Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

近年の鉄道記事や鉄道本の内容について

2020年06月01日 13時47分17秒 | その他
私は地図や旅行書籍の校正も仕事として行っており、出版物に関わる1人として、ここ数年出版されている鉄道雑誌の記事や書籍の内容について述べていきたいと思いますが、あまりにも1つ1つの事実確認をされていないことや基本中の基本である誤字脱字など校正ができていないものが多く、私のような資料的価値のある記事や書籍を求める者にとってはこのような執筆者はご自分のブログやホームページで記事を出されたほうが良いのではないかというのが正直思っているところです。

ここではほぼ毎月のようにある鉄道雑誌に記事を出され、鉄道書籍も執筆されているある方の話しをさせていただきたいと思います。その方は海外で活躍する日本の中古鉄道車輛の活躍を主に記事にされている方で、15年ぐらい前から東南アジア各国で活躍する日本の中古鉄道車輛についてレポートされている方です。その方から記事を作成する際や書籍の執筆にあたって、私に対して記事の校正、資料や写真提供の要請、取材にあたり撮影許可証の申請方法などあらゆるお願いごとを全て無償で受けたことをもとに話しをさせていただきたいと思いますが、この執筆者のご本人のお名前は仮にS氏とし、執筆された記事のタイトルや執筆された本のタイトルは伏せて、執筆者のある程度の名誉に対して傷を付けないように配慮します。しかしながら、これから皆様に述べることはあまりにも読者を馬鹿にした行為とも受けられますので、皆様のご想像力やこれから述べていくことに憤慨される方はインターネットなどで検索していただければ特定は可能かと思っております。
また、私は1人の出版の仕事に携わる人間として言わせていただきたいと思いますが、ちょうど9年前と昨年に出版された書籍や今まで書かれた記事も含めて述べさせていただきたいと思います。

このS氏が書かれたこれまでの書籍や記事について、一言で述べますとあまりにも校正がずさんであり、1つ1つの事実確認がされていないことや誤字脱字が多く、資料的価値はほとんどなしというのが私の感想であります。また、正当なお金を払って購入していただいている読者の方々のためにもできるだけ正しい情報を提供することは責務だと思っていますが、読者に対しては大変気の毒な書籍になってしまったこと、出版後も私からS氏に対して私の方で気がついた記事の内容についてミスと思われるところを何度もお知らせしてもできるだけ早く正誤表をお知らせするという努力や配慮がまったくありません。

繰り返しになりますが、ちょうど9年前と昨年に出版された書籍や今までの記事を見るかぎり、誤字脱字が多いこと、1つ1つ事実確認が行われていないところがあることは事実でありますが、一言で言いますとなぜ校正がいつもしっかり行われないのか疑問に感じております。といのは昨年出版された書籍においても駅名の誤字脱字が多く見られ、特にフィリピン国鉄(PNR)の駅名であるBicutanは9年前の書籍でもそうですがBictanとなっていて、同じようなスペルミスをしていますし、編成表ではフィリピン国鉄(PNR)やインドネシア通勤鉄道(KCI)において、車両番号にダブり(重複)が見られること、KCIの本社は本当はJuanda駅にあるのにもCikini駅にあることや、Tutuban駅南側のモール近くにある南北通勤鉄道(NSCR)のTutuban駅の計画図をTutuban駅高架化事業のものとして記述するなど(通訳がそのように言ったのかもしれませんが)、1つ1つ事実確認が丁寧にされていないところも見られ、これらのミスは校正作業においてやり方に問題があるのではないかと思っています。
また、校正は初校、再校、三校などと3回ぐらいは必ず実施されるものですが、初校時において、まずは1つ1つ事実確認をする、続いて誤字脱字がないかチェックする、最後に言い回しなどに問題がないかチェックするなど、あらゆる点から校正をすることがふつうなのですが、S氏の校正はあまりにもずさんとしか言えず、他の書籍や記事に比べるとあまりにもミスと思われる箇所が多いのは事実でありますし、校正作業をあまりにも軽んじているのではないかと思っています。

この他、一昨年の今頃になりますが、とある書籍を出版されることになり、S氏から一部記事の校正を無償でお願いされましたが、そのテキストは9年前に出版されたものからほとんど手を入れていなかったことや経年変化にも対応されておらず、それをそのまま古いままのテキストを私に渡され、通常であれば経年変化にも対応し新しい情報に対応したできるだけ正しい情報に修正されたテキストをいただいたものを校正すべきところを、全て私が新しい情報をあらゆるところから入手し校正したことは、今まで校正の仕事を受けていた中ではこのような非常識なやり方は経験がありませんでしたし、テキストの内容が古いのはなぜでしょうか?とS氏に質問しても、ただ細かいところが至らずとの返事で、どれほど私が長い時間をかけて校正したのか、読者に対してできるだけ新しく正しい情報をお届けするという意識も持っていなかったのかわかっていなかったようです。
その後においてもS氏から情報提供や資料提供、写真提供の要請、車庫や工場での撮影許可証申請における情報提供の要請など、私はあくまでも読者に対して良いものができるのであれば読者にできるだけ尽力したいという気持ちでS氏に無償で協力してきたつもりですが、結果的にはあまりにもミスが多い書籍になってしまい、正当な金額で購入された読者には大変気の毒なものになってしまったことに残念でなりません。

