Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

ジャカルタの205系近況

2015年09月26日 20時44分53秒 | インドネシア
先日の9月23日夕方にKCJの本社のあるJuanda駅で発生した事故の余韻と言いますかショックが抜けきらない状況でありますが、事故の詳細についてはこのブログにもリンクさせていただいていますJABODETABEK COMMUTER NEWSのパクアン急行様のご報告のとおり元埼京線の2編成(20両)が被災されてしまいました。事故による車両への損傷状況についてはわかりませんが、幸いにも205系同士が同じ編成の向きで正面衝突しましたので、損傷程度の軽い車両同士を組成して1編成作り上げるということも可能かもしれませんが、これらの車両については不死身な車両も含めて検証作業などしばらくは使えないでしょうし、このあとの車両のやり繰りをどのようにしのぐのかマニア的には面白いところもあるのかもしれません。
また、元南武線の205系を使ってBogor線・中央線系統とBekasi線・中央線系統で12両編成を運行させる計画が出ており、早速、9月16日から混雑が最も激しいBogor線・中央線系統で運行開始されましたが、事故によって失った205系20両を補完する上で、元南武線の205系9本分のうちの一部の車両・編成が使用されるのか、それともほとんど休車状態にあるKFWやDepok車庫で寝ている元都営6000形(検査切れかな?)の出番となるのかマニア的には面白いところでもありますが、今までのジャカルタ首都圏で起こる数々の事故を見てきて、素人の私でも車両を増やすよりもそろそろ抜本的に安全対策に重点を置けと言いたいところです。

それはさておき、今回は9月に訪問しましたジャカルタ遠征時に撮影した元南武線を除く205系の写真をアップしたいと思います。
今回は先日も述べましたように環状線を走る103系を撮影したいということで環状線Sudirman駅近くのホテルにチェックインし、朝はSudirman駅近くで撮影しておりました。
環状線は10両編成が運行されておりませんので、205系については8両編成の元横浜線の車両が充当されております。


1日5往復程度しかないNambo線Nambo行きのサボが見たいということでこれも楽しみにしておりましたが、Nambo行きにはこれも元横浜線の編成が使用され、Bogor線と同じ赤色のサボが使用されていました。
また、205系の編成の向きの多くはKota寄りが偶数方で、BogorやBekasi寄りが奇数方ですが、稀に逆向きの編成もあります。
以前はManggaraiから中央線を通り、Kota、Kampung Bandanを経由し環状線に入るという運用もありましたので、このように編成の向きが逆になってしまうことがありましたが、現時点でそのような運用があるのかどうかはわかりません。(今回は運用表をいただいておりませんのでわかりません)


下の写真は環状線Tanah Abang~Duri間で撮影したもので、前回の103系を撮影した場所と同じところですが、Bogor線・環状線系統には203系も充当されているようで、203系の姿をこの環状線で見かけることが多くありました。


場所を変えてKota駅に行ってみましたが、運良く全てJR車両による8連が並んでくれました。


そしてここは必ずおきまりのManggaraiですが、Bekasi線下りの地方列車待避で2番線に入り、Bekasi線上りと並んでくれました。
Bekasi線のサボは青色ということで、私のお気に入りの色でもあります。


しばらく待っているとハエ23がやって来ましたが、このハエ23(Tc142,T'c142)の行先表示はLEDが使用されているもののよく見えません。
これであればサボのほうが良いかもしれません。


またまた場所を移して、Serpong線のPalmerah駅近くで、Serpong線を走る205系を撮影してみました。
運行番号が「48K」と示されていますが、Kはハマ線時代も使用しており、偶数の48という数字は東京では山手線の内回り以外では奇数が使用されるためだれかがわざと設定したのかもしれません。
また、編成札も残っていると良かったのですが、Serepong線特有の緑のサボは元ハマ線の編成にはお似合いかもしれません。
Tangerang線もDuri駅で撮影しておりますが、こちらのサボは茶色が使用され、元ハマ線の205系はジャカルタのほとんどの路線で見ることができます。


変わり種ということで、たまたま先頭車が広告車両であるクラH6(T'c66)がBukit Duri車庫に留置されていました。
広告はSunsilkで、日本にはあるかどうかわかりませんが、東南アジアではよく使われているシャンプーなどのメーカーです、


