Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

ジャカルタの新塗装を考える

2013年06月30日 20時44分03秒 | インドネシア
本日、6月30日から埼京線では新型車両のE233系が運行されましたが、来年1月頃までには全ての205系がE233系に置き換わり、その後においても横浜線に順次E233系が導入されることから、205系の動向が注目されています。今後、これらの500両以上にもなる205系が地方へ転出となるのか、他の鉄道会社へ譲渡されるのか、それとも廃車になってしまうのか公式的な発表はいっさいありませんが、地方へ転出するにしても500両にもおよぶ車両数は必要でないと推測されますし、ジャカルタの現地メディアの報道では情報の内容にバラツキがあるものの、今年(来年分も含めて?)は180両、その後においては2018年までに毎年約160両を日本から中古車両を投入するということが報道されていますので、ジャカルタ(KCJ)に導入されるとしたらこの205系が最有力ではないかと個人的に推測しております。
205系のKCJへの譲渡が実現されるのかどうかわかりませんが、少々時間がありましたので、簡単ながらジャカルタ塗装を考えてみました。
現在、KCJ所有の車両については赤と黄色が採用され、PT.KAIの車両については青と黄色が採用されていますので、下のようにそれらの色を踏襲してみました。


前面全体を現在採用しているKCJカラーで覆ってしまうとメトロの6000系や7000系のようにあまりにも度派手になってしまいますので、帯部分に色を付けるほうがシンプルで良いのではないかと思っていますが、インドネシア人にとっては日本人には考えられないセンスがありますので、インドネシア人のセンスを考慮しながら他にいくつかのデザインも考えてみたいと思っております。

また、ジャカルタの103系ですが一昨年の夏から2代目青系塗装から東海色へと変更されましたが、またまた検査時期も近づきつつあるということで、いくつかのデザインを考えてみました。
私自身のオリジナルデザインはありませんが、左から115系にも採用されている長野色、私の地元を走る神奈中色、播但線でおなじみのワインレッド、PT.KAIの標準色です。次回検査時期に関して詳しいことはわかりませんが、検査時期が迫っているようでしたら早急に他のパターンも作成し、PT.KAIにいくつかのデザインを提出して、前回の東海色と同様に採用されることを願っております。


最後に、つい先日の現地の新聞発表によりますと2014年からKCJ管内のコミューターは10両化が実施されるとのことです。
205系が譲渡された場合においては、埼京線10両編成は問題ないかと思われますが、横浜線は8両編成ですので、足りない2両をどのように解決するのか、6扉車の動向なども気になるところです。
また、皆様にお願いですが、この記事については私の推測のもとで書いたことですので、この件に関して関係する鉄道事業社への問い合わせはご遠慮ください。



南武線ウォッチング

2013年06月24日 21時06分16秒 | 南武線
またまたご無沙汰になってしまいましたが、先週末は時間が取れましたので、恒例の南武線ウォッチングを行い、稲城市内で進めれています連続立体交差事業の観察や南武線を撮影してみました。

まずは稲城市内の連続立体交差事業の様子ですが、南多摩駅では6月8日から通路が変更になり、仮通路から今後、本格的に使用される駅出入口側に通路が移設されました。
駅出入口の北側と南側はシャッターが閉まっていますが、上り線高架時にはおそらくこのシャッターが開けられ、南北方向に通行が可能になると思われます。


南多摩駅ホームの川崎寄りは下り線を撮影する上で良い撮影地でもありますが、立川寄りも川崎寄りほどではありませんが新たな府中街道のアーチ型の橋のオブジェと上り列車をいっしょに撮影する上で良いかもしれません。


続いて稲城長沼駅ですが、5月7日にお伝えした時に比べて着々とホームが整いつつあります。上り線の架線も部分的に張る工事も行われており、来月中には架線工事が終わってしまうのではないかと思いますが、信号設備などの工事も順次行われ、来年春の暫定完成予定が今年の12月に前倒しされる公式発表がそろそろあるのではないかと思われます。


6月に入り、南武線内を2本の臨時列車が運行されましたが、1本は485系華による快速「お座敷山梨さくらんぼ」号で、川崎~竜王間(下りは甲府まで)に運転されました。ちなみに昨年は485系いろどり(彩)による運転でした。


