Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

去り行く国鉄型を追って(信州編)

2013年01月12日 21時20分00秒 | その他
昨年暮、JR各社から今年3月ダイヤ改正の概要が発表されましたが、ダイヤ改正の度に国鉄時代に製造されたいわゆる国鉄型の形式が消えて行き、今回の改正においてもご承知のとおりJR東海の117系(イベント用は除く)やJR東日本の123系などが一線から退きます。

と言うことで仕事もちょうど片付きましたし、18きっぷも2日分ありましたので、これらの去り行く車両を9~10日にかけて乗車&撮影を楽しんでみることにしました。今回、追っかけてみることにしたのが先程も申し上げましたように主に辰野と塩尻に運行されている123系ことクモハ123-1とJR東海の117系です。

9日朝4時過ぎに自宅を出発し、町田駅まで約45分の長い道のりを歩き、横浜線の始発列車に乗車すると中央線の普通列車を乗り継ぎ、塩尻には9時ちょっと前に到着しました。
まずは123系を楽しもうと来たものの私は103系以外はにわかマニアであるため、どこかで簡単に走行写真を撮影できれば良いかなということで、駅からそれほど遠くないところで1枚撮影してみました。


その後は時刻表をよく見た結果、塩尻~岡谷~辰野~塩尻の1周をタイミング良く乗り継ぐことができるので、そのような行路で乗車してみることにしました。辰野に到着するとクモハ123-1は3番線に停車しており、車内には地元の方と私のようなマニアの方、計10人ちょっとが発車を待っておりました。この形式は言うまでもなく荷物車や事業用車などから改造された形式であり、元々、一般の乗客が乗車する車両ではありませんでしたが、たった1両で動くことから身延線や宇野線、小野田線など全国の閑散区間で柔軟に運用されておりました。また、この形式は一部の車両を除いて、電動機がMT54にも音がちょっと似ているMT57という特殊なものを搭載し、音鉄マニアにとっては貴重な存在ではないかと思います。


列車は定刻に発車し、右に大きくカーブしたのち進路を北に進みました。路線名のとおり今でも「中央本線」なのですが、1983年(昭和58年)の塩嶺トンネルの開通により画期的に所要時間が短縮され、盲腸線のように取り残されてしまったこの区間は地元の人しか使わない鄙びた路線に変貌してしまいました。この塩嶺トンネルができる前の様子を覚えている人は少なくなったと思いますが、私が高校生だった頃は夏の合宿で信州を訪れた際、165系の急行「アルプス」でこの旧線を時間をかけてうねうねと通り、善知鳥トンネルを抜けたあと見えた雄大な白銀の北アルプスの山々の姿を思い出します。Ωカーブを抜けると間もなく終点塩尻に到着しました。わずか20分でしたが、沿線や駅では平日にもかかわらず撮影されている方が見られ、フィナーレが近づいていることを実感しました。


このあとは3月のダイヤ改正で信州地区に211系が登場し、115系の去就も注目されていますので、塩尻から松本へと向かいました。時間的にはお昼も近くなりましたので、信州と言えば「そば」ということで、大糸線ホームにある駅そばで昼食に。駅そばで格別美味しいと言えるほどの店はなかなかないかと思いますが、信州の駅そばはある程度美味しいお店が多いようで、中でも上田駅の「そば処ちくま」や南松本駅の「イイダヤ軒」(駅弁も販売しているお店で、松本駅近くにもお店があります)は美味しいお店だったということを記憶しております。もちろんこの大糸線ホームにある「大糸ホームそば店」も美味しく、鮮やかな信州色を纏った115系が駅構内を行ったり来たりしている様子を見ながら、そばを美味しく啜っておりました。


昼食後は松本車両センター内の様子を見るために、駅の南側にある陸橋から眺めてみることにしましたが、先程述べました123系と兄弟である湘南色のクモヤ143-52はこの陸橋から離れたところに留置されており、まともに撮影することはできませんでした。何しろこの陸橋の架替工事が行われた以降はまともに撮影することができなくなり残念です。このクモヤ143-52も冬季期間の土曜日・休日に篠ノ井線において霜取電車として活躍しているようですが、最近、JR東では事業用車を少しずつ廃車にしており、ダイヤ改正を機会に211系の登場と篠ノ井線にE127系が運行されますので、この車両も密かに消えてしまうのではないかと危惧しております。

このあとは松本から大阪を目指すのですが、本当は信州色の115系で中央西線の中津川まで乗車してみたかったのですが、この列車は松本を15:35に出発し、大阪には23時頃の遅い到着になりますので、1本前の松本14:30出発の列車で名古屋方面へ向かい、名古屋で風前の灯になってしまった117系に乗車するということにしました。
続きは次回述べたいと思います。



103系を求めて広島、大阪へ

2013年01月01日 22時19分04秒 | 他線区の103系
あけましておめでとうございます。
前回の記事はジャカルタ、マニラからの報告ということで、昨年10月以来更新せず新年を迎えてしまいましたが、今年も仕事の忙しさでしばらく更新ができないことが予想されつつも、できるだけ面白い話題を提供していきたいと思っております。