このS氏とどのような経緯で私と知り合ったかについても述べていきたいと思いますが、それは1つの言葉がきっかけだったことを今でも鮮明に覚えています。それは「hiban」という言葉で、ジャカルタに譲渡された元都営6000形などをインドネシア語で贈り物を意味する「hibah」を「hiban」と記事に何度も書かれていましたので、それを私のブログ上で指摘したことがきっかけで、早速、それに対してS氏が私のブログのコメントで書き込みされたのが始まりでした。
2006年12月号のとある鉄道雑誌の記事で「hiban」と書かれていましたので、それをブログの中で指摘したと思うのですが、2008年10月号で正誤表が出されたものの、2010年12月号の各形式の一覧表で「hiban」と再び書かれているところをみると、1つ1つの言葉に十分注意していないのか、それとも校正作業が疎かなのかわかりませんが、何度も繰り返してミスをする傾向があることは言えますし、校正のやり方に問題があること、お金を払って購入される書籍に対してはできるだけ正しい情報を伝えるという責務があるはずなのですが、それがまったく私には感じられません。
私はS氏が9年前に本を出版された時に「あまりにもミスと思われる箇所が多いので、正誤表をブログで公開します」と言ったところ、S氏からは「それはやめてください、出版社から賠償責任になりかねないので」と述べていたことを今でも覚えていますが、もしやお金を払っていただいている読者のためではなく、ご自分の名誉や利益などを優先しているのではないかと思っているところもあります。また、昨年出版された書籍の件についてもミスと思われる箇所が多く、本を購入された読者に対してできるだけ早く正誤表をお知らせするような努力もみられないところや、今までのS氏からの校正の依頼や情報提供の要請などをみると私はただの道具だったのではないかと思っていますので、私はもうこれ以上、読者に正しい情報を提供する努力をしないS氏に対しての協力は御免だと思っています。

私の本音はまだまだお伝えしたいところが多くありますが、このようなお金を払って書籍や雑誌を購入され、できるだけ正しい情報を入手したい、資料的価値の高い情報を得たいという読者が多い一方、このような無責任な執筆者も居るということを皆様にもお伝えしたいかぎりですが、私個人としても出版物の仕事に関わる人間として読者には正しい情報をお伝えしたいという気持ちでS氏にはできるだけ協力してきたものの、ただの道具のように使われてしまった私は裏切られたような気持ちしかありません。

今後においても、おそらくS氏は鉄道の記事を書かれたり、書籍を出版されるかもしれませんが、決して正しい情報を提供するという意識を持っていないこと、資料的価値の高いものを必要としている方にとってはこの方の記事や書籍には十分注意されたほうが良いのではないかと思ったしだいです。
もちろん、皆様の中で今までS氏の書かれた記事や書籍で、正誤表がほしい、これはミスではありませんかなど、いろいろとご質問などあるかもしれませんが、私はフィリピンやインドネシアについてはある程度わかるものの、それ以外の国や地域については詳しいことがわかりませんので、ある程度わかる範囲の中で応じたいと思いますし、この件に関してご意見などもありましたらお気軽にコメントいただければと思います。

多種多様な115系を求めて新潟へ

2014年02月07日 12時29分47秒 | その他
昨年の10月の出来事になりますが、新潟東港に留置されていた埼京線205系の様子について報告しましたが、実はもう1つの目的として新潟地区の115系を撮影するため、昨年の10月13日から14日にかけて18きっぷと同じような秋の乗り放題パスを使って新潟へ行ってみました。
ある程度、新潟での行動時間を稼ぐため、12日の深夜、ムーンライト信州で松本まで行き、長野、直江津を経て、新潟へ来てみたところ、途中、直江津駅の構内で3両編成の湘南色N2編成を発見し、加茂の先で4両編成の湘南色L6編成と擦れ違いました。今年の3月に新潟に転属した3両編成の長野色N33編成は、ようやく8月下旬頃から運用開始されたということで、この長野色を是非撮影しておきたいと考えていましたが、残念ながらこの編成だけは見つからず、先程見た湘南色の2編成も、この日は1度だけL6編成を撮影するのみにとどまりました。しかしながら、このL6編成をさつき野付近で撮影する際に偶然居合わせた同業者の方に長野色N33編成の運用状況を教えていただき、湘南色、長野色の全部の異色編成の運用状況を把握することができました。この日は行動範囲の広い新潟の115系の運用を把握できただけでもヨシということで、次の日の14日にかけることにしました。
翌14日、この日はまず湘南色N2編成を白新線内で撮影することになるのですが、その前に前回の記事でもお伝えしましたように、新潟東港に留置されている205系を撮影し、その後、ついでに白新線の佐々木付近で撮影してみました。


佐々木をあとにすると長野色のN33編成を越後線内で撮影するため、ありきたりでありますが関屋分水路のある青山へ。
昨年11月下旬頃から12月、この長野色と湘南色との併結列車が実現され、私もそのような姿を撮影できることを願っていましたが、この組み合わせになるには確率的に相当低いので、1回新潟に遠征しただけでは端から無理なことはわかっているのですが、大阪環状線に乗り入れる関西線からの4+4の103系のスカイブルー+ウグイスの混色編成と同様に撮影してみたいものです。


続いて、いつもの場所になりますが、信濃川橋梁で2時間ほど撮影していましたが、先程、関屋分水路で撮影した長野色のN33編成が1度新潟へ戻ってきましたが、このあとの運用は吉田で夕方までお昼寝ということで、追いかけるのはやめました。


湘南色のL6編成もはるばる石打(越後中里)からやって来ました。私はAU75の集中型冷房装置はお気に入りなのですが、分散型冷房装置となるとどうも安っぽく見えてしまい好きになれないところがあります。


最後は弥彦からやって来た153Mで、現在も弥彦線用の115系が新潟に乗り入れ、異彩を放っています。


新潟地区の115系も他の地域と同様に置き換えが予定されいますが、今年6月末頃に新型車両のE129系が登場し、その後、2017年度までに計160両が製造されますので、この115系もE129系によって置き換えられ、あと3年ぐらいしか活躍できないのかもしれません。今年いっぱいは115系が行き交う姿を多く見ることができるかと思いますので、また、多種多様な115系を求めて、新潟に足を運びたいと思っています。