また、南武線の立川~府中本町間を経由する形で、青梅~鎌倉間に大宮の183系による快速「鎌倉あじさい」号が運転されました。15、16、22日はこの列車の約10分後にやはり183系による団体列車が運行されたため、南武線沿線にはギャラリーの姿も多く見られました。


その他、沿線や駅で南武線の205系や209系も撮影してみましたが、上記の臨時快速列車を撮影するついでに多摩川橋梁でサイドを撮影してみました。譲渡されるのかどうか正式な発表がありませんので真相はわかりませんんが、KCJに譲渡されることも予想し、KCJのデザインを考えてみるために撮影してみたのですが、たまたま並走する武蔵野南線にEH200が擦れ違いました。


また、電車に揺られて矢向駅のエレベーター利用者用の通路から鹿島田方向を狙ってみました。この駅では休日において1分差で上下線の列車が擦れ違うことがあるため、上下線の並びを狙ってみましたが、なかなかそううまくいかず、良い並びは撮影できませんでした。


というようなことで簡単にレポートしましたが、今後も時間があるかぎり稲城市内の連続立体交差事業の観察や南武線の205系や209系の撮影にもより力を入れていきたいと思いますので、定期的にレポートしたいと思っております。

185系、南武線に入線

2013年06月16日 17時46分59秒 | 南武線
6月9日~14日にかけて、185系、B7編成4連が中原区に貸し出され、乗務員訓練として南武線に入線しました。貸し出された編成はTc316 MM'232 T'c216で、編成の向きは逆向きで入線しました。
かつて、185系は南武線の府中本町~立川間及び浜川崎線の尻手~浜川崎間に入線したことがありますが、それ以外の南武線の区間においてはいまだに入線したことがないと思われ、中原区の入線も初めてのことになるかと思われます。


中原区に到着後、編成は武蔵新城寄りに留置されました。


10日~13日にかけて、その185系が武蔵中原~立川間において、乗務員訓練と思われる試運転が1往復実施されました。表示は「回送」ですが、「試運転」という表示がないために回送表示になっています。


また、185系が中原区に入線したためか、12、13日には10~11時半という短い時間ながらミニ撮影会が実施され、185系はもちろんのこと中原区の205系も撮影することができました。
185系は「水上」や「草津」、「踊り子」、「はまかいじ」などあらゆる表示に設定していただき、今後見られるのかどうかわかりませんが「修学旅行」という表示にも設定していただきました。


この他、205系の先頭改造車である1200番台が留置されていましたので、まぼろしとも言える「快速ハイキング号川崎」をリクエストさせていただくと、ご親切にその表示に設定していただき撮影することができました。残念ながら南武線の生え抜きのほうの車両は留置されておらず、種別に「快速」、行先表示も「快速○○」ということまでは叶いませんでしたが、オリジナルの山手車において「快速稲城長沼」などのふだんは見れない表示も見られました。


今後、183系が185系に変更され、南武線の団体列車や修学旅行列車として使用されるのか動向が注目されますが、今まで使用されている183系の去就も気になるところです。
最後にこのようなミニ撮影会を実施していただいた中原電車区の皆様方に御礼を申し上げるとともに、今後も電車区の一般公開が定期的に実施されることを期待しております。

尻手~武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?-その4

2013年06月14日 23時30分40秒 | 南武線
昨日の続きということで、本日は向河原周辺について述べ、尻手~武蔵小杉間の連続立体交差事業等の話しは最後としたいと思います。
平間~向河原間において、おおよそ矢向~平間間のように線路に沿って都市計画道路はありませんが、線路の西側に三菱ふそうのグラウンドや橘高校、玉川中学付近においてはある程度のスペースがあることから、仮線を現線路の西側に敷設する方法が最も短時間でかつ事業費が安いのではないかと個人的に予測しております。
下の写真がちょうど玉川中学のあたりから撮影した写真で、線路西側にスペースがあります。以前はこのあたりに武蔵中丸子駅がありましたが、終戦間際の昭和20年4月の空襲で駅舎は焼失してしまい、いつの間にか廃止されてしまったものの、地元で駅の復活運動が行われましたが、駅間が短いなどの問題により結局復活しませんでした。


