Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

フィリピン国鉄(PNR)マニラ首都圏区間、運行再開

2015年07月23日 23時42分09秒 | フィリピン
前回のブログの更新時に次回はCaloocan工場に留置されている車両について報告しますとお伝えしましたが、先程、マニラ首都圏区間の運行再開の嬉しいニュースがありましたので、このニュースについて、今日はお伝えしたいと思います。
前回のブログ更新でもお伝えしましたように4月29日にEDSA~Nichols間において発生した脱線事故により、5月5日より全線にわたり運行中止となり、マニラ近郊区間の全線において、軌道、線路のメンテナンスが実施されていましたが、本日7月23日始発列車から運行開始となりました。
(写真はAj Cal氏提供)


今回、運行再開となった区間はTutuban~Alabang間(約28km)に限られ、Alabang~Calamba間については運休が続いていますが、下り23本、上り23本、計46本の列車が運行されます。また、所要時間については同区間が以前は55分かかっていたところを1時間28分と1.5倍かかり、表定速度も約30km/hから約20km/hに下がります。新聞報道ではEDSA~F.T.I間については軌道補修個所が多いので25km/hの速度規制区間となり、それ以外の区間については最高速度40km/hと以前のように60km/hぐらいで走行することはないようです。
また、運行ダイヤについてはPNRのウェブサイトまたはFacebookをご覧にいただければと思いますが、以前は非常にわかりやすい30分または1時間置きの間隔で列車が運行されていましたが、本日23日からの新ダイヤではラッシュ時が34分置き、データイムが1時間8分置きに変更され、利用者にとってはわかりずらくなりました。
この他、各車両の運用についてもその新ダイヤをご覧いただければ見ることができますが、DMU(Rotem)が2本、EMU(203系)が6本用意されているようで、現在では203系が多く使用されているようです。

続いてもう1つキハ350に関する話題ですが、先日、新色に変更されたキハ350についてお伝えしましたが、国鉄色のみなぜか塗装変更は実施されておらず、現在、Calaoocan工場で現地仕様に改造中のようです。元々このキハ350にはスカートが付いていませんので、スカートが取り付けられていますが、このスカート、ジャカルタでも使われているようなものにも見えます。また、この国鉄色の編成も現地マニアの話しでは新色に変更されるようですということですが、今後、ビコール地方で使用する前にマニラの首都圏区間で使用されることもあるのか気になるところです。
(写真はArvin lan Danganan氏提供)


この他、現地の新聞報道では年末までにマニラ~ビコール間についても運行を再開する予定と報じていますが、2020年までにマニラ首都圏区間も含めLegazpiまでの大規模な改善工事(マニラ首都圏区間は電化と連続立体工事)、Batangas支線、ルソン島南端のMatnogまでの新線建設も含めたこの大プロジェクトが順調に入札が実施されれば近代的な鉄道へと変貌するのかもしれません。
PNRの今後の計画、Malolosまでの北線、さらにその先のClark空港までの新線計画については、また、整理した上で述べていきたいと思います。

203系、キハ350、新色に変更中

2015年07月10日 23時51分26秒 | フィリピン
前回、PNRに到着しましたキハ350のことについて、ある程度詳細に説明しましたが、今回はコーポレートカラーの濃紺色とラインカラーのオレンジ帯の新色について簡単に述べていきたいと思います。

私がPNRの本社のあるTutuban駅を訪問したのは5月28日でしたが、先日も説明しましたように4月29日に発生した脱線事故により、5月5日より全線にわたり運行中止となり、私が訪問した時点でも運行中止中でした。マニラ首都圏全線において、軌道のリハビリと点検などが実施されると同時に車両に対しては下の写真のとおり新色に塗り替えが実施されており、6年前ぐらいに登場したジャカルタの青系の103系のようななんとも奇抜な姿に変身しております。


正面から見た感じはご覧のとおりですが、どうでしょうかこの姿?
アルミ地の上に直接塗られているようで、現時点で綺麗な姿となっていますが、しばらくするとこの艶のある色も褪せてしまい、かつ、塗装が剥がれてしまうのではないかと危惧しております。
また、203系では上の写真の4編成が新色で、この時点で他の編成でも塗装変更が実施されていましたので、最終的にはCaloocan工場に留置中の01編成以外の7編成(02~08)はこの新色に変更されるのではないかと推測されます。


最後尾の妻面の姿は下の写真のとおりで、うしろ姿はまったく撮影する気にもなりませんが、模型をやっている方にとってはこのような細部も見逃せないところですね。ちなみに車両と車両の間の妻面はどのようであったのか覚えておらず、撮影することも忘れてしまいました。
次回は忘れずに細部についても撮影しておきたいと思いますが、車内もわかりやすい路線図が貼られていたりしていましたので、車内も撮影しておきたいと思います。


従来どおり車体にも車両番号が付されていますが、ジャカルタのKCJと同様に「クハ」や「モハ」といったところまでは表示されていません。もちろんカタカナを読めるフィリピン人はほとんどおりませんので、当然と言えば当然なのかもしれませんが、遊び心の多い方が社内にいるのであれば、ジャカルタのように103系の東海色の復活や方向幕上にカタカナによる表示など、日本時代を偲ばせるような粋なことをやっていただけるとマニア的には感動するのかもしれません。


