Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

南武線ウォッチング-2014年12月~2015年2月

2015年02月22日 17時55分18秒 | 南武線
ここ最近、南武線近況の報告をしておりませんでしたので、時系列ごとに簡単にご報告させていただきたいと思います。

まずは昨年の12月からですが、12月13日、鶴見線営業所において鶴見線こどもフェスタが開催されました。展示された車両は中原から南武線のH47、浜川崎線用のW2が駆けつけ、先頭改造車編成ばかりが勢揃いし、飛び入り的にEF65-1118も並べられました。当初はこれらの先頭改造車の前面に先日開催された中野電車区のように八高線・川越線や仙石線の帯を貼付けようと試みたようなのですが、失敗に終わってしまったようで、カラフルな205系先頭改造車が勢揃いした姿を見ることは実現なりませんでした。


このフェスタ開催と同時に鶴見~弁天橋間において、浜川崎線用の車両を用いて臨時列車が運転され、鶴見~弁天橋間はノンストップの快速列車が運行され、弁天橋~海芝浦間は回送として運行されました。


続いて今年になりますが、1月17日、「夢のピクニックトレイン」が運行され、「あなたの夢叶えます☆」企画で応募のあった109件の中からある幼稚園が当選したようで、落成間もないN12編成を使用して武蔵中原~稲城長沼間で運行されました。中原電車区ではドラえもんがお出迎えし、電車区内での洗浄体験やドラえもんとの撮影も楽しまれたようです。
また、1月18日~31日(実際には31日以降も運行されていたようです)にかけて、「みんなの『夢』ミュージアムトレイン号」を運行され、HMは「夢のピクニックトレイン」と同じものが取り付けられたままでした。


そして、1月28日、尾久に疎開していたハマ線から転入した異色のH17編成が国府津から長野へ回送され、帰らぬ旅へと旅立ちました。南武線では僅か7ヶ月ちょっと使用されただけで短命に終わってしまい、ハマ線の大勢の仲間が待っているジャカルタへの夢は叶いませんでしたが、トレードマークとも言える205系オリジナル顔で行先表示がLEDの姿は貴重なシーンかもしれません。


2月3日、大宮から中原のH5とH6編成で構成された編成が、M51編成となって出場しました。
編成はTc101 MM’270 MM'271 MM'272 T'c101の8両編成となり、M’271のMGは撤去されているようです。


また、H5の先頭車であるTc100 T'c100は、川越で余剰となっていたT82を方転の上、Tc T'cの真ん中に挟み込み、2月12日に長野へと回送されました。


続いて2月15日、H52が中原から国府津へ回送され、2月17日に長野へ回送されました。209系としては2月3日にH54が長野へ回送されたのに続き2本目となり、209系は残り2本となりました。


残り2本の209系は更新工事を受けていないH32と更新工事済みで検査も通っているH53ですが、H32は検査時期が迫っていると推測されますので、そろそろ何らかの動きが見られるかもしれません。やはり更新工事を受け、既に長野へ送られたH52とH54と同様に長野へ送られてしまうのか気になりますが、かつて中原区に在籍していた川重製のH1とともに南武線にとっては貴重な生え抜きの編成ですので、少しでも長く活躍できることを願いたいものです。


ということで、南武線の主に車両の動きを簡単に述べてまいりましたが、現時点でE233系は13本が配置され、横浜線の置き換えの時期に比べれば置き換えのペースが落ちますが、それでも既に全体の1/3はE233系が占めており、乗車するチャンスも増え、E233系が連続で来るということも珍しくなくなってきています。
また、既に長野へ回送された車両については鉄道雑誌の車両の動きを見ますと廃車日付が出ていることから、長野へ送られた車両はおおよそスクラップになってしまうのではないかと推測されます。

今後の動きですが、稲城長沼駅の上り本線(1番線)が3月1日の始発から使用開始される予定で、念願であった2面4線化が完成します。3月1日以降、ダイヤ改正前までの13日まで、稲城長沼駅折り返しの列車は今までどおり下り中線(3番線)からの発着になるようで、時間帯によっては立川方面からの列車は上り中線を使用する列車があるようです。また、上り本線の使用によって、上の写真のように下りホーム立川方から上り列車をきれいに撮影できましたが、ダイヤ改正以降はこの駅で快速を待避する列車しか撮影できなくなるところから、撮影チャンスが少なくなります。