向河原駅周辺においても、かつてこの駅から新鶴見操車場の市ノ坪まで貨物線が昭和48年まで営業していたことから、向河原駅西側には貨物線用の線路がありましたが、現在では線路が撤去され、一部は駐輪場として使用されていますが、このような線路西側のスペースも仮線を敷設する上では有効であると思われます。
また、向河原駅前踏切付近から横須賀線交差部にかけてスロープ部分になると思われますが、線路西側一帯は日本電気が立地しているため、現線路に沿って仮線を敷設されることが予想されます。
下の写真が向河原駅前踏切から立川方を臨んだところで、今では数少ない南武鉄道時代の架線柱と東電中原線の特高圧線の門形鉄塔が残っています。南武鉄道の架線柱は現在も宿河原駅付近と登戸駅付近などに僅かに見られ、東電の門形鉄塔についてはかつて尻手~武蔵新城(中原電車区付近)間で見られましたが、10年以上前に先程紹介させていただきました武蔵中丸子以南は残念ながら特高圧線が廃止されたため鉄塔の上部が撤去され、武蔵小杉以北も連立によりなくなりました。
また、昔話になりますが、この踏切の西側にある日本電気に引込線が南武線に沿ってあり、ワムなどの貨車が止まっていたのを今でも覚えています。


下の写真も数少ない東電の門形鉄塔であり、南武線の風景としては欠かせないものです。私が幼かった頃は霧雨が降るとこの鉄塔の碍子付近から「ジー」という音が聞こえ、何らか体に悪い影響を与えているのではないかとか思わぬことを考えており、とてもこの鉄塔が不気味に思え、早く撤去してもらえないものかと思っていました。


向河原駅舎入口の上部をよく見ると小さいながらステンドグラスがはめられています。書籍などにも紹介されていませんので駅員さんに尋ねてみたのですが、だいぶ前からあるようで厳密にいつという時期はわからないようです。


ということで昔話も交えて、尻手~武蔵小杉間の連続立体交差事業に関連する話しもさせていただきましたが、早くて2019年度に都市計画決定というような状況であり、都市計画決定から完成までには少なくとも10年はかかるかと思いますので、今から20年後に完成するのではないかと私個人としては予測しております。
この事業について、今後の予定や計画について知りたい方は下記のウェブサイトをご覧いただければと思います。
http://www.city.kawasaki.jp/980/cmsfiles/contents/0000046/46723/250529machi2-1.pdf

尻手~武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?-その3

2013年06月13日 23時36分02秒 | 南武線
お約束どおり先日の続きということで尻手~武蔵小杉間で計画されている連続立体交差事業について、本日は平間周辺のことで述べていきたいと思います。
平間駅周辺は鹿島田駅と比べて大規模な工場が立地していなかったことから住宅が密集しており、駅周辺を中心に商店街が形成され、比較的庶民的な街であると言えるかと思います。今後においても駅周辺では市街地再開発事業や民間による大規模開発は予定されていないことから、連続立体交差事業を実施するにあたって高架方式を採用した場合は仮線の線路を敷設することは困難と予測されることから、おそらくかつての武蔵新城駅のようにこの駅周辺において直上高架方式による方法が最適なのではないかと予測されます。その場合、稲城市内の連立のようにグランドレベルから線路面の通常の高さ5.5~6mよりもさらに高くなり、事業費の上昇、日照権などの問題も出てくるのでないかと予測されます。