さよなら国電リバイバル1000系貸切りツアー開催

2013年08月19日 00時12分42秒 | その他
秩父鉄道では現在活躍している3編成の1000系が今年度末までに引退するとあって、8月17日と31日に秋に一足先に引退するスカイブルーの編成と来年3月に引退するオレンジの編成の2本の編成を連結し、6両編成で熊谷~三峰口間を専用貸切列車で1往復運転されることから、17日朝、スクーターで自宅の町田からはるばる秩父路へと撮影に行ってみることにしました。
国電カラーが登場した2007年から歴代の秩父鉄道色が登場した2009年頃にかけてよくスクーターで秩父路へと撮影に出かけたものですが、近年、1000系が続々と引退する中、自然と遠のいてしまったものの、3ヶ月前に広瀬川原車両基地で開催された「2013わくわく鉄道フェスタ」で1000系のスカイブルー、オレンジ、秩父鉄道色の3色揃い踏み以来のスクーターでの遠出であり、通い慣れた道を久しぶりに通るのも懐かしく感じられ心地良いものでした。


順光で撮影できる場所ということで考えますといつも利用している影森駅の三峰口寄りの直線区間であれば良い条件で撮影できると思い、自宅を8時前に出発し、目的地の影森には10時過ぎに到着しました。1時間ぐらい前であれば撮影場所も確保できるのではと思いきや先客はお二人だけであり、人気がないのかと思っておりましたが、どうも車で追っかけてきた方が多くいたようで、列車の通過する15分ぐらい前からみるみる増えていきました。
問題はスカイブルーが先頭となるのかオレンジが先頭になるのか、私にとってはどちらでも良いのですが、私が予想していたように先頭がスカイブルーでした。国鉄時代に101系でスカイブルー+オレンジの混色編成があったのかどうか考えてみましたが、おそらく京浜東北線や中央線、南武線での混色の可能性はあったかもしれませんが、実現は1度もされていないのではないかと思います。スカイブルーの101系自体、京浜東北線と南武線で活躍し、スカイブルーとの混色編成となると南武線のカナリアがあり、京浜東北線で関西線用のウグイス(黄色帯なし)との混色があったかどうかではないかと思われます。


続いて、先程の列車が三峰口で撮影会があるというものの、この撮影会に参加できるのはこのツアーに参加された方だけでありましたが、パンタの付いているクモハ100形のみの撮影だけであり、101系オリジナルに近いクハ101形のほうは撮影会の対象ではなかったようです。
6連で組成されていた編成は撮影会の為に1度切り離され、お互いに並べられたものの30分程で撮影会は終了し、再びこの2本の編成は組成されましたが、私の予想ではスカイブルーの編成が三峰口寄り(うしろ)ではないかと予想していたものの、スカイブルーが先に引退するということもあるのか熊谷寄りの先頭に組成されました。
戻りの列車を順光で撮影するとなるとかなり条件は厳しいもので、荒川にかかる長瀞まで行くことも考えましたが、あの橋梁でさえ6両全部を撮影することはほぼ無理と考え、お隣の白久駅のカーブへと行ってみました。
ちょうどSLが通過する時間とあって無闇に線路に近づけるような状況でもなく、ただひたすらにSLが通過するのを待ち、通過後、撮影場所へと向かったものの、そこには場所取り用のたくさんの三脚が置かれていました。
しかしながら、私はその背後から狙うことができました。
31日は今度はオレンジが先頭になるのではないかと予想されますが、この日は残念ながら撮影することはできず、おそらく南国の203系あたりでも撮影しているのではないかと思います。
このお話は9月に入ってからご報告させていただきたいと思いますが、どうかお楽しみに。

イベントに引っ張りだこの115系M40編成

2013年05月26日 21時54分33秒 | その他
先日は群馬のローカル線で活躍する湘南色の115系の話題を取り上げましたので、湘南色と同様に国鉄時代から定着しているスカ色の115系の話題について述べてみたいと思います。
スカ色の115系はMc M' T'cの3両編成が豊田に配属され、中央東線、立川~小淵沢間と富士急行、大月~河口湖間で活躍していますが、1編成のみMc M' T M M' T'cの6両編成も配属されており、稀に通常の運用に充当されることもあるようですが、何かとイベント等の列車に充当されることが多いM40編成の最近の動向について見ていきたいと思います。

昨年の秋からの動きを見てみると、昨年10月20日、21日に「なつかしの115系かいじ号」が新宿~甲府間に運行されました。復路は南武線、武蔵野貨物線、新鶴見信号所、山手貨物線を経由しましたが、この区間の走行は夕方であることから、ほぼ走行写真の撮影は無理でした。私も本来であれば南武線内での撮影や南武線205系や209系との並びも狙いたいところですが、無理ということで無難に立川駅で撮影してみました。


続いて、昨年の11月10日、17日、23日、24日に快速「むさしの奥多摩号」が大宮~奥多摩間で運行されました。昨年の夏季においては高崎の115系湘南色4連が使用されていましたが、M40編成に変更されたもののヘッドマークは取り付けられていました。


そして、ごく最近の動きとして、今年のゴールデンウィークも快速「むさしの奥多摩号」がこのM40編成によって運行されましたが、今まで掲示されていたヘッドークは取り付けられませんでした。