この他、稲城長沼駅では券売機横の出口が先週あたりから使用され、駅前が広々したような空間になりましたが、今後は区画整理事業を進めるとともに駅前広場の整備、川崎街道側からのアクセス道路も整備されるものと思われます。


続いて、3月14日のダイヤ改正の動きで、世間が北陸新幹線開通や上野東京ラインの開通、トワイライトエクスプレスの運行終了など沸き上がっていますが、そのようなことは私にとってはどうでも良いことで、南武線ファンとしては南武線開業以来念願であった川崎~立川間全線での快速運転が最大のニュースであります。
快速の停車駅については下の図で示す通り、稲城長沼以北については府中本町と分倍河原に停車し、川崎~立川間の所用時間が現在の快速よりも5分短縮の42分となり、日中の稲城長沼折り返しの列車は立川まで運転区間が延長され、多摩地域と京浜地域の利便性が高まります。快速と各停の緩急接続は上りにおいては稲城長沼で、下りについては今までどおり武蔵溝ノ口で実施されますが、それ以外の駅での緩急接続については残念ながらないようです。また、土休日の快速列車の運転本数は1時間あたり2本から3本に増えますが、逆に各停が7本から6本になります。


上りの快速と各停の緩急接続は、現在、武蔵中原で実施されていますが、ダイヤ改正以降、武蔵中原では見られなくなります。


最後にこのような4本の並びは、平日の朝、見ることが可能なようで、かつ日中においては19Fの馬臨のある日は見ることができますが、ダイヤ改正後は日中において見ることが難しくなってしまうのかもしれません。
E233系が多く占める中、2月15日は205系と209系のみで揃ってくれました。


Premiere Trainでマニラへ-その2

2015年02月18日 22時52分33秒 | フィリピン
本日は前回の続きということで、Premiere TrainでMamatidから終点Tutubanまでの様子について述べていきたいと思います。
列車は定刻7時2分に発車しましたが、この時点で乗客は10%ほどであり、車内は閑散としていました。Sta.RosaからMamatidへ来る時と同様に車内で座っていても面白くありませんので、先頭車の運転席のところまで行って、前方の車窓を楽しんでいたのですが、Cabuyao付近で1頭のワンちゃんが軌道内に入り込み、警笛を鳴らしながら列車はスローダウンしたのですが、犬の習性なのでしょうか、そのワンちゃんは一生懸命走るもののそれは列車と同じ進行方向に走るだけで、軌道内から横へ逸れることがありませんでした。急な出来事でしたので、ある程度のスピードに減速したものの列車はそのワンちゃんに追いついてしまい、最後は床下からゴツンという鈍い音ともに「キャンキャン」という泣き声が聞こえましたが、どうもサンタマリアになってしまったようです。運転士にとっては動物を轢いてしまうことは日常茶飯事であり、時には日本と同様に人を轢いてしまうことは仕事上宿命のようなところがあるようですが、私としては小動物の命でさえも仕事であろうがもともとできないと思っていましたので、小さい頃に抱いていた山手線の運転士になって103系を運転することを早々に諦めてしまいました。
まあ、そのような話しはどうでもよいとして話しを戻しますと、Sta.Rosaにほぼ定刻に到着し、ホームで家内と子供たちと再会したのち、すぐに列車に乗り込みました。列車は続いてBiñan、San Pedroと停車し、San Pedroでほぼ満席となり、そこで2人の車掌が車内検札を行いました。


San Pedroに続いて、Alabangにほぼ定刻に到着しましたが、Tutubanから来るAlabang止まりのCommuterはまだ到着しておらず、この駅で10分ほど停車することになりました。車内は先程の時点でほぼ満席であり、立席乗車を認めていないようですが、運転席後方のラウンジ室を覗いてみるとAlabang駅から数人が乗車し、Commuter TrainからPremiere Trainへの差額分を払った上で乗車が認められているようで、車内の席が空きしだい案内されるようです。


Premiere Trainはおおよそ10分遅れの8時ちょうどに発車し、ホームの反対側の側線には203系のCommuterがそのまま通り過ぎて行きましたが、その後、おそらくホームのある線路(本線)にバックするものと思われます。
下の写真はPremiere Trainの後方からAlabang駅を撮影してみました。


