Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

稲田堤~府中本町連立平面図と縦断図

2007年12月25日 17時52分27秒 | 南武線
平成22年度の完成を目指して、稲田堤~府中本町の4.3kmで連続立体交差事業が行われておりますが、第1期区間の稲田堤~稲城長沼の2.1kmは完成し、現在残る第2期区間の矢野口~府中本町の2.2kmの工事が着々と進められております。この連立の事業にちょっと興味がありましたので、稲城市役所へ行ってパンフレットを頂いてきました。
平面図を見ると、高架後の稲城長沼駅構内は2面4線となり、平面時代にあった立川寄りの電留線は廃止され、その分を駅構内の折り返し用の2線に宛てがうようです。現状のダイヤからすると2面4線は宝の持ち腐れのような気もしますが、将来的に快速運転を行う場合は威力を発揮するのではないかと思います。

施工順序図

2007年12月25日 17時06分57秒 | 南武線
施工順序図を見ますと、来年6月頃には第一次施工の形へ移行し、稲城長沼駅においては下り本線と上り本線の2線のみとなり、折り返し用は設置されないようです。先日の写真では川崎寄りにダブルクロスのポイントが設置されておりましたので、今後も稲城長沼行きが設定されるようです。現在のダイヤで2線だけでの処理は不可能ですので、今後のダイヤ改正(来年6月?)では大きな改正があるのか、または立川寄りに引き上げ線が設置されるのか、いろいろなことが予想されます。また、現在、夜間停泊している4本も立川などに振り分けられるのではないかと予想されます。
第二次施工においては、下り線が高架化され、稲城長沼駅構内も下り線(4番線)が高架化されるのと、電留線(2番線と3番線)も高架化され使用されるようです。この場合ですと下り線が高架化され、上り線がグランドレベルであるため、折り返しの場合はどのようになるのかわかりません。(折り返し上り列車は稲城大橋有料道路まで高架化された上り線を走行するのでしょうか?)
完成時には下り本線が4番線、上り本線が1番線、2、3番線が電留線となり、折り返し用の列車も使用されると思いますが、夜間においてはこの2線の電留線を使用して、停泊させるのではないでしょうか。また、快速設定時においては待避線として使用も可能かと思います。

去就が注目される東急東横線の8000系

2007年12月20日 11時47分35秒 | その他
本日20日、朝早く起きることができましたので、去就が注目される東急東横線の8000系をプチ撮影しに参りました。自宅からは一番近い所ということで選んだのが白楽周辺でしたが、1年で最も日の出が遅く、陽があたるような場所を見つけるのには難しいようです。しばらく待っているとA27運用に充当されている8017Fを撮影することができました。帰りに尻手黒川経由で元住吉の車庫を覗きましたが、さきほどの8017Fとともに8019Fも留置されておりました。これらの8000系はいつまで運行されるのか注目されますが、引退後、ジャカルタや他の地方私鉄で活躍するのか、またはスクラップになってしまうのか注目ですね。

千鳥町埠頭に留置されているキハ52・58

2007年12月20日 11時28分02秒 | その他
ついでに川崎の千鳥町埠頭に12月回送された盛岡のキハ52・58と東急8039Fの様子を確かめるため、行って参りました。東急8039Fの姿は見られず、どうも出港したようです。一方キハ52・58の方は埠頭内に留置されております。8039Fの方は出港しましたので、そろそろ詳細な計画を立てようかと思います。

