昨年暮、JR各社から今年3月ダイヤ改正の概要が発表されましたが、ダイヤ改正の度に国鉄時代に製造されたいわゆる国鉄型の形式が消えて行き、今回の改正においてもご承知のとおりJR東海の117系(イベント用は除く)やJR東日本の123系などが一線から退きます。
と言うことで仕事もちょうど片付きましたし、18きっぷも2日分ありましたので、これらの去り行く車両を9~10日にかけて乗車&撮影を楽しんでみることにしました。今回、追っかけてみることにしたのが先程も申し上げましたように主に辰野と塩尻に運行されている123系ことクモハ123-1とJR東海の117系です。
9日朝4時過ぎに自宅を出発し、町田駅まで約45分の長い道のりを歩き、横浜線の始発列車に乗車すると中央線の普通列車を乗り継ぎ、塩尻には9時ちょっと前に到着しました。
まずは123系を楽しもうと来たものの私は103系以外はにわかマニアであるため、どこかで簡単に走行写真を撮影できれば良いかなということで、駅からそれほど遠くないところで1枚撮影してみました。
その後は時刻表をよく見た結果、塩尻~岡谷~辰野~塩尻の1周をタイミング良く乗り継ぐことができるので、そのような行路で乗車してみることにしました。辰野に到着するとクモハ123-1は3番線に停車しており、車内には地元の方と私のようなマニアの方、計10人ちょっとが発車を待っておりました。この形式は言うまでもなく荷物車や事業用車などから改造された形式であり、元々、一般の乗客が乗車する車両ではありませんでしたが、たった1両で動くことから身延線や宇野線、小野田線など全国の閑散区間で柔軟に運用されておりました。また、この形式は一部の車両を除いて、電動機がMT54にも音がちょっと似ているMT57という特殊なものを搭載し、音鉄マニアにとっては貴重な存在ではないかと思います。
列車は定刻に発車し、右に大きくカーブしたのち進路を北に進みました。路線名のとおり今でも「中央本線」なのですが、1983年(昭和58年)の塩嶺トンネルの開通により画期的に所要時間が短縮され、盲腸線のように取り残されてしまったこの区間は地元の人しか使わない鄙びた路線に変貌してしまいました。この塩嶺トンネルができる前の様子を覚えている人は少なくなったと思いますが、私が高校生だった頃は夏の合宿で信州を訪れた際、165系の急行「アルプス」でこの旧線を時間をかけてうねうねと通り、善知鳥トンネルを抜けたあと見えた雄大な白銀の北アルプスの山々の姿を思い出します。Ωカーブを抜けると間もなく終点塩尻に到着しました。わずか20分でしたが、沿線や駅では平日にもかかわらず撮影されている方が見られ、フィナーレが近づいていることを実感しました。
このあとは3月のダイヤ改正で信州地区に211系が登場し、115系の去就も注目されていますので、塩尻から松本へと向かいました。時間的にはお昼も近くなりましたので、信州と言えば「そば」ということで、大糸線ホームにある駅そばで昼食に。駅そばで格別美味しいと言えるほどの店はなかなかないかと思いますが、信州の駅そばはある程度美味しいお店が多いようで、中でも上田駅の「そば処ちくま」や南松本駅の「イイダヤ軒」(駅弁も販売しているお店で、松本駅近くにもお店があります)は美味しいお店だったということを記憶しております。もちろんこの大糸線ホームにある「大糸ホームそば店」も美味しく、鮮やかな信州色を纏った115系が駅構内を行ったり来たりしている様子を見ながら、そばを美味しく啜っておりました。
昼食後は松本車両センター内の様子を見るために、駅の南側にある陸橋から眺めてみることにしましたが、先程述べました123系と兄弟である湘南色のクモヤ143-52はこの陸橋から離れたところに留置されており、まともに撮影することはできませんでした。何しろこの陸橋の架替工事が行われた以降はまともに撮影することができなくなり残念です。このクモヤ143-52も冬季期間の土曜日・休日に篠ノ井線において霜取電車として活躍しているようですが、最近、JR東では事業用車を少しずつ廃車にしており、ダイヤ改正を機会に211系の登場と篠ノ井線にE127系が運行されますので、この車両も密かに消えてしまうのではないかと危惧しております。
このあとは松本から大阪を目指すのですが、本当は信州色の115系で中央西線の中津川まで乗車してみたかったのですが、この列車は松本を15:35に出発し、大阪には23時頃の遅い到着になりますので、1本前の松本14:30出発の列車で名古屋方面へ向かい、名古屋で風前の灯になってしまった117系に乗車するということにしました。
