Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

103系投入当初の頃の南武線Part4

2013年05月29日 23時29分56秒 | 南武線
本日は久しぶりに南武線の103系投入当初の思い出について述べていきたいと思います。
103系投入当初の頃の思い出については今から6年前にいろいろと述べましたので、詳しいことについては過去の記事をご覧いただければと思いますが、南武線に初めて103系が投入された当時は私はまだ高校生であり、南武線を利用して学校へ通っておりました。101系オンリーだった南武線において103系は電動機やコンプレッサー、ブレーキの緩解などあらゆる面で私にとって新鮮であり、かつ衝撃的な出来事でしたので、できるだけ103系に乗車するように心がけておりました。
103系が南武線に投入されることを知ったのは、103系が投入される前の昭和57年5月だったと思いますが、豊田区からオレンジ色でそのまま転入されるのであろうと思っていたところ、最初の1編成はカナリアに色替えの上転入するとは思ってもいませんでした。当時、鹿島田から登戸まで南武線に乗車し、中原電車区の様子を見ながら通っていましたが、6月12日頃かと思いますがカナリア色のT'c526の1両が車庫の南側の留置線にポツンと留置され、行先表示が「奥多摩」を表示していたかと思いますが、私にとっては衝撃的なシーンでありました。その後、残りの5両もカナリア色で転入し、1編成が組成できるような状態になりましたが、6両貫通編成ではなく3+3編成で登場することになりました。
6両が揃ったところで、あとは営業につく段階となった時、どうしても初の営業に乗車してみたいと思い、中原区に尋ねて教えていただきました。
それは今でも忘れられない7月23日の1740デからですが、この41運用は武蔵中原→川崎→登戸→回送→宿河原(夜間滞泊)と短い運用とわかっていたものの、やはり103系好きにとっては絶対乗るべきということで、武蔵中原駅に出区の数分前にホームで予め待ち続けていると真新しいカナリアの103系が入線しました。私は川崎寄り2両目のM'260に乗車し、川崎で折り返したのち、そのまま登戸まで乗車し、初の103系乗車を堪能しました。

下の写真は初の営業運転を終え、宿河原へ回送される前のシーンで、編成はMc121 M'260 T'c526 Mc57 M'157 T'c528です。
最初の編成の電動機は全てMT55(低音)でしたが、川崎寄りのMM'ユニットと立川寄りのMM'ユニットで音が異なり、立川方のほうが若干高い音であったことを記憶しています。(明らかにMT55Aではない)


ここで、南武線103系第1陣の車両番号と転入日を下記のようにまとめました。
昭和57年6月11日 T'c526(カナリア)
昭和57年6月16日 Mc121 M'260(カナリア)
昭和57年7月6日 Mc57 M'157(カナリア)
昭和57年7月17日 T'c528(カナリア)
昭和57年7月31日 T142(カナリア)
昭和57年8月11日 Mc69 M'177 T760 M167 M'314 T'c525(オレンジ)
昭和57年8月17日 Mc46 M'142(オレンジ)
昭和57年8月21日 Mc54 M'153 T168 M'149 M'280 T'c582(オレンジ)
昭和57年8月28日 T771(カナリア)
昭和57年10月14日 M749 M'2006 T770(オレンジ)
昭和57年11月9日 M165 M'310(オレンジ)
昭和57年12月14日 Mc42 M'135 T211 M93 M'132 T'c608(オレンジ)
昭和57年12月17日 T759(カナリア)
昭和57年12月26日 Mc55 M'154 T761 M170 M'325 T'c507(オレンジ)
昭和57年12月28日 Mc11 M'84(カナリア)
昭和58年1月7日 T767(カナリア)
昭和58年1月19日 Mc53 M'152 T'c523 T'c614(オレンジ)
昭和58年2月1日 Mc59 M'160 T'c513 M103 M'164 T'c576(オレンジ)
昭和58年2月23日 Mc58 M'158 T766 M142 M'267 T'c515(オレンジ)
昭和58年3月1日 Mc84 M'200 T'c539 Mc56 M'156 T'c510(オレンジ)
昭和58年3月23日 Mc85 M'201 T210 M96 M'141 T'c509(オレンジ)
以上71両が豊田区から中原区に転入しました。

