて、撮影に行って参りました。

今回は元南武線の205系を中心に活躍ぶりを簡単に報告したいと思いますが、ジャカルタ滞在は2月27日〜3月2日の午前にかけてということで3日半の時間を費やしたのですが、結果的にCikaumの103系の撮影も含めても3日半は短く感じており、あっという間のジャカルタ滞在でありました。
今回の訪問においても前回と同様に宿はJakarta Kota駅の近くに滞在しましたが、205系を追っかける上では中央線(Jakarta Kota〜Manggarai間)には205系が多く運用されており、9割程度が205系なのですが、朝夕のラッシュ時を中心にKota駅の9番線〜12番線をフルに使い、205系たちが並んでいる姿を頻繁に見かけることができました。
また、「JABODETABEK COMMUTERS NEWS」の管理人であるパクアン急行様のご報告のとおり、最近、車体前面の南武色の帯がKCJ色へと変更されつつあるという話題が提供され、私も最後に南武線の名残である南武色の姿を残すため、ジャカルタまで来てみたのですが、初日の26日の朝にKota駅に入場してすぐに南武色の205系の並びを拝むことができました。
南武色が少なりつつあるこのような時期に、いきなり並びを見れるのは感激ですが、譲渡時において南武色を新たに貼付けているせいか、中原区時代よりも南武色が輝いて見えます。
左の車両が元ナハH41であり、右が元ナハH3でありますが、元ナハH41のほうは編成札が緑地に白文字でBUD25に変更されており、中原区時代を彷彿するものに徐々に作成、変更されているようです。(編成札の中には地が黄緑っぽいもの、スミ文字もあり)
この編成札は、テレビや新聞などの報道でも話題になった元南武線の車両譲渡時にBukit Duri区においてスマートフォンを発見した若手社員により、編成札が作成されていますが、日本好きなところが高じてなのかこのような細かいところにも興味があるようです。


続いてDepok車庫にお邪魔させていただくことにしたのですが、日本出発前に予め車庫入場のための手続きを行い、少ない時間ながらも撮影させていただきました。
車庫の留置線には元南武線の205系3編成と203系の12両編成が並んでいましたが、左から元ナハH12(後部はナハH11)、マト52、ナハH13(後部はナハH10)、ナハH39(後部はナハH34)で、全てDepok区所属の12両編成でありました。一番左の元ナハH12と後部のナハH11の前面方向幕はLEDに変更されており、中間に封じ込まれてしまった元横浜線の車両から移植されたものと思われます。


翌日の28日にはBukit Duri車庫にお邪魔させていただきましたが、こちらも予め日本出発前に車庫入場の手続きを行い、撮影させていただきましたが、車庫内には期待どおり南武色の元ナハH42+ナハH37の編成が留置されており、この編成はBukit Duri区所属車であることから、編成札も車両番号からとったものに変更されていました。
BUD21の編成札は札式のものになっていますが、BUD26のほうは編成札の掛け金具がないためなのか、左上の隅に貼られているようです。


また、この日もDepok車庫に用事がありましたので、再びDepokへ行ってみたのですが、ちょうど前面方向幕がLEDに変更されたBukit Duri区所属の元ナハH43(後部はナハH38)が留置されており、初めて南武色で前面LEDの車両を撮影することができました。前面の塗装が赤くなければ、以前、横浜線から転入したナハH17を思い出すものになりますが、今のところ南武色で前面方向幕がLEDなのはこのT'c27とTc28、T'c19だけのようです。


Depok車庫をあとにすると、途中どこかで太陽の角度を見ながら撮影することを考えていたのですが、この時期、イスラム寺院と一緒に撮影できるJuanda駅では太陽が南に廻るため撮影には適さず、終点であるJakarta Kota駅まで来てしまいました。
結果オーライで、下の写真のように先程Depok車庫で撮影した車両と元ナハH3の並びとなり、南武色のツーショットが再び見ることができました。


元ナハH43(T’c27)の反対側はナハH38(Tc22)が組まれていますが、こちらの前面帯は既にKCJ色になっていました。いずれは前面帯の南武色はKCJ色へと変更されるものと思われますが、私がジャカルタへ訪問する前に実施されていた南武色からKCJ色の変更はその後実施されていないようで、しばらくこの南武色は検査時まで見ることができるのかもしれません。