この年末年始も忙しいと言いつつも長期的に休めるのはこの時期ぐらいですので、ソウルの103系を求めて1週間程ソウル国電探訪でもと計画しておりましたが、仕事の量が多く残っていることからソウル遠征は諦め、年末の29~31日に恒例の103系を求めて広島・大阪を行いました。また、経済的な面でも皆さんのように新幹線に乗って出かけられるようなリッチな生活はできませんので、今回もいい年をして18キッパーになって、まずは広島まで鈍行を乗り継いで行きました。
広島に4連の103系が在籍していた頃は高運や戸袋窓ありの車両が見れましたので、それなりに楽しめたのですが、その4連も今では完全に撤退し、現在、広島で活躍しているのは3連3本のみとなりました。ですので広島へ自然と足が遠くのですが、先月、ご承知のように103系にもついに末期色とも呼ばれている濃黄色が登場し、私もその姿を早速撮影したいということで主な活躍の場である呉線で撮影することにしました。広島の海田市に到着した時点で時刻は既に午後1時30分であり、無難にある程度撮影できる場所ということで、坂にある国道の歩道橋で待ち構えることにしました。以前にもこの撮影場所は記事にもしましたように、この場所は交通量の多い国道31号の歩道橋上からであり、タイミングが悪いとトラックや乗用車が入ってしまいますが、今回は下の写真のようにどれもこれも乗用車が写ってしまいました。もちろん末期色の103系通過時においてもうまくいきませんでした。


気を取り直して海田市へと戻り、ここも定番でありますが、駅から僅か3分程のところにある瀬野川橋梁で撮影してみました。時刻は既に午後3時を廻っており、この季節、下関側の車体前面には光が廻りません。


141運用に充当された末期色D01編成もご覧のとおりで、これ以降は暗くなり、この日の撮影は終了しました。


末期色になったこのD01編成は、毎日141運用に充当されていたようでしたので、2日目の30日も141運用に充当されるだろうと予測し、撮影計画を立てておりました。141運用は朝、呉線安浦を出発し、そのまま山陽線広島~由宇間を往復して、再び呉線内へ入る運用で、山陽線内での姿を撮影すべく、前日の夜は岩国のホテルにチェックインしました。当日、朝7時前にホテルをチェックアウトし大竹で撮影を予定していましたが、この日は朝から雨が降り、しかも日の出の時間が7時20分頃ということで、由宇行きの走行写真の撮影は無理でした。ならば大竹駅で停車している姿だけでもと待っていたところ、この141運用に充当されたのはこの日に限って103系D01編成ではなく113系でした。一体このD01編成はどこへ行ってしまったのか、この後広島へ向かい、とりあえず広島運転所内の様子を見ることにしましたが、103系は1本も見当たりませんでした。
広島駅でしばらく運用調査を行ったのち呉線に乗車したのですが、通常は瀬戸内色の103系が充当されている131運用に末期色のD01編成が充当されていました。前日の夜、広島駅で運用チェックを行っていれば、この日は予定が立てやすかったのですが、前日の夜、疲れもあり広島駅での運用チェックを怠ってしまいました。まあ何があったにせよ末期色のD01編成は運用に就いていましたので、めでたしということで呉駅で撮影してみました。


また、呉~広間でこの編成に乗車してみましたが、瀬戸内色から末期色(濃黄色)に変更されたものの車内は相変わらずのようで、南武線に転入したMc19のような古さ(ボロさ)を感じさせ、私と誕生年がほぼ一緒ということからも親近感が湧いてきます。おそらく私が幼かった頃はMc19とともに京浜東北線で一度は乗車したことがあるかもしれませんが、このようなクモハ103やクハの500番台も含めた初期車は、現在ではこのD01編成とジャカルタのクモハ編成のみであり、すぐに廃車されることなく少なくとも製造から50年は活躍続けてほしいものです。


いつものように話しが長くなってしまいましたので、3日目(31日)は手短かにしたいと思います。
103系ならば阪和線ということで、定番になりますが我孫子町へ行ってみました。この季節、天王寺方には日が廻りませんので我孫子町でもご覧のような姿になります。
写真はMc2505で、ガラス支持が黒ゴムでカッコ良い車両ですが、行先表示の字が小さいのが気に入りません。


続いて、関西線系統の103系6連を撮影してみようということで、無難な久宝寺へと来てみました。この日の103系6連は64Aと66Aに充当され、残りの1本は71Aに充当され、おおさか東線で2本の103系が運用されているのかと思いきや、71Aは残念ながら201系が充当されていました。


東海道緩行線で平日朝運用に入っている205系が今度のダイヤ改正で当路線から姿を消すとのことで、どの路線へ転出されるのか気になるところですが、もしや関西線103系6連がこの205系によって置き換えられることもあるかもしれませんので、騒ぎにならないうちにゆっくりと撮影しておきたいところです。