車内に戻って乗客の様子を見るとほとんどの乗客が寝ており、私の家内や子供たちもすやすやと寝ていました。


再び先頭車の運転席の脇に行って、前方の展望を楽しむことにしましたが、左側にはPNRと並行してSouth Luzon Expressway(SLEX)があり、道路は渋滞している中、涼しげに我々のPremiere Trainはこれらのバスの横を通り過ぎて行きました。
下の写真はマニラ国際空港に近いNichols付近です。


Premiere Trainは15分ほど遅れて、ビジネス街Makatiの玄関口でもあり、MRT3号線の乗換駅であるEdsa、別名Magallanesに到着し、何人か降りていきました。
続いてPasay Road、Buendiaに到着し、これらの駅でもかなりの降車があり、乗客は半分程度となりました。
下の写真はPasay Road付近で、左の高架橋は高速道路のSky Wayです。


列車はBuendiaを発車するとなぜかSta.Mesaまで停車しませんが、PNRではATSが整備されておらず、車掌は各駅(1閉塞区間ごと)でタブレット代わりの1枚の紙を走りながら受け取ります。


Paco、Pandacanと通過するとマニラの母なる川であるPassig川を渡り、90度左に曲がるとSta.Mesaに到着しました。


Sta.Mesaに続いて、次の停車駅がQuiapoとQuezon Cityを結ぶ大きな通りがあるEspañaですが、ほとんどの乗客がこの駅で降りてしまい、車内はほとんどガラガラとなりました。


Españaを発車した時点でおおよそ15分の遅れとなり、終点のTutubanには通常8時47分到着ですが、9時ちょうどの到着となりました。
Tutuban駅に到着後、家族をカンテン(食堂)に残してPNRの方々のところへ行ってみたのですが、ほとんどの幹部はちょうどミーティングがあり、残念ながら御会いすることができず、PNRに関する情報はあまり得られませんでした。
マニラ~ビコール間やCaloocan~Blumentritt間の運転再開予定、キハ52の国鉄色の状況などについても詳しいことが聞けませんでしたが、実は車両の譲渡関係でこれからちょっとしたビックリするようなことがあるらしいので、また、それについてはある程度明るみになった時点で、述べていきたいと思います。

Premiere Trainでマニラへ-その1

2015年02月17日 23時45分02秒 | フィリピン
前回の続きということで、今回はPremiere Trainに充当されているキハ59こがねを利用して、私の家内の実家のあるSta.RosaからTutubanへ行き、PNR本社へ立ち寄ったあとマニラ中心部にあるマニラ動物園に行ってみることにしました。


9月22日早朝、まだ夜は明けきらぬ5時に起床し、私の子供と妻、そして妻の姉の子供を引き連れ、実家からおおよそ1kmのところに位置するSta.Rosa駅に到着したのは6時30分頃でした。
早速、Premiere Trainの切符を購入することにしたのですが、その列車がまだマニラのTutubanから来ていないと言うので、家族を残し私1人だけがTutubanから来る列車に乗車し、終点のMamatidまで行った後、このSta.Rosaで家族に乗ってもらうことにしました。
家族の切符と私用のMamatidまでの切符を購入すると、すぐにPremiere Trainがやって来ましたが、私だけ乗車し、家族にはMamatidから折り返すこの列車に乗るようにと告げ、Sta.Rosaをあとにしました。


列車に乗り込むとすぐに発車しましたが、車内を見渡してみると当然なのかもしれませんが、回送列車でもないこの列車には私以外の乗客は1人もいませんでした。そのためか、下の写真のようにシートは既にマニラ方向に転回されていました。


車内で座っていても面白くありませんので、列車の先頭に行ってみることにしました。Sta.Rosaから終点のMamatidまではほとんど直線であり、Laguna de Bayの湖岸を走るため単調な平坦区間が続きました。また、下の写真はCabuyaoの駅ですが、どの駅も駅の造りはほとんど同じで、駅舎は水色、ホームは6両編成が停車できるよにおおよそ120mの有効長が確保されていますが、慣れていない人にとってはどの駅も似通っていますので、降りる駅を間違えてしまう恐れがあるかもしれません。これはPNRに限ったことではなく、LRT1号線の各駅も同じような駅舎が多く、LRT1号線を利用する際にも降りる駅を間違えそうになることはたびたびあります。


