Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

Depok車庫訪問1

2016年01月28日 01時14分08秒 | インドネシア
昨日は1月17日の出来事ということでBukit Duri車庫訪問を中心に述べましたが、本日は1月18日の出来事ということで、Depok車庫訪問を中心に述べていきたいと思います。
この日の朝は17日の朝にCikini駅のホームで撮影しようと思い来てみたもののPKDの兄さん曰く、駅員の許可が必要とのことで、撮影をすぐに断念してしまいましたが、朝8時頃には担当者が出社するだろうとのことで、私も8時頃に再度許可を取るためCikini駅の事務室に寄ってみました。ところが担当者はいつもであれば8時には出社しているものの、この日は車の渋滞に巻き込まれているためか、8時15分頃になっても現れないため、夕方にまた撮影の許可を得るため戻りますと受付の方に言い残し、Kota駅を目指すことにしました。
というのもこの日の午前10時から正午12時にかけてDepok車庫で撮影する許可を得ていたために、まずはJuanda駅下にあるKCJの事務所に広報部の担当者にご挨拶と許可証をいただくために先を急いでいたのですが、ちょっとKota駅の様子を見たいということで、Juanda駅を通り過ぎKota駅まで来てみました。


Cikini駅で運良く元南武線の205系10連に乗車でき、Kota駅に到着すると一番南側の12番線にはこれも元南武線による編成で初めて12両編成を見ることができました。11番、12番線ホームは10両までしか対応しておらず、9番、10番線のホームは12両に対応すべく工事が実施されていました。

すぐに列車でJuanda駅に戻り、KCJの事務所に到着したのは9時30分頃でしたが、パスポートのコピーを見せてKCJ広報部の担当者に面会を申し込むとすぐに事務所内へ案内されました。事務所内には下の写真のとおり、JRの社員がペットボトルのキャップで作成した205系のキャップアートパネルが展示されており、H39編成の新津への配給時に1号車の車内にあったのを確認しましたが、H39の前面に付いていたHMは残念ながら見かけませんでした。


すると広報部のスタッフが現れ、念のために持参した撮影申請書を提示し、撮影許可証にサインをするとお礼のお土産を渡して、H39に取り付けられていたHMについて聞いてみたのですが、そのHMは今どこにあるのかわからないとのことで、見ることはできませんでした。あればちょっとお借りして、車庫で取り付けて撮影させていただきたいと目論んでいたのですが、残念ながらその夢は叶いませんでした。
その撮影許可証を手にして1人でDepokまで向かったのですが、Depokに着いてみると中線には私がCikini駅からKota駅まで乗車した元南武線の205系10連の編成が停車しており、運転士にこの列車は車庫へ入庫するのかと尋ねるとそうだと言うので、撮影許可証を見せてその列車に乗車させていただきました。


列車はすぐに発車し、ゆっくりしたスピードで下り本線を渡って入出庫線へと進みましたが、この入出庫線を乗車するのは久しぶりであり、おそらく前回この区間を乗車したのは5年ぐらい前かもしれません。


車庫の手前には現在でも警備員によるチェックがあり、ここで一時停止します。
私も車庫が完成した当時はこの区間で103系のハンドルを握らせていただき、ちょっとだけ運転させていただきましたが、現在ではおそらく運転することはできないのかもしれません。


チェックポイントを過ぎると広大な車庫を目にしますが、14線の留置線があり、かつ2群に分かれており、建設当時、8両編成28本=計224両の収容能力を有しているが、現在では編成増強を見越し12両編成28本=336両も収容可能であり、この車庫内を徒歩で移動するだけでも結構大変なものです。また、車庫完成当時はこのDepok車庫内で2度のジャカルタ訪問で寝泊まりし撮影していたことがありますが、これも規律の厳しい現在ではできないものと思われます。


列車は南群に停車し、乗務員はここで降りて行きました。当然、私もここで降りて撮影開始です。


南群電留線の西側には部品取り用になっていると思わしき東急の8039F、先月までManggarai~Duri間のManggaraiフィーダー運用を中心に入っていた103系が留置されていました。8003Fについては検査を終えKCJカラーになり、8007Fについては検査中でそのうちこちらもKCJカラーで出場するものと思われますが、この8039Fについては車両の籍があるものの写真のとおり各所で部品が供出されているようですので、もしかすると復活は難しいのかもしれません。また、103系は検査時期については今年の10月末ではあるもののMGなどが故障し修繕が必要とのことですが、社内幹部の方の話ですと時期は今のところ決まっていないが廃車になるかもしれないとのことで、私としては何とか現在行われている115系の廃車からMGなどの提供を受けられれば復活はあり得るものと期待しておいりますが、KCJ、PT.KAI側がそこまで部品の調達に力を注いでくれるのか少しでも期待したいところです。


