Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

富士急行線で力走する201系四季彩

2008年06月22日 10時46分57秒 | その他
先日、お伝えしましたように21日(土)は富士急行線内で最後と思われる201系四季彩の活躍のシーンを求めて出撃しました。20日の天気予報では22日の方が降水が少ないという予報でしたが、21日朝の降水予報や天気予報分布で確認したところ、21日の方が曇りベースに近いため、急遽愛用のスクーターで出撃することになりました。町田では朝9時頃まで雨が降っていたため、もちろん立川から河口湖へ向う列車は撮らえることを諦めていました。9時30分に自宅を出発し、国道16号、国道413号を経由したのですが、城山付近で道を間違えてしまいました。私が幼い頃はよく津久井へ行く時には父親の運転する車に乗ってこの道を通っていたのですが、この国道413号を通るのも10年以上も通っていませんでしたので、新しい道路もできたせいなのか、記憶が曖昧なのかわかりませんが、道を間違えてしまったことにすぐに気づきました。とにもかくにも相模湖駅で国道20号を左折し、中央線のロケハンをしながら、まずは大月駅へと向いました。大月駅には12時前に到着。201系四季彩の線内運行の時刻を確認し、今年の2月に撮影した三つ峠~寿へ向いました。12時30分前には到着できたのですが、四季彩が来るまであと僅かしかありませんでしたので、慌てて撮影準備し、なんとか撮影することができました。もどりまで時間があるので、この付近でロケハンし時間を潰していましたが、これといって良い場所がみつからず、結局先程撮影した場所にもどり、踏切から河口湖行きの四季彩を撮影しました。この日は天候の状態もあまり良くないことからすぐに撤収し、たまたま中央線用の201系が65Tに充当されていましたので、大月付近で撮影しようかと思いましたが、あえなく失敗してしまいました。
今度の日曜日も天気さえ良ければ出撃する予定ですが、南武線の高架工事による線路切替工事により、朝7時頃まで矢野口行きや府中本町行きが見られることから、始発から朝7時頃まではこちらで撮影する予定です。この工事に伴うダイヤが発表されましたので、私なりにダイヤグラムを作成して、準備に取りかかるしだいですが、29日は私にとって忙しい1日になりそうです。前日の28日夜も工事の様子を見たり、登戸~矢野口間の単線運転に乗車してみようと思っていますが、寝る時間もあまりないようですので、無理だけはしないようにと思っております。

201系四季彩の今後の行方は?

2008年06月17日 00時05分55秒 | 青梅・五日市線
秩父での撮影後はすぐに青梅線沿線へと移動しました。201系四季彩の青梅線の運行は今月ではこの日が最後となり、最後の力走を思う存分撮影することにしました。石神前付近や旧東川井信号所、川井駅付近、沢井駅付近で撮影しましたが、同業者の方はあまり見かけることがありませんでした。今週末から富士急行線に乗り入れることになりますが、来月以降もこの四季彩の201系が活躍するのかどうか全くわかりません。時間がありましたら今週末は富士急行に出撃したいと思っております。

俳句展示列車として活躍中の関西線カラー1000系

2008年06月16日 23時49分44秒 | その他
昨日も懲りずに秩父へと向いました。この日は秩父に到着したのは午前10時前となり、いつもよりも出撃が遅くなりましたが、俳句展示列車をなんとか撮影することができました。お昼過ぎまで影森付近で撮影しておりましたが、この日は俳句展示列車に充当された関西線カラー以外の国電カラーの姿を見ることができませんでした。もともと1日中秩父鉄道を撮影するつもりではなかったので、未練もなくすぐに退散することができました。いずれは長瀞付近のハナビシソウといっしょに列車を撮影してみたいと思いますが、あそこはSLマニアの縄張りのようで、私のような国電マニアが踏み入れるようなところでもないような気もするのですが、やはり1度でいいから撮影してみたいですね。ところでハナビシソウはいつまでが開花時期なのでしょうか。

8612FはJABOTABEK行き?

2008年06月12日 19時37分02秒 | インドネシア
東急の話題、ご無沙汰になっておりますが、昨日、夕方時間が取れましたので、恩田にちょっと寄ってみました。工場の外側には8612 8712 8912 0817が留置されており、残りの4両の姿は確認できませんでした。車体側面の東急のロゴマーク部分にはガムテープで貼られていますので、おそらくJABOTABEK行きではないかと推測され、この編成がJABOTABEK行きとなりますと8500系では6本目となります。写真は張り上げ屋根のデハ0817ですが、このような新しい車輌も含まれるのもバラエティでよいのではないかと思っております。長津田には8連化された8613Fが留置されているようですが、こちらの動きも気になるところです。
Saya kira bahwa seri 8500 yang ke-6 akan dikirim ke JABOTABEK dari Tokyu. Mungkin gerbong-gerbong itu akan datang ke Jakarta pada bulan Juli.