乗務員室を覗いて見ると、運転席の目の前のガラスが投石によってヒビが入ってしまったのか簡単に補修されていましたが、なぜかその補修部分にはビコール地方の名物である唐辛子の絵が書かれています。ここで余談ですが、列車の名前でBicol Expressというのもありますが、食べ物でもBicol Expressという料理があり、これは豚肉のピリ辛ココナッツ煮込みの料理で、ビコール地方の料理の1つです。


列車は約5分ほど遅れて終点のMamatidに6時50分に到着しましたが、折り返しの発車が7時2分であり、10分ほど折り返しの時間がありましたので、まずは切符売場でMamatidから終点Tutubanまでの切符を購入しました。運賃はPremiere Trainで120ペソ、Commuterでその1/3の40ペソですが、高速道路のSLEXまたはSky Way経由のバスでもこの地からマニラ中心部までは100ペソ以上はかかるかと思いますので、妥当な金額ではないかと思います。
また、Mamatid駅はMamatid Rd.に面しており、かつ、トライシケルもしくはジープニーで、ここから西方約1kmに位置する国道にも出れますので、比較的に利便性が高い駅でもあります。


Mamatid駅のTutuban寄り(北側)を見ると、列車交換ができるような配線になっており、場合によっては機回しにも使用される場合があるかと思いますが、この駅舎の構造や配線の状況はほとんどSta.Rosaと全く同じです。


これより先、終点Tutubanまで話しが長くなりそうですので、1度、ここで話しを切りたいと思います。

PNR(フィリピン国鉄)近況報告-2014年9月

2015年02月08日 22時16分44秒 | フィリピン
本日は一昨日の続きで、ジャカルタの近況報告について述べていきたいと思っていましたが、PNR(フィウリピン国鉄)の話題がご無沙汰になってしまっていますので、本日はPNRの近況報告ということで簡単に述べていきたいと思っています。
と言っても今回は半日程度しか時間が取れず、しかもPNRの車両担当者は会議があり、まったく御会いできないということで、詳しい情報については入手できませんでしたが、わかるかぎりのことをご報告したいと思います。

まず、キハ59こがねによるPremiere Trainですが、Tutuban~Mamatid間53kmを平日のみ2往復が運行され、快適な通勤ができるフィリピン版ホームライナーということで、テレビなどで報道され話題になっていましたが、昨年末あたりにこの列車は廃止され、現在、残念ながらキハ59こがねによる運行はまったくありません。
当時の運行については、下記の時刻で運行されていました。
Tutuban5:01発 Mamatid6:46着
Mamatid7:02発 Tutuban8:47着
Tutuban15:55発 Mamatid17:40着
Mamatid18:02発 Tutuban19:47着

このキハ59こがねによるPremiere Trainの乗車記については、後日、ご報告させていただきたいと思います。


続いて203系についてですが、2013年9月の訪比時では4両編成で運行されていましたが、5両編成に増強された編成が5本(編成番号01、02、06、07、08)も登場し、使用できる編成も1本増えて計8編成となりました。
この203系の運用は韓国Rotem製のDMUとともにマニラ首都圏のTutuban~Alabang間に充当され、全体の7割程度は203系が充当されていました。
また、Tutuban~Mamatid間の1往復の運用にもこの203系が充当されていますが、昨年の12月2日から運行区間が念願であったCalamba(起点から56.1km)に延長されています。


その他、キハ52については確認しておりませんが、国鉄色の編成についてはCaloocan工場に検査入場中、ブルーの編成はビコール地方のコミューターとして使用されていると聞いておりますが、国鉄色の編成は出場したという情報も聞いておらず、最近の動向がつかめておりません。

最後にマニラからビコール地方への長距離列車の運行再開についてですが、昨年9月頃に新GMが9月に運行再開するとテレビ報道などで断言しておりましたが、結局のところ現在も運行は再開されておりません。いったいいつ運行再開されるのか見通しがたっていませんが、軌道、車両などの施設については特に問題ないはずかと思われますので、4月のホリーウィークにあわせて運行再開になるのではと個人的に予測しておりますが、果たしていつになったら運行再開となるのか待ち遠しいところです。