さらに西側にはドイツ復興金融公庫の資金協力により製造されたKFWが5本ほどと元南武線の205系の余剰車両が留置されていました。


また、電留線の脇の空き地には60両あまりの車両が土の上に放置され、いったいこの車両はこのまま放置されてしまうのか、それとも一時的な措置なのか気になるところですが、PurwakartaやCikaumに送られ、無造作に積み上げられた廃車体を見ると、これらの車両も一時的な措置ではなく、長年の歳月の風雨で朽ち果てるを待つのみになってしまうのかもしれません。


大部分が元都営6000形ですが、中には現地で先頭改造された元都営6000形やメトロの6000系も含まれています。



東急ファンの方にとっては悲しいことかと思いますが、8611Fも含まれています。


ということで、話はまだまだ続きますので、この続きは明日以降とします。

Bukit Duri車庫訪問

2016年01月27日 01時07分18秒 | インドネシア
ジャカルタ遠征の続きということで、本日は1月17日の出来事について少々報告します。
昨年9月も泊りましたが、今回もSudirman駅近くのトレインビューホテルであるStudio Oneという名前のホテルにお世話になりました。それも線路際の部屋をゲットしたのですが、ここは朝4時過ぎから電車が通過するため、つい何が走っているのか気になって窓の下を覗いてしまい、逆に落ち着いて眠ることもできませんが、この路線に走るのは203系や元ハマ線の205系、東急8500系、メトロ6000系など多種な形式が見られるものの、私のお目当ての元南武線の205系の姿はこの時点では見られませんでした。
7時過ぎにホテルを出たあと、やはり元南武線の205系を撮影したいということで、Sudirman駅から列車に乗車し、Manggarai駅の北側のいつものお立ち台で撮影しようかと思っていたのですが、お立ち台のところを見ると新しい架線柱が下の写真のように建てられており、撮影する上では少々危険に感じることと、駅員に予め撮影の許可をいただくことを考えていたものの駅員がどうもいないようでしたので、諦めて中央線の隣駅であるCikini駅に行ってみることにしました。


Cikini駅に到着すると上りホームのKota寄りの先端でバックの中からカメラを取り出し、スイッチをonにしても画像が出てこないので、電池を充電したままカメラの中に入れることを忘れてしまったことにすぐに気づき、もういちどホテルに戻るハメになりました。列車で戻るには結構な時間がかかりますので、タクシーでホテルとCikini駅の間を往復しCikini駅に戻ってきて、再び上りホームの先端で撮影していたのですが、最初の203系を無難に撮影したあと1人のPKDのお兄さんがこちらに近寄って来て、許可を取ったのかと言い出し、今日は駅員がおそらくいないので明日朝だったら居ると思うというので、結局、Manggarai駅の南側のBogor線とBekasi線の分岐する付近で撮影することにしました。


Manggarai駅一帯にはPKDのお兄さんたちが万遍なく張り付いていますので、駅付近での撮影は難しいということでBogor線Bekasi線の分岐するあたりに行って撮影しておりましたが、ここであればPKDのお兄さんたちもいませんし、列車に十分気をつけていれば思う存分撮影できるということで、1時間30分ほど撮影しておりましたが、元南武線の205系も5本ほど通過し、初めて営業中の姿を撮影できました。


やって来る列車はほとんどが205系ですが、時々、JR以外の車両の姿を見ることができます。
現在、Manggarai駅周辺では、架線柱の取り替えが進められているとともにカテナリーもヘビーシンプル方式からシンプルに変更されているようです。


圧倒的に元埼京線の205系や元ハマ線の205系の姿を見ることが多いのですが、変化に乏しい205系では単純すぎて面白みが少なく、元南武線のように帯の色を変えてくれると楽しいのかもしれません。