続きは次回述べたいと思います。
と言うことで仕事もちょうど片付きましたし、18きっぷも2日分ありましたので、これらの去り行く車両を9~10日にかけて乗車&撮影を楽しんでみることにしました。今回、追っかけてみることにしたのが先程も申し上げましたように主に辰野と塩尻に運行されている123系ことクモハ123-1とJR東海の117系です。
9日朝4時過ぎに自宅を出発し、町田駅まで約45分の長い道のりを歩き、横浜線の始発列車に乗車すると中央線の普通列車を乗り継ぎ、塩尻には9時ちょっと前に到着しました。
まずは123系を楽しもうと来たものの私は103系以外はにわかマニアであるため、どこかで簡単に走行写真を撮影できれば良いかなということで、駅からそれほど遠くないところで1枚撮影してみました。
その後は時刻表をよく見た結果、塩尻~岡谷~辰野~塩尻の1周をタイミング良く乗り継ぐことができるので、そのような行路で乗車してみることにしました。辰野に到着するとクモハ123-1は3番線に停車しており、車内には地元の方と私のようなマニアの方、計10人ちょっとが発車を待っておりました。この形式は言うまでもなく荷物車や事業用車などから改造された形式であり、元々、一般の乗客が乗車する車両ではありませんでしたが、たった1両で動くことから身延線や宇野線、小野田線など全国の閑散区間で柔軟に運用されておりました。また、この形式は一部の車両を除いて、電動機がMT54にも音がちょっと似ているMT57という特殊なものを搭載し、音鉄マニアにとっては貴重な存在ではないかと思います。
列車は定刻に発車し、右に大きくカーブしたのち進路を北に進みました。路線名のとおり今でも「中央本線」なのですが、1983年(昭和58年)の塩嶺トンネルの開通により画期的に所要時間が短縮され、盲腸線のように取り残されてしまったこの区間は地元の人しか使わない鄙びた路線に変貌してしまいました。この塩嶺トンネルができる前の様子を覚えている人は少なくなったと思いますが、私が高校生だった頃は夏の合宿で信州を訪れた際、165系の急行「アルプス」でこの旧線を時間をかけてうねうねと通り、善知鳥トンネルを抜けたあと見えた雄大な白銀の北アルプスの山々の姿を思い出します。Ωカーブを抜けると間もなく終点塩尻に到着しました。わずか20分でしたが、沿線や駅では平日にもかかわらず撮影されている方が見られ、フィナーレが近づいていることを実感しました。
このあとは3月のダイヤ改正で信州地区に211系が登場し、115系の去就も注目されていますので、塩尻から松本へと向かいました。時間的にはお昼も近くなりましたので、信州と言えば「そば」ということで、大糸線ホームにある駅そばで昼食に。駅そばで格別美味しいと言えるほどの店はなかなかないかと思いますが、信州の駅そばはある程度美味しいお店が多いようで、中でも上田駅の「そば処ちくま」や南松本駅の「イイダヤ軒」(駅弁も販売しているお店で、松本駅近くにもお店があります)は美味しいお店だったということを記憶しております。もちろんこの大糸線ホームにある「大糸ホームそば店」も美味しく、鮮やかな信州色を纏った115系が駅構内を行ったり来たりしている様子を見ながら、そばを美味しく啜っておりました。
昼食後は松本車両センター内の様子を見るために、駅の南側にある陸橋から眺めてみることにしましたが、先程述べました123系と兄弟である湘南色のクモヤ143-52はこの陸橋から離れたところに留置されており、まともに撮影することはできませんでした。何しろこの陸橋の架替工事が行われた以降はまともに撮影することができなくなり残念です。このクモヤ143-52も冬季期間の土曜日・休日に篠ノ井線において霜取電車として活躍しているようですが、最近、JR東では事業用車を少しずつ廃車にしており、ダイヤ改正を機会に211系の登場と篠ノ井線にE127系が運行されますので、この車両も密かに消えてしまうのではないかと危惧しております。
このあとは松本から大阪を目指すのですが、本当は信州色の115系で中央西線の中津川まで乗車してみたかったのですが、この列車は松本を15:35に出発し、大阪には23時頃の遅い到着になりますので、1本前の松本14:30出発の列車で名古屋方面へ向かい、名古屋で風前の灯になってしまった117系に乗車するということにしました。
続きは次回述べたいと思います。