Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

南武線ウォッチング-高架工事進展具合

2009年11月29日 23時04分45秒 | 南武線
29日朝方日差しはあったものの曇りがちの天気であったため、久しぶりに南武線ウォッチングに出かけてみました。まず向かったのは自宅から最も近い稲城長沼に向かいました。約2ヶ月前の10月3日から4日にかけて下り線を仮線に移設する工事が行われましたが、その後、着々と工事が進められ、今まで下り線として利用されていたところは写真のようにレールや架線などが撤去され、いよいよ本格的な基礎工事の準備段階に入っています。

仮下り線の南側には高架構造物が設置されるため、鉄パイプなどによる柵が設置され、今まで編成写真が無難に撮影できた稲城長沼4号踏切や稲城長沼2号踏切(稲城長沼駅立川方直近)などからは撮影できなくなり、また、平日日中において電留線に留置されている車両の形式写真も撮影ができなくなりました。
下の写真は南多摩から多摩川の鉄橋にかけてのカーブ区間ですが、この区間においても柵が設置され撮影ができなくなりました。

高架工事のウォッチングもほどほどにして、中原電車区の構内ウォッチングを行ってみました。209系ナハ32編成のオリジナルの姿もあと僅かかと思い、本来は編成写真や形式写真を撮影したいと思っているのですが、この日は車庫の中でお休みとあって残念ながら撮影はできませんでした。現在、ナハ53に続く浦和区から転入予定の編成が東京総合車両センターで機器更新と南武線転用工事を行っているようですので、おそらくこの編成が中原区へ転入した時点で、ナハ32のオリジナル209系が機器更新工事を実施するものと予想されますが、その僅かの間だけでもオリジナル209系の姿を多く撮影していきたいと思っております。
最後に川崎駅の東京方の乗換通路において、先日行われた中原電車区公開で配布された南武線車両図鑑のクリアファイルと同じものが掲示されていました。他の駅で掲示されているかどうかわかりませんが、川崎駅ではどうもこの東京方乗換通路だけですので、興味のある方はご覧いただければと思います。

秩父鉄道-ありがとうフェスタ

2009年11月26日 00時02分47秒 | その他
23日の出来事になりますが、秩父鉄道創立110周年を記念して、三峰口駅で実施されたありがとうフェスタに行って参りました。
この日は朝7時10分に自宅を出発し、いつもながら愛用のスクーターで秩父路へと向かったのですが、11月下旬にもなると寒さは一層厳しくなり、自宅を出発した直後にスクーターで行くのは止めようかと弱腰になる気持ちでありましたが、寒いなあーと1人で叫びながらも我慢し運転し続けました。およそ80kmを2時間ちょっとで走り抜き、先ず向かったのは浦山口駅近くの鉄橋でした。この日はチョコバナナと小豆色の1000系は三峰口駅で開催されるありがとうフェスタの撮影車両として抜擢され、かつ予めどの列車に充当されるかわかっていましたので、その列車が通過する前に合わせて鉄橋の真下で待ち構えました。

前日からこの日の朝までは天気はあまりよくありませんでしたが、朝9時頃から急に回復し、良い光線状態の中で撮影することができました。
ここをあとにするとこの日のメインイベントであるありがとうフェスタに参加することにしました。三峰口駅には10時30分頃に到着しましたが、既に多くの家族連れや鉄道ファンで賑わっていました。詳しいことについては、いろいろな方がホームページやブログで書かれておりますので、そちらを参考にしていただければと思いますが、通勤形車両好きな私としては先程撮影したチョコバナナと小豆色の1000系の並びが撮影できるとあって、しっかりと撮影させていただきました。

いつもひっそりとしている三峰口駅は、この日ばかりは賑わっており、私自身はこのような人混みの中を歩くのは苦手であることから、武州中川駅へ行って撮影することにしました。武州中川駅の三峰口寄りの踏切で最初のうちは1人で撮影していたのですが、12時を過ぎると急に同業者が増えました。同業者と言っても普段は通勤形車両を撮影しないSLマニアの方々であり、逆に私はSLやジョイフルトレインなどの車両は撮影せず、まったく逆なのですが、この日ばかりは日章旗を付け、かつヘッドマークも付けるとあって撮影しました。

