昨日は1月17日の出来事ということでBukit Duri車庫訪問を中心に述べましたが、本日は1月18日の出来事ということで、Depok車庫訪問を中心に述べていきたいと思います。
この日の朝は17日の朝にCikini駅のホームで撮影しようと思い来てみたもののPKDの兄さん曰く、駅員の許可が必要とのことで、撮影をすぐに断念してしまいましたが、朝8時頃には担当者が出社するだろうとのことで、私も8時頃に再度許可を取るためCikini駅の事務室に寄ってみました。ところが担当者はいつもであれば8時には出社しているものの、この日は車の渋滞に巻き込まれているためか、8時15分頃になっても現れないため、夕方にまた撮影の許可を得るため戻りますと受付の方に言い残し、Kota駅を目指すことにしました。
というのもこの日の午前10時から正午12時にかけてDepok車庫で撮影する許可を得ていたために、まずはJuanda駅下にあるKCJの事務所に広報部の担当者にご挨拶と許可証をいただくために先を急いでいたのですが、ちょっとKota駅の様子を見たいということで、Juanda駅を通り過ぎKota駅まで来てみました。
Cikini駅で運良く元南武線の205系10連に乗車でき、Kota駅に到着すると一番南側の12番線にはこれも元南武線による編成で初めて12両編成を見ることができました。11番、12番線ホームは10両までしか対応しておらず、9番、10番線のホームは12両に対応すべく工事が実施されていました。
すぐに列車でJuanda駅に戻り、KCJの事務所に到着したのは9時30分頃でしたが、パスポートのコピーを見せてKCJ広報部の担当者に面会を申し込むとすぐに事務所内へ案内されました。事務所内には下の写真のとおり、JRの社員がペットボトルのキャップで作成した205系のキャップアートパネルが展示されており、H39編成の新津への配給時に1号車の車内にあったのを確認しましたが、H39の前面に付いていたHMは残念ながら見かけませんでした。
すると広報部のスタッフが現れ、念のために持参した撮影申請書を提示し、撮影許可証にサインをするとお礼のお土産を渡して、H39に取り付けられていたHMについて聞いてみたのですが、そのHMは今どこにあるのかわからないとのことで、見ることはできませんでした。あればちょっとお借りして、車庫で取り付けて撮影させていただきたいと目論んでいたのですが、残念ながらその夢は叶いませんでした。
その撮影許可証を手にして1人でDepokまで向かったのですが、Depokに着いてみると中線には私がCikini駅からKota駅まで乗車した元南武線の205系10連の編成が停車しており、運転士にこの列車は車庫へ入庫するのかと尋ねるとそうだと言うので、撮影許可証を見せてその列車に乗車させていただきました。
列車はすぐに発車し、ゆっくりしたスピードで下り本線を渡って入出庫線へと進みましたが、この入出庫線を乗車するのは久しぶりであり、おそらく前回この区間を乗車したのは5年ぐらい前かもしれません。
車庫の手前には現在でも警備員によるチェックがあり、ここで一時停止します。
私も車庫が完成した当時はこの区間で103系のハンドルを握らせていただき、ちょっとだけ運転させていただきましたが、現在ではおそらく運転することはできないのかもしれません。
チェックポイントを過ぎると広大な車庫を目にしますが、14線の留置線があり、かつ2群に分かれており、建設当時、8両編成28本=計224両の収容能力を有しているが、現在では編成増強を見越し12両編成28本=336両も収容可能であり、この車庫内を徒歩で移動するだけでも結構大変なものです。また、車庫完成当時はこのDepok車庫内で2度のジャカルタ訪問で寝泊まりし撮影していたことがありますが、これも規律の厳しい現在ではできないものと思われます。
列車は南群に停車し、乗務員はここで降りて行きました。当然、私もここで降りて撮影開始です。
南群電留線の西側には部品取り用になっていると思わしき東急の8039F、先月までManggarai~Duri間のManggaraiフィーダー運用を中心に入っていた103系が留置されていました。8003Fについては検査を終えKCJカラーになり、8007Fについては検査中でそのうちこちらもKCJカラーで出場するものと思われますが、この8039Fについては車両の籍があるものの写真のとおり各所で部品が供出されているようですので、もしかすると復活は難しいのかもしれません。また、103系は検査時期については今年の10月末ではあるもののMGなどが故障し修繕が必要とのことですが、社内幹部の方の話ですと時期は今のところ決まっていないが廃車になるかもしれないとのことで、私としては何とか現在行われている115系の廃車からMGなどの提供を受けられれば復活はあり得るものと期待しておいりますが、KCJ、PT.KAI側がそこまで部品の調達に力を注いでくれるのか少しでも期待したいところです。
さらに西側にはドイツ復興金融公庫の資金協力により製造されたKFWが5本ほどと元南武線の205系の余剰車両が留置されていました。
また、電留線の脇の空き地には60両あまりの車両が土の上に放置され、いったいこの車両はこのまま放置されてしまうのか、それとも一時的な措置なのか気になるところですが、PurwakartaやCikaumに送られ、無造作に積み上げられた廃車体を見ると、これらの車両も一時的な措置ではなく、長年の歳月の風雨で朽ち果てるを待つのみになってしまうのかもしれません。
大部分が元都営6000形ですが、中には現地で先頭改造された元都営6000形やメトロの6000系も含まれています。
東急ファンの方にとっては悲しいことかと思いますが、8611Fも含まれています。