ハマ線205系第4陣、Tanjung Priok港でお出迎え

2015年02月06日 17時56分20秒 | インドネシア
前回の205系の記事の続きということで、今回はジャカルタの港であるTanjung Priok港でハマ線205系の第4陣をお出迎えすることができましたので、そのことについて若干述べていきたいと思います。
私がジャカルタに滞在したのは昨年9月16日夕方から19日深夜まででしたが、ちょうどタイミングよくハマ線205系を載せた船が滞在日の最終日である19日に到着し、船から降ろすシーンを何とか撮影することができました。

17日午後、KCJ本社広報部を訪問した際に担当者からハマ線205系を載せた船が間もなくTanjung Priok港に到着することを教えていただき、港に到着する際には担当者も現場に行くので同行のお誘いをいただいて、その担当者から電話連絡をいただけることになっていたのですが、インドネシア人やフィリピン人などのマレー系民族の習慣なのでしょうか、結局、連絡は来ませんでした。(担当者は港へ行くことを途中でキャンセルしたのかもしれませんが)
その後、18日夜に私のブログにリンクさせていただいていますパクアン急行様から電話をいただきそろそろ作業が始まりそうなので、これから港へ行くので一緒にどうですかというお誘いをいただいたのですが、夜から作業が始まると作業は永遠に続き、宿に帰れなくなって休むことができなくなりそうでしたので、お断りをしてしまいました。私はもう若くありませんので遠征先では最低4時間は寝ることにしているのですが、結果的にその判断は正解であったようで、その夜に作業は開始されませんでした。
滞在日最終日である19日朝、Manggaraiのお立ち台で撮影後、列車で隣駅のJatinegaraまで行き、環状線に乗り換えてRajawariで降車して、そこからタクシーでTanjung Priok駅まで行ってみることにしました。Tanjung Priok駅には11時頃に到着し、そこから埠頭までオジェック(バイクタクシー)に乗車して、車両が積まれている船の停泊場所まで向かってもらうことにしましたが、当然、どの国でも埠頭付近は港湾局の施設ということで立入禁止区域になっており、埠頭のゲートで警備員に「ここから先は入れません」と言うので、「港湾局の許可書があれば入れるのですか」と尋ねると「そうだ」と言うので、まずは港湾局に行ってみることにしました。港湾局は埠頭のゲートからおおよそ1kmのところに事務所があり、担当部署へ行って聞いてみると担当者は「まだ、車両を降ろす作業は始まっていないので、この近くにカンテン(食堂)があるのでそこで昼食を食べて、午後1時にここに戻って来てください。その後、車で案内してあげますから」と言われたのですが、この時点で果たして埠頭の中に入ることができ、車両を降ろすシーンを本当に見ることができるのかと疑っていました。
午後1時ちょうどに事務所へ戻ると、担当者の部下かと思われる方に車を出してもらい、その車に乗せていただき、埠頭へと向かいました。すると下の写真のように確かに車両を載せた船が停泊しておりましたが、車両にブルーシートがかけられたままであり、作業としてはほとんど始まっていませんでした。


担当者の話しとしてはお昼過ぎに作業が始まる予定と聞いていたものの、作業としては車両に掛けられていたブルーシートを取る作業だけであり、クレーンで車両を降ろす作業は一向に開始されず、炎天下の中を待ち続けていました。これであればもう少し沿線で撮影していれば良かったかなとか、車両を降ろす作業やPasoso駅までトレーラーで運ぶ姿を見ることができるのかと考えていましたが、15時頃からトレーラーが船の脇にセットされ、結局、16時頃から作業が開始されました。
私はこの日の深夜0時発の飛行機でマニラへ向かうことにしていましたので、時間を逆算してここを18時頃には出発しないと危ないという焦りを感じていましたが、最初のクラH18編成の先頭車であるT'c78がものの20分ほどでトレーラーに降ろされ、ほっとしたと同時に港湾局の方の私への配慮からか、そのトレーラーでPasoso駅まで乗ってもいいよというので、お言葉に甘えて乗せてもらうことにしました。


港湾局の方に御礼を申し上げ、すぐにトレーラーの助手席に乗り込むと50才代と思われるおじさんが早速アクセルを踏み、ゆっくりと動き出しました。このおじさんは1972年からトラックのドライバーを続けており、遠くはカリマンタン島(途中フェリーで)まで運ぶこともよくあるということで、かなりのベテランのようですが、Pasoso駅までの約2kmを10km/hほどのゆっくりしたスピードで慎重に運転し、まったく問題なくPasoso駅に到着しました。