オレンジ色のMc69~の編成が2本目として営業に就き、同じくオレンジ色のMc54~の編成が3本目として営業に就きましたが、私はこの3本目の編成がお気に入りであり、昭和58年10月まで長きに渡り車両の差し替えがなくオレンジ1色で維持し続けました。


豊田区から中原区に転入する103系は大部分が3+7の編成からでしたが、昭和57年8月~10月にかけて、10両貫通編成のうちの一部の車両が転入し、方向幕のないT770とT771(1次冷改)の異端児と当時、南武線では唯一のユニット窓で電動機がMT55AのM749 M'2006が転入しました。もちろん私はこのM749 M'2006のユニットがお気に入りであり、電動機と消音器の付いたコンプレッサーの音が好きでしたが、晩年の頃は松戸区に転出し、いつの間にか低音のMT55に換装され、車両番号と同じ2006年まで活躍し、常磐線さよなら103系としても活躍した車両でもあります。


103系投入当初の頃はオレンジ色同士の並びも珍しくなく、101系非冷房のオレンジ色との並びも見られましたが、残念ながら101系と103系のオレンジ色同士の並びは撮影しておりません。


以前にも述べたことがありますが、Mc85が転入してきた当時、なぜか山側の乗務員扉が黄色のものとなっており、中原区の職員に頼み込んで撮影させていただきました。営業に就いた時点では残念ながらオレンジ色の扉になっていました。


T'c608が最も最後にオレンジからカナリアに色替が行われ、昭和59年9月までカナリアとオレンジの混色編成が見られましたが、途中、昭和59年3月にT210とT211が松戸区と豊田区に転出する代わりに松戸区から非冷房のM319 M'475が中原区に転入し、その後、3色混色編成が見られました。


豊田区からの転入が一段落した昭和58年5月1日時点の編成表は以下のとおりです。
(一番左の数字は編成番号で、この当時は編成札は使用していません。)
1 Mc42 M'135 T767 Mc58 M7158 T'c523
3 Mc57 M'157 T211 M93 M'132 T'c608(T211 T'c608はオレンジ)
5 Mc56 M'156 T761 M170 M'325 T'c614(全車両オレンジ)
10 Mc11 M'84 T766 M142 M'267 T'c507(T766 M142 M'267はオレンジ)
12 Mc69 M'177 T760 M'167 M'314 T'c525(全車両オレンジ)
15 Mc84 M'200 T759 M103 M'164 T'c576(T759以外はオレンジ)
18 Mc54 M'153 T168 M149 M'280 T'c582(全車両オレンジ)
21 Mc121 M'260 T142 M165 M'310 T'c528(M165 M'310はオレンジ)
27 Mc85 M201 T210 M96 M'141 T'c515(T'c515以外はオレンジ)

その他(検査など)
Mc53 M'152 T'c509
Mc55 M'154 T'c510
Mc59 M'160 T'c513
T771 T'c539
(T'c513 T771以外はオレンジ)

本日は103系投入当初の頃の思い出や混色劇などを述べましたが、今後も南武線の車両に纏わる面白いエピソード、思い出などがありましたら、写真とともに公開していきたいと思っております。









イベントに引っ張りだこの115系M40編成

2013年05月26日 21時54分33秒 | その他
先日は群馬のローカル線で活躍する湘南色の115系の話題を取り上げましたので、湘南色と同様に国鉄時代から定着しているスカ色の115系の話題について述べてみたいと思います。
スカ色の115系はMc M' T'cの3両編成が豊田に配属され、中央東線、立川~小淵沢間と富士急行、大月~河口湖間で活躍していますが、1編成のみMc M' T M M' T'cの6両編成も配属されており、稀に通常の運用に充当されることもあるようですが、何かとイベント等の列車に充当されることが多いM40編成の最近の動向について見ていきたいと思います。