風前の灯火の中央線用201系

2008年06月09日 01時07分12秒 | 青梅・五日市線
8日は中央線用H7編成が15T運用に入ったため、青梅線沿線までプチ撮影を楽しませていただきました。この15T運用は立川~青梅間を途中から行ったり来たりする運用になるので、撮影しやすいということで、つい来てしまいました。自宅から僅か50分ほどで福生に到着。このあと線路沿いを青梅に向ってロケーション探しをしていましたが、ほぼ一直線で地形的にも変化が少ないこの区間では、これといって良い場所が見つかりません。小作駅付近では緩やかにカーブしており、線路沿いのフェンスは高いものの、バイクのイスの上に立つとこの写真のような感じで撮影することができます。撮影しているといつのまにか私の隣に警察官がいるではありませんか。30年ぐらい前だったら何をしてるんだなんて叱られていたに決まっていますが、今の警察官は口のきき方もちゃんとしているのか、何か珍しいものでも来るんですかなんておっしゃっていました。望遠レンズで構えていたため、変質者や覗き魔扱いされなくてよかったのですが、やはりどう見ても怪しいと思われてしまいますね。

201系四季彩の活躍もあと僅か?

2008年06月09日 00時14分50秒 | 青梅・五日市線
秩父を午後3時頃に引き上げ、国道299号と名栗を経由し、1時間程で青梅線軍畑駅へ出てきました。軍畑駅付近の鉄橋で撮影後、二俣尾駅に移動しました。二俣尾駅の橋上駅舎の階段から写真のように下り線を狙うことが可能で、ビデオカメラだともっと味のあるような撮影ができるかと思います。青梅・五日市線用のオレンジ色の201系の姿は見られなくなり、辛うじて残っているこの四季彩の活躍も間もなく終了するのでしょうか。奥多摩路に201系の音を響かせるのもあと僅かかもしれません。

俳句展示列車として活躍する関西線カラー1000系

2008年06月08日 23時44分07秒 | その他
7日(土曜日)も1日に続き、秩鉄、青梅線の撮影に行って参りました。この日は早くも朝4時30分過ぎに自宅を出発、6時30分頃に影森に到着しました。この時期、関東地方は3時45分頃にもなると東の空が白み始めるため、晴れていれば6時頃には撮影可能になることと、俳句展示列車に抜擢された関西線カラーを朝早くから撮影したいがため、朝早くから秩父路を目指しました。影森駅では関西線カラーの駅構内入換中のところを撮影しようと思っておりましたが、残念ながら到着した頃には入換えは終わっていました。御花畑寄りでこの関西線カラーを撮影し、しばらく影森駅付近で撮影したあと、この日は寄居付近まで行ってみることにしました。以前から波久礼~樋口間の国道140号が秩父鉄道をオーバークロスする所から撮影してみたいと思っていましたので、順光となる正午からこの場所で撮影しておりました。撮影場所はダンプやトラックが頻繁に通り、撮影できるサイドには歩道もないため、かなり危険性があるので、1時間程でこの場所をきりあげました。
なお、この俳句展示列車の時刻については下記のとおりだと思われます。(土休日)
影森6:47→羽生8:20 8:27→三峰口10:19 11:44→羽生13:34 13:39→三峰口15:35 15:47→羽生17:51 18:03→熊谷18:24 18:52→影森20:00