号車番号札に注目すると、号車番号の変更は必ずしも実施されていない車両が多く、以前のままであったりするのですが、中には号車札をひっくり返して新たに号車番号を手書きで加えられているものがありました。(車内の号車番号についても同様)


続いて3月1日は、103系の廃車体が置かれているジャカルタ中心部から東に約100kmに位置するCikaumに行くことにしたのですが、Cikaumへ行く前にManggarai駅の1つ手前であるCikini駅で撮影することにしました。駅でのカメラによる列車の撮影については駅によって禁止されているところと禁止されていないところと基準が曖昧ですが、Cikini駅のホーム先端での撮影については、許可証もしくは駅員の同行が必要とのことで、ホテルで拙いインドネシア語による手紙を書いて駅員に見せたのですが、タイプライターかパソコンで文章を書いてほしいと言われたものの、運良く許可をいただき駅員が同行していただくことになりました。
この時期、Cikini駅は順光になる時間も長く、列車も団子状態であることから低速で進入する列車が多く、撮影する上では非常にお手頃で、私のような下手くそな者でもある程度まともに撮影ができます。

下の写真の編成は元ナハH4(Tc88)+ナハH2(T'c86)であり、南武色からKCJ色に変更されていますが、Bukit Duri区所属車であることからスミ文字で「88」の編成札が取り付けられています。


続いて来た列車は元ナハH11+ナハH12で、譲渡当初は南武色であったものの、すぐにKCJ色に変更されましたが、前面の顔は塗り替えから1年以上経っていても綺麗な姿が保たれています。また、前面の方向幕は編成の前後ともにLEDに変更されています。


下の写真は元ナハH3+ナハH36で、Depok区の所属車であるため、編成札はそのままになっています。ナハH3側のT'c87の前面は南武色になっており、中間車のM'233、M’60は以前広告車両であったため側面の帯が南武色ですが、ナハH36側のTc20の前面帯はKCJ色に変更されています。


最後に2日ですが、この日は昼過ぎにジャカルタからマニラへ戻るため、朝だけCikini〜Manggarai間の高架からグランドレベルに下りるところで撮影しておりましたが、雨季であるにもかかわらずこの日も晴天に恵まれ、まずまずのジャカルタ滞在最終日でありました。
下の写真は元ナハH43(T'c27)であり、Depok車庫やKota駅で撮影したものですが、この南武色とLEDの方向幕の取り合わせは一時的なものかもしれません。


ここも信号機が手前にあり、この先、環状線と交差することから、列車は停止、もしくは減速で進み、私のような下手な者でもある程度簡単に撮影できます。
また、ごく希に鉄道警察隊が通りますので、彼らには注意されたほうが良いかもしれません。


ジャカルタで活躍する205系

2016年07月21日 19時31分44秒 | インドネシア


本日、7月22日発売の鉄道ピクトリアルは「JR205系電車」特集ということで、2010年2月号以来の特集でありますが、JR東日本においては今まで205系が配置されていた線区にE233系が投入され、それに伴って205系が廃車もしくは他線区へ転出したり、富士急行やジャカルタへ譲渡され、大きな局面を迎えている状況の中で6年ぶりに特集が組まれ、この私も「ジャカルタで活躍する205系」と題して書かせていただきました。
私自身、鉄道会社に勤務もしていませんし、インドネシアの鉄道のことまでそれほど詳しくはありませんが、実は東南アジアの鉄道について数多くの記事の執筆や本を出されている斎藤幹雄氏から鉄道ピクトリアルで205系特集をするにあたり、「ジャカルタで活躍する205系」について記事を書いていただけないかと直接依頼をいただいたのですが、鉄道ピクトリアルと言えば鉄道雑誌の中では最も専門的なものであり、奥付を見ていただければわかるように鉄道地理学の顕位である青木栄一氏をはじめ、国電よもやま話しでも著名な沢柳健一氏など錚々たるメンバーが編集委員であるため、この話しを受けるかどうか躊躇しました。
先程も申し上げたようにインドネシアの鉄道にそれほど知識もなく、ただ単に103系や205系が好きという私に記事をまとめることができるのかしばらく考えていましたが、記事の締め切りの期日にも余裕があり、マニラにいる子供もちょうど3才の誕生日を迎えるということで、位置的に日本からマニラの延長線上にあるジャカルタへ行って、205系の調査並びに撮影をやってもいいのではないかと感じはじめ、結局、それほど自信はないものの引き受けさせていただきました。
最初は8〜10頁程度ということで、ジャカルタの記事のスペースが確保されていたのですが、ジャカルタの電鉄区間の概要、205系以外の日本からの譲渡車両の概要、そして205系の記事を作り上げていくと結局13頁(+カラー頁2頁)になってしまい、これでもこの時点で内容が不足しているような状況はわかりつつ、これ以上の加筆は不可能ということで、本当に重要なものだけに絞ってまとめてみました。
皆様もご存知のようにジャカルタの205系は8両編成を10両または12両に組成変更していますので、記事の最後にある編成表や12両編成の運用表にしても何度も修正を行っていますし、できるだけ最新の情報を提供することに心がけていますが、詳細な情報はジャカルタに在住する現地の鉄道ファンやこのブログにリンクさせていただいているJABODETABEK COMMUTERS RAILNEWSの管理人であるパクアン急行様からの情報により、できるだけ正しい記事をまとめたしだいです。