昨年の秋からの動きを見てみると、昨年10月20日、21日に「なつかしの115系かいじ号」が新宿~甲府間に運行されました。復路は南武線、武蔵野貨物線、新鶴見信号所、山手貨物線を経由しましたが、この区間の走行は夕方であることから、ほぼ走行写真の撮影は無理でした。私も本来であれば南武線内での撮影や南武線205系や209系との並びも狙いたいところですが、無理ということで無難に立川駅で撮影してみました。


続いて、昨年の11月10日、17日、23日、24日に快速「むさしの奥多摩号」が大宮~奥多摩間で運行されました。昨年の夏季においては高崎の115系湘南色4連が使用されていましたが、M40編成に変更されたもののヘッドマークは取り付けられていました。


そして、ごく最近の動きとして、今年のゴールデンウィークも快速「むさしの奥多摩号」がこのM40編成によって運行されましたが、今まで掲示されていたヘッドークは取り付けられませんでした。


今月19日のことになりますが、団体列車「115系満喫の旅号」が東所沢~武蔵五日市~立川~高麗川~拝島~奥多摩~東所沢という経路で運行されました。こちらも残念ながらヘッドマークは取り付けられませんでしたが、五日市線や八高線、青梅線にも入線するということで、スクーターで追っかけてみました。
武蔵五日市近くで撮影したのち、狭山茶で有名な金子付近に広がるお茶畑といっしょに撮影してみました。


続いて、金子から青梅と宮ノ平の有名な撮影地に行ってみましたが、ヘッドマークが取り付けられていないせいか、ギャラリーの方々は数えるほどでした。


上記以外に今年1月26日と2月9日に新習志野~川越間で運転された快速「おさんぽ川越号」が運転されていますが、今年に入ってからこれらのイベント列車にはヘッドマークが付けられておらず、今後、7月から9月にかけて南越谷~鎌倉間で快速「ホリデー快速鎌倉号」が115系によって再度運行されますが、果たして従来使用されていたヘッドマークが使用されるのか注目しております。また、秋以降の動向も気になるところです。


去り行く国鉄型を追って(北関東編)

2013年05月22日 20時33分22秒 | その他
およそ2ヶ月前のダイヤ改正前後のこよになりますが、日光線で今まで活躍していた107系がダイヤ改正を機に引退し、代わりに京葉線で活躍していたメルヘン顔の205系が使用されるということになり、18きっぷを使って撮影に行ってみることにしました。
107系が国鉄型かというといささか問題はありますが、国鉄からJRに民営化されて間もない頃に急行形の165系の廃車部品を使用して誕生した形式であり、105系や119系のように1M方式が採用され、2両、4両、6両と旅客需要にあわせて柔軟に編成を組むことができ、北関東の日光線や群馬のローカル線などで活躍してきました。
しかしながら、1988年の登場から今年で25年目を迎える日光線用の107系も老朽化しているのか、E233系の投入によって余剰となった京葉線のメルヘン顔の205系が日光線用の新たな車両として抜擢され、トイレの設置、パンタのシングルアーム化(霜取りパンタの増設)、ドアの半自動化と開閉ボタンの設置などが行われ、車両番号も新たに600番台に変更されて使用されることになりました。

下の写真は最長6両で活躍する107系で、「ありがとう107系」と前面にステッカーが貼られ、113系や115系などでおなじみのMT54のサウンドも悲しいような響きに感じられました。


ダイヤ改正の3月16日から31日まで1編成のみヘッドマークを付けた車両が運転されることから、もう1度行ってみることにしました。ダイヤ改正の初日から宇都宮線用の湘南色205系が運用に入っていたようですが、私が訪れた日は残念ながら全て日光線カラーが運用に充当されていました。


今後は宇都宮線の黒磯ローカルで活躍している211系も湘南色の205系600番台によって置き換えられるものと思われますが、こちらの必要本数は8編成であり、鉄道雑誌などでもありますように2編成分、どの車両を種車として改造されるのか明らかにされておらず、武蔵野線用のメルヘン顔の車両からとなるのか、それとも埼京線からの車両となるのかなど、今後の動向に注目されています。