平間駅の川崎寄りは府中街道の朱印橋交差点付近までは南武線の線路に沿って西側に都市計画道路矢向鹿島田線が整備されるため、南武線の仮線を敷設することが予想されますが、朱印橋交差点から北側は線路西側に都市計画道路はないため(府中街道自体が平間駅入口交差点付近まで都市計画道路)、平間駅付近においては直上高架方式により事業が行われる可能性があります。
下の写真は平間駅付近から川崎方面を臨みましたが、意外と知られていないことは南武線の中で直線部分が最も長く、鹿島田駅を越え、矢向駅直近までの2.3kmにおよびます。また、南武鉄道の建設当時の話しをしますと、南武鉄道の敷設工事を行っていた大正末期に鉄道省から一方的に新鶴見操車場を建設するという文章と図面が南武鉄道に送られ、南武線の路線変更を余儀なくされています。本来であれば鹿島田駅付近から府中街道の西側に直線的に沿って(ほぼ二ヶ領用水にも沿って)市ノ坪を通り、今井上町付近に抜けるようでしたが、鉄道省が示した新ルートに従い、ほぼそのルートの線形に近い形で線路が敷設されました。この他、当時、武蔵小杉駅付近において、東京横浜電鉄も工事の認可を受けて突貫工事で大正14年2月に開通させてしまいましたが、南武鉄道との交差部はかつての阪急西宮北口のような形で平面交差し、南武鉄道の工事車両と東横の車両が7ヶ月間に渡って行き交っていましたが、工事の認可をあとに取ったのは東横側でしたので、東横側が折れて高架橋を建設し、その費用は東横、南武、鉄道省の3者が分担したようです。
(これらの話しは多摩川新聞社の南武線物語、著者=五味洋治氏に書かれています)


話しが昔の話しに逸れてしまいましたので、平間駅周辺の話題に戻しますと、平間駅周辺の最も賑やかな通りは東西に走る県道大田神奈川線ですが、基本的に平間駅周辺においては都市計画道路として指定されているものの未整備の状態であり、歩道も部分によっては十分な幅員が確保されておりません。ですので、自動車交通と歩行者や自転車利用者が安全に行き来することが困難であり、早期の道路整備が望まれますが、将来的に新鶴見操車場にかかる御幸跨線橋と直線的に結ばれるものの府中街道との交差部において大きな高低差が生じるため、事業実効性を高めるルート等の検討が行われるようで、道路整備にはまだまだ時間がかかるかもしれません。


この他、平間駅前は駅前広場がなく、駐輪場スペースも狭小であり、これらを抜本的に確保するスペースはないことから、南武線の連続立体化によって、高架下にこれらの施設を整備できると思われます。


本日は平間駅周辺について、現状や昔話も交えて述べましたが、最後は向河原周辺について述べていく予定です。

横浜線ウォッチング

2013年06月10日 00時05分12秒 | 横浜線
南武線の話題を中心に述べてまいりましたが、ここで一先ず休憩ということで本来の私の地元である横浜線をウォッチングしましたので、横浜線の近況報告ということで述べていきたいと思います。
と言っても、最近、特に大きな動きがあったわけではありませんが、ご存知のように埼京線にE233系が導入され、来年明け早々には置き換えが完了し、続いて横浜線用のE233系が投入されることから、今のうちに205系を撮影しておこうということで、スクーターで沿線をウロウロしました。

ウロウロと言っても私の地元である町田だけでなく、起点の東神奈川から終点の八王子までいい所ないかなあと撮影場所を探しながらなのですが、横浜線に何度も乗車していればそれなりに目星になる所もわかってきますので、そのような所を中心に撮影を楽しんでみました。
下の写真も横浜線に乗車していれば、何となく良さそうな場所であることはわかると思いますが、横浜線も南武線と同様に線形が似ていますので、何かと八王子方のTcを順光で撮影するチャンスは少ないですが、この季節、この場所ですとある程度綺麗に撮影することができます。


横浜線用の205系は5年前頃に私の好きな幕式からLED化されてしまい、非常に残念なのですが、しかも横浜線と行先表示が交互に表示されるため、行先表示を撮影したい私にとっては辛いところです。
下の写真の撮影地においても、やはり半分ぐらいは横浜線を表示していました。


続いて、最近の出来事ですが、先月から先週あたりぐらいまで修学旅行列車が運転されました。横浜線内は小机・中山~八王子間で運転され、使用車両は田町の183系8連H81編成でした。


この他、休日に運転されている特急「はまかいじ」ですが、来月7月から6両化され、どうもサロが抜かれるようです。最近、田町に所属する185系は大宮に統合され、185系の動きや運用に注目されていますが、今後の動きについても、特急「はまかいじ」も含めて具体的にどのような動きがあるのか気になるところです。


本日は横浜線ウォッチングをお届けしましたが、次回は続きということで、南武線連続立体交差事業について述べていきたいと思います。

尻手~武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?-その2

2013年06月07日 23時23分12秒 | 南武線
先日は尻手~武蔵小杉間で計画されている連続立体交差事業について、矢向周辺における昔の出来事とともに、今後の懸念される点について述べましたが、本日は鹿島田周辺について述べていきたいと思います。