そのような中で、都営6000形の6181Fの8連が唯一、譲渡されてから16年経った現在でもBogor線、環状線系統に走り続けていますが、今後も末永い活躍を祈るばかりです。


東急の8500系が増殖していた当時は、東急の天下かと思われていましたが、JR軍団の205系の大量の投入によって、すっかり東急の姿は見る機会が少なくなったものの、今後はKCJカラーになって活躍することを期待したいものです。


ということで1時間30分ほど撮影していたものの多くの列車を撮影することができたのですが、この日は12時からBukit Duri車庫へ訪問することになっていましたので、現地マニアの方と一緒に訪問させていただきました。
現在、Bukit Duri車庫内の撮影においても予め撮影許可申請が必要ということで、私も慣れないインドネシア語でフォーマルなレターを作成し、区長宛に撮影許可の申請をお願いさせていただきましたが、区長は以前から存じ上げていたせいかもしれませんが無難に撮影許可をいただき、この日の日曜日に出社されているので訪問してくださいという連絡をいただきましたので訪問させていただきました。
この車庫の在籍車両は実際には205系のみで、元埼京線の205系全部と元ハマ線の205系が14本、元南武線の8両編成1本と6+4の10両編成2本ということになり、下の写真に写っているメトロの6000系や05系は本来Depok車庫の所属となります。


元埼京線と元ハマ線の205系の編成の向きはKota寄りが奇数側の編成も多く、元南武線の編成のように編成の向きが一定しておらず、何か問題を起こした時や修繕をする上では向きを統一したほうが良いのではないかと思っています。


車庫の奥側は各編成の頭が綺麗に揃い、このような姿を撮影できて嬉しいと言えば嬉しいのですが、ここまでKCJ色が浸透してしまうと逆につまらないような気にもなり、もう少し形式別に色を変えるとか、以前の東急8500系のように編成ごとに帯の色を変えて遊び感覚があったほうが良いような気もします。その上で元南武線カラーのKCJ色化は私自身としてもつまらないものにさせてしまいますが、今後、急速的に実施されるのか、とりあえずは様子見というところでしょうか。
次回はDepok車庫訪問についてお送りします。

Air Asiaでクアラルンプールへ

2016年01月26日 15時28分48秒 | マレーシア
先日、ジャカルタの元南武線205系近況ということで報告いたしましたが、実は15日深夜から20日まで羽田発着のAir Asiaの深夜便でクアラルンプール経由でジャカルタまで行って参りました。
私が利用した便は以下のとおりで、私にとっては東京からマニラまでの約4時間が限度にもかかわらず、今回は7~8時間という飛行時間に耐えながらの行程となりましたが、羽田~KL間は羽田発着とLCCということで90%ぐらいの高い利用率で、私にとっては苦痛でした。
1/15 HND23:45→1/16 KUL6:30
1/16 KUL16:40→1/16 CGK17:45

1/20 CGK8:30→1/20 KUL11:30
1/20 KUL14:40→1/20 HND22:30

クアラルンプールには定刻6時30分頃に到着したものの、日本との時差は1時間であり、香港や中国本土などと同じ時刻を採用しているため、あたりは真っ暗で夜が明けていませんでした。空港の長い通路を永遠と歩き、イミグレーションに到着してみると長蛇の列が出来ており、ここが東南アジアの先進国マレーシアなのかと疑いたくなるほど出国手続きがスムーズではなく、出国に約40分も要してしまいました。ジャカルタやマニラでもせいぜい20~30分ぐらい並ぶことはありますが、マレーシアはやはりインドネシアと大した差がないのかと感じておりました。
服の入ったバックを空港近くで預けるとクアラルンプールの中心部へ向かうことにしたのですが、空港鉄道ですと運賃が片道35リンギット、バスですと11リンギットとバスのほうが断然お得ですので、バスで向かうことにしたのですが、結局、イミグレでの長蛇の列で待たされたおかげでバスに乗車したのは8時過ぎで、すっかり外は明るくなっていました。