日光線の撮影のあとは、群馬のローカル線で活躍する115系や107系を追ってみました。
小山から両毛線に乗り換え、伊勢崎の先の駒形に寄り道してみることにしました。
ここの区間であれば列車の運転間隔はおおよそ30分に1本であり、115系や107系、211系も適度な割合で運転されているため、万遍なく各形式を撮影できます。


湘南色好きの私にとって、高崎の115系はできるだけオリジナルの姿を保ち続けているため、両毛線以外の信越線や上越線、吾妻線でも撮影してみたいのですが、日中においてはおおよそ1時間に1本しか運転されておらず、週末ともなるとSLやDLのレトロ列車も運転されていますので、115系などの電車しか興味のない私にとっては撮影しづらいところでもあります。

下の写真は上越線渋川~敷島間にある利根川の橋梁でありますが、SLの通過する約20分前には高価なカメラとレンズを持ったギャラリーが集まり、肩身が狭く感じてしまいます。
とは言うものの、この群馬のローカル線で活躍する115系や107系もそろそろ置き換えの時期に来ているのではないかと思いますので、この地にもできるだけ足を運びたいものです。



みどりの山手線50周年

2013年05月16日 23時14分13秒 | 他線区の103系
前回は埼京線の車両の話題について簡単に述べましたが、ウグイス色続きということで、ウグイス色の103系が山手線に登場したのが1963年(昭和38年)ですが、今年でちょうど50周年を迎え、それを記念してか山手線で使用されているE231系1編成を103系のようにウグイス色にラッピングされ運行されています。山手線のラインカラーをウグイス色として採用されたのは1963年に登場した103系からで、それまでは総武線などでおなじみのカナリア色が山手線のラインカラーであり、それらは101系で採用されていましたが、のちに中央・総武緩行線へ転出され、山手線にはこのウグイスの103系が大量に投入され、それ以来ウグイス色が山手線のカラーとして定着しています。
私自身も山手線に103系が投入された時期に生まれ、この103系を見ながら幼少時代を過ごしましたが、のちに京浜東北線とともにATC化されることになり、今まで投入開始の頃から使用されたいた低運転台の先頭車は大阪や東京近郊の路線などに転出し、新たにATC準備車の高運転台の車両が山手線などに配備され、子供ながらフェイスの格好良さに感動したものです。前回も申しましたようにウグイス色の103系こそが私の鉄道趣味を開花させたものと思っておりますが、私が小学生の頃、大人になったら山手線の運転士になってみたいと憧れていたものの、高校生の頃に通い詰めていた中原区の運転士から必ず人身事故は1度は経験するからねという言葉を聞いて、すんなりと運転士になることを諦めてしまいました。しかしながら車両自体は今でも103系好きが続いており、かつウグイス色が一番のお気に入りで、山手線以外で横浜線のウグイス色103系や南武線などでのウグイス+カナリア混色編成の思い出は今でも忘れられません。

下の写真は国鉄末期の1985年頃に撮影したもので、この頃から205系が山手線に投入され、103系が他線区に転出されました。


時々、山手線を利用するもののなぜかウグイス色にラッピングされたトウ545編成を見る機会が少なかったのですが、つい10日前ほど初めて撮影と乗車することができました。
今年の12月28日まで、このウグイス色の姿で活躍するそうで、その間このイベントに関連するグッズの販売や催し物も今後あるかと思いますので期待しておりますが、同様に京浜東北線においても現在使用されているE233系をスカイブルーにラッピングして”みずいろの京浜東北線50周年”というイベントを再来年にでも行ってもらえるのではないかと期待しております。


吊革のストラップ部分には山手線の103系の写真が掲出され、当時の思い出がよみがえってきます。
写真は山手電車区と書かれていますが、山手電車区に名称変更された1985年は既にATC化されており、写真は103系の低運ですので、正確には品川電車区とすべきでしょうかね。

