Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

中原電車区-ちびっ子向け一般公開

2009年10月31日 23時23分18秒 | 南武線
フィリピンの話題を続けて述べましたが、本日は小休止ということで、10月31日に中原電車区で実施されたちびっ子向け一般公開について述べたいと思います。

前回、中原電車区の公開は一昨年の5月26日に実施され、この日は天気にも恵まれたせいか、予想以上に多くのマニア、家族連れが来場されました。今回は前回の予想以上の来場者があったせいか、あくまでもちびっ子のいる家族向けということで公開されました。当の本人はというと悲しくも気ままな独身生活を送っており、この日ばかりは来場もできず、ただ指を銜えて外から様子を眺めるだけとなりました。それでも電車区内にも入れなくても実は十分楽しめたのですが、この日の主役はなんと言ってもいつも裏方役のクモヤ君であります。このクモヤ君は車両に運転士が乗り込まなくても外からリモコンで操作ができるとあって、ラジコンカーを操るような感覚で運転ができます。ミュージックホーンを鳴らしながら、ナハ12の立川方T'c133と連結するところを多くのちびっ子の前でお披露目していたようで、この日ばかりはいつも夢庵の脇でひっそりと眠っている姿とは別人のようでした。

この他、展示された編成は209系ナハ32と53編成、205系ナハ16編成などであり、このうち209系はちびっ子を乗せて洗浄体験が行われていたようです。また、ナハ16編成の種別幕には快速が表示され、ナハ32編成の運行番号には10という偶数が表示されておりました。
おみやげのほうはというと下の写真のとおり、73系以降に南武線で活躍した形式の写真がプリントされているビニール製の袋と中原電車区に在籍する各形式のマグネット(一昨年公開時と同じ)、横浜支社内の電車がデザインされた定規などでちびっ子にとっては嬉しいプレゼントになりました。
この中でちょっと注目したのはビニール製の袋に書かれている各形式の説明ですが、209系の説明として「横須賀線の武蔵小杉新駅開業に合わせて4編成が運転されます」と記述されていることです。やはりもう1編成が来年3月までに転入するということが窺えます。

1994年頃のPNR(フィリピン国鉄)-北線

2009年10月29日 23時50分25秒 | フィリピン
特に興味のありそうなことを述べられるわけでもありませんが、ちょっとフィリピンの話題に火がついてしまったようですので、続けてフィリピン国鉄(PNR)の話題を述べていきたいと思います。
本日はPNRの北線の話題ですが、私が初めてルソン島北部地域を訪問したのは1994年11月から12月でした。バスやフィリピンの大衆の公共交通機関であるジープニーを乗り継ぎ、私は意地でも海岸線をなぞるように北上していったのですが、PNRのほうは古い地図を見ていただければわかるようにManila~Dagupan間は平野部が多く、海岸線とは関係なくほぼ一直線に結んでいることから、線路を見かけることはあまりありませんでした。しかし、おおよそDagupan~SanFernando(La Union州)間においては南シナ海の海岸線に平行する形でPNRが敷設されていますので、ところどころで線路や鉄橋を見かけたかと思います。
ManilaのTutubanから266kmに位置する北線の終点San Fernando駅周辺だけでもじっくり観察しておこうと思い、94年11月16日に立ち寄ってみましたが、たしか町の中心部から近いところに駅が位置し、下の写真のように駅舎とプラットホームが取り残されておりました。

さらにManila方面に行ってみると三角線のレールが取り残され、その先の本線はレールと枕木が見事に取り残されておりました。ちなみに下の写真はさらに5kmほど南下した地点で撮影したものですが、フィリピンの田舎であればどこでも見れるように水牛(Kalabaw)が草を喰んでいました。
鉄道紀行文の作家で有名な宮脇さんは、この北線に乗車し、たしか面白くないというようなことを申していたかと思います。いつしかこの北線も復活し、食堂車の付いた列車が走ることを夢見ていますが、ここSan Fernandoまで早期に整備されることを願っております。

1994年頃のPNR(フィリピン国鉄)