今月19日のことになりますが、団体列車「115系満喫の旅号」が東所沢~武蔵五日市~立川~高麗川~拝島~奥多摩~東所沢という経路で運行されました。こちらも残念ながらヘッドマークは取り付けられませんでしたが、五日市線や八高線、青梅線にも入線するということで、スクーターで追っかけてみました。
武蔵五日市近くで撮影したのち、狭山茶で有名な金子付近に広がるお茶畑といっしょに撮影してみました。


続いて、金子から青梅と宮ノ平の有名な撮影地に行ってみましたが、ヘッドマークが取り付けられていないせいか、ギャラリーの方々は数えるほどでした。


上記以外に今年1月26日と2月9日に新習志野~川越間で運転された快速「おさんぽ川越号」が運転されていますが、今年に入ってからこれらのイベント列車にはヘッドマークが付けられておらず、今後、7月から9月にかけて南越谷~鎌倉間で快速「ホリデー快速鎌倉号」が115系によって再度運行されますが、果たして従来使用されていたヘッドマークが使用されるのか注目しております。また、秋以降の動向も気になるところです。


去り行く国鉄型を追って(北関東編)

2013年05月22日 20時33分22秒 | その他
およそ2ヶ月前のダイヤ改正前後のこよになりますが、日光線で今まで活躍していた107系がダイヤ改正を機に引退し、代わりに京葉線で活躍していたメルヘン顔の205系が使用されるということになり、18きっぷを使って撮影に行ってみることにしました。
107系が国鉄型かというといささか問題はありますが、国鉄からJRに民営化されて間もない頃に急行形の165系の廃車部品を使用して誕生した形式であり、105系や119系のように1M方式が採用され、2両、4両、6両と旅客需要にあわせて柔軟に編成を組むことができ、北関東の日光線や群馬のローカル線などで活躍してきました。
しかしながら、1988年の登場から今年で25年目を迎える日光線用の107系も老朽化しているのか、E233系の投入によって余剰となった京葉線のメルヘン顔の205系が日光線用の新たな車両として抜擢され、トイレの設置、パンタのシングルアーム化(霜取りパンタの増設)、ドアの半自動化と開閉ボタンの設置などが行われ、車両番号も新たに600番台に変更されて使用されることになりました。

下の写真は最長6両で活躍する107系で、「ありがとう107系」と前面にステッカーが貼られ、113系や115系などでおなじみのMT54のサウンドも悲しいような響きに感じられました。


ダイヤ改正の3月16日から31日まで1編成のみヘッドマークを付けた車両が運転されることから、もう1度行ってみることにしました。ダイヤ改正の初日から宇都宮線用の湘南色205系が運用に入っていたようですが、私が訪れた日は残念ながら全て日光線カラーが運用に充当されていました。


今後は宇都宮線の黒磯ローカルで活躍している211系も湘南色の205系600番台によって置き換えられるものと思われますが、こちらの必要本数は8編成であり、鉄道雑誌などでもありますように2編成分、どの車両を種車として改造されるのか明らかにされておらず、武蔵野線用のメルヘン顔の車両からとなるのか、それとも埼京線からの車両となるのかなど、今後の動向に注目されています。

日光線の撮影のあとは、群馬のローカル線で活躍する115系や107系を追ってみました。
小山から両毛線に乗り換え、伊勢崎の先の駒形に寄り道してみることにしました。
ここの区間であれば列車の運転間隔はおおよそ30分に1本であり、115系や107系、211系も適度な割合で運転されているため、万遍なく各形式を撮影できます。


湘南色好きの私にとって、高崎の115系はできるだけオリジナルの姿を保ち続けているため、両毛線以外の信越線や上越線、吾妻線でも撮影してみたいのですが、日中においてはおおよそ1時間に1本しか運転されておらず、週末ともなるとSLやDLのレトロ列車も運転されていますので、115系などの電車しか興味のない私にとっては撮影しづらいところでもあります。

下の写真は上越線渋川~敷島間にある利根川の橋梁でありますが、SLの通過する約20分前には高価なカメラとレンズを持ったギャラリーが集まり、肩身が狭く感じてしまいます。
とは言うものの、この群馬のローカル線で活躍する115系や107系もそろそろ置き換えの時期に来ているのではないかと思いますので、この地にもできるだけ足を運びたいものです。



115系王国の信州へ

2013年05月05日 23時53分20秒 | その他
先日、新潟の115系について述べましたが、新潟地区と同様に甲信越地方も主に115系が活躍しており、113系や115系などの近郊形形式の好きな方にとっては堪りませんが、今年3月のダイヤ改正により211系が営業開始され、115系の活躍の場が今後少なくなることが予想されることから、これから少しでも記録を残しておくべき時期に来ているということで、3月のダイヤ改正前後に足を運んで参りました。

3月2日、ムーンライト信州で松本に到着すると篠ノ井線の霜取電車として有名になった湘南色のクモヤ143-52が2番線にスタンバイしており、今では鉄道雑誌でも紹介されることが多いことからなのかギャラリーも多く撮影しておりました。
この車両はもともとクモニ143から改造されたもので、あとで紹介する辰野線のクモハ123-1も同じクモニ143からされたものですが、こちらの車両はとりあえずのところ廃車になることはないようです。


夜が明けるのを待ってから、3月のダイヤ改正で引退するクモハ123-1を撮影するということで、塩尻の南東側に位置するΩカーブで狙うことにしました。やはりこちらはダイヤ改正により引退することが報道されていたこともあり、多くのギャラリーが集まっていました。MT57という独特のモーター音を山あいにこだまさせながら通過していきましたが、123系はダイヤ改正以後、小野田線や宇部線などで活躍するのみとなりました。