去就が注目される埼京線205系の行方は

2013年05月11日 00時26分35秒 | 他線区の103系
東北新幹線建設の見返りとして建設された埼京線(赤羽~大宮間)は1985年に開業し、同時に赤羽線に乗り入れが実施されましたが、開業してから月日が経つのも早く30年近くを迎えようとしております。車両自体も開業当初は山手線への205系投入によってウグイス色の103系がそのまま使用されていたものの、当路線にも205系が1989年から投入され、翌年には全車が205系に置き換わりましたが、その205系も20年以上経過し、いよいよE233系によって置き換える時期に来ております。

下の写真は山手線からウグイス色のまま埼京線に転出された103系で、開業当初、103系の電動機から発生するモーター音が沿線住民の問題として取り上げられることが多いようでしたが、このような問題からかどうかわかりませんが僅か5年ほどで205系化されてしまい、同じウグイス色が使用されていた横浜線も埼京線よりも一足先に205系化が実施され、この時期から急速にウグイスの103系が激減してしまいました。山手線のウグイス色の103系こそが私の鉄道趣味を開花させた原点であり、ウグイス色好きな私にとって残念なことでありましたが、幸いにも川越線・八高線で103系が長く活躍し、関西線においては黄色帯の警戒色がなくなるなどある程度ウグイスの103系で楽しませていただきました。


話しは飛びますが、1989年から投入された埼京線の205系も南武線や横浜線よりも先にE233系によって置き換えられることになり、そのE233系もすでに4編成が出場しているようですが、来月から営業開始される予定で、来年の1月にはE233系への置き換えが完了するようです。全部で31編成が製造される予定のようですので、置き換えのペースは私鉄の会社では考えられないほど早いペースであり、今から撮影しておかないと205系と巡り会うチャンスが少なくなるということで撮影してみました。


また、この埼京線の205系の去就が注目されていると思いますが、私自身も今後の行方を把握しておらず、噂されているように高崎の107系置き換えとして使用されるのか、はたまた他のローカル線用として使用されるのか注目されていますが、今後、それらについては時期を追っていくことによって解明されるのではないかと思いますので、今後のお楽しみということで動向に注目しております。

南武線ウォッチングー稲城市内連続立体交差事業第2期区間進捗状況等

2013年05月07日 23時18分30秒 | 南武線
このゴールデンウィークは時間が取れましたので、久々になってしまいましたが南武線ウォッチングを行ってきました。
まずは稲城市内で現在進められている第2期区間の連続立体交差事業の状況ですが、上り線を高架化させるための工事が進行中で、構造物自体や軌道敷の設置もほとんどの部分で完成しております。今後は架線や信号設備の設置、稲城長沼上り線用高架ホーム完成に向けて工事が行われるかと思いますが、工事は大詰めの段階に来ているような状況かと思われます。

下の写真は稲城長沼駅上り線用ホームの様子を撮影したもので、屋根の設置やホーム上設備の工事が行われている段階です。


立川方では上り線から下り中線へのポイントも設置され、下り中線から本線への部分においてかつてあったバラストも取り除かれています。


今後の予定として、公表されているスケジュールでは平成26年春頃に上り線を高架化(稲城長沼駅上り線は上り中線を使用)、27年春頃には稲城長沼駅2面4線化完成予定で、上り本線が使用可能になる予定ですが、実際の動きとしてはもう少し予定が早まりそうで、今年12月までに上り線の高架化が完成し、稲城長沼駅の2面4線化についても前倒し(平成26年内?)になるかと思われます。


現在、快速運転が川崎~登戸間で実施されていますが、矢野口駅の川崎市側にある踏切において、快速列車と各駅列車では警報機が鳴りだす位置が異なりますので、稲城長沼駅の2面4線化が実現された以降に快速列車の運転区間が登戸から稲城長沼に延長されることも予想されます。その際には今後の利用状況に応じて快速の停車駅も決定するかと思われますが、京王相模原線との乗換駅であり、かつ乗降客数の多い稲田堤が快速停車駅になるのではないかと想像しています。また、快速列車運転区間の延長に伴い、快速列車と各駅列車の緩急の接続を武蔵中原もしくは他の駅で実施するのかどうかも気になるところです。

