Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

旅のプレゼント号-横浜線に入線

2009年09月29日 12時29分06秒 | 横浜線
たいへんご無沙汰をしております。当ブログをご覧になられている方、コメントをいただいている方に対しては大変申し訳ありません。以前にも申し上げましたように総合旅行業務取扱管理者試験が10月12日に実施されるにあたって、いろいろと時間を必要としていることが多く、かつブログの更新が滞り、皆様にはご迷惑などをおかけしております。今年4月頃にこの試験は鉄道を趣味としている者であれば簡単に合格できるのではと述べてしまいましたが、実は先日、模擬試験にチャレンジしてみたところ、恥ずかしながら合格点の基準に必要な6割の正答率に達せず、現在のところ時間がある限りその学習に時間を費やしているところであります。この試験が実施される10月12日までの間、ブログの更新などができない場合がありますが、どうぞご了承いただきたいと思っております。

ところで、本来ならば時間がある限り、上記の試験の学習のために時間を費やさなければならないのですが、先週26日に私の最も地元を走る横浜線に「旅のプレゼント号」が運行されるとあって、つい出撃してしまいました。
この旅のプレゼント号はJR東日本労働組合の企画によるもので、なんと長野区の115系と豊田区のスカ色115系の計2本が横浜線内の八王子~小机間に入線し、115系マニアにとっても貴重なプレゼントになりました。

最初の115系は豊田区のスカ色115系で編成はM7+M4編成で、先頭車には鷹やリスなどの動物が描かれたヘッドマークが掲げられておりました。2本目は長野区からわざわざ遠征してきた115系で、編成はC1編成が使用され、東神奈川方には犬のデザインのヘッドマーク、八王子方にはコアラのデザインのヘッドマークが掲げられました。
この2本の115系は午後3時頃より一時的に小机駅で顔を合わせるわけなのですが、私は用事があった関係で小机駅での確認はできず、残念ながらどのような顔合わせができたのかわかりません。
というわけで普段は見られない横浜線内に運行された115系の話題を提供しましたが、南武線よりも地元である横浜線の話題もできるだけ多く提供していきたいと思っております。

秩父鉄道1000系チョコバナナ、デビュー近し?

2009年09月16日 23時45分05秒 | その他
13日は天気も良いことから6月7日以来の訪問となりますが、久々に秩父鉄道の1000系を求めて秩父路へスクーターを走らせました。この日は自宅を朝8時に出発したことから、秩父には10時過ぎに到着しましたが、まずは長瀞駅から寄居寄りの線路沿いにあるお花畑に行ってみることにしました。このお花畑はSLを撮影している方や地元の方であればかなりご存知かと思うのですが、いつも何らかの花が見られ、今の季節であればコスモスが咲いているのではないかと思っておりました。しかしながら現場に到着してみると全くコスモスの姿は見られず、私の好きなコスモスと列車との撮影はできませんでした。
時間も既に正午でありましたので、撮影よりも黄色に茶色帯の通称チョコバナナと言われる1000系がもしかすると登場しているのではないかと思い、秩父鉄道の車庫のある広瀬川原に行ってみることにしました。実は私は寄居から東側へはスクーターで行ったことがなく、熊谷の近くにある広瀬川原は遠いのではないかと思っておりましたが、寄居から彩甲斐街道(国道140号)でおよそ30分ほどで目的地の車庫に到着しました。

この広瀬川原車両基地は休日とあってか社員の姿も見えず、あたりは静かでありましたが、荒川の土手の方から車庫内を見ると僅かにチョコバナナになった羽生方のクハを発見することができました。確認できたかぎりではこの1両しか見られませんでしたが、たしか11月中旬頃にデビューと聞いていただけに、もしかすると1ヶ月くらい早く鉄道記念日を意識してデビューするのかもしれません。(あくまでも推測ですので信用しないでください)

続いて、この広瀬川原周辺で撮影できる場所はないかということで、撮影地探しも行っておりましたが、熊谷寄りの場所において複線のための用地に確保された場所があり、所々が駐車場になっていましたので、そこからタイミングよく小豆色の列車を狙ってみました。


この日の最後は熊谷駅構内の様子を見に行ってみると水色と秩父鉄道オリジナルの1000系と5000系が並んで留置されておりました。5000系も1000系と同様に今後譲渡される車両によって置き換わるのではないかと推測されますが、ジャカルタの6000形1編成が1ヶ月ちょっと前に他の車両と正面衝突事故を起こし、先頭車を中心に大破していることから、ここの5000系の廃車のタイミングによっては、ジャカルタでさらに活躍もできる場があるのではないかと思いますが、果たして秩父から南国のジャカルタに転身するのかどうか注目していきたいと思います。
ちなみにこの1日にスクーターで走行した距離は230kmでした。

209系ナハ1編成-デビュー当時

2009年09月14日 00時11分14秒 | 南武線
昨日も先週10日に長野へ回送されたナハ1編成のことについて触れましたが、今回はデビュー当時のシーンをいくつか掲載させていただきたいと思います。
先日も述べましたようにこの209系ナハ1編成は、中央・総武緩行線用に1本205系(Tc103の編成)を三鷹区へ転出させるため、平成5年2月に川崎重工で製造され、中原区に209系としては初めて配属されました。
私は205系ほどの嬉しさはなかったものの、どのような車両なのかと思い、川崎重工から品川に回着するところを見に行きました。当時のナハ1の特徴としては所属表記が「東ナハ」であったり、シルバーシートのステッカーが貼られていたりと当時としては当り前のことですが、その他、下の写真のように側面窓には川崎重工と書かれた紙が貼られておりました。