姫路モノレール

2007年12月19日 20時26分54秒 | その他
いつもとは趣向をかえて、姫路を列車で通ると気になってしまう、姫路モノレールについて少々触れたいと思います。姫路付近の山陽線が高架化されたせいか、姫路の街の様子が見渡せるようになりましたが、街の様子が変わりつつも昭和の面影を出しているのが、この姫路モノレールです。列車の中からはこのモノレールの橋脚と軌道の一部を見ることができますが、JRとの交差付近ではアニメの銀河鉄道999のように軌道が天に向かって反り返っているため、いまでも列車がここから宇宙に飛び立つのではないかと連想してしまいます。
この姫路モノレールを簡単に説明しますと、昭和41年に姫路と中心地から西側に位置する遊園地である手柄山まで開通しました。しかしながら利用者の低迷や維持管理、整備などに費用がかかり、昭和49年に運行休止されたようです。私が幼少の頃両親によく連れていってもらった向ヶ丘遊園のモノレールはロッキード式の跨座式モノレールですが、こちらのモノレールもロッキード式とあって、日本では2箇所しかない貴重なモノレールのようです。
写真はこのモノレールの中間駅である「大将軍」駅を昨年の4月に撮影したものです。駅はマンションの中に造られ、当時としてはとても斬新であったのではないかと思いますが、今でもこのような建物が残っているとなんか滑稽としか言いようがありません。駅の名前も大将軍(将軍様ではありません)とあって、何処からこのような名前が付いたのか不思議です。
私はもちろんこの姫路モノレールにも乗車できませんでしたが、向ヶ丘遊園のモノレールでさえ何度も走る姿を目にしましたが、残念ながら一度も乗車することがありませんでした。悔いが残らないように犬山のモノレールに乗車しておきたいと思います。

山陽路を駆け抜ける岡山区の103系

2007年12月17日 21時42分02秒 | その他
いつもそうですが岡山区の103系などを求めて、岡山まで足を運びました。14日(金)の夕方、ムーンライトながらのキャンセルが出ると思い、駅で何度か指定券ゲットを試みましたが全く取れず、15日の朝一番で岡山へ向かいました。小田急、JRを乗り継いで、岡山には16時30分頃に到着すると、早速、岡山区内の様子を伺うため、隣駅の北長瀬までそのまま乗車しましたが、岡山駅西側の引上線にはH12編成が見られ、通常115系K運用の461Mに充当されていることが確認できました。北長瀬から上り線に乗換えて岡山区内の様子を見ると、今やたいへん貴重な戸袋窓ありのH13編成が宇野行きの表示でスタンバイ状態であり、残る1本のウグイスH16編成の姿は見られませんでしたので、H16の方は1日運用に入っていると推測しました。先程岡山区で見たH13編成が宇野線665Mに充当されていることが確認できると、ひたすら103系1日運用の赤穂線1930Mに何が入っているか確認するため岡山駅で待っておりました。するとやはり私にとっては幻的な存在のH16が予想どおり充当されておりました。この1930Mは赤穂で折り返して岡山へ戻り、一旦岡山区へ入庫した後、宇野線22:29発の679Mの運用につき、明日朝の宇野線638Mに充当されることから、明日の638Mを狙うことを決めて、とりあえず岡山の安ホテルへチェックインしました。679Mを確認すべく岡山駅で待っていると、私の予想に反して115系K05が充当されておりました。確かに一旦入庫すれば同じ編成が出庫するとは限らないので、ある程度予測されておりましたが、残念な結果となってしまいました。(次の日が日曜日だから115系でも対応できるので、予測は出来たのですが...)
気を取り直して、H13編成が日曜日の1日運用につきますので、この編成を追っかけることにしたのですが、岡山は日の出の時間が東京よりも約20分遅く、写真の撮影技術のない私にとっては苦労しました。とりあえず、笠岡駅で1729Mに充当されたH13編成を撮影し(掲載の写真)、その後H12編成が436Mに充当されていることが予測されていたので、笠岡駅で20分ほど待ち続けました。こちらは予測が的中したのですが、私は和気まで行くのかと思いこんでいました。岡山駅に着くと「この列車は回送列車となります」というアナウンスがあったのでおかしいなーと思っていたところ、持参した古い時刻表(07年4月号)を見てしまったことに気づきました。本当は岡山から和気まで103系のサウンドを録音するつもりでいたのですが、駅で配付されている新しい時刻表で確認しなかったのか後悔しております。全くお粗末な2日間となってしまいましたが、再び山陽路に103系を求めて足を運びたいと思っております。