最後にBalai Yasa Manggaraiで検査入場していたハエ22です。
元南武の205系4本がBalai Yasa ManggaraiからDepok車庫へ回送されたのが9/7で、もしや戻って来ているかもしれないということで、9/8も中に入れさせていただきましたが、やはり元南武の編成はいませんでした。


ということでジャカルタの205系の近況は以上でありますが、次回はBalai Yasa Manggaraiの様子について、簡単にご報告させていただきたいと思います。

ジャカルタの103系近況

2015年09月22日 23時16分23秒 | インドネシア
3回に渡り、元南武線の205系について報告しましたが、本日は103系について報告したいと思います。
昨年9月のジャカルタ訪問時点では、103系は中央線・Bekasi線系統と環状線・Bogor線系統の運用に充当されていましたが、最近では環状線のManggaraiフィーダーと呼ばれるManggarai~Duri間の区間運転に充当されることが多いようで、撮影する上ではあまり苦労なく、何度も撮影できるのではないかと思っておりました。
また、既に私は妻子持ちであるため、できるだけ宿泊費を抑えつつ、この103系を難なく撮影できるようにということで、この私のブログにリンクさせていただいている「地球公務員 落花生。再び」の落花生。様の記事を拝読させていただき、Sudirman駅から環状線沿いを西方向に5分程歩いた所に位置する「Studio One」というホテルがご紹介されていましたが、私にはピッタリだということで、ジャカルタへ行く2週間程前にネットで予約し、環状線に面した部屋を押さえました。
先日、15日のダイジェスト版の記事でも述べましたように、初日の6日は深夜2時頃にこのホテルにチェックインし、すぐに寝たのでありますが、朝5時頃から下を走る列車の音が聞こえ、通るたびにどのような列車が通過しているのか、ベットから起きだし何度も窓から眺めていたため、初日からぐっすり熟睡とはいきませんでした。

私の部屋は5階の南西側ですが、部屋の窓からはこのような感じで、列車全体を撮影する上では隣のビルがどうしても写り込んでしまいます。
また、部屋から通過する列車を全て観察しておりましたが、朝7時になっても103系は確認できず、1階で朝食を取っている間にどうも103系が通過してしまったようで、この日はまともに103系を撮影できませんでした。時刻表で最初からよーく確認していれば、どの時間に103系が通過するか確認できたはずなのですが、103系好きな私としてはドジを踏んでしまいました。


次の日の7日からドジを踏まないよう気をつけて観察し、103系がManggaraiからDuri方向へ通過して行くのを確認すると、ホテルから東方向に歩き、Sudirman駅からさらにManggarai方面へと歩いてみたのですが、7時頃ですと沿線の樹木の影がManggarai方向へ行く列車にも若干かかるようですので、再び西方向に戻ってSudirman駅近くで撮影することにしました。
7日朝は下の写真のとおりで、前面のサボにはManggaraiのみが掲出されていました。


続いて8日朝は下の写真のとおりで、前面のサボにはManggaraiとDuriの両方が掲出されていました。


日中の4時間程はBukit Duri車庫でお休みということで、車庫でお休みのところも撮影したくなるのは心情でもありますが、実はKCJの広報部の担当者に車庫内での撮影許可申請書を予めメールで送っていたものの、担当者から何の返事もなく、直接、KCJ本社を訪ねて確認してみると、その広報部担当者は2ヶ月間も妊娠のために休暇を取っており、結果的には許可証の発行はできませんでした。
ならば、直接、車庫へ行って、訪問する前に何か良い理由を考えた結果、車庫の警備員に区長さんにお土産を渡したいことと車庫内で撮影させていただきたいと伝えたところ、最初はダメとのことでしたが、お土産は是非渡したいと伝えると車庫内へ通していただき、難なく撮影させていただくことに成功しました。


反対側は低運ですが、行先表示のHゴムの部分の腐食とスカートの折れが痛々しいです。


103系は午後2時30分過ぎから再び運用に入りますので、今度は高運のほうを狙いたいということでDuri駅近くに行ってみることにしました。
下の写真はDuri近くで撮影したものですが、103系はAngkeまで回送されるのではなく、単純にDuri駅で折り返すため、光線の状態からDuri駅の南側で待ち構えていました。Duri駅ではKFWの折り返しが発車していなかったため、満線状態となり、103系は信号手前で3分程待たされました。