続いて長野の115系を撮影しようということで八ヶ岳と一緒に撮影できる長坂のカーブへ行ってみました。以前であればスカ色の115系も順光の時間にこの場所で撮影できたはずですが、最近(ダイヤ改正前後でも)ではこの良い時間に通過することはないようで、来るのは長野色の115系ばかりです。
下の写真は6両編成のC編成で、3月のダイヤ改正で大きな変化はないようですが、今後211系によって置き換わってしまうのか気になるところです。


新潟へ遠征した4月も長野、松本を通って帰ってきましたが、しなの鉄道ではダイヤ改正以後、JRから2両編成の115系が転入し(まだ譲渡されていないようです)、ワンマン列車を中心に使用されています。今のところ長野色のまま活躍しているようで、朝のラッシュ時においては3両編成のしなの鉄道カラーの115系と併結され、長野色+しなの鉄道カラーのコンビネーションが見られるようです。


南松本駅前にあるイイダヤ軒のそばを食べてみたいということで、115系の撮影と兼ねて寄ってみました。ダイヤ改正以後はE127系が篠ノ井線や茅野以北の中央東線などにも進出しているため、かつて115系で運転されていた列車がE127系によって運転されているようで、日中の篠ノ井線においてはほとんどがE127系に置き換わっているようです。


来年のダイヤ改正において、更に115系の活躍の場が少なくなることが予想されますし、JR東海の管轄である中央西線や飯田線への115系運用もいずれは置き換えられてしまいますので、今年、来年が勝負の年ということを念頭に置き、甲信越地方にも通い詰めたいと思っております。

115系王国の新潟へ

2013年05月01日 00時01分03秒 | その他
本日も約1ヶ月前のことになりますが、18きっぷをフィリピンに行く前に消化せねばということで仕事を急いで終わらせ、3月31日夜「ムーンライトえちご」に乗車し、4月1日、2日と新潟、長野地区で活躍する115系を撮影することにしました。
新潟地区は長野地区とともに現在も115系が主たる形式ですが、今後、東海道線や東北・高崎線で活躍していた211系が新潟地区にも導入され、新型車両も導入が計画されているようですので、数年後にはこれらの形式によって115系が置き換えられることが予想されます。ですので、今のうちにバラエティ豊かな115系を追ってみることにしましたが、昨年夏に新潟に訪れた時と同様に私としての最大の獲物は湘南色の115系です。

新潟駅には夜も明けきらない5時前に到着し、湘南色の115系(L6編成とN2編成)を撮影したいがためにどの運用に充当されているのか確認することから始めるのですが、全くどの運用に入っているのかわかりません。まずは信越線上りで長岡へ戻るか越後線で吉田方面を目指すかいくつか選択肢はありましたが、何となく越後線で見ることができるのかと思い、越後線の始発列車に充当された弥彦線用の115系で吉田方面へ行ってみることにしました。吉田まで途中駅で湘南色の編成と擦れ違うことなく吉田駅に到着すると2番線にはN2編成の湘南色の信越線羽生田行きが滞泊していました。あまり労せず見つけることができ、しかも羽生田行きですので弥彦線経由で東三条まで行って、そこから信越線の羽生田以北でこの湘南色編成の羽生田折り返し列車の撮影が可能ということがわかりました。
とりあえずはあまりきれいには撮影できませんでしたが、代表する新新潟色と新潟色が並びましたので、3ショットを狙ってみました。


弥彦線に乗車し、東三条から新潟方面へと向かい、撮影する上で良い場所がないかと探していましたが、この日はいい天気にも恵まれ光線状態の良い場所がなかなか見つかりませんでした。結局、新津まで行ってしまい、そこから再び戻って光線状態の最も良い矢代田で撮影してみることにしました。時刻は既に9時を過ぎており、正面にあまり光があたっていませんが、新潟色とコンビを組んでいる姿を撮影することができました。


湘南色の撮影後は新潟に転属してきたばかりの長野色N27編成がもしや運用に就いているのではないかということで、列車の中から新潟車両センター内の様子を眺めてみると確かにその編成は確認できましたが、動く様子もないようですので諦めて白新線の佐々木へ行ってみることにしました。
この佐々木駅周辺は良い撮影地として知られていますが、私も一度は雪を冠った飯豊山地といっしょに撮影してみたいということで2時間あまりここで撮影していました。


その後、新潟へ戻り、昨年の夏と同様に越後線の信濃川橋梁で撮影してみることにしましたが、その前に153M(新潟14:35着)に弥彦線用の115系がいまだに充当されているのか確認してみましたが、下の写真のように現在もなお充当されており、珍しい存在となっています。


信濃川橋梁で午後3時から5時過ぎまで撮影していましたが、E127系もたまに通過するものの115系が主で、編成も3+3や2+4、塗装も新潟色と新新潟色による共演が見られました。ただ、残念ながらこの日まだ確認ができていなかったもう1本の湘南色L6編成は目にすることなく、この日の朝に撮影したやはり湘南色のN2編成は夕方からの運用において編成の先頭に出て撮影することは無理でした。


湘南色N2編成の翌日の運用はよくわかっていませんでしたが、編成の先頭に出て、しかも順光で撮影することは難しいのかと思い、信越線高田に泊まってみることにしました。
信越線直江津以南では主に長野色の115系が活躍しており、新潟の115系が妙高高原まで乗り入れているため、対向式の高田駅であれば長野色の115系と新潟地区の115系とのツーショットを朝の通勤時間帯に難なく撮影できるということで狙ってみましたが、最初の7時頃の並びは若干寝坊してしまい間に合わず、その後8時ちょっと前にある並びで撮影することができました。


上のようなシーンもあと何年見ることができるのかわかりませんが、今後も湘南色や新潟に転出した長野色の115系の動向にも注目し、貴重なシーンを追い求めていきたいと思っております。