ご興味がありましたら、是非とも書店などでご購入いただければと思いますし、皆様のお役にたてればと思っています。
また、最後になりますが、この記事の件で話しをいただいた斎藤幹雄氏をはじめ、ジャカルタで最新の鉄道の話題を提供していただいているパクアン急行様、現地の鉄道ファンの皆様、この記事を作成するにあたり出版物やウェブサイトを参考にさせていただきました落花生。様、道楽様、Pierre2427様には御礼を申し上げます。

最後の最後になりますが、来月は常磐線特集ということで、こちらも記事を少々書かせていただきましたので、ご期待いただければと思います。

ジャカルタ、マニラ遠征の近況報告(速報版)

2016年07月02日 01時58分04秒 | インドネシア
前回のブログ更新からほぼ2ヶ月以来の更新とあって、ほぼ休業状態になってしまいましたが、前回述べたようにマニラにいる子どもの誕生祝いを兼ねて、5月下旬にマニラとジャカルタを訪問しました。旅程としては5月21日〜31日と11日間も遠征に費やしてしまったのですが、自営業の私にとってはこの期間ほぼ仕事をやっていない状態ですから働かざる者は食うべからずということで、収入も少なくなってしまい、支出のほうは変わらずですから今になってそのツケが回って来て、1日1日を少しでも食費などを抑える生活を強いられています。まあ家族を持てば家族を養っていくのは当然の義務であり、私の周りにいらっしゃる独身でいろいろな好きな車両を思う存分追っかけているのを見ていると本当に羨ましい限りなのですが、私はそのような方々の便りや情報を聞くたびに、ただ指をくわえて写真などを眺めているだけで、満足するしかないのではないかと思っているしだいです。
上を見たら切りがありませんし、私自身も周りの方々のように頻繁にあっちこっち行けないにしても今回のようにマニラとジャカルタに行ってるのですから、そのような状況を受け入れて話を進めますと、ジャカルタでは22日午後〜26日夜までの4日半滞在し、今回も205系を中心に追っかけておりました。また、マニラでは遠征の前半でジャカルタを訪問しましたので、マニラへ戻ったあと到着早々フィリピン国鉄に乗車したのですが、疲れが限界に達していたのか、その後は家族水入らずの生活を送るだけになりました。

今回は速報版といことで簡単に報告しますと、最近のジャカルタの記事でも報告しましたようにジャカルタ首都圏の電車は全部で約800両が稼働していますが、そのうち500両近くが205系ということで、特にJakarta Kota〜Manggaraiを走る中央線では全体の8〜9割ぐらいは205系であり、205系王国が誕生したようにも感じます。今回はJakarta Kota駅の近くに滞在しましたので、必ず朝はKota駅から活動開始となるのですが、23日朝と24日朝は見事に元南武線3編成の並びが見られ、我ながら1人で「南武線トリオ」と心の中で叫んでおりました。24日はあと30秒の差で元南武線4編成の並びが見れるところで、もう少しで「南武線カルテット」が実現するところでしたが、現在では中央線に多くの205系12両編成が使用されていることもあり、特に珍しいことでないのかもしれません。