ということで、赤信号で停止しているところを前からもバチリといただきました。
窓の横にあるインドネシアの国旗、Merah Putih(紅白)がささやかなアクセントになっています。
諄いようで恐縮しますが、このインドネシア語のmerah(赤)はタガログ語でpula(動詞はmamula)、putih(白)はタガログ語でputiと似ています。


日がかなり傾いたので、先程のDuri駅近くからTanah Abang方向へと歩き、直線区間からちょうどカーブするところで待つことにしました。
下の写真がその場所でありますが、103系がDuri駅で折り返し、Manggarai駅に向かっているところで、103系が再び戻って来るまでには1時間程待たされました。


所定の時刻よりも約30分程遅れて戻って来ましたが、走行写真の撮影には限界である夕闇の迫る時刻でありました。


次回のジャカルタ訪問時に103系が活躍しているのかどうかわかりませんが、元南武線の205系が続々と投入されますので去就が注目されますし、来年の春頃には場合によっては検査入場も予測されますので、再び私のデザインを採用していただけるのかどうか難しいかもしれませんが、いくつかの新たなデザインを提案してみたいと考えております。

快速川崎行きでDepokへ

2015年09月21日 19時14分16秒 | インドネシア
昨日の続きになりますが、昼飯も食わずにBalai Yasa Manggaraiで元南武線の205系の撮影に夢中になり、12両に組成されたナハH44+H35の回送列車に乗せていただけることになったのですが、時刻は午後3時近くになり、さすがにお腹の中に何か入れないとということで、Manggarai駅構内のセブンイレブンでパンを2個ほど購入し、言われた仮設ホーム?の7番線でパンを頬張って待っていると、行先表示が「快速川崎」のままの列車がゆっくりと入線してきました。

写真に駅構内の配線図も入れていますが、赤線が当該列車の走行部分で、上がBogor方面、下がKota方面となります。


現在では、このような回送列車や試運転の列車に乗車することは通常禁止されており、7~8年前ぐらいから乗務員室への立ち入りも禁止されていましたが、以前は乗客の降りたいところで、チップを運転士に渡せば自由に降りることもできましたし、手を振ると列車が止まってくれて乗せてもらえるというようなこともありましたので、このような現在の厳しい規律の中で回送列車に乗車でき、それも私の元地元を走る南武線だけに感無量でした。

それはともかく話しを進めたいと思いますが、列車が停止する否や乗務員室から乗り込み、5分ほど停止したのち、列車はゆっくりと発車し、ダブルスリップのポイントからBogor線の本線へと入って行きました。先行列車は10分前ぐらいにManggarai駅を出発していますので、列車はおおよそ70km/hで快調に進み、各駅通過手前でタイフォンを鳴らしながら通過していきますが、駅のホームで待っている乗客は特に通過するこの列車には当然目もくれませんでした。

既に205系がジャカルタに投入されてから約2年近くになりますので、運転士はかなり手慣れた手つきでマスコンとブレーキハンドルを扱っていました。


Manggarai駅を出発して、約10分ほどでPasar Mainggu駅を通過しましたが、この駅は2面4線の待避可能な配線となっており、以前であればEkonomi列車が待避し、急行列車が通過していくということはよくありましたが、現在では急行列車も廃止されてしまい、待避の役目や折り返し列車もありませんので、待避線はまったく使われていません。


Pasar Minggu駅を過ぎると沿線の緑が濃くなり、学園地区のUniv. Pancasila、Univ. Indonesiaと進みますが、このあたりから先行列車との間が詰まり、信号機は注意と停止が続きます。また、下の写真はUniv. Pancasila~Univ. Indonesia間で見通しの良い直線区間となっており、下り線にはオランダ統治時代の架線柱も残っていることから、私もこの場所でよく撮影しております。


Univ. Indonesia駅手前の信号機で1分程停止したのち、ゆっくりとUniv. Indonesia駅を通過しましたが、この駅のBogor寄りにはダブルクロスのポイントがあります。日本であればこのポイントが無意味に感じますが、Bogor線においては車両故障や架線切断などが頻発しており、このポイントと一方の線路のみを使って両方向の列車を運行することもたびたびあります。