SLが通過すると先程と同じように同業者は退散してしまい、私1人だけが残されました。しばらくこの武州中川で撮影したのち三峰口駅へ戻り、先程のチョコバナナと小豆色の1000系並びのクモハ方を撮影しようと思っていましたが、到着した時には既に午後2時を過ぎており、残念ながら小豆色の1000系は入れ替えを行っていました。
国鉄・JRのリバイバルカラーのヘッドマークは23日まで取り付けとのことで、24日以降は取り外されているのではないかと思いますが、私自身ヘッドマークは付いていない方が好きですし、そろそろ新たに譲渡される車両が到着し、1000系が廃車になることが予想されますので、できるだけ1000系の姿を多く撮影しておきたいと思っております。

黒船電車と修学旅行列車

2009年11月16日 01時32分01秒 | 南武線
14、15日のことになりますが、南武線内において5月から臨時列車として運行されている黒船電車の特急「リゾート踊り子号」と修学旅行列車として運行されている幕張車両センターの183系が同時に運行されました。武蔵溝ノ口駅においては、送り込み回送ながらも黒船電車が3番線に暫しの待避を行い、そこへ後続の183系が2番線に入り、南武線内では珍しい特急形車両どうしのツーショットが見られました。
おそらく修学旅行でホーム上で待っていた小学生達も3番線に入線した黒船電車に乗車できるのではないかと思ったはずだと思いますが、その後2番線に入線したあずさ色の183系に駆け足で乗り込み、残念がっていたに違いありません。

余談ではありますが、私が小学生の頃も165系だったかと思いますが、川崎から日光まで乗車したことを記憶しております。当時としてはリクライニングシートではなくとも急行形に乗車できるだけでも有難いもので、また、都心部はどこを経由するのか興味深く外を眺めておりましたが、今や決して体験できない東京~上野間をゆっくり通過したことを覚えております。

武蔵溝ノ口駅で特急形車両どうしのツーショットを撮影したあとは、第三京浜近くにある坂戸踏切へ移動し、黒船電車による特急「リゾート踊り子号」を撮影しました。この黒船電車、今後も臨時列車として南武線内に運行されるようで、横浜線内に運行されている特急「はまかいじ号」のように毎週土曜日・休日に運行されることを望んでおりますが、まずは利用客が増加することを願いたいものです。

Balai Yasa Manggarai訪問

2009年11月14日 17時38分58秒 | インドネシア
今年7月のジャカルタ訪問時の話題がご無沙汰になってしまいましたので、その続きということで述べていきたいと思っております。
7月3日から6日の午前中までDepok車両基地で形式写真の撮影や職員の方とお話しをさせていただき、思う存分楽しませていただきましたが、職員のご好意によりManggaraiにある車両工場を6日の午後から訪問させていただくことになりました。
我々一行は荷物も多く、このまま電車に乗り込むと混雑などで大変な目に遭うのではないかということで、Depok車両基地の区長さんに乗務員室に乗車する許可をしていただけるように一筆書いていただきました。タクシーまで呼んでいただき、我々一行は重い荷物をトランクに入れて、Depok車両基地をあとにし、Depok駅へと向かいました。Depok駅に到着するとすぐにEkonomi ACが到着しますという構内放送があり、我々は重い荷物を引きずりながら前方に急いだのですが、列車は思ったよりも早く到着し、我々一行を追い抜いていきました。私はすぐさま乗務員室まで走り、先程区長さんに書いていただいたものを見せると乗務員室に乗車することに許可をいただき、乗り込むことができました。2008年の2月以来、一般の乗客は乗務員室に乗車することができなくなり、私としても乗務員室に乗車するのは久しぶりですが、やはり前方が見えるのは鉄道ファンでなくても爽快であります。ましてやジャカルタ首都圏の電車は昔の国鉄のように運転席後部のブラインドを全ておろしてしまい、完全に乗客の方からは前方が見えない状態であり、鉄道ファンやチビッ子にとっては有難くないことですが、私としては久しぶりに生の展望シーンを十分味わいさせていただきました。
Manngarai駅に到着すると乗務員達に別れを告げ、駅の南側に接する車両工場へと向かいました。この工場の正式名称はBalai Yasa Manggaraiであり、日本語にするとManggarai車両工場ということになりますが、このBalai Yasaとは元々インドネシア語(マレー語)ではなく、どうもサンスクリット語のようです。
この車両工場については以前も述べたことがあるかと思いますが、この工場内に入ることが難しく、必ず許可証を必要とするようです。私も過去に何度かアポや許可書も持参せず、工場の入口にいる警備員に断られておりますが、今回はDepokの区長さんなどの計らいもあり、入口の警備員に告げると入ることができました。この日はたまたま全体会議がこの工場内であるということで、各部署の幹部クラスもお見えになり、私どものような趣味で訪問することは本来慎むべきところでしたが、幹部クラスの方々の目に届かないように訪問させていただきました。工場の中へ導かれると昨年12月に来日されたI氏に御会いすることができました。彼もまた幹部クラスの一員でありますが、鉄道技術支援を受けて日本の鉄道会社で実習していたこともあり、日本語もかなり上手なものでありますが、インドネシア人特有の冗談も交えて、楽しいお話しを聞かせていただきました。