2009年10月28日 00時35分27秒 | フィリピン
先日に続きPNR(フィリピン国鉄)の話題を少々述べていきたいと思います。この頃は現在と比較して列車の本数もそこそこあり、ラッシュ時を中心にある程度Metro Manilaの南方方面の大動脈として担っておりました。

下の写真はCaloocanで撮影した通勤列車(1994年12月撮影)

1993年作成の国鉄通勤輸送力強化事業及び援助効果促進業務の報告書によりますと、92年9月22日現在の主な区間の1日の列車本数は、北線のCaloocan~Meycauayan間で上下4本、南線のEspana~Alabang間で約30本、Alabang~San Pedro間で12本、Binan~Calamba間が2本、支線のSan Pedro~Carmona間は8本でした。
当時の運行状況については、最も列車本数の多いManila中心部のPaco~Sucat間で、ラッシュ時は20~40分間隔、データイムでは40~150分間隔で、データイムにおいては等間隔ではなく、非常に利用しづらいものとなっていました。
また、運行開始の早朝においてはオンタイムでほぼ運行されているものの、列車運行の終了間際になると平均約40分の遅れが生じていたようです。
編成については6編成が運用につき、基本的にDL+PC3両の編成であり、また、DCもあったようで僅か18両が稼動できる状態でしたが、DCについては軌道が脆弱であるため床下を損傷してしまい、車両整備後数年で使用できなくなるような状況でした。

下のダイヤグラムは1992年9月22日現在のもの

PNRなどの計画では1993年12月から92年9月の列車本数の2倍以上にすることを計画し、稼動できる車両を増備した上で、朝夕のラッシュ時においては15分間隔、データイムは30分間隔で、下に示すダイヤで運行する予定でした。

下のダイヤグラムは1993年12月に予定していたもの

しかしながらこのような計画とは裏腹に計画は予定どおりにいかなかったようで、衰退の一途をたどりました。
先日も述べましたように韓国Rotem社製の編成が合計6編成揃うようですので、来年早々には複線化と同時にTutuban~Alabang間において、ラッシュ時は20分間隔、データイムでは30分間隔で運行可能かと思いますし、利便性や信頼性が向上すれば更に乗客が増加するのではないかと思います。将来的には連続立体交差事業を展開し、かつ電化も必要となってくるはずではないかと思いますが、そうなるとこのPNRにおいてもジャカルタと同様に日本の中古電車の活躍する姿を見ることができるのではないでしょうか。

下の写真はEspanaで撮影した通勤列車(1994年12月撮影)

フィリピン近況等

2009年10月26日 01時18分45秒 | フィリピン
前回のフィリピン訪問が2008年3月と私にとっては久しくなってしまいましたが、ようやく来年の1月頃にフィリピンに行けそうであり、今からワクワクしております。
今回は時間を取って、PNR(フィリピン国鉄)やLRT公社、MRT公社の車庫の訪問、国鉄南線・北線のリハビリの状況やMRT2号線North Avenue~Monumento間の建設状況などを確認することを予定しております。
下の写真はMRT3号線のNorth Avenue駅の末端部分(2006年9月撮影)

LRTやMRTの計画が思うように進んでいない中、PNRについてはホームの嵩上と沿線一帯の不法占拠の住宅の撤去がほぼ完了し、Tutuban~Bicutan間約28kmが単線ながら3両編成の韓国Rotem社製の車両(DMU)によって運行されているようです。このDMUはABS-CBN(チャンネル2)の取材によると、3セットが配置され、来年早々にももう3セットが到着するようです。現在の列車本数は少ないものの完全に複線として運行ができるようになればかつてのように利用客を取り戻し、Metro Manilaの通勤路線として復活することが期待されるのではないかと思います。また、Sucat~Alabang間についても複線化及びリハビリをすることによって、Alabangから南方方面のバス及びジープにーの利用客をこの南線を利用して都心部に誘導できますし、South Super HighwayやSkywayの道路混雑を緩和することも期待できるのではないかと思われます。
この他、ManilaからLegazpiまでの区間については橋梁などの修復工事を進めているようで、来年にはBicol地方へ列車が運行されるようです。そのため12系をBicol Express用に5両改造している模様です。(今年8月頃のABS-CBNの取材によりますと)
これ以上の現状については述べられませんが、フィリピンから帰国した際には詳細にレポートさせていただきたいと思っております。
下の写真はPNRのInspection car(2006年9月Tayuman駅付近)

