先日は南武線の近況報告しましたが、話をインドネシアに戻したいと思います。
今回はジャカルタ首都圏の鉄道工場とも言うべきBalai Yasa Manggarai(Manggarai工場)について、簡単に説明したいと思います。
このBalai Yasa Manggaraiは東京で言えば、東京総合車両センター(国鉄時代の大井工場)的な存在で、電車のみならず客車の検査も行っています。場所としてはグーグル地図で見ていただければ一目瞭然ですが、Manggarai駅の南側に隣接し、工場の広さも近接のBukit Duri車庫に比べ、かなり広い敷地を持っています。
以前もこのBalai Yasa Manggaraiについて説明したかと思いますが、この工場に入るには簡単に入ることができず、あらかじめ許可証がないと入ることができません。前回訪問した昨年8月においても訪問前に申請し、許可証を発行していただきました。
許可証は下の写真のようなものですが、まず、私が拙いインドネシア語でBalai Yasa Manggaraiや他の車庫へ入るための理由につて説明し、その文章を現地の鉄道雑誌「Majalah KA」の編集者であるS君に渡し、S君から鉄道会社のトップの方に渡していただき、無事に許可証を発行していただきました。
昨年8月にこのBalai Yasa Manggaraiに入る大きな目的として、東京メトロから到着したばかりの05系の姿を撮影することでした。工場内へ入るとまず目にしたのが下の写真のとおりHolecの車両で、故障しがちの形式として現場からもっぱら嫌われ、地方都市用の電気式ディーゼルカーとして改造され、ジャカルタ首都圏では年々その姿を見ることが少なくなってきています。その前にここを訪問した時には多くのHolecの車両が留置されていましたが、かなりの両数が改造されてしまったのか、一時期よりも少なくなっていました。
さらにその奥を行くと緑色帯と青帯の6000形が留置されていました。緑帯(6201F)が検査を受けていたようで、車体の側面にKL1-○○○○というような新たな車番プレートが取り付けられていました。
先程の6000形が置いてあった検修庫外側には6000形6252と6155が留置され、それぞれの車両の妻面は衝突事故によって大きく抉られ、先頭車改造もなんなくこなすPT.KAIでも復活は無理と判断したのか、長期的にほったらかしのようです。
そして、工場構内の最も西側にジャカルタに到着したばかりの東京メトロ05系02Fと07Fが1本のレール上にタテに並べられ、現地仕様に改造されるのを待っていたところでした。車内に入ると当然ながらもあっとした暑い空気が漂い、中に長時間居ると倒れそうになるのですが、車内にはまだ手が付けられたような形跡があまりないようで、東西線で活躍していた当時のままの広告や路線図などが付いており、103系などと同様に思わぬお土産も運んできたきたようでした。
この他工場内にはかつて活躍した古典的な電気機関車や歴史的価値の高い客車、一時的にお役目を果たしたHitachiの電車(電気式ディーゼル化改造工事待ち)などが存在し、非常に面白い車両を多く見ることができます。
下の写真は構内で入れ換え作業を行っていたD301型機関車で、時々、Manggarai駅の近くでもその姿を確認でき、甲高い警笛を鳴らしながら一生懸命に入れ換え作業を行っています。犬で例えるならば愛らしいトイプードルと言ったところでしょうか。
工場構内については簡単に説明しましたが、次回も工場訪問を考えておりますので、今後も別の機会にでも工場内の様子については述べていきたいと思っております。
ところで、私事になりますが、7月10日から22日に渡り、約10ヶ月ぶりにフィリピン、インドネシアに滞在する予定です。もちろん現地では時間がある限り現地の鉄道の現状を把握すべく取材する予定で、いろいろな話題を入手できるかもしれません。帰国後についてはもちろんのことそれらの話題についてできるだけ詳しく述べていけたらと思っております。
最後に宣伝になりますが、海外で活躍する日本の中古車両の姿について、いつも鉄道雑誌などでレポートされている斎藤幹雄氏から「東南アジアを走るニッポンの廃車両:えい出版社発行」と題した本が発売されます。実は出版される前に原稿の中身をチェックさせていただいて赤字修正を出したのですが、どうも出版社のほうで修正されていなかったりと、所々ミスが見られます。本来であれば修正箇所にシール貼りもしくは正誤表を本の中に挟んで、読者に対しお詫びする必要があると思いますが、そこまでの対応が難しいかと推測していますので、あらためてこのブログ上にてその誤りの箇所を明示し、同時に正しい情報を明示していきたいと思っております。