また、1月遠征時に報告しましたように、南武色の205系については今年2月を目処にKCJ色に変更されるということをDepok車庫幹部の方から聞いておりましたが、結局、東急の8000系や8500系、メトロの5000系などの他形式の車両のKCJ色化が優先され、南武色の205系のKCJ色化はほとんど進んでおらず。かつ、最近の元南武線12両編成に元横浜線のサハ204-100やサハ205を組み込んで組成変更が多く実施されたことにより、南武色とKCJの混色編成が6月時点で5本見られるようになりました。このような混色編成は205系では仙石線の2WAYシートのような特殊な編成を除けば、ここジャカルタでしか見れないのではないかと思いますし、205系以前の103系混色全盛期の時代に育った私としては混色編成はとても魅力的に感じております。


Tc142とT'c142で実施されているスクロール式によるLED行先表示は5月時点でも使用されており、他の車両にはこの方式による行先表示は実施されていないようです。ですので、従来通り線区色で示された行先表示が使用されており、Jakarta Kotaのような場合でもBekasi線は青色、Bogor線は赤色が使用されています。


ここまでがジャカルタ遠征の簡単なご報告で、後日、詳細等については別の機会にご説明させていただきたいと思います。
フィリピン国鉄で活躍する203系ですが、今回の遠征時に2度203系に乗車したところ、いずれの列車も冷房は使用されておらず送風のみになっていました。また、1編成の両数は機関車を除いて4両または5両編成で運用されており、途中のBuendia駅(Gil Puyat駅)では現状のホーム位置では両側にBuendia Ave.と南側のDela Rosa St.の踏切に挟まれているため、6両対応ホームの設置は不可能であることから、Dela Rosa St.の南側に新ホーム設置工事が実施されているようです。(最初っからそうすれば無駄な投資が防げたのですがね)


こちらはAlabang駅に停車する203系4両編成です。今まで通常5両編成で使用されていましたが、この編成は4両編成になっています。
なお、Alabang駅は駅横の大型商業施設のStar Mallが出資のもと、ホームの延伸工事が実施され、乗客のための待合室、商業施設から駅まで雨に濡れないように屋根が設置されるということで、現在、工事が実施されています。
その他、朝夕1往復のCalamba〜Tutuban間の列車運転再開を近日中に予定されているということも聞いておりますが、今のところ運転再開は実施されていません。


ということで、マニラのほうは疲れが堪っていたのかロクに鉄活動ができず、フィリピン国鉄の本社にも訪問したものの、幹部の方々は外で会議があったようで、フィリピン国鉄の現状と今後の予定については詳しく調べることはできませんでした。まあ特に変わったところもないようですので、前回の昨年9月訪問時と比べてニュースもないと思うのですが、先日も報告しましたようにDOST(科学技術省)で進めているハイブリッドトレインがフィリピン国鉄の線路を使って実験走行が始まるとのことで、ある程度実績が得られた場合には実用化されるのかもしれません。

どうなるジャカルタの103系

2016年02月15日 00時14分34秒 | インドネシア
今日は1月のジャカルタ遠征の最後の報告としてジャカルタの103系について述べていきたいと思います。
昨年9月のジャカルタ訪問時においてはKCJ色のT'c597 T246 M'231 Mc105 Tc359 M654 M'810 T'c384は環状線のManggaraiフィダーと呼ばれるManggarai~Duri間の運用に充当され、元気に活躍している姿を見ることができましたが、昨年暮れの12月にMGなどの故障により運用から外れ、しばらくBukit Duri車庫に留置されていたものの、私が訪問する数日前にBukit Duri車庫からDepok車庫へ回送され、1月の訪問時にはDepok車庫の部品取りなどで留置されている車両のあたりに置かれていました。


この編成の今後の行方については、資料には修繕・廃車という中に記載されているようですが、いただいた最新の編成表の中にはこの編成の車両番号が記載されていないことから、復活することは計画されていないのかもしれません。
私の願いとしては新潟地区の115系が徐々に廃車されていますので、素人的な考えではありますが、その中で状態の良い部品を簡単に調達できるのであれば修繕への道はあるものと思いますが、修繕するにはどれだけの費用が嵩むのか推測もできないものの、何とか復活してもらうことを願うばかりです。
下の写真は低運T'c597の反対側であるT'c384で、こちらは別の編成がギリギリにつけるものですから、かなり広角レンズでないと撮影はできません。