Siguro pupunta ako sa Filipinas sa Enero. Kasi matagal na ako hindi pumupunta sa Filipinas at talagang namimiss ko na ang Filipinas. At intersado pa ako sa railway doon sa Manila, Pagdating ko sa Manila, dadalaw ako sa opisina ng PNR, LRT at MRT. Pagbalik ko dito sa Japan, isusulat ko ang tungkol sa railway sa Manila dito sa weblog ko.

ありがとう103系、さよなら103系

2009年10月23日 17時17分31秒 | 他線区の103系
先日21日で杜の都を走る仙石線において唯一残されていた103系RT-235編成が営業運転を終了し、仙石線の103系が営業運転を終了するとともにJR東日本から103系が姿を消すことになりました。
私もこの103系の最後の勇姿を見るため17日から19日にかけて仙台を訪問することになりましたが、仙石線の各駅や沿線一帯ではギャラリーが多く、結構な盛況ぶりでした。

17日朝、南武線においてお座敷車両の華を使用した「お座敷鎌倉散策号」が立川~鎌倉間に運行されたため、この列車を撮影したのち常磐線経由で仙台へ向かうことにしました。各駅列車と特急列車を乗り継ぎ、いわきの駅で「東北ローカル線パス」という青春18きっぷに似た東北地方のJRと私鉄の普通列車に乗車できる切符があるのですが、この切符を購入しさらに北上し仙台へと向かいました。原ノ町駅に到着すると1番線には仙台行きのスーパーひたちが停車中であり、相馬付近で人身事故が発生したとのことで、結局この駅で1時間30分ほど待たされることになりました。仙台に到着したのはやはり1時間半ほど遅れて20時近くになってしまいました。

18日、この日は103系好きな方と同行させていただけることになり、仙台駅からレンタカーにて仙石線の103系を撮影することになりました。通常であれば103系は平日の朝のみ、あおば通~東塩釜間に運行され、休日は車庫で1日中お休みですが、ラストランということで17日と18日はあおば通~石巻間を1往復するというファンサービスがありました。この103系の運用の時間をもとに順光で撮影できるとなると下り列車では陸前大塚付近のみ条件が良く、他の区間ではどうしても条件が良くありません。ということで陸前大塚駅の先のカーブに行ってみると、10時前の時点で約20名ほどの先客がおりました。その先客グループのうしろで待つこと2時間ほどで103系が通過し、すぐに折り返し仙台行きの103系を撮影すべく、鳴瀬川を渡った先の陸前小野付近へ行ってみました。ここも有名な撮影地ということで先客がおりましたが、なんとか撮影することができました。
このあと同行された103系好きな方々と仙台駅でしばしの舌鼓を打ち、私だけが仙台に残り、次の日の103系を追っかけることなりました。

19日、この日はホテルを6時前にチェックアウトし、撮影場所を探すことに専念しましたが、日の出の時間が6時近くということで、なかなか良い場所が見つかりません。結局、中野栄駅で撮影することにしたのですが、7時前は影が長すぎて列車の大部分にかかってしまったものの103系が通過する頃にはなんとか許せる程度になりました。撮影後はこのまま103系に乗車し、東塩釜、あおば通、小鶴新田と入庫まで乗車しましたが、車内には通勤・通学客が多いものの多くの鉄道ファンの姿も見られ、最後の別れを惜しんでいるようでした。

これで103系は国内ではJR西日本とJR九州、海外ではジャカルタのKCJのみ運行されていますが、これらの103系の姿を今後とも追っかけるとともに、少しでも長く活躍することを願うばかりです。
最後にこの103系の撮影に同行させていただいた方に御礼を申し上げるとともに、今後とも103系の沿線で御会いできることを楽しみにしております。