Univ. Indonesia駅を過ぎたあたりから横浜線が相模原台地を登るように勾配が少しずつきつくなっていきますが、205系であればそのような勾配は大したものではなく、ましてや8M4Tのこの列車は簡単なようです。
また、対向列車はこのBogor線においては、東急8500系をはじめメトロ05系、6000系やJR205系などと擦れ違い、最も多種な形式を見ることのできる面白い路線かもしれません。


列車はDepok Baru駅の手前で一旦停止したのち、ゆっくりとDepok Baru駅を通過しました。
この駅の配線は日本の幹線で見られるような構造になっており、中線が設置されていますが、中線は現在では使用されることは頻繁にないものの、時々、回送列車などに使用されることがあるようです。
また、このDepok Baru駅は隣駅のDepok駅と対比されることがあり、Depok市の中心商業地のあるほうがDepok Baru駅で、急行列車が走っていた頃はこちらのDepok Baru駅に停車する列車が多くありましたが、Depok駅にはほとんど停車していなかったと記憶しております。
この他、現地の方々や鉄道職員はDepok駅をDepok Lama駅と呼ぶことが多く、混同することを避けています。
(baru=新しい、lama=古いという意味で、同じマレー系のタガログ語(フィリピン語)ではbaru=bago、lama=lumaと似ており、タガログ語とインドネシア語にはかなり多くの同じ単語や近い単語がありますので、私としては助かっています)


Depok Baru駅の次はDepok駅(Depok Lama駅)で、私の降りる駅ですが、列車はこのままDepok車庫へと向かいますので、私もこのまま乗車し、Depok車庫へ連れて行ってもらい、そこで再び元南武線の車両を中心に撮影させていただきたいと企んでいたのですが、この乗務員2人に聞いてみると、それだけはできませんとのことで、やむを得ずDepok駅で降りることになりました。


ということで、束の間の約30分の乗車でしたが、私にとっては先程も述べましたように元地元を走る南武線の205系に添乗させてもらえるとは夢にも思ってもいませんでしたし、Balai Yasa Manggaraiで撮影できたこともミラクルかもしれませんが、やはりある程度の現地の方々とのコミュニケーション能力や交渉能力があり、現地の方々の性格や考え方がわかっていれば、海外での撮り鉄、乗り鉄も楽しめるものとあらためて認識した思いです。




元南武線の205系を求めてBalai Yasa Manggaraiへ

2015年09月20日 10時45分21秒 | インドネシア
昨日の続きですが、本日は9/7の出来事ということで述べていきたいと思います。
この日は前日お世話になりましたPT.KAIのR氏の職場のあるBalai Yasa Manggaraiを訪問することになっており、11時頃に訪問することになっておりましたが、ちょうどその時R氏の上司が来ており、接待できないとのことでBalai Yasa Manggaraiの門の前で1時間ほど待っておりました。
以前も説明したかもしれませんが、Balai Yasa ManggaraiはPT.KAIの車両とKCJの車両を修繕する工場であり、施設自体はPT.KAIのものでありますので、JuandaのKCJ事務所で入場許可証は発行できず、しかも以前から入場は厳しいということで、この私も数える程度しか入場したことがありませんが、長年お世話になっておりますR氏がBalai Yasa Manggaraiに復帰され、このR氏もある程度の地位におられるということでご招待いただき、この工場の中にいる元南武線205系4本(ナハH2、H4、H35、H44)を拝むことになっておりました。
正午過ぎになってもR氏から連絡は来ずということで、Balai Yasa Manggaraiの脇にある東海色の103系でも見に行くことにしました。
するとBalai Yasa Manggaraiの門の所からナハH35がスルスルと外に出て来たところをキャッチし、やがて工場の中に戻っていたのですが、この姿を見ただけでも南武線ファンの私にとっては痺れます。
奥にいる編成はナハH4です。


やがて、ナハH35の動きはありませんでしたので、そのまま東海色の103系を見に行くことにしました。
Googleマップの空撮でも確認できますが、すでに1年以上もここに置かれている103系8両は、廃車置場のあるCikaumやPurwakartaに送られることなく、少しずつ朽ち果てていますが、このままこの場所を墓場とするのか、それとも上記の場所に運ばれる時期が来るのか注目されます。
103系のデザインをBalai Yasa Manggaraiに提出させていただき、その中で私自身のオリジナルのものではありませんが、見事に東海色を選んでいただき、私としては感慨深いものが当時あり、この姿を見ると複雑な気持ちになります。