一方、もう1つの東海色の編成であるT'c822 M'2009 M752 Tc815 Mc153 M'321 T210 T'c632は相変わらずBalai Yasa Manggaraiに隣接する場所に留置されており、撮影するとなると手前の高運のほうは良いものの、反対側の低運のほうを撮影するには草むらの中を歩く必要もあるかもしれませんし、場合によってはインドネシア独特のオナモミとか言われている草のトゲトゲが服にくっつき大変なことになります。それもトゲトゲがとても痛いので注意が必要です。
この編成はいずれCikaumやPurwakartaに送られると思っていましたが、この場所に置かれてから2年程経過しますので、そのままこの場所で朽ち果ててしまうのかもしれません。


ということでジャカルタの103系の活躍の復活があるのかどうかわかりませんが、ちょっと懐かしい写真ということで、103系が譲渡されてから間もない2005年5月に撮影した写真を2枚程アップします。
この当時の103系は全て4両編成で運行されており、下のTc359の編成は主にBogor線・中央線で活躍していました。


また、Tc815の編成はTangerang線のBenteng Ekspressに充当されることが多く、低運のMc105やMc153の編成は朝Tangerang線からBogor線に乗り入れるCisadaneという名前の列車に充当されることが頻繁にあったようで、Serpong線でも運用に入っていたことも覚えております。


ここまでは103系の現状と想い出ということで述べましたが、最後についでということで元南武線205系の動きに大きな動きがあり、このブログにリンクさせていただいているJABODETABEK COMMUTERS NEWSのパクアン急行様のご報告を総括させて、1月作成した元南武線の編成表を修正すると以下のとおりとなります。


元南武線の205系は全て12両編成となり、KCJ色は譲渡第5陣のナハH12,34,39とペアを組むようになった11がKCJ色に変更されたものの、その後はKCJ色化された編成はない模様で、南武色からKCJ色化が確実に今後も実施されるのか注目されますが、私個人的には南武線ファンの1人でもありますので、他の編成にはKCJ色化が波及しないことを願うばかりです。

下の編成はナハH11+10の6M2Tによる8両編成で、この南武色8両編成は元より10両編成でさえも過去のものとなっています。

Cikini駅で撮影

2016年02月09日 23時07分35秒 | インドネシア
前回でのお約束どおり、今回はCikini駅での撮影について、少々述べていきたいと思います。
朝、中央線内で撮影する上では、光線状態や線形的な条件を考慮するとCikini駅のホームが最も良い場所かと思いますが、今回の撮影の目的は元南武線205系を撮影するということで、ほとんどの元南武線の編成は中央線に入る運用となっていましたので、先日の報告のとおり1/17の日曜日朝にCikini駅ホームで撮影することとしていました。
しかしながら、カメラの電池をホテルの部屋に充電したままカメラの中の電池を確認せずそのまま来てしまったため、ここで初めて気がつくというドジをしてしまい、タクシーで電池を取りに往復したのち、再びここCikini駅のホームで撮影しようと思っていたのですが、PKDのお兄さんに許可証がないと撮影できませんとのことで、翌月曜日の朝であれば駅員がいると思うので、結局出直すことにしました。
翌日朝8時にCikini駅の事務室へ寄ってみると、駅員担当者は交通渋滞の影響により出社が遅れているとのことで朝の撮影は断念したのですが、受付嬢曰く、夕方はたいてい16時まで居るのでまた来てくださいとのことで、Depok車庫訪問の帰りに寄ってみることにしました。
駅事務室で事情を話すと許可証を発行するのかと思いきや、駅のスタッフの1人が一緒にホーム先端までついて行くというので、ちょっと申し訳ないような思いでお願いさせていただくと、最初にやって来た列車がラッキーなことに下の元南武線のナハH3+36の12連でした。