稲城長沼駅周辺-線路切替後の様子

2009年10月16日 23時54分33秒 | 南武線
またまた、大変ご無沙汰してしまい申し訳ありません。先日も申しましたように今年の4月頃より旅行業務取扱管理者の勉強を行っておりましたが、先日12日にその試験が終わりまして、一応その試験から開放されました。試験の結果は11月下旬にわかるのですが、実はその結果はほぼわかっておりまして、どうも一科目だけ合格の基準に届いていないようです。その一科目というのは海外実務であり、大学当時、私の専門分野も含まれているのですが、私としたことがなんともそのような科目で墓穴を掘るとは考えておりませんでした。一科目でも落としてしまえば不合格ですので、来年10月の試験に再度チャレンジということになるのですが、とりあえず今は気持ちを入れ替えて来年に臨むことと、本業の仕事の方を本格的に取り戻すことを考えるだけです。

ところでその試験のショックから気持ちを入れ替える上で、翌13日に線路切替後の様子を見に、稲城長沼駅周辺にちょっと出かけてみました。駅より立川寄りにには電留線が2編成分確保されましたが、その電留線の位置は先日も申しましたように川崎寄りにずらされております。今のところ旧下り線の跡地では本格的な工事が行われておりませんので、以前とかわらないように撮影できる箇所も数箇所あり、平日の日中、電留線においては停泊する編成を無難に形式写真を撮影することができます。
この連続立体交差事業は来年度完成予定ですが、稲城市の担当部署に確認したところ、工事が遅れ気味であるものの予定年度に完成することを目指しておりますとのことです。どうみてもあと1年半の時間で上下線を高架化にすることは難しいかと思いますので、もし完成時期の変更があるようであれば、東京都から正式な発表がそろそろあるものと思われます。
また、川崎市長選挙が今月25日にありますが、前回の市長選挙では南武線にその広告電車が登場しましたが、今回は財政事情も悪いのか市長選挙に伴う広告電車は考えていませんとのことで、今回は残念ながら登場はないものと思われます。

秩父鉄道1000系-チョコバナナデビュー

2009年10月05日 23時52分45秒 | その他
10月3日は秩父鉄道の1000系に当時の国鉄から101系を購入し、1985年から踏襲したチョコバナナ塗装が復活するとあって、そのお披露目の姿を見るため、秩父へとスクーターを走らせました。
朝7時ちょうどに自宅を出発し、途中一度も休憩しなかったことから、影森駅には9時過ぎに到着しました。このチョコバナナ塗装の1000系はこの日だけ臨時急行の運用に充当されることから、まずは秩父路遊々フリーきっぷを購入し、この列車の始発駅である熊谷へ行ってみることにしました。いつものお決まりのように和銅黒谷駅で臨時急行と他のリバイバル塗装の計3本の並びが見れるのではないかと予想し、そのうちの1本が長瀞駅で擦れ違うのですが、予想していたとおりスカイブルーの1000系の姿を確認することができました。これでこの臨時急行列車の前を走る1523列車を確認すれば良いのですが、この件についてはのちほど述べることに。
熊谷駅に到着すると熊谷駅の電留線内の様子を見るとチョコバナナ塗装の編成を早くも確認ができ、現在の秩父鉄道標準塗装の1000系などと肩を並べ、下の写真のように今年5月30日にデビューした小豆色塗装とのツーショットも見ることができました。

また、先程の和銅黒谷駅での並びの件ですが、この臨時急行列車の前に充当されたのがカナリア塗装であり、和銅黒谷駅ではスカイブルー、カナリアとこのチョコバナナの並びが実現することが予想できました。私もこの臨時急行列車に充当されたチョコバナナに乗り込むと、運転士は秩父鉄道初の女性運転士でありました。秩父鉄道ニュースを見ると10月1日より単独乗務を開始したようで、いきなりこの晴れ舞台に抜擢されてしまったようです。まずはお手並み拝見ということで、乗車させていただきましたが、この女性運転士よりも年配の車両を上手く使いこなし、完璧な腕前を見せていただきました。途中、和銅黒谷駅にさしかかった頃、予想通り見事なリバイバルカラー3色が瞬間的に並び、秩父寄りで構えていた撮り鉄の方々は一斉にシャッターを切っていたようでした。終点の影森駅には定刻どおり到着し、しばらくはこの駅の留置線で一休みということで、そのシーンを撮影してみました。