しばらくこの103系を撮影していると、やはり工場から南武の205系が再び出て来ましたので急いで近寄ってみると、今度はナハH2が入れ替えを行っていました。
そこで写真を撮っているとこの工場に勤務するA氏が声をかけていただき、「入りたいのかい」との問いかけに「南武の205系を撮影したい」と告げると、なんとこのナハH2の車内に入れていただき、そのまま工場の中に入って行ったのですが、するとなんと9/6のDepok車庫に引き続き、南武の205系の3並びが実現しました。
下の写真は左からナハH35、H4、H2です。


ヤッホーということで、この3並びを撮影しているとゲートの番人であるセキュリティーが私のところへ近寄って来て、「入ってはいけませんよ」と外へ出ることを促されましたが、「A氏の許可を得ている」と説明すると、そのまま撮影が継続可能となり、セキュリティーは引き上げて行きました。
A氏の説明によれば、今日は全ての編成をチェックし、その後、Depok車庫へ12連で回送するとのことで、ちょうどその場面に出くわしたのですが、電源も入っていることだし工場の中に入ってしまえばこっちのものだということで、行先を変更させていただき、遊ばせていただきました。
ということで、まずは私の好きな「快速川崎」に設定してみました。


続いて、南武線でもまず見ることのできない「矢向」に設定しました。


これもよほどのことがないかぎり見れないかと思いますが、「快速登戸」に設定し、「快速稲城長沼」をやろうと思っていたところ、すぐに動かすというので断念しました。


感動に浸っているところナハH44とH35を連結し、12連にするのでということで、そのまま連結作業とジャンパ栓の取り付け作業を見守っておりました。


車内についてはDepok車庫に留置されている編成と同様に車内にモニターは取り付けられておらず、JR時代そのままになっています。


ドア上部にはKCJ管内の路線図とドア部分には禁止事項のステッカーが取り付けられています。


車端部の号車番号にはモハやクハ部分が消され、KCJ特有の号車番号が付いていますが、南武線オリジナルの黄色の号車番号も引き続き使用されています。
また、号車番号は12連でも1~6号車ということで使用されています。


先程の12連になったナハH44+H35は午後3時頃にManggaraiを出発し、Depok車庫へ運ぶとのことで、そこで、その回送列車に是非添乗させていただきたいと質問してみると、「いいですよ」という嬉しい返事をいただき、私はこのあとその列車に乗車させていただくことになりました。
下の写真は工場を出場し、Manggarai駅に転線するナハH44+H35で、行先も私の好きな「快速川崎」に設定し、そのまま走ることになりましたが、この添乗レポートは次回ということで報告したいと思います。



元南武線の205系を求めてDepok車庫へ

2015年09月19日 23時59分59秒 | インドネシア
先日のジャカルタ、マニラ遠征の報告ということで、本日は元南武線の205系の話題から進めていきたいと思います。
近況についてはこのブログにもリンクさせていただいているパクアン急行様のJABODETABEK COMMUTER NEWSをご覧いただければと思いますが、元南武線の車両が全て揃い、Bogor線及びBekasi線のホームが12両に延伸対応されてから営業されるのではないかと思っていたところ、私がジャカルタを離れマニラへ戻ったあとの10日から運用に入るとは寝耳に水で、結果的には営業のシーンは撮影できなかったものの、Depok車庫とBalai Yasa Manggaraiにおいて、元南武の編成、全9編成を撮影できたのは個人的に良い結果だったと考えております。

まずはジャカルタ初日の6日は当初の予定では、10年もお世話になっておりますPT.KAIのR氏の仕事先であるBalai Yasa Manggaraiへお邪魔することになっていたのですが、ご自宅の屋根を修理しなければならないので遅れるとのことで、ならばDepok車庫への入場はいかがですかとR氏から変更を進めらました。結果的にこれは私にとって良かったようで、元南武5編成(ナハH7、H8、H11、H40、H41)が見れましたし、元南武の3並びは夢の夢でしたが、初っぱなから見れるなんてついていました。
左からナハH11、H40、H8です。