下の写真は大丸踏切より南多摩駅を撮影しましたが、北側の風除けもほとんど完成しているようです。


下の写真は元々富士通のあったところから撮影したもので、ちょうど高架区間の終わる取り付け部分となりますが、南武線を撮影する上では今のところ適した場所です。


最後に上記の連続立体化のこととは関係ありませんが、中原区の209系全車に対して更新工事を行うとJR側は公表しておりますが、南武線生え抜きのナハ32編成は快速列車の運転が実施される前に行先表示がLEDに変更されたものの更新工事がいまだに実施されず、今後、更新工事を行うことになるのか、それとも廃車になってしまうのか、今後の動きに注目しております。





115系王国の信州へ

2013年05月05日 23時53分20秒 | その他
先日、新潟の115系について述べましたが、新潟地区と同様に甲信越地方も主に115系が活躍しており、113系や115系などの近郊形形式の好きな方にとっては堪りませんが、今年3月のダイヤ改正により211系が営業開始され、115系の活躍の場が今後少なくなることが予想されることから、これから少しでも記録を残しておくべき時期に来ているということで、3月のダイヤ改正前後に足を運んで参りました。

3月2日、ムーンライト信州で松本に到着すると篠ノ井線の霜取電車として有名になった湘南色のクモヤ143-52が2番線にスタンバイしており、今では鉄道雑誌でも紹介されることが多いことからなのかギャラリーも多く撮影しておりました。
この車両はもともとクモニ143から改造されたもので、あとで紹介する辰野線のクモハ123-1も同じクモニ143からされたものですが、こちらの車両はとりあえずのところ廃車になることはないようです。


夜が明けるのを待ってから、3月のダイヤ改正で引退するクモハ123-1を撮影するということで、塩尻の南東側に位置するΩカーブで狙うことにしました。やはりこちらはダイヤ改正により引退することが報道されていたこともあり、多くのギャラリーが集まっていました。MT57という独特のモーター音を山あいにこだまさせながら通過していきましたが、123系はダイヤ改正以後、小野田線や宇部線などで活躍するのみとなりました。


続いて長野の115系を撮影しようということで八ヶ岳と一緒に撮影できる長坂のカーブへ行ってみました。以前であればスカ色の115系も順光の時間にこの場所で撮影できたはずですが、最近(ダイヤ改正前後でも)ではこの良い時間に通過することはないようで、来るのは長野色の115系ばかりです。
下の写真は6両編成のC編成で、3月のダイヤ改正で大きな変化はないようですが、今後211系によって置き換わってしまうのか気になるところです。


新潟へ遠征した4月も長野、松本を通って帰ってきましたが、しなの鉄道ではダイヤ改正以後、JRから2両編成の115系が転入し(まだ譲渡されていないようです)、ワンマン列車を中心に使用されています。今のところ長野色のまま活躍しているようで、朝のラッシュ時においては3両編成のしなの鉄道カラーの115系と併結され、長野色+しなの鉄道カラーのコンビネーションが見られるようです。


南松本駅前にあるイイダヤ軒のそばを食べてみたいということで、115系の撮影と兼ねて寄ってみました。ダイヤ改正以後はE127系が篠ノ井線や茅野以北の中央東線などにも進出しているため、かつて115系で運転されていた列車がE127系によって運転されているようで、日中の篠ノ井線においてはほとんどがE127系に置き換わっているようです。


来年のダイヤ改正において、更に115系の活躍の場が少なくなることが予想されますし、JR東海の管轄である中央西線や飯田線への115系運用もいずれは置き換えられてしまいますので、今年、来年が勝負の年ということを念頭に置き、甲信越地方にも通い詰めたいと思っております。