続いて元ハマ線の205系と元埼京線の205系がManggarai方向からKota方面へと通り過ぎたのですが、このあと来た列車は先程Depok車庫に留置されていたナハH2+4の10連でした。
この編成は行先表示と種別表示をちょっといじらせてもらった編成だけに、もしや後ろのH4編成で種別が「快速」、行先表示「快速川崎」という表示で拝めるのではないかと期待していたところ。


前面を見ると下の写真のとおり嬉しいことに種別が「快速」、行先表示「快速川崎」という表示を見事に見ることができました。
あまりにも嬉しくて後続の列車で追いかけ、Kota駅でもこの姿をもう一度拝みたいと思っていたのですが、最後の最後の駅であるJayakarta駅まで来ていながら、この駅をちょっと出たところで15分程停車し、このナハH2+4編成と不幸にもすれ違ってしまい、再び、種別「快速」、行先表示が「快速川崎」という姿を撮影することができませんでした。
(Kota駅に到着してみると、Commuter列車は私が乗車した列車しかいませんでした)


19日朝、18日夕方に続き、上りホームのKota寄りで撮影するため、18日夕方に駅員に19日朝も撮影させていただきたいということで許可を得ていたのですが、許可証のようなだれもがすぐに認めてくれるものは発行されず、口頭だけでの許可でありますので、果たしてPKDのお兄さんたちが理解していただけるのか不安でした。
朝8時頃にCikini駅に到着すると、まずは上りホームにいる1人のPKDお兄さんに昨日駅員に口頭で許可をいただいているので撮影させていただきますと断ってホーム先端で無難に撮影していたところ、しばらくして別のPKDのお兄さんが私のところまでやって来て「撮影には許可証が必要なので、この駅の事務室に行ってください」と忠告されました。私は昨日の夕方に駅員から許可を取りましたと説明すると、そのお兄さんはまだ私を疑っているようでしたので、それならば「あとで駅員に聞いてみてください」と言うと、素直に引き下がってくれました。
どうもPKD同士での連絡や駅員とPKDとの連絡も必ずしも徹底していないところがあり、やはり再び私が他のPKDのお兄さんに対して説明する必要がありますので、ホームでの撮影となるとこのような説明をしなければならない場面も出てきますし、フィリピンのように国民全員が英語をうまく話せるとはかぎらないところもあり、インドネシア語で会話することが必要な場合もありますので、インドネシア語がわからない方にとっては撮影する上で苦労することもあるかもしれません。
私自身、マレー系の言語でフィリピンの公用語であるタガログ語を長年勉強していたおかげで、インドネシア語の中に同じもしくは類似する語彙が多くありますので、非常に助かっておりますが、語根でタガログ語とインドネシア語で対比するとたくさんの共通する語彙が多く、マレー系の言語の特徴である接頭辞、接尾辞、接中辞を変えるだげで、簡単にタガログ語からインドネシア語、インドネシア語からタガログ語にもできますし、人称代名詞の「私、彼、私たち(話し手を含む、含まない)」や指示代名詞をはじめ、名詞、動詞、形容詞などほとんどの品詞に対して非常に近いものがあります。
ただ、同じ語彙でも意味が若干違うものがいくつかあり、例えば「インドネシア語のtunai、タガログ語のtunay」はインドネシア語は現金、タガログ語は本物という意味であり、「ingat」はインドネシア語は記憶・覚え、タガログ語は気をつけるという意味で、若干意味が違いますので、私にとっては混乱することもあります。また、この駅の名前であるCikiniもタガログ語のChikininiに似ていて面白いのですが、タガログ語のChikininiはキスマークという意味で、この駅の名前のCikiniはどのような意味があるのかわかりません。
話しがインドネシア語とタガログ語の類似性ということで脱線してしまいましたが、話しを元に戻すとこのままホームの先端で撮影し続けたものの、下の写真のとおり列車が数珠つなぎ状態になっていました。
どうもこの日の朝はBogor線のLenteng Agung駅付近において、レールに亀裂が見つかり、数時間列車が止まっていたために、Bogor線方面からの列車は少なく、Bogor線・中央線に充当されている元南武線の205系は撮影開始から1時間経っても来ませんでした。


