Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

Balai Yasa Manggarai訪問

2011年06月25日 02時05分34秒 | インドネシア
先日は南武線の近況報告しましたが、話をインドネシアに戻したいと思います。
今回はジャカルタ首都圏の鉄道工場とも言うべきBalai Yasa Manggarai(Manggarai工場)について、簡単に説明したいと思います。

このBalai Yasa Manggaraiは東京で言えば、東京総合車両センター(国鉄時代の大井工場)的な存在で、電車のみならず客車の検査も行っています。場所としてはグーグル地図で見ていただければ一目瞭然ですが、Manggarai駅の南側に隣接し、工場の広さも近接のBukit Duri車庫に比べ、かなり広い敷地を持っています。
以前もこのBalai Yasa Manggaraiについて説明したかと思いますが、この工場に入るには簡単に入ることができず、あらかじめ許可証がないと入ることができません。前回訪問した昨年8月においても訪問前に申請し、許可証を発行していただきました。
許可証は下の写真のようなものですが、まず、私が拙いインドネシア語でBalai Yasa Manggaraiや他の車庫へ入るための理由につて説明し、その文章を現地の鉄道雑誌「Majalah KA」の編集者であるS君に渡し、S君から鉄道会社のトップの方に渡していただき、無事に許可証を発行していただきました。


昨年8月にこのBalai Yasa Manggaraiに入る大きな目的として、東京メトロから到着したばかりの05系の姿を撮影することでした。工場内へ入るとまず目にしたのが下の写真のとおりHolecの車両で、故障しがちの形式として現場からもっぱら嫌われ、地方都市用の電気式ディーゼルカーとして改造され、ジャカルタ首都圏では年々その姿を見ることが少なくなってきています。その前にここを訪問した時には多くのHolecの車両が留置されていましたが、かなりの両数が改造されてしまったのか、一時期よりも少なくなっていました。


さらにその奥を行くと緑色帯と青帯の6000形が留置されていました。緑帯(6201F)が検査を受けていたようで、車体の側面にKL1-○○○○というような新たな車番プレートが取り付けられていました。


先程の6000形が置いてあった検修庫外側には6000形6252と6155が留置され、それぞれの車両の妻面は衝突事故によって大きく抉られ、先頭車改造もなんなくこなすPT.KAIでも復活は無理と判断したのか、長期的にほったらかしのようです。


そして、工場構内の最も西側にジャカルタに到着したばかりの東京メトロ05系02Fと07Fが1本のレール上にタテに並べられ、現地仕様に改造されるのを待っていたところでした。車内に入ると当然ながらもあっとした暑い空気が漂い、中に長時間居ると倒れそうになるのですが、車内にはまだ手が付けられたような形跡があまりないようで、東西線で活躍していた当時のままの広告や路線図などが付いており、103系などと同様に思わぬお土産も運んできたきたようでした。


この他工場内にはかつて活躍した古典的な電気機関車や歴史的価値の高い客車、一時的にお役目を果たしたHitachiの電車(電気式ディーゼル化改造工事待ち)などが存在し、非常に面白い車両を多く見ることができます。
下の写真は構内で入れ換え作業を行っていたD301型機関車で、時々、Manggarai駅の近くでもその姿を確認でき、甲高い警笛を鳴らしながら一生懸命に入れ換え作業を行っています。犬で例えるならば愛らしいトイプードルと言ったところでしょうか。


工場構内については簡単に説明しましたが、次回も工場訪問を考えておりますので、今後も別の機会にでも工場内の様子については述べていきたいと思っております。

ところで、私事になりますが、7月10日から22日に渡り、約10ヶ月ぶりにフィリピン、インドネシアに滞在する予定です。もちろん現地では時間がある限り現地の鉄道の現状を把握すべく取材する予定で、いろいろな話題を入手できるかもしれません。帰国後についてはもちろんのことそれらの話題についてできるだけ詳しく述べていけたらと思っております。

最後に宣伝になりますが、海外で活躍する日本の中古車両の姿について、いつも鉄道雑誌などでレポートされている斎藤幹雄氏から「東南アジアを走るニッポンの廃車両:えい出版社発行」と題した本が発売されます。実は出版される前に原稿の中身をチェックさせていただいて赤字修正を出したのですが、どうも出版社のほうで修正されていなかったりと、所々ミスが見られます。本来であれば修正箇所にシール貼りもしくは正誤表を本の中に挟んで、読者に対しお詫びする必要があると思いますが、そこまでの対応が難しいかと推測していますので、あらためてこのブログ上にてその誤りの箇所を明示し、同時に正しい情報を明示していきたいと思っております。