南武の帯がやけに明るいなと思い、近づいて指で帯をめくったところ、元南武の色が見えました。どうもジャカルタにおいて新たに南武の帯の色を貼っているようで、今後もジャカルタではこの南武色をそのまま使用するようです。本来のナハH2~H6は色がもっと褪せた色ですので、並べれば違いがはっきりするに違いありません。



こちらはナハH7とH41です。Depok車庫に留置されていた5編成の前面の行先方向幕はほとんどが抜かれ、H11の偶数方のみに方向幕が残っていました。


ナハH11の偶数方には方向幕が残っていたものの電源が入っていないため、行先表示を変えることは容易ではありませんが、それでも手でまわすことを試してみたものの固くて途中で諦めました。


この編成は相模線205系投入前に乗務員室に独自のモニターが付いていましたが、その後取り外されました。
ジャカルタではクハやモハという文字は当然消され、車内の車両番号も消されています。


所属表記と定員も消され、日本からのお下がりであることを払拭しているようにも見えます。


車内はJR時代とあまり変わりなく、KCJ特有の号車番号のステッカーやインドネシア語表記の優先席ステッカーが取り付けられたのみで、車内のあのうるさいモニターは取り付けられていません。いずれは付けられてしまうと思うのですが、私にとってはこのままのほうが良いですし、車内の自動音声もないほうが良いかと思います。


駅名対照表はそのままであり、方向幕があれば南武時代の姿を楽しめます。
しかしながらDepok車庫では電源が入っていなかったため、いじることはできませんでしたが、Balai Yasa Manggaraiでは夢の南武幕にKCJバージョンを楽しむことができました。


運転台も変わっておらず、モニターの快速「通過設定」のステッカーもそのままです。
南武線では横浜線と違って、快速を運転する場合、運転台の左にあるアクリル製の快速、普通種別の札を使っておらず、それぞれ運転士がオリジナルの快速札を持って乗務しています。


その他の面白いものとしては、ハエ31の奇数方のTcはかわいそうに部品取りになっていました。


また、東急8611Fも部品取りに供出され、多くの先頭改造の編成やオリジナルの都営6000形も留置されていました。


以上、1時間ばかりDepok車庫で撮影させていただきましたが、次の日の7日も南武線ファンの私にとっては嬉しいことが続きましたので、この続きは次回報告させていただきたいと思います。

ジャカルタの南武線、マニラのキハ350近況報告

2015年09月15日 18時58分23秒 | インドネシア
7月以来の更新でご無沙汰になってしまいましたが、実は9月5日から14日まで、家内と子供のいるフィリピン帰国にあわせて、マニラとジャカルタに足を運びました。
今回の行程は全てフィリピン航空(PR)ということで、9/5羽田を夜中の1:30に出発し、マニラに現地時間の4:50に到着。同日、マニラを20:55出発し、ジャカルタを23:55に到着。
丸3日間ジャカルタに滞在したあと、9/9ジャカルタを夜中の0:55に出発し、マニラに6:05に到着。そして9/14マニラを14:45に出発し、成田を20:10に到着するという夜の飛行主体の行程となりました。
また、今回の私としてのミッションはKCJに譲渡された元南武線の205系を撮影することと、PNR(フィリピン国鉄)に譲渡されたキハ350の動向を探ることですが、出発前に両者ともに車両がどこにいるのかわかっていたものの、直前になってどのような動きを見せるのかわかりませんので、期待半分で行ってみることにしました。
まずはダイジェスト版ということで、ニュースをお届けしたいと思います。

昨年の9月は羽田から夜行便のエアアジアでクアラルンプールを経由し、ジャカルタ入りとなりましたが、今回は初めて羽田から夜行便のPRでマニラへ向かいました。羽田空港ではPRの乗り場は使用料が安いのかどうかわかりませんが、なぜか一番端っこであり、イミグレから遠くて疲れますが、機内はほとんどがフィリピン人スタッフであり、フィリピン語(タガログ語)の練習にはもってこいです。もちろん、真夜中の機内食の注文の時にはPahingi ng San Miguel beer(サンミゲールビールを下さい)と使ってみましたが通じました。(当たり前ですが)


羽田からマニラまでの飛行時間は僅か4時間少々ということで、ぐっすりは寝れませんでしたが、2時間少々仮眠を取ることができ、マニラまでの飛行があっという間でした。
外は下の写真のとおり朝5時ということもあり、暗闇に包まれています。


