Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

鶴見線開業80周年記念-鶴見線全線踏破の旅

2010年10月31日 20時46分35秒 | 鶴見線
鶴見線も南武線と同様に旧型の73系がまだ走っていた頃からよく乗りに行ったものですが、昔から首都圏の通勤路線のお古が集められ、73系以降も101系、101系冷房車、103系が運行され、よく足を運びました。私にとってはとても愛着のある路線ではありますが、京浜工業地帯の工場が地方や海外へ移転したり、オートメーション化が図られたことにより、鶴見線の利用者が減少しているようです。利用者が減少するということはこの厳しい世の中列車の本数も減らされることになり、特に日中はどこかの山間部の路線と同じような状況であり、私にとっては寂しいかぎりです。
そのような状況の中、鶴見線を管轄する鶴見線営業所に貢献しようというものでもありませんが、鶴見線の鶴見~扇町間(本線)の全線開業と旅客営業が昭和5年10月28日に開始され、ちょうど80周年にあたるということで、鶴見線205系による「鶴見線全線踏破の旅」に参加しました。

この「鶴見線全線踏破の旅」は、10月30日と31日に実施され、1日にDayコース(120名)とNightコース(120名)の2回行われました。旅行代金は4,500円で、その内訳は乗車区間の運賃、記念弁当、鶴見線・南武支線開業80周年記念入場券です。
私は10月30日のNightコースに参加したのですが、申し込んだのが新聞発表後間もない10月5日であり、タイミング良いというか悪いというべきか台風が東京地方に直撃するとは思ってもいませんでした。参加当日、申込先のびゅうプラザに電話し、今のところ運休にするという情報は入っていませんということを聞いて、鶴見駅へと向かいました。
鶴見線の4番線ホームで受付を済ますと、クモハ12が表紙の台紙になっている記念入場券
と同じくクモハ12が掛紙である地元崎陽軒製造の弁当を受け取りました。
16:08頃、開業80周年のヘッドマークを付けたT18編成が4番線に入線しました。16:15頃、列車は静かに発車し、時速20kmぐらいのゆっくりしたスピードで走行しました。続いて鉄道友の会の方が貨物線や引込線について所々で解説していただき、外を見ながらその解説を聞いていましたが、最初の目的地である扇町に到着すると外はほとんど暗くなっていました。扇町で5分程停車したのち鶴見へと戻りました。

これも一種の演出なのか05運用にはヘッドマーク付きのT17編成が充当され、鶴見駅でヘッドマークの装着された編成どうしの並びを見ることができました。


その後は鶴見→大川→鶴見→海芝浦→鶴見という順序で運転されましたが、台風のほうは思っていたほど酷くならず、海芝浦に到着した頃には雨も小雨程度になりました。

下の写真は海芝浦駅からの夜景で、首都高湾岸線の鶴見つばさ橋を目の前で見ることができ、遠くは大黒ジャンクションを眺めることができます。


気になるお弁当の中身ですが、舞茸ご飯におかずはシュウマイ、ロースカツ、大学芋、赤身の照焼、海老フライなどで、崎陽軒にしては上出来なお弁当ではないかと思います。


また、31日の昼間も撮影しましたが、この日は「鶴見線全線踏破の旅」に抜擢されたのはT17編成の方で、05運用には昨日「鶴見線全線踏破の旅」に充当されたT18編成が運用についていました。



鶴見線減便、運転区間見直し

2009年02月23日 17時38分15秒 | 鶴見線
3月の横浜支社のダイヤ改正のパンフレットには横浜線や南武線、東海道線の増発や京浜東北線へのE233系の導入など利用者にとっては嬉しいようなニュースばかり掲載されていますが、下のほうに「その他にも」と書かれているところには必ずしも利用者にとって嬉しくないニュースも掲載されています。それは「鶴見線は、海芝浦駅、大川駅、扇町駅の各支線への直通運転を見直しします。」と書かれています。
来月のダイヤ改正では、データイムを中心に工場地帯である末端区間への乗り入れを減便するというものです。現在の平日のダイヤでは20分間隔で運行され、扇町行きが1時間に2本、海芝浦行きが1時間に1本ですが、これがダイヤ改正後は20分間隔の運行に変更がないものの、扇町行きや海芝浦行きがそれぞれ2時間置きに運行されることになり、扇町行きや海芝浦行き以外の列車は、浜川崎行きもしくは弁天橋行きとなり、工場地帯の区間では山間部を走るローカル線さながらの運行間隔となってしまうことから、これらの工場地帯へ働く方々には不便さを強いられることになります。
確かににデータイムにおいては、乗客があまりおりませんので仕方のない措置かと思いますが、3両編成の車両を走らせるにも過剰なサービスかと思いますので、宇部・小野田線などの線区で行われているように編成両数をフレキシブルに組めるようにすれば、このような末端区間へのサービスも落とさず済んだのではないかと思っております。
以前は大川支線用として活躍していたクモハ12も、その後、鶴見まで顔を出し活躍しておりましたが、浜川崎線用の205系や来年あたりから廃車になると思われる119系などを導入することで、データイム時のサービスも今までどおりのダイヤで可能となると思われますし、ワンマン運転の実施により経営側サイドのコスト削減も見込まれますので、是非フレキシブルに対応できる車両の導入が望まれるところです。今後、日本の高度経済成長を支えた鶴見線の将来がどのようになっていってしまうのか気になるところです。(一部区間が廃止にならないことを祈るばかりです)