Bogor線内でのレールの亀裂により、Kota方面から来る列車はBekasi線方面の列車ばかりで、自ずから元南武線の列車もなかなか姿を現さなかったのですが、撮影開始から1時間経って、ようやく元南武線がKota方面へと去って行き、その30分後に帰ってきたのですが、危うく被られるところでした。


後ろを振り返るとすぐにKota方面の元南武線の列車が到着し、元南武線同士でのツーショットの姿も珍しくないようです。
また、上り列車の停止位置を観察していると、大方、正しい位置に列車が停止しているのですが、中には8両編成のくせして、私が撮影しているホーム先端の12両の停止位置で停止する列車があり、その運転士に「なぜ、ここで停止するの?」と聞くと、運転士曰く「tidak apa-apa」と問題ないと返事されましたが、改札へ降りる2つの階段は、Kota寄りの階段に降車客が集中してしまい、うまく分散されないことをわかっていない運転士もいます。
この他、列車の最後尾の車両の乗務員室には日本と同様に車掌が乗務していますが、発車直後のホームでの安全確認は実施されておらず、JRが乗務員に対して実施している指導講習も活かされていないような気がします。


中央線では通過するコミューターの中でほとんどが205系で、おそらく1割程度が東急やメトロ系列の車両で、205系以外のファンにとっては面白くない路線でありますが、JR以外の車両をお望みの方は環状線で撮影することが望ましいようです。


元南武線の編成が連続でやってきましたが、このような姿を見ることは珍しくないようです。


ということで、続いてきたこちらの12連の列車に運良く乗車することができ、Depok車庫へと向かいました。


Depok車庫幹部の話しでは南武色205系の帯を1月中に全て変更すると述べていたものの、蓋を開けてみるとKCJ色になったのは第5陣のナハH12,34,39とその相手を組むナハH11の4本だけで、その他の編成もKCJ色に変更されるのか注目されますが、これらの元南武の編成は基本的に12両編成として使用されるようですので、KCJ色との組成は想定されないものの、今後どのようなことになるのか気になるところです。私個人的にはこの南武色はKCJ色化されないことを願いつつ、そのような様子が見られなければ、今年の断食時期(ラマダン)の前にもう一度ジャカルタに訪問し、今度は南武色の205系をJuanda駅のホームからMasjid Istiqlalとともに撮影してみたいものです。

Depok車庫訪問2

2016年02月02日 23時25分36秒 | インドネシア
先日の続きで、今回もDepok車庫訪問についてですが、留置線からさらに奥へ行くと最終の第5陣で運ばれた元南武線のナハH12,34,39が洗浄線で整備中で、私がDepok車庫を訪問する3日ぐらい前までは赤鬼にはなっておらずオリジナルのままの姿のようでしたが、私が訪問した1月18日には3編成ともに残念ながら赤鬼化されてしまいました。


当然のように前面には新たに南武色の帯が貼られていたのですが、ナハH34の山側のサイドの帯はなぜかKCJ色化されており、海側についても一部がKCJ色化されビックリしました。
先日も報告しましたとおりDepok車庫幹部の話としては検査時期を待たずに1月中に約100両全ての南武色の帯を全てKCJ色に変更する予定と述べており、この時点でいくらなんでもあと10日間で帯を変更するのは無理ではないかと思っていましたが、現時点で急速的な変更は無理なようであったものの第5陣のナハH12,34,39に加えて11がKCJ色化されており、元南武線計20編成中4編成がKCJ色化されているようです。
下の写真はちょっとわかりづらいですが、ナハH34の編成で、前面が南武色、サイドの帯がKCJ色化されており、18日の時点では残りのナハH12と39は前面・サイドの帯ともに南武色でした。


洗浄線から再び留置線に戻ってみると、元南武線の編成を探してみたのですが、私がDepok駅から車庫まで乗せてもらったナハH8+7の10連以外にナハH4+2の10連が留置されていました。
平成元年に南武線初の205系として登場した編成で、それぞれの中間車のMM'は不幸にも中原区内の検査時に引き起こした事故によって元来のMM'は使用不可能な状態に陥り、元山手の車両に交換されてしまいましたが、新天地のジャカルタに移ってからもそのままの編成で活躍し、南武第1陣同士が編成を組んでいます。
また、行先表示と種別のところをちょっといじらせてもらい、南武線では幻で終わってしまった行先表示が「快速川崎」、種別も「快速」にして、1人でこの姿を堪能させていただきましたが、南武線で実際にこのような姿を見れたならばきっと感動していたのではないかとあらためて感じておりました。