115系王国の新潟へ

2013年05月01日 00時01分03秒 | その他
本日も約1ヶ月前のことになりますが、18きっぷをフィリピンに行く前に消化せねばということで仕事を急いで終わらせ、3月31日夜「ムーンライトえちご」に乗車し、4月1日、2日と新潟、長野地区で活躍する115系を撮影することにしました。
新潟地区は長野地区とともに現在も115系が主たる形式ですが、今後、東海道線や東北・高崎線で活躍していた211系が新潟地区にも導入され、新型車両も導入が計画されているようですので、数年後にはこれらの形式によって115系が置き換えられることが予想されます。ですので、今のうちにバラエティ豊かな115系を追ってみることにしましたが、昨年夏に新潟に訪れた時と同様に私としての最大の獲物は湘南色の115系です。

新潟駅には夜も明けきらない5時前に到着し、湘南色の115系(L6編成とN2編成)を撮影したいがためにどの運用に充当されているのか確認することから始めるのですが、全くどの運用に入っているのかわかりません。まずは信越線上りで長岡へ戻るか越後線で吉田方面を目指すかいくつか選択肢はありましたが、何となく越後線で見ることができるのかと思い、越後線の始発列車に充当された弥彦線用の115系で吉田方面へ行ってみることにしました。吉田まで途中駅で湘南色の編成と擦れ違うことなく吉田駅に到着すると2番線にはN2編成の湘南色の信越線羽生田行きが滞泊していました。あまり労せず見つけることができ、しかも羽生田行きですので弥彦線経由で東三条まで行って、そこから信越線の羽生田以北でこの湘南色編成の羽生田折り返し列車の撮影が可能ということがわかりました。
とりあえずはあまりきれいには撮影できませんでしたが、代表する新新潟色と新潟色が並びましたので、3ショットを狙ってみました。


弥彦線に乗車し、東三条から新潟方面へと向かい、撮影する上で良い場所がないかと探していましたが、この日はいい天気にも恵まれ光線状態の良い場所がなかなか見つかりませんでした。結局、新津まで行ってしまい、そこから再び戻って光線状態の最も良い矢代田で撮影してみることにしました。時刻は既に9時を過ぎており、正面にあまり光があたっていませんが、新潟色とコンビを組んでいる姿を撮影することができました。


湘南色の撮影後は新潟に転属してきたばかりの長野色N27編成がもしや運用に就いているのではないかということで、列車の中から新潟車両センター内の様子を眺めてみると確かにその編成は確認できましたが、動く様子もないようですので諦めて白新線の佐々木へ行ってみることにしました。
この佐々木駅周辺は良い撮影地として知られていますが、私も一度は雪を冠った飯豊山地といっしょに撮影してみたいということで2時間あまりここで撮影していました。


その後、新潟へ戻り、昨年の夏と同様に越後線の信濃川橋梁で撮影してみることにしましたが、その前に153M(新潟14:35着)に弥彦線用の115系がいまだに充当されているのか確認してみましたが、下の写真のように現在もなお充当されており、珍しい存在となっています。


信濃川橋梁で午後3時から5時過ぎまで撮影していましたが、E127系もたまに通過するものの115系が主で、編成も3+3や2+4、塗装も新潟色と新新潟色による共演が見られました。ただ、残念ながらこの日まだ確認ができていなかったもう1本の湘南色L6編成は目にすることなく、この日の朝に撮影したやはり湘南色のN2編成は夕方からの運用において編成の先頭に出て撮影することは無理でした。


湘南色N2編成の翌日の運用はよくわかっていませんでしたが、編成の先頭に出て、しかも順光で撮影することは難しいのかと思い、信越線高田に泊まってみることにしました。
信越線直江津以南では主に長野色の115系が活躍しており、新潟の115系が妙高高原まで乗り入れているため、対向式の高田駅であれば長野色の115系と新潟地区の115系とのツーショットを朝の通勤時間帯に難なく撮影できるということで狙ってみましたが、最初の7時頃の並びは若干寝坊してしまい間に合わず、その後8時ちょっと前にある並びで撮影することができました。


上のようなシーンもあと何年見ることができるのかわかりませんが、今後も湘南色や新潟に転出した長野色の115系の動向にも注目し、貴重なシーンを追い求めていきたいと思っております。