約1時間でKLセントラルの駅に到着し、まずはKTMのコミューター列車でBatu Cavesに行ってみることにしましたが、今まで自動券売機で切符が買えていたのになぜか窓口で切符を購入するように変更されており、これを見るとジャカルタやマニラ以下ではないかとマレーシアの今までの優等国家を疑いたくなりました。
コミューターの発着する地下ホームに降り、日中の時刻を見ると今までどおり変更はなく、Pel.Klan~Rawang間が30分間隔、Selemban~Batu Caves間も30分間隔で運行され、本線の末端区間のRawang~Tanjung Malim間は40分間隔でこの区間でシャトルサービスが実施されていることまでは知っていたのですが、Selemban~Pulau Sebang間は1時間30分置き、Selamban~東線の分岐点であるGemas間に限っては1日たった2往復しか運行されていないことは知りませんでした。
いかにマレーシアの人口分布が都市部に集中し、郊外では人口密度が希薄であることがうかがえ、ジャワ島やフィリピンと人口分布に大きな差があるものと感じております。

15分程待っていると中国南車で製作した白に青と赤い帯の車両が到着しましたが、この車両は今までの3両編成のクラス81~83と違い1編成が6両編成であり、車内がとても明るく感じますが、2年前に乗車した時と同様に各窓ガラスに投石のためかひびが多く入っていました。


Batu CavesにKLセントラルから約30分程で到着するとセメント列車と思わしき貨物列車が入れ替えを行っていました。
ここで降車してヒンズー寺院に寄ってもよいのですが、1度見たことがありますので、それよりも列車を見ているほうが楽しいので、今度はすぐにクアラルンプール駅まで戻ることにしました。


折り返しの列車の先頭車に乗り込むと展望を楽しみたいということで、客室から前方を楽しんでおりましたが、列車はゆっくりしたスピードで走っていたこもあるのか、運転士がスマートフォンを取り出し、メールしたり電話をかけたりというような行為が見られ、これが日本だったら間違いなく問題になるはずかと思いますが、ここマレーシアではこのような行為は特に問題ないのかもしれません。


途中、Sentul駅近くにはKTMのコミューターの車両基地があるのですが、本線上には走っていない従来の青い車両のクラス81~83の車両が留置されていましたので、もし、できたら車庫に入れてもらい撮影できないかということで、急遽、Sentul駅で下車にすることにしましたが、先程、スマートフォンを乗務中に使用していた運転士がこの駅で乗務員交代しましたので、その運転士に車庫内での撮影について聞いてみると「この車庫では許可はできないと思うので、クアラルンプールのKTMの本社に行ってくれ」と言われました。一度、降りてしまうと次の列車まで30分は来ませんので、とりあえず車庫の入口に職員がいるのではないかと思い、入口まで行ってみたところ1人もおらず、このまま無断で車庫内へ入って撮影すると問題になるかもしれないので、ここは潔く諦めることにしました。

クアラルンプール駅に戻ると駅西側の本屋の中に以前は鉄道博物館のように鉄道模型やマレー鉄道の歴史的資料や遺物を見ることができましたが、現在ではそれらしいものは全くなくなっており、がっかりしてしまいました。また、この駅の職員にSentul車庫内での撮影許可について聞いてみたのですが、その駅員は電話で聞いていただいた結果、KLセントラル駅にKTMの事務所があり、平日でないと許可証の発行はできないとのことで、この日は土曜日でしたので次回のお楽しみということにしました。

下の写真は現在も変わらないクアラルンプール駅です。


ということで、半日近くのクアラルンプール探訪もあっという間に時間が経過し、早めに空港へ戻ったのですが、クアラルンプール出発の飛行機がおおよそ50分遅れ、おのずからジャカルタ到着も50分ほど遅れてしまったのですが、飛行機の窓からはマラッカ海峡の海とスマトラ島と思わしき島影をずっと眺めることができ、地図好きな私にとっては飛行機旅行の醍醐味を知りました。


最後はジャカルタ北方に浮かぶプラウスリブ(千の島)と夕日を拝むことができたのですが、おそらく途中パレンバンの街の近くを通過したものの、こちらは発見できませんでした。日本であれば地形の特徴がわかるのでおおよそどの場所、都市を通過しているのかわかりますが、やはり海外ですと地図を見ながらでないと難しいですね。





ジャカルタの元南武線205系近況

2016年01月22日 22時29分51秒 | インドネシア
前回のブログ更新からすでに1ヶ月以上となり、年末年始もロクにご挨拶もしておりませんでしたが、本来であれば南武線の205系の話題を中心に報告させていただきたいところ、12月からクリスマス、正月もなく忙しい日々が続き、かつ15日深夜から20日までジャカルタで活躍する元南武線の205系を中心に追いかけるため、今頃になって新年のご挨拶と南武線に関係するご報告ということで簡単ではありますが、述べていきたいと思っております。