JABOTABEKで活躍する青帯時代の6000形

2007年12月14日 23時26分37秒 | インドネシア
昨日はマレーシアKTMのKomuterを掲載しましたが、久しぶりにJABOTABEKで活躍する青帯時代の元都営6000形を掲載します。と言ってもあまり述べることは少ないのですが、04年頃までの6000形は青帯の姿で活躍し、投石防止用の網もまだ付けられておらず、三田線時代の面影が多くありました。現在はオレンジ色の帯を巻く車両が多く、先頭車改造された編成では独自の色の帯が巻かれております。(1本はオレンジですが)。またSerpong線用の6000形は緑色の帯が巻かれているようです。
6000形が譲渡されてから既に7年が経過しておりますが、これらの車両がいつまで活躍するのかわかりませんが、熊本や秩父へ行った仲間も含めて長く活躍することを祈るばかりです。
本日は明日に備えてコメントを手短にしてしまいましたが、明日から2日間いい年して18キッパーに変身します。さあーどこへ行こうかなー?
写真は2003年7月にKotaの駅で撮影したものです。

KTM Komuterの車両たち

2007年12月13日 23時30分51秒 | マレーシア
今日は海外に目を向けてマレーシアの通勤電車のKTM Komuterについて述べたいと思います。マレーシアのマレー半島にはシンガポールとタイを結ぶKeretapi Tanah Melayu Berhad(マレー鉄道)がありますが、人口密度がインドネシアのジャワ島のように高くないため、クアラルンプール首都圏を除いて全国的に鉄道は発達しておりません。しかしながら首都圏ではおよそ175Kmが25kVで交流電化され、1995年8月よりコミューターサービスが開始されております。KTMのkomuter路線は西海岸線と重複するRawang-Sermban線とSentulから港町のPelabuhan Klangを結ぶSentul-Palabuhan Klang線の2路線があり、Putra~KL Sentralはこの2路線が重複する形となり、Xの字運転の形態をとっています。この2路線のデータイムの運転間隔はともに平日で20分間隔、休日では15分間隔で、Putra~KL Sentralにおいては重複区間のため平日で8~12分間隔、休日で7~8分間隔となります。また、朝のSeremban→Sentulには快速が2本と急行が1本運行され、Seremban~KL Sentralを急行で55分、快速で63分で結んでおります。(各停は76分)また、夕方にはSentul→Serembanには快速が3本運行されております。Sentul-Plabuhan Klang線及びRawang方面には急行、快速列車は運行されていないようです。なお、Rawang~Rasaは2007年4月21日にコミューターサービスが開始されたようですが、この間をシャトルサービスし、中心部の方へは直通列車がないようです。
このKTM Komuterに使用されている車両については下記に示しますが、3種類の車両が使用されているようです。
私はKTM Komuterに何度か乗車したことがありますが、他の国の通勤路線に比べてスピードが遅いというような印象があります。また、列車密度も低いので首都圏の路線としては物足りなさを感じてしまいますが、旅客需要も少ないので仕方がないのかと思っています。電化複線化も今後郊外へ延長され、高速化も図られると思いますので、通勤路線としての需要やシンガポールやバタワースなどへの長距離の需要も高まっていくのではないかと思います。
写真は2003年7月にRawangに留置されているKTM Komuterの車両を撮影したものです。

KTM Class82

2007年12月13日 21時48分34秒 | マレーシア
こちらの車両はKTM Class82の車両です。この車両は1996年から97年に南アフリカで製造されたようで、3両編成が22本あるようです。この他1994年から95年にオーストリア・ハンガリーのJenbacher Transport製造のClass81が18本、1996年から97年に韓国現代製造のステンレス製Class83が22本あります。全ての編成は3両編成であり、6両編成や9両編成の列車はないようです。(2003年7月現在)

浜川崎線205系運用開始

2007年12月12日 23時29分50秒 | 南武線
いつも南武線本線の話しばかりですので、たまには浜川崎の話題を少々述べたいと思います。101系の置換用として205系の中間電動車を先頭車改造し、2両編成の205系が登場しました。運用開始は2002年8月20日からで、この時点で205系2本が用意され、それぞれヘッドマークが付けられました。朝は2本が運用につくため、川崎新町での並びを狙ってみました。