とりあえず役目を終えたHolecの車両

そして、いよいよI氏に導かれ、工場内を拝見させていただくことになりました。工場の大きさはというとグーグルアースを見ていただければ一目瞭然なのですが、JRの工場に比べて同等もしくはちょっと小さいぐらい程度の広さではないかと思います。工場内には写真のようにEkonomi車両では経年的にまだ新しいHolecの車両が多く留置され、これらの車両は現在行われているKRDEへの改造が行われるものではないかと思います。また、Holec以外にEkonomi鋼製抵抗制御車が検査入場に伴う塗装変更を行っていたり、昨年10月にKampung Bandanでディーゼル機関車に正面衝突された6000形(6188)が修復工事を行っていたりとかなり見応えがあります。残念ながら前面が滅茶苦茶になってしまった6188は、撮影禁止ということで1枚も写真が撮れませんでしたが、先日も述べましたように乗務員室自体がほとんどないような状態でした。いずれは別のキャビンを製作し、先日のBogor付近で衝突した6000形の片割れと組成した上で、新たな顔を持った6000形がデビューするかもしれませんが、かなり台枠もいかれているようですので、そのことを考慮すると果たしてどのようになるのか今後注目していきたいと思っております。
以上、Balai Yasa Manggaraiの中の様子については、このようなものでありますが、興味のある方は許可書をまず取得された上で、ご訪問されるのもよろしいかと思います。

塗装中のEkonomi鋼製抵抗制御車

秩父鉄道&両毛線開業120周年115系撮影遠征

2009年11月11日 13時17分43秒 | その他
最近、秩父鉄道を撮影する上でスクーターで熊谷へ行くこともそう大変ではないことを実感したのか、秩父よりも遠い熊谷方面に足を運ぶようになったのですが、8日も朝早くからスクーターで出かけてみることにしました。
この日の行程を先に述べてしまいますと以下のとおりとなります。町田~八王子~(国道16号)~入間~(国道407号)~東松山~吹上~武州荒木~熊谷~(上武国道)~伊勢崎~児玉~波久礼~秩父~名栗~青梅~八王子~町田というルートで、走行距離が290kmに達し、おそらく今までの中で1日の走行距離が最も長いものになりました。

夜が完全に明けきらぬ5時45分に自宅を出発し、上記の行程でスクーターを走らせ、最初の目的地の武州荒木に8時過ぎに到着しました。自宅からここまでの走行距離は90kmであり、秩父へ行くよりも15kmほど長いのですが、疲れを感じずあっという間でした。最初の目的地に到着したものの天気のほうというと曇りであり、1000系であればパンタグラフのないクハ方を綺麗に撮影できると期待しておりましたが、9時30分頃まで粘っても日も射さないことや太陽が出たとしても線路の方向と日射しはほぼ直角になることから、ここをあとにし熊谷駅へ行ってみることにしました。
熊谷駅では偶然にも5000系4本全てが留置されており、どおりで各駅停車に充当されていたのは1000系ばかりでした。その証拠として下の写真がそうなのですが、2本が前方に、残りの2本が後方に留置されております。また、東急8500系から改造した7000系のほうはというと見ることができませんでした。