南武線ウォッチング-近況報告

2011年06月21日 22時45分16秒 | 南武線
たまには地元の話題ということで、南武線の近況報告をご紹介したいと思います。
まずは毎年この時期恒例となった快速「いろどり山梨さくらんぼ号」が、6月11、12、18、19日の4日間、南武線の川崎~竜王間に運転されました。使用された車両は長野総合車両センター所属の485系「彩」で、今年も同じ車両が抜擢されました。

回送の途中、武蔵中原で2番線に入り、しばしの待機となるため、下り武蔵中原止まりの列車との並びが見られました。


乗車率のほうは確認しておりませんが、近年、毎年のように運転されていますので、乗車率はまずまずなのではないでしょうか。


続いて、稲城市内の連続立体交差事業の進捗状況について簡単に報告します。
現在、下り線の工事が行われていますが、基礎工事は終了し、鉄道施設の工事に着手され、軌道工事、ホーム施設工事に移行されています。

稲城長沼駅では下の写真のようにホームが完成し、屋根の取付工事が行われています。以前、報告しましたが、川崎寄りにダブルクロス(シーザス)ポイントが設置され、上りの電留線(2番線)のレールも敷設されています。なお、ホームは現在の位置よりも若干立川寄りに設置されています。


南多摩駅でも稲城長沼駅と同様にホームが完成しているようで、屋根の取付工事が行われています。南多摩駅の立川寄りに府中街道が開通し、暫定的に南武線との交差部は踏切によって処理されていますが、南武線はちょうどカーブ区間となっているため、踏切上は段差が大きくハンプのようになり、シャコタンの車が踏切を通過する上では注意が必要です。


最後にJR東日本から先日16日、夏の節電ダイヤが発表されましたが、その内容は以下のとおりです。節電ダイヤは今週24日~9月22日までの平日に実施され、南武線においては川崎~登戸間で約4割の列車が削減されます。4月9日から運行開始され、ようやく軌道に乗った快速列車も削減の対象となり、各停のみの運行となります。また、日中は川崎~立川間を約12分間隔で運行し、2007年3月ダイヤ以前の12分間隔運転に逆戻りの体制となります。
運用本数では15本から10本(運用番号33、59、29、45、47、49、11、35、19、01)に減らされ、現状のダイヤで行先が変更されるものがあります。また、現状のスジには乗らない列車の列車番号は9000番台となります。
24日から実施されるとは何とも中途半端な時期ですが、南武線では通学利用者も多いことから積み残しでもでないか心配で、かつ南武線に限ってはあまりにも理不尽な約4割の列車削減であるため、苦情がJRに対して絶えないのではないかと推測しております。
時間がありましたら、平日の日中にでも乗車してみたいと思います。

下の写真は現在運行されている快速列車で、節電ダイヤの実施時期には、快速は運行されません。

ジャカルタ近況報告

2011年06月18日 00時37分07秒 | インドネシア
前回はメトロ7000系でSerpong線Parung Panjangまでの乗車記を紹介しましたが、その続きということで日本からの譲渡話題や日本の中古車両の近況を簡単に報告したいと思います。
まずは東急の車両で「JALITA」として活躍した8613Fですが、つい先日検査が実施され、新たな姿になって出場しました。新たな塗装は以下の写真のとおりで、KCJカラーが踏襲され、メトロ6000系や7000系、05系と同じようなカラーリングに変更されました。


女性専用車「Kereta Khusus Wanita」のデザインが施され、わかりやすくなっています。
また、Bogor線を中心にEkonomi ACとして、すでに運用に入っているようです。
(Foto:Mas Andi Ardinsyah)


ジャカルタには103系4両編成4本が在籍し、近年では高運、低運どうしで2編成を組成し、8両編成として活躍していますが、今週水曜日の15日に低運編成がBalai Yasa Manggaraiに検査入場しました。先程、現地のマニアからの情報によると8両編成であったものが、それぞれ4両編成に分割されて留置されています。今回の検査でおそらく新色に変更されるものと思われますが、どのようなカラーリングになるのかわかりません。そこで私も103系のデザインをいろいろと考え、下のようなデザインも含めてPT.KAIに提案させていただいたのですが、果たしてどのような姿で出場するのか、私の案が採用されるか楽しみです。(Informasi:Mas Faris Fadhli)

PT.KAIの標準色として考えたのが下の案です。少々湘南型をイメージしてみました。(実際の色はこんなに明るくありませんが)


下のデザインはサンセットをイメージし、トワイライトバージョンということで提案しました。


2004年の103系譲渡に続き、JRから203系が譲渡されるということで、先日15日、震災復興支援として発売された「JR東日本パス」を使用し、203系の譲渡回送の様子を撮影して参りました。東新潟駅、黒山駅近くで撮影したのち、黒山~藤寄間で撮影してみました。


