Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

ジャカルタ(JABOTABEK)で活躍する103系など

2008年02月25日 20時54分12秒 | インドネシア
いよいよ明日朝ジャカルタへ行って参ります。ジャカルタ到着は夜8時ですので、あさって朝から行動開始します。あとは天候に恵まれることと列車事故などが発生しなければいいのですが、インドネシアのことですから何が起こるかわかりません。3月1日正午までジャカルタに滞在しますので、できるだけ多く撮影と調査を行いたいと思います。帰国は3月7日夜の予定で、帰国後はできるだけレポートさせていただきたいと思います。
また、ホームページやブログを通して、お知り合いになれましたMalaysian bagus様、落花生様、メールでご連絡しませんでしたが、私のブログにて御報告させていただきたいと思います。
最後に天国にいるとらえもんさん、とらさんの分もしっかりと調査してきますよ!とらさんの遺品も現地の会社に寄贈しますからね!

富士急行線で運行された201系四季彩

2008年02月24日 22時40分42秒 | その他
本日はホリデーパスという切符を使って、2月の土・休日に運行されている201系四季彩を撮影に参りました。町田からですと大月まで乗車券を購入した方が若干安いのですが、いつものようにどこに行くか、どこに立ち寄るかわかりませんので、万が一ということでホリデーパスを使用しました。まずは横浜線に土・休日に運行されている横須賀線直通「快速逗子行き」(八王子8:55発)ですが、3月のダイヤ改正で廃止ということで最近狙っている獲物の1つです。昨年の7月にも書き込みしましたが、横浜線の205系は前面の行先表示が最近LEDに変更しつつあり、私は幕式を好んでいるので、幕式の車輌であったら撮影することを考えておりました。この列車に充当されるのは11運用であるため、町田で7:17発の東神奈川行きを確認すればいいので、その時間に合わせて町田へ行ったのですが、残念ながらLEDの車輌であり、撮影を諦めました。(実は昨日も家の近くで狙っていましたがLEDでした)
次に中央線や青梅・五日市線ではオレンジ色の201系からE233系に置換が進行し、そろそろ終息へと向かいますが、201系の展望車である四季彩も去就が注目されており、今年の夏あたりまでかと噂されております。この四季彩は2月の土・休日に限って「四季彩河口湖号」として立川~河口湖間に運行されておりますので、八王子~西八王子間の線路沿いの側道から撮影しましたが、成果の方はイマイチでした。
その後はこの四季彩を追いかけることもできませんので拝島へ向かい、ホリ快5号に201系が充当されているかどうかや、五日市線にも201系が充当されているかどうか確認に行ったのですが、思ったとおり充当されておりましたが、風が物凄く強く、五日市線や八高線では若干の遅れが列車によってはあったようです。八高線では全ての列車が高麗川止まりとなっていました。
再び八王子に戻り、高尾から10:18発の小淵沢行きに乗車、大月から河口湖へと向かいました。河口湖へは12:02定刻に到着し、すぐに大月方面の列車に乗車し、三つ峠で下車して22列車(河口湖12:50発)に充当される201系四季彩を撮影し、大月からのもどりも撮影しようかと計画しておりましたが、河口湖に到着した瞬間、寒いのと風があまりにも強く、即座に私の計画は挫折してしまいました。とにかくその時点で頭によぎったのは温泉に入りたいということです。観光案内所で尋ねると葭之池温泉を紹介されました。葭之池温泉は葭池温泉前駅から歩いてすぐのところに位置するということで、切符を購入すると入浴料が1割引きとなり、通常600円のところが540円となります。入浴料の割引券をいただくと先程まで私が撮影しようと思っていた四季彩に乗車し、葭池温泉前で下車しました。葭之池温泉は駅から歩いて僅か3分ほどのところにあるのですが、私が考えていた日帰り入浴施設とは異なり、本当に鄙びた旅館のようでした。時々ローカルなところへ行くとこのような施設に出くわすのですが、恐る恐るこの旅館の中へ入り、廊下から男風呂の戸を開けると、なんと私1人だけ。脱衣所と風呂場を仕切る壁や戸もなく、廊下の戸を開けると風呂場が丸見えの状態になります。だれか人が入ってくれば、私の裸姿を見られる可能性がありますが、30分ほど浸かっていましたが、結局だ~れも入ってきませんでした。温泉自体は悪くないし、変なスリルもあるのでまた挑戦してみようかと思います。
話しがなんだか長くなってしまいましたので短かめにということで、この後、三つ峠の有名なカーブあたりで四季彩を撮影しました。小学生のような日記になってしまいましたが、今日は御勘弁ということで閉めたいと思います。それよりもインドネシアへ行く準備をせねば。