今回はジャカルタ首都圏の鉄道工場とも言うべきBalai Yasa Manggarai(Manggarai工場)について、簡単に説明したいと思います。
このBalai Yasa Manggaraiは東京で言えば、東京総合車両センター(国鉄時代の大井工場)的な存在で、電車のみならず客車の検査も行っています。場所としてはグーグル地図で見ていただければ一目瞭然ですが、Manggarai駅の南側に隣接し、工場の広さも近接のBukit Duri車庫に比べ、かなり広い敷地を持っています。
以前もこのBalai Yasa Manggaraiについて説明したかと思いますが、この工場に入るには簡単に入ることができず、あらかじめ許可証がないと入ることができません。前回訪問した昨年8月においても訪問前に申請し、許可証を発行していただきました。
許可証は下の写真のようなものですが、まず、私が拙いインドネシア語でBalai Yasa Manggaraiや他の車庫へ入るための理由につて説明し、その文章を現地の鉄道雑誌「Majalah KA」の編集者であるS君に渡し、S君から鉄道会社のトップの方に渡していただき、無事に許可証を発行していただきました。
昨年8月にこのBalai Yasa Manggaraiに入る大きな目的として、東京メトロから到着したばかりの05系の姿を撮影することでした。工場内へ入るとまず目にしたのが下の写真のとおりHolecの車両で、故障しがちの形式として現場からもっぱら嫌われ、地方都市用の電気式ディーゼルカーとして改造され、ジャカルタ首都圏では年々その姿を見ることが少なくなってきています。その前にここを訪問した時には多くのHolecの車両が留置されていましたが、かなりの両数が改造されてしまったのか、一時期よりも少なくなっていました。
さらにその奥を行くと緑色帯と青帯の6000形が留置されていました。緑帯(6201F)が検査を受けていたようで、車体の側面にKL1-○○○○というような新たな車番プレートが取り付けられていました。
先程の6000形が置いてあった検修庫外側には6000形6252と6155が留置され、それぞれの車両の妻面は衝突事故によって大きく抉られ、先頭車改造もなんなくこなすPT.KAIでも復活は無理と判断したのか、長期的にほったらかしのようです。
そして、工場構内の最も西側にジャカルタに到着したばかりの東京メトロ05系02Fと07Fが1本のレール上にタテに並べられ、現地仕様に改造されるのを待っていたところでした。車内に入ると当然ながらもあっとした暑い空気が漂い、中に長時間居ると倒れそうになるのですが、車内にはまだ手が付けられたような形跡があまりないようで、東西線で活躍していた当時のままの広告や路線図などが付いており、103系などと同様に思わぬお土産も運んできたきたようでした。
この他工場内にはかつて活躍した古典的な電気機関車や歴史的価値の高い客車、一時的にお役目を果たしたHitachiの電車(電気式ディーゼル化改造工事待ち)などが存在し、非常に面白い車両を多く見ることができます。
下の写真は構内で入れ換え作業を行っていたD301型機関車で、時々、Manggarai駅の近くでもその姿を確認でき、甲高い警笛を鳴らしながら一生懸命に入れ換え作業を行っています。犬で例えるならば愛らしいトイプードルと言ったところでしょうか。
工場構内については簡単に説明しましたが、次回も工場訪問を考えておりますので、今後も別の機会にでも工場内の様子については述べていきたいと思っております。
ところで、私事になりますが、7月10日から22日に渡り、約10ヶ月ぶりにフィリピン、インドネシアに滞在する予定です。もちろん現地では時間がある限り現地の鉄道の現状を把握すべく取材する予定で、いろいろな話題を入手できるかもしれません。帰国後についてはもちろんのことそれらの話題についてできるだけ詳しく述べていけたらと思っております。
最後に宣伝になりますが、海外で活躍する日本の中古車両の姿について、いつも鉄道雑誌などでレポートされている斎藤幹雄氏から「東南アジアを走るニッポンの廃車両:えい出版社発行」と題した本が発売されます。実は出版される前に原稿の中身をチェックさせていただいて赤字修正を出したのですが、どうも出版社のほうで修正されていなかったりと、所々ミスが見られます。本来であれば修正箇所にシール貼りもしくは正誤表を本の中に挟んで、読者に対しお詫びする必要があると思いますが、そこまでの対応が難しいかと推測していますので、あらためてこのブログ上にてその誤りの箇所を明示し、同時に正しい情報を明示していきたいと思っております。