藤寄に到着後はすぐに1両1両、トレーラーに載せる作業に入りました。ずっと見ているだけでも面白いものです。


すでに新潟港に運ばれたマト66と51の姿を確かめるべく港周辺を探したところ、見つけることができました。新潟の地元の新聞によると早ければ6月下旬に出港とのことですので、おそらく約2週間かけて到着するものと思われますが、この203系も最近流行りのKCJカラーに変更されてしまうのか注目ですし、以前の同僚である103系やメトロ6000系との3ショットが実現するのではないかと思われます。


最後に去就が注目される新津運輸区のキハ52を見て参りました。国鉄色が3両と新潟色が4両在籍し、今後、この車両も海外で活躍するのかどうか注目されます。もしキハ52が海外で活躍するとなれば、キハ52ファンは現地の鉄道会社に押し寄せるのではないかと思いますが、こちらも203系と同様に今後の動きに注目したいと思います。


今回、新潟でご一緒させていただいた方々、並びに詳細な情報などを教えていただいた方々に御礼を申し上げるとともに、今後も国内外の203系の姿をレポートしていきたいと思います。

メトロ7000系でParung Panjangへ

2011年06月08日 19時51分12秒 | インドネシア
本日からインドネシアの鉄道について述べていきたいと思います。
昨年の8月29日から9月1日にかけてジャカルタに滞在したものの、まだ報告しきれていないこともありますので、本日はメトロ7000系乗車レポートを皆様にお伝えします。

前回9月26日の報告で、猫バスの6000形ことJoko Lelono2でRajawari→Tanjung Priok→Bukit Duriの旅を紹介しましたが、その後、Bukit Duri車庫で1時間ほど滞在したあとManggaraiからSerpong線の電車の終点駅であるParung Panjangまでメトロの7000系に乗車しました。
この運用に充当されたのはジャカルタのメトロ7000系では異端児的な存在かもしれませんが7117Fで、この日の朝、下の写真のとおり中央線に充当されておりました。


その後、私がRajawariからJoko Lelono2に乗車している間にこの7117FはBukit Duri車庫に入庫し、下の写真のようにこの日の1日前にBalai Yasa Manggaraiからやってきたメトロ05系と肩を並べました。


当初からManggaraiからParung Panjangまで電車に乗車することを決めていたのですが、どの編成が充当されるのかわからず、かつ、お腹も空いていましたし、現地の鉄道雑誌Majalah KAの編集者であるS君とManggarai駅で待ち合わせということにしていましたので、バイクタクシーで一足先に駅に向かいました。列車はManggarai駅を12:30に出発するのですが、既に時計の針は12時を過ぎていました。食べる時間もなく駅の中にあるダンキンドーナツを買って空腹を抑えることにしました。12:20頃に最も駅舎寄りの1番線にParung Panjang行き7117Fが入線しましたが、待ち合わせをしていたS君の姿は見えないため、メールしてみました。すると間もなくS君から返事があり、会社のあるDepok BaruからBogor線に乗車しManggarai駅の1つ手前のTebetまで来ているのですが、途中、列車が止まってしまい遅れているとの返事がありました。時間は既に出発時間を迎え、私はこのまま彼のことを置き去りにして乗車することにしました。


結局、彼の乗車した列車は間に合わず、12:30ちょうどにParung Panjang行きは定刻どおりに出発しました。Serpong線の起点のTanah Abangに到着すると大勢乗り込んできました。私はこのまま折り返してSerpong線に入るものと当初思っていました。すぐに扉が閉まり列車は向きを変えずに環状線Kampung Bandan方面に向かったので、私は一瞬Tanah Abang駅で降りて別の列車に乗車しなければいけなかったのではないかと思い、つい近くにいた乗客に質問してみたところ、この列車はAngkeで折り返すので大丈夫だよと返事がありました。
Angkeで1番線に入線すると列車の向きが逆になるため、私の前をブレーキハンドルを持った運転士が通り過ぎました。以前にも報告したように2、3年前ぐらいから乗務員室での一般乗客は立入禁止になったため、特別な事情がないかぎり乗務員室での乗車はできないのですが、ダメもとで聞いてみたところ「いいよ(Boleh)」という返事があり、私は先頭車の乗務員室に乗車することになりました。
Angkeを出発すると下の写真のとおりジャカルタでは最も汚い区間を通るのですが、線路一帯は市場であり、列車を気にせず多くの人々が線路の上を歩き、ゴミも散らかっています。(下の写真はDuri駅)


間もなく私の携帯電話にS君からメールが入り、彼はバイクタクシーでTanah Abang駅から2つ目の駅であるSerpong線Kebayoranから乗車すると返事があり、私は乗務員室に乗っていることを彼にメールしました。
Tanah Abang駅では最も西側の6番線に列車は入線しました。更に大勢の乗客が乗り込み、客室を覗き込むと東京のラッシュ時並みの混雑になっていました。
列車は少々遅れて出発すると、しばらく環状線と平行して走りますが、下の写真のように緩やかに環状線と分かれます。