黄色時代の浜川崎線101系

2008年02月22日 23時56分57秒 | 南武線
今日は浜川崎線の話題を少々提供させていただきたいと思います。先日、浜川崎線の旧国のことについて述べましたが、昭和55年11月から南武線本線と同じ101系黄色に置き換えられました。浜川崎線では2両編成のため、ユニット変えを行ってMcM'cの最短編成を組成し、新性能化が達成されたのですが、その後はこの101系を置換えできる形式は2両編成では組成できないため、平成15年までの23年間という長い間、使用されてきました。カナリア時代の浜川崎線は、ワンマン化が行われる昭和63年3月のダイヤ改正前まで活躍したようです。このワンマン化工事の際は、車輌が長期間工場に入場するため、南武線本線用の車輌であり冷房車であるMc168 M'207のユニットと非冷房車のM244 M'c179をそれぞれユニット変更を行って、浜川崎線用の予備編成としてMc168 M'c179を用意し、もう一方のM244 M'207は南武線本線で使用されました。この時の話題については後日詳しく述べたいと思います。

青梅・五日市線用201系10連の営業は最後?

2008年02月21日 23時52分54秒 | 青梅・五日市線
中央線や青梅・五日市線にはE233系が投入され、201系もあと僅かとなりましたが、青梅・五日市線用201系の10連の姿や四季彩を除く4連の営業する姿も最後かと思い、19日に無理して出撃しました。11時過ぎに東中神に着くと、中神駅にオレンジ色の201系の姿が見え、回送で青64+青4編成の10連が通過しました。そして、お目当ての17運用に入った201系青72+青8編成の10連を撮影し、これが最後かと思うと少々寂しい気持ちにもなりました。201系の量産時は中央線の101系を主に廃車に追い込み、103系は津田沼区や中原区などへ転出され、好きにはなれませんでしたが、このオレンジ色の201系の姿もあと僅かかと思うと感慨深いところがあります。
南武線内での201系の活躍は、川崎-奥多摩ハイキング号や平成元年の夏に川崎~四方津間に運行された相模湖ピクニカル号(中原電車区一般公開時に展示用でも回送された)があげられ、201系が運行されるたびに時々乗車しました。南武線内においても201系独特の台車の方から発するあの「ヒューヒュー」というような音が聞こえ、感動したものでした。もう1度四季彩でいいですからGW時や5月の新緑時期に南武線内で最後の姿を見たいものですが、今回も大宮に取られてしまうのでしょうか。
ちょっと青梅・五日市線の話題から南武線に逸れてしまいましたが、青梅・五日市線内で活躍するオレンジ色201系10連や4連はもう見られないのでしょうか。E233系の詳細はわかりませんが、4連用でレール塗油器が1両もなければ201系が入るかも?(201系の青8に付いていたと思いますが)

南武線に現れたEF65-1059

2008年02月21日 22時57分47秒 | 南武線
青梅線の201系を撮影したあと、ここ1ヶ月ほど行われているEF65のハンドル訓練を待っていました。通り過ぎたのはEF65-1059で、以前も申し上げたように私はカマのことに関して詳しくありませんが、これって珍しいのでしょうか。ダイヤ改正後はどのようになるのかわかりませんが、EF64の米タンも撮っておいたほうがいいかもしれませんね。運休が多くて見る機会が少ないですが、EF64の国鉄色は是非もう1度撮影しておきたいと思います。(20日期待していましたが、残念です)