上の写真はシングルアーム化されたばかりの205系です。
下の写真は103系が活躍していた頃に撮影したもので、AU712分散型冷房装置を搭載するMc130です。


下の写真は101系時代のもので、Mc162です。行き先のところが色別で示されているところがなつかしいです。青もしくは緑ですと海芝浦行き、オレンジもしくは赤ですと本線系統、黄色は大川行き(101系ではそもそも行先表示があったか、あったとしても黄色であったかは確認しておりません)と区別されていました。なお101系以前の73系時代も行先表示を色別で区別しておりました。

鶴見線用205系T12編成、シングルアーム化

2009年02月05日 18時27分47秒 | 鶴見線
昨日ちょっと時間が取れましたので、久々に南武線ウォッチングに出かけました。愛用のスクーターでまずは中原電車区に向ってみると、中原区のクモヤ145がミュージックホーンを鳴らし、区内で何やら入換えを行っておりました。しばらく見ていると区内に留置されたいた鶴見線用205系T12編成がこのクモヤに連結され、一旦レストラン夢庵側に引き上げ、その後は検修庫(以前、台検を行っていた所)に取り込まれ、私も場所を変えてその様子を眺めておりました。しばらくすると何人かの作業員が屋根の上でパンタのあたりをいじっているようで、20分ほどで従来のパンタグラフがクレーンによって降ろされ、代わりに今流行りのシングルアームのパンタが吊り上げられ装着されました。僅か1時間ほどの作業のようで簡単に換装が行われたのですが、JR東日本の205系では相模線用の205系や鶴見線用の205系に普及しつつありますので、残りの鶴見線用205系もすぐにシングルアームへ急速に変更されるのではないかと思われます。また、南武線本線用の205系にはいまだシングルアームの車両は登場しておりませんが、こちらの動向も気になるところです。

南武線ウォッチングのあとは、川崎、千鳥町の埠頭へとスクーターを走らせました。埠頭へ到着すると既にジャカルタへ向けて出発していたと思っておりました東急8613Fがいまだに留置されており、船に積み込むような様子も見られませんでした。いったいいつ出発するのか気になりますが、時間がありましたら、再び確認に参りたいと思っております。ちなみにミャンマーへ向うと思われる車両も留置されておりました。また、なぜか相鉄の中間車2両の姿も見られました。

ところで、先程鶴見線205系の話題を述べましたが、3月のダイヤ改正で鶴見線は日中を中心に大幅減便されるようです。各JRの駅にあるダイヤ改正のパンフレットには鶴見線のダイヤについてはいっさい書かれておりません。利用者にとってデメリットのような記事については記述しないや言葉を濁すような表現をするのがJRのやり方で、現在の政治家のようにも思えます。

Saya pergi ke pelabuhan Kawasaki kemarin. Rangkaian Tokyu 8613 masih berada di Kawasaki. Saya tidak tahu kapan berangkat rangkaian itu.

思いもよらぬ鶴見線103系最後の営業

2008年05月10日 00時54分21秒 | 鶴見線
2005年12月16日の出来事ですが、たまたま、この日は仕事の関係で横浜の関内へ参りました。仕事の方も夕方には終了し、この頃去就が注目されていました鶴見線の103系が営業についているかどうか確認するため、横浜線ですぐに帰宅せず、鶴見駅へ行ってみることに。
この頃、鶴見線の103系は205系の転入により急速に廃車され、T1編成のMc66 M'173 T'c553の3両のみになり、しかも滅多なことがないかぎり運用についておりませんでした。鶴見駅でしばらく待っていると、偶然にも103系が海芝浦行きの表示を掲げ入線し、私もつい嬉しくてカバンの中に入っていたコンパクトカメラを取り出し1枚撮影しました。ついでに海芝浦までの1往復を堪能することにしました。103系の電動機の音を味わいながら乗車し、海芝浦に到着すると大きな丸い月が見られました。この駅でも何枚か撮影したあと、再びこの103系に乗車し、鶴見へ戻りました。特にこれが鶴見線103系の最後の乗車になるとは思いもよりませんでしたが、自宅でいろいろな方のホームページなど見ていると、この日の夜10時頃に先程乗車しました103系が鶴見小野駅にて車両故障を起こし、運転不能になったということを知りました。残念ながらこの日以降の鶴見線103系の営業は復活せず、103系最後の日となってしまいましたが、奇しくもちょうど1年前の2004年12月16日も南武線103系営業の最後の日であり、12月16日は南武線、鶴見線103系の最後の営業(さよなら)の記念日になってしまいました。それにしても偶然、鶴見線103系最後の日に乗車できたのは、今考えてみるとたいへん有難いことでしたが、私にとってとても悲しいアフター5になってしまいました。
ちなみにこの編成のMc66のユニットが新製された年月と私の誕生年月がいっしょですが、私の方はまだまだ体にムチを打ちながら頑張れそうです。(私も一緒に長野へ行ってしまった方が良かったかもしれませんがねー)