緩やかに右にカーブすると向こうのほうから貨物列車と擦れ違いました。セルポン線に乗っているとかなりの貨物列車と擦れ違うのですが、いったいどこから来ているのか気になります。ダイヤグラムを見るかぎりこの路線の終点であるMerak近くのCigadingというスマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡に面したところから貨物列車のスジがありますが、セメント列車がこの港町からジャカルタまで運行されているのか、はたまたスマトラからはるばるやって来ているのか、今度ジャカルタに行った時に地元のマニアに聞いてみたいと思います。


そしてS君が乗車する予定のKebayoran駅に近づき、目を凝らして彼の姿を発見しようと試みたのですが、あまりにも乗車する人が多く、彼の姿は発見できませんでした。
Kebayoranを過ぎるとジャカルタ的な街並みもインドネシアの田舎的な風景に変わり、Bogor線のような郊外であっても賑わいは感じられません。(下の写真はSudimara駅)


Serpongに近づくにつれ雲行きが怪しくなりましたが、大勢の乗客を乗せた列車は田園の中を快調に飛ばしていました。少々遅れてSerpong駅に到着するとかなりの乗客が降車したのですが、それでも立っている乗客が多く見られました。


この駅を境に単線になりCisadane川を渡りました。CisadaneはTangerangとBogor線Depokを結ぶEkspresの名前になっていますが、この川、意外にも長く、Bogorの街の近くを通っています。また、複線化工事もSerpongから西側の区間で行われており、用地の確保はほとんど終了しているようです。


Serpongを過ぎて土砂降りのスコールがありましたが、列車はこのまま平然と土砂降りの中を進みました。しかしながら撮影のほうは前が見えないくらいになり、撮影は断念せざるをえなくなりました。
10分ほど遅れて終点のParung Panjangに到着しましたが、土砂降りの雨はますます強くなるばかりで、撮影がほとんど困難な状況になりました。その中で撮影したのが下の写真で、ずぶ濡れになって記念の1枚を撮影しました。


この後すぐにS君と会うことができ、このまま折り返してこの列車でManggaraiまで戻ったてきました。
ずっと立っていたせいか疲れが出てしまい、このあとの深夜便の飛行機で無理してそのままマニラへ行ったのですが、疲れが増幅され、しかもジープニーの排気ガスにやられたのか、思わぬインフルエンザにかかってしまいました。

落ち着きのあるKuala Lumpur駅

2011年06月06日 22時32分41秒 | マレーシア
また、ご無沙汰してしまって申し訳ありません。
本日はマレー鉄道の玄関とも言えるKuala Lumpur駅を簡単にご紹介します。
歴史的なことについてはよくわかりませんが、1886年に開業し、今からおおよそ100年前の1910年に現在も残るイスラム様式の白亜の歴史的建造物が建てられました。
2001年にKL Sentralが開業し、クアラルンプールの表玄関がKL Sentralに移動しましたが、広々した駅構内の様子は変わらず、現在もその姿は保ち続けています。
駅構内は変則的な3面4線の構造で、簡単に説明すると京葉線の新習志野駅のようになっているのですが、真ん中のホームがKTMコミューターとして使用され、行き先別に列車の停車する位置が異なっています。


駅構内の西側、つまり1番線側には小さな鉄道博物館があり、マレー鉄道の歴史を簡単に把握することができます。


鉄道模型の他、歴史的な写真やマレー鉄道の地図、制服、切符などが展示されています。


駅舎の道路を挟んで西側にはマレー鉄道の本社がありますが、これもまた歴史的価値の高いイスラム様式の建造物で、夜間は下の写真のようにライトアップされます。


今やクアラルンプールの表玄関としての賑わいはありませんが、イギリス植民地時代にもかかわらずイスラム様式を踏襲した歴史的価値の高い建造物ですので、歴史や鉄道が好きな方は是非一度立ち寄ってみるのも良いかと思います。歩いて5分ほどのところにチャイナタウンもありますので食事がてらにいかがでしょうか。

次回はインドネシアやフィリピンの話題について触れていきたいと思います。
インドネシアに対しては、203系や05系などが譲渡されるようですし、フィリピンに関しても国鉄型の車両の譲渡予定があるようですので、そろそろ現地へ仕事のついでに取材したいと思います。
先日、フィリピン国鉄の輸送計画担当の方からいただいた情報によりますと、6月22日にビコール・エクスプレスの最終試運転が実施され、29日に運行が開始されるようです。おそらく形式についても昨年9月に渡った14系寝台車が使用されるものと思われますが、時間がありましたら私も乗車してみたいと思います。14系寝台で冷えたサンミゲールを飲みながら椰子の木を見れたら最高だと思うのですが、食堂車がないのが残念で予め夕食(弁当)は用意しておかないといけないようです。