去り行く国鉄型を追って(信州編)

2013年01月12日 21時20分00秒 | その他
昨年暮、JR各社から今年3月ダイヤ改正の概要が発表されましたが、ダイヤ改正の度に国鉄時代に製造されたいわゆる国鉄型の形式が消えて行き、今回の改正においてもご承知のとおりJR東海の117系(イベント用は除く)やJR東日本の123系などが一線から退きます。

と言うことで仕事もちょうど片付きましたし、18きっぷも2日分ありましたので、これらの去り行く車両を9~10日にかけて乗車&撮影を楽しんでみることにしました。今回、追っかけてみることにしたのが先程も申し上げましたように主に辰野と塩尻に運行されている123系ことクモハ123-1とJR東海の117系です。

9日朝4時過ぎに自宅を出発し、町田駅まで約45分の長い道のりを歩き、横浜線の始発列車に乗車すると中央線の普通列車を乗り継ぎ、塩尻には9時ちょっと前に到着しました。
まずは123系を楽しもうと来たものの私は103系以外はにわかマニアであるため、どこかで簡単に走行写真を撮影できれば良いかなということで、駅からそれほど遠くないところで1枚撮影してみました。


その後は時刻表をよく見た結果、塩尻~岡谷~辰野~塩尻の1周をタイミング良く乗り継ぐことができるので、そのような行路で乗車してみることにしました。辰野に到着するとクモハ123-1は3番線に停車しており、車内には地元の方と私のようなマニアの方、計10人ちょっとが発車を待っておりました。この形式は言うまでもなく荷物車や事業用車などから改造された形式であり、元々、一般の乗客が乗車する車両ではありませんでしたが、たった1両で動くことから身延線や宇野線、小野田線など全国の閑散区間で柔軟に運用されておりました。また、この形式は一部の車両を除いて、電動機がMT54にも音がちょっと似ているMT57という特殊なものを搭載し、音鉄マニアにとっては貴重な存在ではないかと思います。


列車は定刻に発車し、右に大きくカーブしたのち進路を北に進みました。路線名のとおり今でも「中央本線」なのですが、1983年(昭和58年)の塩嶺トンネルの開通により画期的に所要時間が短縮され、盲腸線のように取り残されてしまったこの区間は地元の人しか使わない鄙びた路線に変貌してしまいました。この塩嶺トンネルができる前の様子を覚えている人は少なくなったと思いますが、私が高校生だった頃は夏の合宿で信州を訪れた際、165系の急行「アルプス」でこの旧線を時間をかけてうねうねと通り、善知鳥トンネルを抜けたあと見えた雄大な白銀の北アルプスの山々の姿を思い出します。Ωカーブを抜けると間もなく終点塩尻に到着しました。わずか20分でしたが、沿線や駅では平日にもかかわらず撮影されている方が見られ、フィナーレが近づいていることを実感しました。


このあとは3月のダイヤ改正で信州地区に211系が登場し、115系の去就も注目されていますので、塩尻から松本へと向かいました。時間的にはお昼も近くなりましたので、信州と言えば「そば」ということで、大糸線ホームにある駅そばで昼食に。駅そばで格別美味しいと言えるほどの店はなかなかないかと思いますが、信州の駅そばはある程度美味しいお店が多いようで、中でも上田駅の「そば処ちくま」や南松本駅の「イイダヤ軒」(駅弁も販売しているお店で、松本駅近くにもお店があります)は美味しいお店だったということを記憶しております。もちろんこの大糸線ホームにある「大糸ホームそば店」も美味しく、鮮やかな信州色を纏った115系が駅構内を行ったり来たりしている様子を見ながら、そばを美味しく啜っておりました。


昼食後は松本車両センター内の様子を見るために、駅の南側にある陸橋から眺めてみることにしましたが、先程述べました123系と兄弟である湘南色のクモヤ143-52はこの陸橋から離れたところに留置されており、まともに撮影することはできませんでした。何しろこの陸橋の架替工事が行われた以降はまともに撮影することができなくなり残念です。このクモヤ143-52も冬季期間の土曜日・休日に篠ノ井線において霜取電車として活躍しているようですが、最近、JR東では事業用車を少しずつ廃車にしており、ダイヤ改正を機会に211系の登場と篠ノ井線にE127系が運行されますので、この車両も密かに消えてしまうのではないかと危惧しております。

このあとは松本から大阪を目指すのですが、本当は信州色の115系で中央西線の中津川まで乗車してみたかったのですが、この列車は松本を15:35に出発し、大阪には23時頃の遅い到着になりますので、1本前の松本14:30出発の列車で名古屋方面へ向かい、名古屋で風前の灯になってしまった117系に乗車するということにしました。
続きは次回述べたいと思います。



湘南色の115系を求めて新潟や奥多摩路へ

2012年08月27日 23時58分07秒 | その他
今月に入ってから仕事も落ち着いてきましたので、3週間程前の週末に103系などの撮影で、広島、大阪へと参りましたが、その後の週末も湘南色の115系を求めて新潟と青梅線に運行された快速「むさしの奥多摩」号の撮影に行って参りました。

昨年、房総地区で活躍していた113系も209系によって置き換えられ、113系が一掃されましたが、最近では東海道線や高崎線・東北線にE233系が投入され、房総各線に対しては引き続き209系が投入された結果、これらの各線区で活躍していた211系が長野や新潟などで活躍している115系と置き換わるのではないかと推測されています。国鉄時代に製造された115系も既に30年以上が経ち、いよいよJR東日本の115系の活躍も数年で見れなくなるのではないかと思い、ムーンライト信州を使って長野経由で、新潟へ向かってみることにしました。