南武線稲城市内連続立体化工事の様子

2008年02月21日 22時31分54秒 | 南武線
現在、稲城市内において、上り線仮線工事が第二期工事区間で行われておりますが、写真は第1期工事区間と第2期工事区間の分岐点付近で、現在の本線の北側に仮線2線分のレールが敷設されています。なんとなく南武線が複々線化されたようにも見えて、個人的には面白いですが、現在のこの本線のスロープ部分は1度取り壊され、再び高架レベル用(地上から約5.5m)の橋脚が建設されるのでしょうか。そうだとするともったいないようで、最初っからこの部分は仮線用の橋脚で建設しておけば、建設コストも相当抑えられたような気もします。
また、西府駅ですが、平成20年度後半の開業目指して工事が行われておりますが、着々とホームの基礎や駅本屋の階段部分の姿が見えてきております。南武線の中ではこの分倍河原~谷保間の駅間距離が最も長く2.8kmもありますが、この駅の開業とともに最も長い区間は南多摩~府中本町間(2.4km)に座を譲ることになります。是政駅も復活するとおもしろいのですが、そのような気運はおそらくないでしょうね。この場所に駅を設置するのには通常よりも建設コストがかかるのではないかと思われます。
一方、武蔵小杉駅は2009年度の開業を目指して、横須賀線に駅が設置される予定で、本工事に向けた準備が進められており、今後が注目されます。横須賀線の駅設置後はますますJR対東急のバトルがヒートアップすることも懸念されますが、南武線利用者にとっては、品川や東京方面、将来的には上野や常磐線方面にも便利になるのではないかと思われます。また、川崎市で進めている地下鉄も乗り入れる計画がありますが、説明会に出席しても市民からは建設に対して反対の意見が多いようです。もっぱら第2期区間(川崎~武蔵小杉)なんて、南武線の各駅と駅勢圏が多くラップしますし、採算性を考えても実現性が乏しいと思うのですが、今後の川崎市の出方に注目したいと思います。

101系時代の特別快速「おくたま号」

2008年02月13日 01時04分47秒 | 青梅・五日市線
ちょっと青梅線の古い話題でもということで、昭和57年頃に撮影しました写真を掲載します。青梅・五日市線では新性能化は101系ではなく103系により行われ、101系の方が影が薄いですが、特別快速「おくたま、みたけ、あきがわ号」にはこの当時101系が充当されておりました。この写真の場所は桜で有名な古里~鳩ノ巣のカーブで撮影したもので、撮影されている方がこの場所に大勢おりました。不幸にも私の連れがこの場所で電車を止めてしまい、運転士にこっぴどく怒られていました。周りから白い目で見られ、堪らず怒られた連れといっしょにここをすぐに離れました。ちなみに私は電車を止めたことがありません。(自慢することではないですが)

旧国時代の浜川崎線

2008年02月13日 00時44分28秒 | 南武線
先日の続きで浜川崎線の思い出も少々述べたいと思います。尻手と浜川崎を結ぶ通称浜川崎では、昭和55年11月までクハ16+クモハ11の17m車旧型国電が活躍しておりました。昭和51年4月1日現在の中原電車区からの編成表を見ると4本分在籍しておりました。編成は以下のとおりです。(左の番号は編成番号で、実際に札を付けて使用されるものではありません)
20 クハ16007 クモハ11270
21 クハ16215 クモハ11244
22 クハ16211 クモハ11248
23 クハ16003 クモハ11222
思い出としては鶴見線の73系に乗りに行く時に、何回かこの旧国に乗車しましたが、朝5時頃に武蔵中原発浜川崎行きが昭和50年過ぎあたりまで設定されていたため、当時私は小学生でしたがどうしても乗車したくて、朝早く起きて鹿島田から尻手まで乗車しました。たしかこの数分前に川崎行きがあったため、乗客はほとんどいなかったと思います。尻手駅の1番線に到着するとゆっくりと浜川崎を目指し、静かに去っていったと思います。また、浜川崎線の下り最終列車は尻手到着後、中原電車区まで回送扱いとなっておりました。私はダイヤ改正のたびに、この武蔵中原発浜川崎行きがなくなるのではと危惧しておりましたが、新しい時刻表を見て浜川崎行きの表示がなくなってしまった時は、とてもショックであったことを覚えております。将来的に復活されることを望みますが、おそらく復活は難しいでしょうか。
この他、本線用の附属編成として使用されることがあったり、極稀に本線の基本編成で使用されていたかと思われます。(73系の晩年の頃見たような記憶があるのですが、記憶違いだっったら申し訳ありません)