車内に入ってみると、今のところ元南武線の編成にはKCJ特有の広告モニターが取り付けられておらず、JR時代そのままの姿ではありますが、自動音声による車内案内の装置が設置されているようです。
また、今回の訪問で気がついたのは、自動音声に引き続き、全ての車掌がドアの開閉時に独自にインドネシア語で「ドアが開きます・ドアが閉まります」、「すぐにドアが開きます・すぐにドアが閉まります」または「ドアが開きますのでご注意ください・ドアが閉まりますのでご注意ください」と案内がバラバラで統一されておらず、車掌によっては英語で「ホームとのギャップにご注意ください」と案内する方もおり、聞いていて面白いものがあります。


こちらの編成はDepok駅から車庫まで乗車させていただいたナハH8+7の10連です。元南武線の編成では第5陣の3編成分は前面・サイドの幕ともに抜かれており、これ以外の編成も前面の幕が抜かれているものが多くありますが、おそらくKCJでは日本語の幕を乗客に見られたくないことがうかがえます。


場所を移動してみるとナハH43+38の12連が居りましたが、こちらは幕ありの編成ということで、KCJに対しては何の恨みもないのですが、ちょっといじらせてもらい、私の好きな「快速川崎」にさせてもらいましたが、この編成が運用に入った時には幕が変えられてしまったようで、「快速川崎」は残念ながら見れませんでした。やはり、日本語の行先が表示されていると運転士がすぐに変えているようです。


こちらは整備中のナハH39で、南武線で最後のオリジナル顔編成ということで73系のヘッドマークを付けた編成ですが、赤鬼+南武色の姿もこの日を最後に翌19日にはサイドの帯の一部がKCJ色に変更されてしまいました。できれば南武色のまま、ここジャカルタにおいても73系のヘッドマークを付けて1ヶ月ぐらいは南武線とKCJ共同企画の第2弾コラボレーションということで運用に入ってくれることを願っておりましたが、今後、73系のヘッドマークを付けて走ってくれるのか、あまり期待できないかもしれません。ヘッドマークを付けて走ってくれたならばすぐに航空券を手配して行きたいところですがね。


ここまでが18日の状況でしたが、Depok車庫内での撮影申請書に17日から19日のうちのいずれかの1日で2時間程度撮影させていただきたいということで申請していたところ、許可証には「tanggal 18 dan 19」(18日と19日)と書かれており、「atau」(または)ではなく、「dan」(と)と書かれていましたので、それに乗じて19日もDepok車庫に入り撮影させていただきました。
気になっていた洗浄線に行ってみると、引き続きナハH12,34,39の編成が整備中であり、昨日は南武色であったナハH12がKCJ色に変更されており、34についても前面の帯がKCJ色に変更され、2編成が僅かな時間でKCJ色へと簡単に変更されました。


その後、洗浄線にナハH39が入線し、サイドの帯の一部がKCJ色に変更されていましたが、現在ではこの編成もKCJ色化が終了しているようです。
南武色からKCJ色への変更は1編成あたり1日もあれば終わってしまうようですので、確かにDepok車庫幹部の言っていたように1月内に全ての南武色をKCJ色に変更するというのも可能だったのかもしれませんが、1月内に全ての変更は無理にしても、もしかすると2月もしくは3月には終了してしまうのかもしれません。南武線ファンとしては数本でよいから残してほしいところですが、今後、どのような展開になるのか気になるところです。


19日は東急の8000系で初めてKCJ色化された8007Fの試運転がDepok~Manggarai~Bogor~Depokとあったようなのですが、私はというとその試運転の撮影より元南武線の205系の撮影を優先するということで、Depok車庫内で撮影していたところ、その8007Fが帰ってきました。
この時点で8003Fも検査入場中ということで、今後、こちらの編成もKCJ色化されるようですが、8039Fについては車籍があるものの部品取りとして供出されているようですので復帰は難しいのかもしれません。


ということでDepok車庫訪問の様子についてお伝えしましたが、次回はCikini駅での撮影について簡単に報告したいと思います。