南武線の205系H46で最後を飾ったありがとう運転に関することについては後日報告させていただくとし、今回はジャカルタで活躍する元南武線の205系について報告させていただきたいと思いますが、昨年7月1日にジャカルタのTanjung Priok港に南武線205系の第1陣上陸から始まり、今年1月5日の最終第5陣の上陸により、20編成計120両の譲渡が完了し、埼京線の205系計180両と横浜線の205系計176両と合わせると500両にも迫る計476両がKCJに譲渡されたことになり、KCJにとっては205系王国を短期間で築きあげました。
元埼京線や元横浜線の205系については両数的に結構多いことから、元南武線の205系についてだけ状況を説明したいと思いますが、1月19日現在の編成表については下記のとおりで、8両編成が1本、6+4の10両編成が5本、6+6の12両編成が3本、整備中の6両編成が3本、そして余剰になっているMM'が4本となっていますが、つい最近、H40+H41のH41の4両編成側にMM'が元に戻されたようで、6+6の12両編成が4本に増強されたようです。


また、18日と19日にはDepok車庫にお邪魔させていただいたのですが、最終の第5陣で搬入されたH12、H34そして南武線オリジナル顔の最終編成となったH39が譲渡整備中であり、当然、南武線カラーとして当初は整備されていたもののなぜなのか詳しい状況はわかりませんが、KCJ色への変更が実施され、H12の前面帯、側面帯ともに18日は南武線カラーであったものの19日の確認では1日でKCJ色へと変更されてしまいました。
下の写真が18日撮影のH12で、一夜にしてKCJ色に変更されてしまったことに驚きです。


下の写真はH39の前面帯部分で、わざわざ南武線カラーの新しい帯を貼ったにもかかわらず、おそらくこのH39もKCJ色にすぐに変更されてしまうものと思われます。


下の写真はH39の側面であり、ところどころKCJ色の帯が貼られており、このような姿は貴重かもしれません。


19日時点ではH12はKCJ色へあっという間に変更されてしまい、南武線ファンの私にとっては非常に残念でした。


Depok車庫幹部の方の話では、今後においても南武線カラーの編成は次の検査時を待たずにKCJ色へ変更するとのことで、できれば残りの約100両を今月中に終了させるというような発言をされており、今後、フレキシブルに編成替えに対応すべく措置のようで、南武線カラーは急速的に見れなくなってしまうのかもしれません。Depok車庫においては予備編成が4本あるとのことで、南武線カラーの編成は一時的に運用を外れこの洗浄線でKCJ色変更の作業が実施されるものと推測されますが、本当に短期的に南武線カラーがなくなってしまうのであれば私にとってはとても悲しいことであります。


また、19日はH43+H38の10連で、H43側の4両編成に元々のMM'を元に戻し、6+6の12両編成に組成する作業が実施されていました。入れ替えにおいてはINKA製のトラックモーターカーが使用されていました。


MM'79の1ユニットを予備が留置されているところから、このトラックモーターカーによって引っ張り出し、H43の編成の中に組成後、ジャンパ栓接続などが実施されました。


他の留置線を見るとこのような姿を見ることができましたが、通常、乗務員は行先表示や種別表示をいじることはよっぽどのことがないかぎりありませんので、よっぽどコアな人間の仕業かもしれません。


続いて、元南武線編成の運用状況ですが、基本的にBogor線・中央線系統に充当され、8両編成のH11+H10のみはBogor線・環状線系統に充当されていますが、Nambo線の運用にも充当されることがあるようで、Nambu線がNambo線で活躍しているようです。


H7やH8の車内、戸袋部分にはH39の編成に飾られていた南武線沿線の子供たちの絵が飾られていましたが、ヘッドマークについては現在のところどの編成にも付けられていませんでした。


この他、元南武線の車両には中吊りで12両編成の車両ではCawang駅とPasar Minggu駅において、Jakarta Kota方面では前2両、Bogor方面では後ろ2両の乗降ができないことを注意喚起しています。


以上、簡単に元南武線205系の近況についてご報告いたしましたが、次回もジャカルタでの話題について触れていきたいと思います。