以前も述べたかもしれませんが、鹿島田は私にとって長年暮らしてきた街であり、約15年間住んでおりましたので、今まで住んできた街の中で最も愛着を持っております。私が暮らしていた昭和40年代から50年代の鹿島田駅周辺の街は、駅前を東西に走る「かしまだ駅前商店街」から南側は大規模な工場が立地し、南武線の東側に東芝タンガロイ、西側には日立精工があり、多くの労働者が鹿島田駅を利用し、賑わいもありました。現在は駐輪場などになっていますが、下り線ホームの西側には日立の体育館があり、たしかホームとその体育館の間に日立の工場へ導くための引込線の線路が存在し、その引込線から南武線の川崎方面へポイントで繋がっていましたが、私の記憶の中では残念ながら貨物列車や貨車の姿を一度も見たことがありません。

下の写真は鹿島田駅西側の駐輪場であり、現在の鹿島田駅は立派な橋上駅舎に生まれ変わり、かつてあった東芝タンガロイや日立の跡地は高層マンションやインテリジェントビルが乱立し、さすがに快速列車が停車するだけあって隣りの矢向や平間と比べ垢抜けています。


鹿島田駅周辺は川崎の副都心として位置づけられ、平成10年に5,0haにおよぶ市街地再開発事業を決定し、この鹿島田駅西側から新川崎駅東側の区域で整備が予定されていましたが、事業の見直し等により区域はほぼ都市計画道路古市場矢上線(鹿島田駅と新川崎駅を結ぶ道路)の南側約2.3haが開発されることになりました。
再来年の春には47階の住宅棟と商業施設等が入る生活利便施設棟が完成する予定で、同時に駅前広場の整備と駅からペデストリアンデッキも整備される予定です。

駅北側の南武線西側に沿う形で都市計画道矢向鹿島田線が一部整備されていますが、府中街道(国道409号)が交差する部分においては直近に川崎堀踏切が位置するため、鹿島田駅までの区間を開通させたとしても現状のままでは安全性が保たれないため、南武線の連続立体交差事業とともに一体的に整備されることが望まれますが、この道路が本格的に使用されるのは相当先のことではないかと想像しています。


府中街道には川崎駅と溝の口駅などを結ぶ東急バスが運行されていますが、朝のピーク時を中心に定時性運行に支障が出ていると思われます。特に臨港バスの川崎駅と元住吉駅などを結ぶ路線においては、矢向と鹿島田間にある塚越踏切の直近で曲がり、かつ鹿島田踏切を通過するため、定時性運行に相当な支障が出ているのではないかと想像し、先程、直接バス会社に問い合わせしてみたのですが、ダイヤにある程度余裕を持たせて運行させているが、多少の遅れがありますとのお返事でした。


以上、鹿島田周辺について述べましたが、現状で線路西側に都市計画道路が整備されることから、高架方式により事業を実施する場合、一時的にこの都市計画道路上に仮線を敷設して事業を進めることが最も合理的であると想像しておりますが、高架構造物と現在の橋上駅舎やペデストリアンデッキのクリアランスをどうするのか、線路東側においては日照権などの問題も発生するのではないかと思っています。

本日も話しが長くなりそうですので、明日以降、平間以北について述べていきたいと思います。




尻手~武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?