続いて、203系以外の形式でもこの新色に変更中で、マニラに到着したばかりのキハ350に対しても4両ほど新色に変更されているようです。残りの2両も新色に変更されるものと思われますが、なぜ1編成が2両になっているのか気になるところです。
(写真はMark Chua氏提供)


また、RotemのDMUに対しても同様に新色に変更されており、今後も使用可能な編成に対してはこの新色に変更されるものと推測されます。
(写真はMon de Leon氏提供)


以上、PNRの新色について簡単に述べましたが、現在のところ運休が続いており、一時、7月6日に運行再開のダイヤも発表されていたものの、運行再開の予定について詳細は不明で、いつ運行が再開するのかわかりません。

最後に次回の予告ですが、Caloocan工場に留置されている車両について簡単に報告したいと思います。

キハ350、マニラに到着

2015年07月03日 02時24分00秒 | フィリピン
先日、速報版でフィリピン国鉄(PNR)について、簡単に報告しましたが、今回は関東鉄道から譲渡されたキハ350について、もう少し詳細に説明していきたいと思います。
キハ350は2011年10月に運用から退き、一時はミャンマーへこのキハ350が譲渡されることが話題になっていましたが、譲渡が破談になってしまったのか実際には譲渡されず長い間去就が注目され、最終的にこのPNRが再就職の場となりました。
正直、車齢が50年にもおよび、電車で例えるならば国鉄の101系と同等の車両をまだ使うのかと私自身も驚いていますが、PNRにとっては表向き無償譲渡により冷房の付いた気動車を購入でき、しかもインドネシアなどと同様に線路幅もまったく同じで、改造工事も投石防止のためのネットを設置するなど費用も時間もかからず、すぐに使用ができるとあって、ちょうどよかったのかもしれません。
また、マニラ首都圏は交通インフラが脆弱であり、特に鉄道の新線整備は政府開発援助での整備が基本であり、整備を実施すれば確実に大量輸送機関として機能するPNRに対しては国から手厚い支援も受けられず、私のような素人の人間が見ていてもなんてもったいない使い方をしているのだろうと常に疑問を感じています。
そのような条件でPNRとしては年々増大する輸送需要に対して輸送力増強が必要なわけで、現在では当たり前かもしれませんが、簡単な解決策として日本でお役御免になった車両をできれば無償譲渡もしくは安価で手に入れることが課題でありますが、近年においてはフィリピンよりも経済的に後進国であるミャンマーが日本の中古気動車を買い漁る行為には勝てず、鳥に例えるならばミャンマーがカラスで、フィリピンが鳩のようなもので、まったくおこぼれをもらう状態です。

そのような話しはともかく、PNRにキハ350が譲渡されそうだと感じていたのは譲渡前の今年2月頃でしたが、日本を出発する前の姿も撮影しておきたいということで、車庫のある水海道へ行ってみました。
キハ350計6両はひっそりと車庫に留置され、公道上からも簡単に撮影することができましたが、私自身、八高線や川越線などのキハ35・30は利用したことがあるものの、この関東鉄道のキハ350には乗車したことがありません。


そして3月中旬に車庫のある水海道から横浜港の大黒ふ頭にトレーラーで輸送され、4月中旬頃に出港し、約1週間かけてマニラ港に到着しましたが、5月23日頃にその車両はTutubanに運び込まれたようです。

下の写真は横浜港の大黒ふ頭に留置されているキハ350で、敷地外の公園から撮影したものです。


偶然、タイミングよくマニラに行くことができましたが、到着早々次の日の5月28日にそのキハ350を見るべくPNR本社を訪問しました。するとそのキハ350は修繕庫の脇の留置線にタテに3両編成に組成された状態で2編成が留置されていました。


103系好きな私としては、キハ35・30系統は103系に似ていますので、気動車の中でもキハ66やキハ47とともに個人的にはお気に入りの形式です。


元々1編成が2両編成であるため、どうしても1編成をバラさなければ3両編成になりませんが、当然、混色編成のような姿を見ることができ、少々得をしたような気分になりました。


車両と車両の間には幌が取り付けられ、あとは投石除けネットの取り付け、側引戸や戸袋にあたる部分のガラスを鉄板のようなもので塞ぐなどの工事がありますが、この他、残念ではありますが203系と同じように新色の濃紺色にオレンジ色帯の塗装変更を行う予定で、すでに4両は新色に変更されているようです。


もう1つの編成は以下の写真のとおりですが、RotemのDMUも203系と同様に新色に変更中で、すでに新色に変更された編成が登場しているようです。


キハ52のように日本時代の姿をしばらく見れるとよかったのですが、残念ながらこの姿は見納めとなりそうです。


キハ350の組成については以下のとおりです。
(編成表の画像にミスがあり、3518と3519が逆です。10/20に記述のみで訂正します。)