Pasoso駅に到着するとクレーンで車両を吊り上げ、車両置場に降ろされると同時に、先程、埠頭から乗せていただいたトレーラーは埠頭へ帰っていきました。今回のこの埠頭からPasoso駅まで運ぶ作業は5人のドライバーが用意されているとのことでした。


最初のT'c78が降ろされてから約20分後に順序どおりに6扉車が到着しましたが、太陽はかなり傾いており、この時点で17時頃だったかと思います。この6扉車のあと次の車両はすぐに到着しませんでした。


日はどんどん傾き、太陽がちょうどこの線路上の地平線に沈むところで、時刻は18時近くになっていましたが、隣の線路で貨物の積み降ろし作業が行われているため、これでは先程のハマ線の車両をBalai Yasa Manggaraiへ運ぶことはできません。


というのは下の写真のとおり、Pasoso駅からの線路はTanjung Priok駅近くで線路が1本になるため、この貨物の積み降ろしが終わらなければ、ハマ線の車両を運ぶことができず、ある程度時間を要すことが予想できます。


最終的にPasoso駅での車両のレールオン、Manggaraiまでの回送シーンは撮影できませんでしたが、もし、南武線の205系の譲渡が決定ということになれば、次回はTanjung Priok港からBalai Yasa Manggaraiまで車両が運ばれるシーンを撮影したいと思っております。

ジャカルタ205系運用情報

2015年02月05日 01時19分06秒 | インドネシア
昨年9月のジャカルタ訪問の報告が103系のことを述べただけで、他の形式についてはいっさい触れていませんでしたが、本日は一昨年からKCJに導入された今や最大勢力の205系について少々述べていきたいと思います。
一昨年から昨年にかけて埼京線180両が、そして昨年の7月から12月にかけて横浜線176両がKCJに譲渡され、6000系や05系などのメトロ軍団を押さえて今や最大勢力となり、今後においても南武線の120両が加われば合計500両に迫る勢いでありますが、私が訪問しました昨年9月の時点では元埼京線の編成のみが運用に充当され、元横浜線の編成については1本も運用に充当されていませんでした。


現地、鉄道会社からいただいた運用表上では、205系の運用は全58運用中13本あり、全て10両編成であるためJakarta Kota~Bogor間の限定となっていますが、この当時、Bekasi線にも8両編成が充当されていました。運用に充当されていた編成については以下のとおりで、これについても鉄道会社からいただきました資料をそのまま記しております。
編成の向きについてはバラバラですので、一律左側を奇数方とし示します。

Bogor車庫常駐
Tc123 MM'335 MM'336 MM'337 T'8 T'46 T'c123
Tc128 MM'351 MM'352 MM'353 T'5 T'10 T'c128

Depok車庫常駐
Tc144 MM'389 MM'390 MM'391 T'13 T'49 T'c144
Tc137 MM'371 T148 MM'372 T149 MM'373 T'c137
Tc92 MM'246 MM'247 MM'248 T'14 T'34 T'c92
Tc121 MM'329 MM'330 MM'331 T'26 T'27 T'c121
Tc143 MM'388 MM'387 MM'277 T'41 T'47 T'c143
Tc99 MM'267 MM'268 MM'269 T'20 T'21 T'c99
Tc142 MM'384 MM'385 MM'386 T'12 T'40 T'c142
Tc141 MM'380 MM'381 MM'382 T'37 T'45 T'c141
Tc122 MM'332 MM'333 MM'334 T'28 T'29 T'c122
Tc89 MM'237 MM'238 MM'239 T'1 T'2 T'c89

Bukit Duri車庫常駐
Tc120 MM'326 MM'327 MM'328 T'24 T'25 T'c120

Bekasi電留常駐
Tc17 MM'49 MM'50 MM'51 T'c17(8両編成)

元埼京線残り5本とあまりの2両、元横浜線についてはDepok車庫及びBalai Yasa Manggaraiにて転入整備及び予備のため留置されているものと思われます。


この他、KCJでは広告車両が採用されており、日本では見られないような奇抜かつ斬新なデザインの車両が205系においてもよく見られます。


新聞、テレビなどの報道機関であるKOMPASの広告車両がありますが、都営6000形導入当初においてもこのような派手さはありませんでしたがKOMPASの広告車両が登場しています。