ということで、話はまだまだ続きますので、この続きは明日以降とします。
この日の朝は17日の朝にCikini駅のホームで撮影しようと思い来てみたもののPKDの兄さん曰く、駅員の許可が必要とのことで、撮影をすぐに断念してしまいましたが、朝8時頃には担当者が出社するだろうとのことで、私も8時頃に再度許可を取るためCikini駅の事務室に寄ってみました。ところが担当者はいつもであれば8時には出社しているものの、この日は車の渋滞に巻き込まれているためか、8時15分頃になっても現れないため、夕方にまた撮影の許可を得るため戻りますと受付の方に言い残し、Kota駅を目指すことにしました。
というのもこの日の午前10時から正午12時にかけてDepok車庫で撮影する許可を得ていたために、まずはJuanda駅下にあるKCJの事務所に広報部の担当者にご挨拶と許可証をいただくために先を急いでいたのですが、ちょっとKota駅の様子を見たいということで、Juanda駅を通り過ぎKota駅まで来てみました。
Cikini駅で運良く元南武線の205系10連に乗車でき、Kota駅に到着すると一番南側の12番線にはこれも元南武線による編成で初めて12両編成を見ることができました。11番、12番線ホームは10両までしか対応しておらず、9番、10番線のホームは12両に対応すべく工事が実施されていました。
すぐに列車でJuanda駅に戻り、KCJの事務所に到着したのは9時30分頃でしたが、パスポートのコピーを見せてKCJ広報部の担当者に面会を申し込むとすぐに事務所内へ案内されました。事務所内には下の写真のとおり、JRの社員がペットボトルのキャップで作成した205系のキャップアートパネルが展示されており、H39編成の新津への配給時に1号車の車内にあったのを確認しましたが、H39の前面に付いていたHMは残念ながら見かけませんでした。
すると広報部のスタッフが現れ、念のために持参した撮影申請書を提示し、撮影許可証にサインをするとお礼のお土産を渡して、H39に取り付けられていたHMについて聞いてみたのですが、そのHMは今どこにあるのかわからないとのことで、見ることはできませんでした。あればちょっとお借りして、車庫で取り付けて撮影させていただきたいと目論んでいたのですが、残念ながらその夢は叶いませんでした。
その撮影許可証を手にして1人でDepokまで向かったのですが、Depokに着いてみると中線には私がCikini駅からKota駅まで乗車した元南武線の205系10連の編成が停車しており、運転士にこの列車は車庫へ入庫するのかと尋ねるとそうだと言うので、撮影許可証を見せてその列車に乗車させていただきました。
列車はすぐに発車し、ゆっくりしたスピードで下り本線を渡って入出庫線へと進みましたが、この入出庫線を乗車するのは久しぶりであり、おそらく前回この区間を乗車したのは5年ぐらい前かもしれません。
車庫の手前には現在でも警備員によるチェックがあり、ここで一時停止します。
私も車庫が完成した当時はこの区間で103系のハンドルを握らせていただき、ちょっとだけ運転させていただきましたが、現在ではおそらく運転することはできないのかもしれません。
チェックポイントを過ぎると広大な車庫を目にしますが、14線の留置線があり、かつ2群に分かれており、建設当時、8両編成28本=計224両の収容能力を有しているが、現在では編成増強を見越し12両編成28本=336両も収容可能であり、この車庫内を徒歩で移動するだけでも結構大変なものです。また、車庫完成当時はこのDepok車庫内で2度のジャカルタ訪問で寝泊まりし撮影していたことがありますが、これも規律の厳しい現在ではできないものと思われます。
列車は南群に停車し、乗務員はここで降りて行きました。当然、私もここで降りて撮影開始です。
南群電留線の西側には部品取り用になっていると思わしき東急の8039F、先月までManggarai~Duri間のManggaraiフィーダー運用を中心に入っていた103系が留置されていました。8003Fについては検査を終えKCJカラーになり、8007Fについては検査中でそのうちこちらもKCJカラーで出場するものと思われますが、この8039Fについては車両の籍があるものの写真のとおり各所で部品が供出されているようですので、もしかすると復活は難しいのかもしれません。また、103系は検査時期については今年の10月末ではあるもののMGなどが故障し修繕が必要とのことですが、社内幹部の方の話ですと時期は今のところ決まっていないが廃車になるかもしれないとのことで、私としては何とか現在行われている115系の廃車からMGなどの提供を受けられれば復活はあり得るものと期待しておいりますが、KCJ、PT.KAI側がそこまで部品の調達に力を注いでくれるのか少しでも期待したいところです。
さらに西側にはドイツ復興金融公庫の資金協力により製造されたKFWが5本ほどと元南武線の205系の余剰車両が留置されていました。
また、電留線の脇の空き地には60両あまりの車両が土の上に放置され、いったいこの車両はこのまま放置されてしまうのか、それとも一時的な措置なのか気になるところですが、PurwakartaやCikaumに送られ、無造作に積み上げられた廃車体を見ると、これらの車両も一時的な措置ではなく、長年の歳月の風雨で朽ち果てるを待つのみになってしまうのかもしれません。
大部分が元都営6000形ですが、中には現地で先頭改造された元都営6000形やメトロの6000系も含まれています。
東急ファンの方にとっては悲しいことかと思いますが、8611Fも含まれています。
ということで、話はまだまだ続きますので、この続きは明日以降とします。