今後はマニラ~ビコール間の運転再開が9月(一部報道では12月)に予定されており、同時にビコール地方においてコミュータートレインを運行する予定で、そこに充当される車両としてこのキハ350が使用されるようです。現在、Sipocot~Naga間37.1kmにはブルートレイン色(元新潟色)のキハ52がコミュータートレインとして、朝1往復、夕方1往復に充当されていますが、3基のエンジンが故障とのことで、残りの3基を使用する上ではパワー不足ということから、DL牽引により運転されており、この運用にもこのキハ350が充当されることが考えられます。


新色のキハ350はおそらく203系の新色と同じような姿でお目見えするものと思われますが、果たして今後どのような活躍が見られるのか楽しみで、予定どおりビコール地方でコミュータートレインとして使用されるのであれば、私も家内のお許しを得て、ビコール地方まで遠征したいと思っています。



Selamat datang ke Jakarta! 南武線205系、ついにジャカルタに到着

2015年07月01日 21時50分13秒 | 南武線
まずはこの話題からお届けしたいと思います。
4月24日からジャカルタKCJ向けに新津への配給が開始され、その後、5編成分30両を乗せた船は6月18日に新潟西港を出港しましたが、先程、ジャカルタのTanjung Priok港に到着し、早速、船からの積み降ろしとPasoso駅までトレーラーでの輸送が開始されました。
今回、到着した編成は新津への配給日順にH35、H4、H8、H44、H2(中間MM'ユニットはH50)の5編成分30両で、今年、譲渡予定の計120両のうち1/4となります。残りの編成も先頭改造車であるH46を除いて順次新津へ配給されると推測されますが、次回、第2陣は編成数は何編成になるのか、また、いつ頃ジャカルタに到着するのか気になるところです。


今後、これらの車両はDipo Depokへ搬入し、そのままDipo Depokにおいて転入整備が実施され、埼京線や横浜線からの譲渡車と同様にKCJカラーへ変身してしまうものと推測されますが、以前、南武線沿線に住んでいた私にとってはこの南武線カラーのままの205系が、ジャカルタの街を快走しているシーンを一度でよいから見たいものです。
この他、これらの車両は8両編成に組成されるものと思われ、以前、紹介しましたように南武線車両による編成ではTcMM'MM'MM'T'cとTcMM'T'cTcMM'T'cの2通りの組成の編成が登場するのではないかと思われます。

(上の写真2枚はBpk.Liberdi氏からの提供)

話しが前後してしまいますが、フィリピンからの帰国後、6月7日、H50編成(MM'ユニットは元H2)が浜川崎線用のW1と併結し、国府津へ回送されました。H2は5月2日に車両故障が発生し、修繕が困難な状況になったものと推測され、問題のないH50編成のMM'ユニットをH2編成と差し替えられたようですが、このH50編成はM232のパンタが上がっておらず、死重扱いの上、回送されたようです。その後、H50は6月9日に廃車目的と思われる長野へ回送されました。


6月13日、14日とジャカルタへ旅立つ前の南武線の205系を撮影したいということで新潟へ行ってまいりました。両日ともにこの205系が留置されている新潟西港へ新潟駅近くで自転車を借りて行ってみましたが、両日ともに天気が良く、13日は午後からの訪問となりましたので、山の下みなとタワーからでは順光になりませんでしたが、信濃川の西側にある入船みなとタワーへ行って撮影してみると、下の写真のとおり信濃川の向こう岸に留置されている205系を見ることができました。


続いて14日も自転車を借りて、再度、山の下みなとタワーへ行ってみました。この日は留置場所で作業している方が数人いらっしゃり、留置場所近くのフェンスからでは作業する車が邪魔をしていて良い写真が撮れませんが、このタワーへ登って撮影してみるとさほど気にならないようです。


この4日後にこれらの車両は船に積み込まれ、18日に出港したのですが、6月19日にH40、26日にH41が続いて新津へ配給され、これらの編成は同じく新潟西港に留置されているようですので、今後、配給される編成についても続々とこの新潟西港に集結するものと思われます。


それから185系の話題ですが、例年、7月と秋のシーズンに川崎市の小学校を対象に修学旅行用の列車が運行されていますが、そのシーズンを前にして185系が南武線に入線し、数日間ハンドル訓練が実施されました。


また、6月27日~29日にかけて185系による修学旅行列車が運転され、天気の良い28日朝、南武線車両との並びを撮影したいということで武蔵中原駅へ行ってみたのですが、この日は運良く11F運用にH42が充当され、205系との並びを撮影できました。
ダイヤ改正前であれば185系が出庫する時に武蔵中原駅で南武線車両との並びが撮影できたのですが、現在では平日しかできないようで、しかも今年の秋シーズンでは205系は僅かに残るだけかと推測されるため、205系もしくは209系と185系の並びは大変貴重なものになるかと思われます。


以上、簡単に報告しましたが、今後も南武線205系の譲渡の動きが多くあると推測され、このような動きに注目すると同時に、適切な時期にジャカルタに訪問したいと思っています。

次回は先日、速報版でお知らせしましたPNR(フィリピン国鉄)の話題について、報告したいと思います。