空港を出るとまずは家内と子供のいる空港から約30km離れたSta. Rosaで一時的に仮眠を取り、再び同日夜7時にマニラに戻って来ましたが、空港周辺とSta. Rosa中心部で渋滞にはまり、一時はジャカルタ行きの飛行機に乗り遅れるのではないかと本当に焦りました。
ジャカルタのスカルノハッタ空港には予定よりも30分ほど遅れ、0:30頃に到着したのですが、この時間であれば普通の方はタクシーで市内へ向かうところ、私は公共バスであるDamriバスでGambirへ向かったものの、BNI(インドネシア国営銀行)近くでバスのタイヤが溝にはまり身動きが出来なくなり、私は早速あきらめてタクシーでホテルへ向かいましたが、既に時刻は午前2時近くとなっていました。

このまま話を進めるとダイジェスト版でなくなりますので、上記のような細かい行程は抜きにして話を進めますと、9/6現在、Depok車庫には元南武線の編成は5本が留置され、内訳はナハH7、H8、H11、H40、H41で、H11偶数方以外の前面方向幕は抜かれているようです。また、ラッキーなことに南武3並びが一時的に見られました。


皆さんも既にお気づきかもしれませんが、私も前面帯がやけに明るいと感じていましたので、近づいて指で帯を少々剥がしてみましたが、実は上から南武の帯を新たに貼っているようで、実際に走っている南武線に比べ明るく感じます。このように新たに南武の色の帯を貼っていることから、今後、ジャカルタに到着する編成もこのような処置が実施され、ジャカルタでも南武線カラーのまま運行されるものと思われます。(既に一部の編成では営業されていますが)


一方、Balai Yasa Manggaraiには9/7日中現在、元南武線の編成は4本留置されており、内訳はナハH2、H4、H35、H44で、前面の方向幕は全て残っていたようです。
ですので、私もちょっといじらせてもらい、南武線では見られない「矢向」にも設定し、楽しませていただきましたが、ちょうどこの日、午後3時と夜7時頃にそれぞれ12連となってDepok車庫へ回送されました。
午後3時頃発の編成については、H44+H35が12連で組成され、私もこの回送列車に同乗させていただき、方向幕を私の好きな「快速川崎」に設定し、そのままDepok車庫まで走ってもらいました。この回送列車同乗レポートは後日報告したいと思います。


その他、103系については、相変わらず環状線のManggarai~Duri間に運行されているManggaraiフィーダー運用に充当されており、日中の約4時間はBukit Duriの車庫でお休みのようです。
下の写真はBukit Duri車庫から出庫した103系で、入出庫時は2番線から発着するようですが、それ以外はBogor線の南西側にある7番線の仮設ホームから発着します。


以上が私のジャカルタでのミッションでしたが、詳細については後日報告したいと思います。

また、PNRについては以前報告させていただいたとおりですが、キハ350全6両がPNR色に変更され、当初、私がジャカルタからマニラに到着する9/9朝にTutubanからビコール地方のNagaに1編成2両が回送される予定でしたが、投石避けのスクリーンが全てセットできず、朝、Tutuban駅で神父立ち会いの元、PNRのGM、幹部が出席し、祝福式の開催のみにとどまり、Nagaへの回送は実施されませんでした。このNagaへの回送については実際には私の帰国日である9/14に実施され、もう1編成は明日9/16に実施される予定とのことで、最後の1編成については予備ということでTutubanに留置されるようです。


このキハ350については、10/1からNagaからPNRの本来の終点であるLegazpiまでのコミュータートレイン1往復に充当される模様で、朝5時にNagaを出発し、約100km先のLegazpiに2時間30分かけて7:30に到着し、返しはLegazpiを17:00に出発する予定です。
同時にSipocot~Naga間に運行されているブルートレイン色のキハ52の3両はエンジン故障でDLにより牽引され運行されていますが、こちらもキハ350の2両編成によって運行が実施されるようです。


PNRの詳細や乗務員室同乗記についても後日報告させていただきたいと思いますが、今後の計画や来年3月頃に少々驚く譲渡が計画されているようですので、時間がありましたらこちらもご報告させていただきたいと思います。