話しは変わりますが、先日、11月1日に両毛線開業120周年を記念して、上尾~桐生間で3+4両の115系が運行されたのですが、そのことをすっかり忘れていたため、あえて両毛線内に運行されるヘッドマーク付きの115系を追い求めることとし、正午前に熊谷をあとにして、ひたすら上武国道にスクーターを走らせました。熊谷から最も近い両毛線ですと伊勢崎でありますが、この日の運用が事前に調べたものでは639M(伊勢崎到着13:13)と636Mに充当されていることから、駒形~伊勢崎の撮影現場へと向かいました。現場に到着したのは13時を過ぎており、撮影準備も用意が万全に整わないまま僅か2分後にHM付きの115系が通過しました。ここでも線路の方向に対して太陽の光線がほぼ直角に交差することから、下のような写真のような状態になってしまいましたが、次回もリベンジすべく、再チャレンジしてみたいと思っております。

伊勢崎をあとにすると次に向かったのが寄居の西隣の波久礼であります。途中、国道462号を通り、僅か1時間ほどで波久礼に到着し、チョコバナナの1000系を撮影することにしました。このチョコバナナは1日に確認した時点ではリバイバルトレインのHMを付けておりましたが、この日は写真のとおり取り外されておりました。また、国鉄色4色のほうには各種の「ありがとうフェスタ」のHMが付けられておりました。

波久礼まで来てしまうと秩父経由で帰宅したほうが早いので国道140号を通り帰宅することにしたのですが、途中、樋口駅で秩父方面に待機している貨物列車を目撃したため、この列車が荒川の鉄橋を渡るところを撮影しました。長瀞付近の紅葉前線はまだ本格的なシーズンを迎えておりませんでしたが、葉の色も色づき始め、来週もしくは再来週にはちょうど良い色に色づくのではないかと思います。また、紅葉シーズンまっさかりの時期に秩父方面にスクーターを走らせたいと思いますが、もっと遠くの行ったことのないところへも遠出し、記録を更新していきたいと思っております。

Ekonomi用リニューアル車登場

2009年11月06日 21時46分55秒 | インドネシア

フィリピンの話題を続けておりましたが、ここでジャカルタの鉄道ファンからジャカルタ首都圏で活躍するEkonomi車両の話題をいただきましたので簡単に述べたいと思います。
現在、ジャカルタ首都圏で活躍する電車は1976年以降に製造された車両ですが、古い車両で既に約30年が経過し、車両として廃車するか抜本的な更新工事を行うかその岐路に立たされています。そのような中で先日Ekonomi用抵抗制御車にリニューアルされた車両が登場しました。写真のように今までどことなく103系に似たスタイルから斬新なフェイスと色使いで登場し、ジャカルタ市民に脚光を浴びているようです。
この編成は6両で組成され、詳細については確かなことが言えませんが、2008年の編成表から推測すると既存の4両編成1本の中にあまりのM2両を入れて組成されたようです。また、車両番号については、Tc78114 M78101 M83107 M78113 M83115 Tc78120で組成されているようです。現在のところこのリニューアルされた編成はSerpong線を中心に運行されているようですが、78年から84年までに製造された車両で引き続きリニューアルが実施され、Bogor線などでも見ることができるのか興味深いところです。

下の写真は78年から84年に製造されたオリジナルの抵抗制御車です。


話しは変わりますが、やはりジャカルタからの話題で黄色帯で活躍しておりました東急の8604F編成がBekasi線Cipinang駅付近において乗用車と衝突し、8604Fにも損傷が及んだようです。目だった損傷の程度はスカートに破損が見られ、現在のところBalai Yasa Manggaraiに収容されているようです。また、修復工事に入ると思われますが帯の色も同時に変更されてしまうのか注目されます。

Foto:Mas Adam
Informasi:Mas Galuh