再びこのチョコバナナ塗装の臨時急行に乗車し、熊谷駅に行くことも考えましたが、この日の夜から始まる南武線の線路切替工事との兼ね合いもあり、先行する列車に乗車し、波久礼駅で最後の撮影としました。
これで6編成分が国鉄や秩父鉄道のリバイバルカラー塗装に変更されましたが、今後もあっと驚くような塗装を見せてもらえることを期待したいものです。

南武線稲城市内連続立体交差事業-線路切替工事

2009年10月04日 23時55分15秒 | 南武線
昨年6月、南武線連続立体交差事業第二期工事区間の上り線を仮線に移設する工事が行われましたが、3日19時40分頃から4日始発列車が走る時間にかけて、下り線を仮線に移設する工事が実施されました。
この日の昼は秩父鉄道において1000系(元101系)のチョコバナナ塗装が初お目見えとあって、実は朝からそちらに出かけておりましたが、自宅に戻ってすぐに夕食を済ませたあと、この線路切替工事の様子を観察すべく南武線ミッドナイトウォッチングを行いました。(秩父鉄道1000系チョコバナナの話しは後日掲載します)
まずは向かったのが矢野口駅で、登戸~矢野口間で実施される単線運行の様子を観察しました。この区間に充当された編成は先頭改造車の205系ナハ47編成で、登戸行きについては前面及び車体側面の行先表示が「登戸」と表示され、矢野口行きについては前面には写真のとおり表示されず、車体側面については白幕のままの状態でした。また、運行番号は列車番号の4桁が表示されました。

続いて府中本町~立川間に封じ込められている編成を確認すべく府中本町へ向かいました。府中本町23時40分発の列車から確認しましたが、9437Mがナハ36編成、9439Mがナハ5、9441Mがナハ14、最終の9443Mがナハ36編成で、立川駅構内の電留線には209系ナハ52編成が留置されておりました。また、行先表示については、昨年の線路切替時では立川行きも白幕表示でしたが、今回は立川行きについては府中本町に到着前もしくは到着と同時に「立川」を表示し、府中本町行きについては確認したものだけでは白幕表示となっておりました。

ミッドナイトウォッチングの最後の締めくくりとして稲城長沼駅周辺の切替工事を観察しました。昨年の線路切替時と同様に大勢の作業員が借り出され、あたりは投光器で照らされ、普段では見られない工事の様子を観察でき、非常に見てて飽きませんでしたが、この日の疲れも相当溜まっていたのか限界かと思い30分ほど観察したあと引き上げてしまいました。
下の写真は新しく稲城長沼駅の電留線の末端部となるところを撮影したものですが、線路切替時前はこの末端部が稲城長沼4号踏切直近に位置していたものの、切替後では150mほど川崎寄りに移設され、編成2本分が窮屈そうになんとか留置できるような状態になりました。

4日も線路切替後の様子を見に行って参りました。下り線は仮線の線路を使用し、切替直後という理由かもしれませんが、全ての下り列車は仮線区間を徐行をしながら運転されておりました。稲城長沼駅の川崎寄りにはダブルクロスのポイントが設置されており、また、立川寄りにはY字のポイントが設置されております。


下り線が仮線に移設され、これで連続立体交差事業の工事が本格的に行われのではないかと思っております。来年か再来年には下り線が高架化されるのではないかと予想しておりますが、下り線が高架化された時点で、稲城長沼止まりの列車の折り返しをどのように処理をするのか興味が尽きません。
また、現在のところ高架化工事の様子と絡めて南武線の車両を撮影できる場所もありますので、そのような良い撮影場所があれば掲載することを予定しておりますし、この工事の様子についても時々ご報告したいと思っております。
ちなみに下の写真は以前、富士通のあった場所から撮影したものです。

最後にマッキントッシュをご使用の方に対してお知らせしますが、コメントの書き込みができない状態かもしれません。私もマッキントッシュを使用しているのですが、コメントができないことや文字が以前よりも小さくなっていたりとご不便をおかけしますが、解決できるところはこちらで調整などを行っていきたいと思っております。