また、横浜線の車両については先程も申し上げましたように1本も運用に充当されておりませんでしたが、Depok車庫において転入整備を受け、既にKCJ仕様に変更された編成が登場し、ハマ線オリジナルとの並びも見られました。


下の写真はDepok車庫北側グループで寝ていたクラH9で、クラH15とともにこれからKCJ仕様に変更されますが、このようなハマ線オリジナルの姿はとても貴重なことかもしれません。


最後に車庫南側グループの全景ですが、車庫内でもかなり多くの205系が占めるようになり、205系ファンにとっては嬉しい限りかと思いますが、103系ファンの私としてはもう少し早く103系の譲渡が実施されていれば、多くのカラフルな103系がジャカルタの街を快走していたのではないかと妄想しています。


なお、車庫内での撮影については、2008年頃までは警備員もしくは鉄道職員に申し出れば撮影は簡単にできましたが、現在、KCJ本社広報部で許可証の取得が必要であり、しかも発行の対象は報道機関のみとなっており、一般のマニアは許可証の取得は不可能となっております。また、2008年頃以降、車庫において幹部職員が許可証を発行するという稀なこともありましたが、これも現在では不可能であり、かつ現地の旅行業者、通訳、地元の鉄ちゃん等を通して車庫内での撮影もいっさい許可証の取得は不可能ということで、一般の方々、マニアの方々が車庫内での撮影は事実上無理であることをお知らせしておきます。

南武線205系の調達に関する続報

2015年02月02日 14時02分59秒 | 南武線
巷では南武線205系、ジャカルタ(KCJ)に譲渡と報じているところもあるらしいですが、現状、調達に関する入札公告を行っただけで、譲渡についてはJR、KCJ双方から正式な発表が今のところありません。
先日もご報告しましたように予定としては南武線205系6両編成を20本の計120両が、おおよそ4月~12月にかけて輸送されることが計画されているようで、ジャカルタ到着後にこの6両編成をどのように使用されるのか気になるところですが、入札事前説明の資料を読んでみますと下記のようなことが記述されていました。
計120両20編成で構成される車両をインドネシアでは8両編成に組成し計15本にすると記述されており、私が当初想定していました4+6の10両編成に組成し、あまりのMM'1ユニットはハマ線の編成に組み込み10両貫通編成に仕立てるというのはどうも違うようです。よーく考えてみればBogor線・中央線系統以外では基本的に有効長が8両までにしか対応していないのですから、ある程度想定はできたかもしれませんが、この記述どおりに組成変更を実施するとしたら、どのように組み替えられるのか考えてみることにしました。


基本的には6両編成4本を1組とすると全部で5組となりますが、この1組を基本に組成変更すると上記のようになるのではないかと思われます。やはり、どうしてもKFWや103系のように4+4の編成が5本と中間車がオールMの貫通編成が10本となるようですが、現地で車両搬入後に転入整備と同時に以上のような組成変更が実施されるのではないかと思われます。
また、この南武線の205系は8両編成に組成されることが想定されることから、ジャカルタ首都圏の各路線で使用されることが予想され、南武線ファンの私としては103系以上に追いかけることが大変になるかと思いますが、今まで活躍していた都営6000形や103系、東急車など廃車に追い込まれる編成も出てくるのかもしれません。

一方、南武線205系ならびに209系の現状ですが、現在、E233系のN1~N13の13本が運用に充当されており、209系は2本が疎開され、205系については6本(H14,16,17,47,49,51)が長野へ送られ、3本(H5,6,9)が大宮へ送られて武蔵野線の増発用に、そして3本(H3,7,15)が疎開されていますが、このような現状を踏まえるとKCJに譲渡されるであろう編成は検査日も考慮するとH2~4、7、8、10~13、34~44が想定されるのではないかと思っています。

今後、入札が順調に実施され、JR、KCJ双方から譲渡に関する正式な発表があるのではないかと思われますが、南武線ファンの1人としては嬉しい一方、従来活躍した103系や都営6000形などの去就も心配されますので、ジャカルタ鉄の方々は複雑な心境なのかもしれませんね。


上の写真のような姿をジャカルタで見たいと願うのは私だけなのでしょうか。ちょっとマニアックで申し訳ありません。