10日朝早く、ムーンライト信州で松本でまずは降車し、松本運輸区内に留置されている車両を観察したのち、篠ノ井線下り始発列車で長野へと向かいました。この列車は115系の2+3両の5両編成で、終点の長野に到着すると分割作業を行ったのち、直江津方3両は信越線妙高高原行きとなり、松本方2両は行先が「回送」と表示されていますが、車内には数人の乗客が座っておりました。妙高高原行きが発車したのち、この回送表示の2両がすぐに直江津方面へと発車していきましたが、この列車は皆さんもご承知のように長野総合車両センターの職員輸送用の列車でした。
2年ぐらい前までは7番線の隣にスカ色のクモユニ143、1両をよく目にしていましたが、現在ではそのクモユニ143による職員輸送も廃止されてしまったのか、115系などによる輸送に変更されているようです。

下の写真は115系2両編成による長野総合車両センター行き職員輸送列車です。
私は松本からこの2両編成に乗車し、長野到着後、回送列車になりますとの車内アナウンスにもかかわらず、座ったままの乗客がいましたので、いぶかしく観察しておりましたが、この回送列車が職員列車になるとは最初は想像ができませんでした。


長野地区の115系も撮影しておきたいところですが、長野地区と同様に115系王国の新潟地区が今回の目的地ですので、すぐに直江津経由で新潟へと目指しました。新潟地区の115系は運用範囲が広く、今回、私が最大の獲物と考えていた湘南色の115系2編成(N2、L6)がどこを走っているのか知る由もありませんので、まずはその湘南色がどこにいるのか確認することが先決でした。ということで運用範囲の端から確認すればどこかで目撃できるのではないかということで、直江津から信越線経由で新潟を目指すことにしましたが、まず長岡で留置されているL6編成を発見し、新潟車両センターにおいては3+3に組成されたN2編成を難なく発見することができました。
今年7月号のレイルマガジンに115系の運用表が掲載されていましたので、その運用表を元に推測をしてみることにしました。運用は4両編成のL編成で13運用、3両編成のN編成で27運用におよびますが、その中で先程のそれぞれ2編成の状況から、その後どの運用に充当されるのか推測できたのですが、私の運用の見間違いにより思わぬ失敗をしてしまいました。(この失敗談はのちほど)

新潟駅に到着するとまずは有名な撮影地ですが越後線の信濃川橋梁へ行ってみることにしました。私は新潟で撮影する場合、新潟駅から徒歩でこの信濃川橋梁で撮影することが多いのですが、駅からあまりにも遠いのでレンタサイクルできるところはないかと探してみました。新潟駅万代口を出て左側1分ほどのところに「にいがたレンタサイクル」があり、3時間まで100円で借りることができました。歩いて行くとなると30分近くかかるのですが、自転車では僅か5分ちょっとでこの橋梁に到着しました。時刻は14時ちょっと廻っていましたが、撮影地に着いてみると光線状態は白山駅側(左岸側)から撮影しないと順光にならないため、下流側に一旦下って大回りする形で橋を渡り、白山駅側へと向かいました。(最初から列車で白山駅で降車したほうが良かったかもしれません)

まず目撃できたのが、後追いですが弥彦線用の115系で、以前からこの時間帯に新潟行きの列車が設定されています。


データイム、越後線にはE127系が多く運行されていますが、14時以降になる115系の列車が多く、かつ2編成を組成した列車が多いため、新潟地区に在籍するあらゆる115系を見ることができます。塗装も現在の白地に緑帯の新潟色とリニュアール編成の新新潟色が程好い比率で在籍しているため、下の写真のような新新潟色+新潟色の編成をよく見ることができます。


運用表から私なりに推測した結果、4両L編成の湘南色は16:50に新潟駅へ戻ってくることはわかっていましたので、その湘南色を確認するため自転車を返却し、新潟駅へと行ってみました。1番線にはその編成が停車しており、その隣の2番線にも新新潟色の115系が停車していたのですが、吉田側を確認してみると3両N編成の湘南色が併結されており、予期もせぬ湘南色のツーショットが見られました。どうも私はこのN編成湘南色の運用を見間違えてしまったようで、偶然にもこのようなシーンを拝むことができるとは思ってもいませんでした。(写真だけですと高崎支社のどこかの駅にも感じますが)


しかしながら、このN編成は越後線にそのまま充当されましたので、先程まで撮影していた信濃川橋梁に居れば、順光で湘南色を先頭とする見事な姿を撮影できたのですが、それが出来なくなり非常に悔やまれます。そのような絶好なチャンスを逃した悔しさは残りますが、次の日の朝もこのままの編成でこの信濃川橋梁を渡りますので、晴れなければある程度綺麗に撮影できるのではないかと行ってみました。多少曇っていたものの薄日が射す中、リベンジとまでいきませんが撮影することができました。


この日、L編成は朝のみの短い運用に充当されましたので、このN編成のみを追いかけたのですが、内野で折り返したあとは新潟行きとなり、新潟駅で1時間30分ほど留置されたのち、長岡行きとなりますが、いずれも編成の先頭に湘南色編成が位置しません。しかしながら、この編成は長岡での留置後、分割され単独編成で新井行きに充当されましたので、その姿を狙ってみました。


ということで今回は新潟のリバイバル湘南色115系を中心に追っかけてみましたが、今後もしばらくはこの湘南色が活躍すると思われますし、予備車に余裕がなくなれば先月まで見られたように高崎から湘南色の3両を借り受け、新潟の湘南色3両編成(N編成)と組成した上で、毎日同じ変則運用に充当されるようなサプライズを期待しつつ、形態的にもバラエティー豊かな新潟地区の115系の姿をできるだけ多く撮影しておきたいものです。