2013年06月04日 19時46分06秒 | 南武線
稲城市内で実施されている第2期区間の矢野口(稲城大橋)~府中本町(多摩川橋梁)間の上り線工事が大詰めを迎えていますが、朝のラッシュ時の1時間に方方向で24本の列車が運転されている川崎方においては、これ以上の増発は無理であり、かつ開かずの踏切が日常化している尻手~武蔵小杉間の踏切では大きな問題となっています。
2000年頃から尻手~武蔵小杉間の連続立体交差事業の基礎調査・検討が行われ、川崎市の都市計画マスタープランにおいてもこの区間の連続立体交差事業の記述が盛り込まれていますが、京急大師線の連続立体交差事業の進捗を見極めながらと記述されていることから、本格的な調査・検討があとまわしにされてきたようです。
しかしながら、今年3月策定の川崎市総合都市交通計画の中では、今後10年以内に事業を着手とすることが記述され、京急大師線の事業の進捗とは別に動くようで、来年度から2年かけて事業調査に取り組み、その後の3年程度で詳細調査を実施し、事業着手は早くても2019年度以降になる見込みとのことです。
この事業の対象区間は約5.5kmであり、駅は矢向、鹿島田、平間、向河原の4駅、踏切は13箇所で、このうち矢向第2、塚越、鹿島田、平間駅前踏切の4箇所は自動車交通の渋滞が顕著化しており、この13踏切の最大遮断時間の平均が40分で、最大が49分となっています。
また、この事業での構造形式は高架方式となるのか地下方式となるのか決定されておらず、検討段階のようですが、高架方式の場合はおおよそ700億円程度、地下方式の場合は高架方式の2倍の事業費が予想されますが、一部、南武線の西側に線路に沿う形で都市計画道路が整備されることやある程度のまとまった用地があることから、武蔵小杉~武蔵溝ノ口(第3京浜)間の第1期区間と同じように仮線高架方式で事業が実施されるのではないかと予想されます。

ということで、この事業の実施までにはまだまだ長い時間がかかりますが、ちょっと興味がありましたので、この区間の沿線ウォッチングに行って参りました。
それでは川崎寄りから見ていきたいと思います。
矢向駅構内はご存知のように昭和35年まで車両の修繕などを行う電車区があり、中原に電車区が設置されたあとも電留線として機能しています。
以前でしたら川崎発この駅止まりの矢向行きや矢向始発の立川方面行きの列車もありましたが、現在では3番線(貨物1番)から立川方面へのポイントも撤去され、矢向始発川崎行きのみが旅客扱いし、川崎発矢向止まりは全て回送扱いとなります。


矢向駅の駅前広場には南武鉄道が開通したのを記念して記念樹がありますが、昭和20年の空襲により矢向駅周辺は焦土化したものの、3本の記念樹のうち楠だけが奇跡的に蘇生し、90年近くが経過する現在でも繁茂し続け、この駅や街の象徴として人々から愛着が寄せられています。


下の写真は鹿島田・新川崎地区にある新川崎三井ビルディングから矢向駅構内を眺めたものです。
私自身の矢向駅の昔の思い出ですが、昭和40年代は3番線に貨車と連結したDE10らしき機関車が止まっており、当時、多摩川近くの河原町団地南側にあった川崎河岸駅で貨物列車が止まっているのを府中街道を走る路線バスから見たことがありますが、この3番線(貨物1番)に止まっていた貨物列車はおそらく川崎河岸へ出入りしていた列車ではないかと思います。
また、ストライキの日に車両が日中でも留置されていましたので、旧型のクモハ73の500番台に乗り込んで、方向幕を回して普段は見れない青梅線の方向幕にして遊んだことも今となっては良い思い出になっております。


話しが昔話になってしまいましたが、この駅周辺において連続立体交差事業で懸念される点について述べますと、矢向駅構内は川崎市と横浜市の境界線上であり、かつ電留線が現在も使用されているということです。尻手駅から矢向駅までは横浜市域ですので、横浜市として連携し事業を実施することが最適であり、一昨年6月に川崎市と横浜市の両市域に関わる交通網について密接に連携協力しつつ、効率的かつ効果的に検討を進めるための覚え書きが交わされていますが、果たして横浜市が連携して事業を一体的に進められるのか懸念されます。電留線の扱いについてはJR側と協議し、矢向以外に車両を収容できる場所を新たに設けるのか、既存の収容能力を維持して矢向駅構内に電留線を設置した場合、行政側の負担が問題になるかと思われます。(さらに電留線施設内に川崎市と横浜市部分がありますので、負担割合の話し合いで時間がかかるかもしれません)
この他、尻手側には尻手短絡線と呼ばれる尻手~新鶴見信号所間の単線の短絡線が、尻手第3踏切と日枝踏切において南武線と平行しており、この短絡線も含めて立体化を行う場合、構造的に問題が出てくることが予想されます。

次は鹿島田以北へと話しを進めていきたいところですが、どうも話しが長くなりそうですので、本日はこのへんで終了し、明日以降とさせていただきたいと思います。