また、このナハ1編成は平成5年4月1日より、基本的に23運用限定で使用され、11運用で使用されることもありましたが、平成6年12月3日のダイヤ改正から他形式の103系や205系と共通運用に変更されました。デビュー当時、側引戸の上部にLEDによる駅名の案内やドアチャイムは印象的であり、ヘッドマークまで取り付けて華々しいデビューを飾りました。

ヘッドマークは川崎方と立川方ではデザインの異なるものが取り付けられました。また、上の写真では武蔵溝ノ口の行先を表示しておりますが、今やデータイムではこの行先表示を見ることはできません。

209系ナハ1編成と最後の別れ

2009年09月13日 00時13分43秒 | 南武線
この1週間は南武線で初の209系であるナハ1編成に注目が集まっておりましたが、10日、国府津から武蔵野南線を経由し、府中本町から南武線を経由したのち中央線経由で長野総合車両センターへ回送され、帰らぬ旅立ちとなってしまったようです。
そこで先日もこのナハ1編成の最近の動きをレポートしておりますが、今週1週間の動きを簡単にまとめてみました。
7日朝、前日は13F運用でしたので、必然的に43F運用となり、朝9時ちょうどすぎに中原区に入庫する運用でありました。私はこれが最後の営業かと悟り、朝早くからこのナハ1編成を追いかけることにしました。まずは向河原と武蔵小杉(前回掲載の写真)で撮影したのち、武蔵小杉から842Fと川崎で折り返し武蔵中原行きとなるナハ1編成の最後の営業である843Fに乗車しました。武蔵小杉を出ると最後の終着駅である武蔵中原までは感慨深いものを感じ、もしかしたら車掌から「この車両は次の駅をもって16年間の役目を終えます」などというような労いの言葉があるかもしれないと思っておりましたが、103系南武線最後の営業と同様に全くサプライズもなく静かに終着駅の武蔵中原に到着しました。最後の別れをわかっていたのか何人かのファンもこの武蔵中原駅に来られ、ナハ1が変わりなく静かに中原区へ引き上げるシーンを撮影しておりました。その後、とりあえず区の中の様子を観察しましたが、ナハ1は検修庫の中へと取り込まれてしまいました。

8日朝、この日も区の中の様子を観察すると中原区内の社員が何やらナハ1編成の撮影を行っておりました。また、武蔵中原から国府津へと回送されたようで、私の横を通過する際、側面の方向幕は抜かれており、紙上に回送と書かれたものが貼られておりました。

10日は、通い慣れた南武線の府中本町~立川間で撮影したいと思い、谷保~矢川間で撮影しましたが、編成は以下のとおりでした。
EF64-1030+Tc13 M25 M'25 M26 M26 T'c13であり、ナハ1編成は南武線上においていつもと編成の向きが逆でありました。

立川駅においては皮肉にもという言葉が相応しいのかどうかわかりませんが、209系よりも古い201系4編成と見事に並び、ファンを喜ばせてもらいました。最後は中央線内のどこか好条件でかつ無難に撮影できる場所ということで、有名な鳥沢の鉄橋で撮影し、最後のナハ1編成を見送りました。

おそらく、これでナハ1編成とは最後の別れとなったわけですが、残ったナハ32編成の機器更新を行うのかどうかや、浦和からもう1編成転入するようですので、ここしばらくは南武線の209系にも動きが見られるものと思われます。
また、ナハ1編成の思い出として、後日、デビュー当時の写真をお届けしたいと思っております。

209系ナハ1編成-運行番号マグサイン化

2009年09月07日 19時29分18秒 | 南武線
先日、南武線209系ナハ1編成の去就について若干述べましたが、その後、このナハ1編成の運行番号がLEDから登場時のようにマグサイン化が行われました。また、2200番台のナハ53編成の運行番号はなぜかナハ52編成とは異なって東京総合車両センターをマグサインで出場したもののLEDに変更され、この両編成の運行番号表示の変更はほぼ同時期に実施されたものと推測されます。

ということで私もマグサイン化されたナハ1編成を撮影するため、8月30日に続き先週末、南武線ウォッチングを実施しました。9月5日は43Fということで、この日は朝のみの運行でありましたが、最近ナハ1編成の廃車がにわかに噂されているとあって、朝7時から10時頃までこの編成を追いかけておりました。中原区入庫後、検修庫へ取り込まれてしまい、5日の夕方と6日の運用はないものと諦めておりました。ところが6日朝、中原区最後に出庫する13Fになんとこのナハ1が充当され、思わぬサプライズとなったわけですが、この日中運用に充当される13Fを午後3時頃までに思う存分撮影することができました。この日の運用に充当された13Fは武蔵溝ノ口に夜間停泊するため、トラブルなどがなければ本日7日朝は必然的に43Fに充当されるとあって今朝もわざわざ出撃してしまい、この3日間は連続して南武線ウォッチングづくしでした。

E233系1000番台の投入に伴い、京浜東北線の209系は東急製については機器更新を行い、今後も房総地区や南武線に転用し使用されるようですが、川重製の必要でない車両は廃車される傾向にあり、南武線においても唯一川重製のナハ1編成の去就が注目されているところであります。このナハ1編成は南武線初の209系であり、おかげでナハ1編成の代わりに私のお気に入りであった205系Tc103~の編成を中央・総武緩行線の三鷹区へ転出させてしまったという私にとっては良くも悪くもいろいろな意味で思い入れのある編成ではありますが、1993年5月号の鉄道ファンの表紙を飾ったこともある編成だけに今後も活躍することを願っております。