最後に先日19日も大宮~奥多摩間に運転された快速「むさしの奥多摩」号を撮影してみました。
2006年以来の湘南色115系による運転となり、私としても喜んでおりましたが、秋の臨時列車でも快速「むさしの奥多摩」号が運転されることになり、今度は豊田のスカ色115系6両編成が充当されるとのことです。


奥多摩からの回送においては立川方の表示が古里まで「回送」であったものの、この石神前~二俣尾間では嬉しいことに「快速」という表示でした。



ありがとう119系、さよなら119系

2012年03月21日 02時12分49秒 | その他
1月下旬の東海道線211系の記事以来、仕事のほうが忙しくなり更新ができず、大変申し訳ありません。
仕事のほうが忙しいだけで、健康上は問題なく過ごしておりますが、私の性格上仕事に集中してしまうとどうも趣味のほうに没頭できないものですから、その点お許しいただけたらと思っております。
仕事のほうは今でも忙しい状況が続いておりますが、ようやく少しずつ撮り鉄もできるようになってきましたので、少しずつ気になることをブログ上で紹介していきたいと思います。
と言っても日本国内でしたら、今話題になっていることがブログや地元の方々のホームページで紹介されていますので、特に私のほうで取り上げなくても良いのではないかと思いますが、私も久しぶりに撮り鉄などを行ってきましたので簡単に紹介させていただきたいと思います。

本日は今年3月で引退する飯田線、中央線で活躍した119系を取り上げたいと思います。
皆様も既にご存知のようにダイヤ改正前の3月16日で定期運用が終了し、水色のE4編成が今月実施されているイベントで運行されるのみとなりましたが、そもそもこの119系は飯田線の旧型国電を置き換えるために国鉄末期であった1982年(昭和57年)暮れに登場し、約30年に渡って伊那谷の主として君臨してきました。この当時、通勤形では201系が新製されていた頃で冷房装置が搭載されているのはあたり前でしたが、地方路線の車両置き換えに対しては国鉄の財政事情を反映しているのか宇部・小野田線や可部線、福塩線の105系、身延線の115系2000番台の新製配置に際しても冷房装置は搭載されておらず、新型車に置き換えられたものの夏の暑い時期は床下の抵抗器からの熱風とともに熱風地獄を味わったものでした。
しかしながら、私にとっては105系も今回紹介する119系も電動機が103系と同じMT55とあって、103系の音好きにとっては何とも嬉しいもので、119系が登場した当時、夏は窓を開けて天竜川の景色や伊那谷の景色を楽しむと同時に119系のサウンドを堪能したものでした。

ということでデビュー当時の写真を2枚ほど掲載しますが、この当時、119系はMc Mc T'cの3両編成とMc T'cの2両編成が用意され、101系の改造によって登場したクモユニ147を引き連れて活躍したいました。


下の編成はクモユニ147+Mc T'c+Mc T'cでしょうか。身延線に登場したワインレッドの115系2000番台でもクモユニ143を引き連れた姿を目にすることができ嬉しいものでした。左に写っているのはやはり旧型国電の置き換えで配置された165系です。


続いて湘南色の115系が飯田線から引退する2008年3月にあわてて木曽駒ヶ岳といっしょに撮影できる七久保のカーブへ撮影に行った時のものです。今改正前にもう一度この場所で定期列車を撮影したいと思っていましたが、仕事の忙しさと119系の運用との絡みで巡り合わせが悪く叶いませんでした。


ならば3月10日、11日に飯田~伊那市間に運転される「ありがとう119系記念号」だけでもと思い11日始発列車で各駅停車を乗り継いで、上片桐へ行ってみることにしました。ろくに下調べもせずに伊那松島から飯田への送り込みの時間がわからなかったのですが、木曽駒ヶ岳といっしょになんとか撮影することができました。


この辺は順光とあってギャラリーが集結し大変な賑わいで、伊那谷東側に聳える南アルプスと絡めて撮影されている方が多いようでしたが、私もヘタクソながら撮影してみました。


列車通過後は飯田寄りにある鶴部のカーブで待ち構えていたのですが、冬型の気圧配置が強まり、雪雲が中央アルプスを越えて時より雪が降り、南アルプスにはその雪雲が届かないようで、向こう側に見える南アルプスの山々が明るいというアンバランスな状態になってしまいました。


昨日20日も豊橋へ行ってみましたが、18日から31日までの土休日に豊橋~豊川間に運転される「119ファイナル号」を撮影してみました。
豊橋~豊川間は撮影する場所がありませんので、新城への回送を撮影するため東上~野田城のカーブで狙うことにしましたが、線路沿いの畑では菜の花が咲いているとあってこの菜の花を絡めて撮影されている方が多いようでした。


新城駅で停泊中の119系を撮影したのち、タイガーロープが僅かにない牛久保駅近くで待ち構えることにしましたが、豊橋~豊川間ではほとんどタイガーロープがあり撮影には不向きのようです。


下の写真はダイヤ改正前の12日に撮影したもので、豊橋~豊川間のシャトル列車は119系単行が使用されていましたが、改正後は119系は充当されることがないようで、もうこのような姿を見ることができないかと思われます。


ほとんどの119系が西浜松に集結し、廃車を待つばかりのようですが、私としては寂しいかぎりです。飯田線で唯一国鉄型が使用されている長野色の115系に頑張ってもらいたいところですが、首都圏の211系の置き換えが行われているところですので、その211系が信州エリアに進出するようなことになれば115系も廃車に追い込まれますので、私にとってはますます寂しくなります。