Ambarawaの蒸気機関車

2008年06月06日 01時58分07秒 | インドネシア
今から約3前の2005年10月にジャワ島中部のTegalにある製糖工場によってから、次の日Semarangの南方にあるAmbarawaの保存鉄道へ寄ってみました。当日はTegal朝5時頃のローカル列車に乗りSemarangへ向うのですが、朝4時に起床すると間もなくオレンジジュースとパンが私の部屋に運ばれてきました。実は昨夜4時30分にチェックアウトしますよと告げておいたのですが、わざわざ朝食まで用意してくれるとは思ってもいませんでした。インドネシアでは朝食付きが当り前なので、朝食には本当に困らないのですが、逆に夜は付いてませんので、ディナーを楽しむ上では少々苦労しております。(夜もインドネシア料理というのもつらいものがあります)
駅に着くと朝早いにもかかわらず、大勢の人が列車を待っておりました。しばらくするとSemarang行きのローカル列車が到着し、すぐに乗り込んで乗車券に書かれている席に座りましたが、私以外の乗客はどうも指定された席には座っていないようです。私は鉄道紀行文の作家、宮脇俊三さんのように列車の中ではずっと起きていられないたちで、すぐに睡魔に襲われてしまい、気がついてみたらSemarangに到着しました。Semarangに着いたのはいいものの、どのようにAmbarawaまで行けばよいのか全くわかりません。どこの駅でも同じように怪し気な客引きが多いのですが、ここはもう面倒くさいので勇気を出してAmbarawaというとメーターで行くという運転手がいましたので、騙されることも承知の上でそのタクシーに乗車しました。(乗合タクシーではありません)1時間ちょっと走るとAmbarawa駅に到着しました。結局、運転手はチップを要求することもなかったので、私は逆にチップをはずんであげました。
Ambarawa駅にはすでに大勢の観光客で賑わっており、肝心の蒸気機関車の姿は見えませんでした。駅員に蒸気機関車に乗車したいんですがと尋ねると切符は売り切れだとのことでしたが、諦めがつかない私は何とか乗車できるのではないかと考えておりました。しばらくすると小さなトロッコのような列車が到着し、ついこのトロッコに乗車してしまいました。私の乗ったトロッコ列車が走りだすと蒸気機関車がトロッコと走る方向の反対側から到着し、すぐに降りたくても降りれないような状態になってしまいました。このトロッコ列車は蒸気機関車とは反対方向にどうも向っているようで、どこに連れて行かれるのかわからない楽しさもありました。大きな湖のそばを通り30分ほど走ると小さな駅に到着しました。どこからともなくアイスキャンディー屋さんが登場し、乗務員やお客さんも休憩となり、どうもこの駅で折り返すようです。間もなくトロッコ列車は私の予想どおり反対方向へ向いAmbarawaへと向いました。Ambarawaに到着すると既に12時近くになっていました。駅員に次の蒸気機関車は何時に出るのかと尋ねると午後1時だというので待つことに。
たしか午後1時前だったかと思いますが、2両の小さな客車を引き連れた蒸気機関車が到着しました。私は切符を持っていませんでしたので、デッキの部分に乗車すると、大勢の人がこの小さな客車に乗車しました。デッキの部分も私を含め満員となり、私が日本人であることが珍しいのかすぐに周りの人は話しかけてきました。途中、地元の子供たちが客車にぶら下がるとラック式のレール区間へと進み、間もなく終点に到着しました。蒸気機関車だけ切り離されると給水となり、すぐに客車の前方へ連結され、Ambarawaへと引き返しました。結局この蒸気機関車には乗車できたのですが、切符代は払っておらず無賃乗車となりました。
このAmbarawaの保存鉄道の営業は今でも行っていると思いますが、営業しているのは日曜日だけ(土曜日も行っているかも)かと思いますので、行かれる方は事前に調べていただければと思います。なおここの鉄道もPT.KERETA APIが運営しております。
また、ここに記述したことは約3年前の様子を思い出して記述しましたので、その点ご了承いただければと思います。

晩年の頃の101系オレンジ

2008年06月05日 00時06分53秒 | 南武線
片町線の12両の冷房車を除いて、南武線に101系の冷房車が豊田区や津田沼区から転入し、かき集められたあとも、経年の浅い101系を中心に中原区に転入してきました。オレンジ色で転入してきた車輌はTc77(昭和58年10月転入)、T'c68(昭和58年6月転入)、T'c69(昭和58年11月転入)、M114 M'c127(昭和57年3月転入)であり、いずれも短期間でありましたが、オレンジ色とカナリアの混色編成が見られました。昭和58年12月1日現在ではTc63 M257 M'243 M215 M'208 T'c68やTc71 M228 M'157 M158 M'153 T'c69(いずれも立川方1両のみがオレンジ色)、Tc77 M134 M'124 T266 M114 M'c127(川崎方1両のみがオレンジ色)、昭和58年5月1日現在ではTc76 M175 M'169 T94 M114 M'c127(立川方2両がオレンジ色)などで混色編成が見られました。写真はT'c69だと思われます。

晩年の頃のクモヤ90011

2008年06月04日 00時45分25秒 | 南武線
最近、事業用車の廃車が始まっているようで、中原区のクモヤ145-116の動向も気になるところです。今後209系をベースにした事業用車が登場するのか、事業用車にも注目されつつあります。ということで最近の話題には全くついて行けませんので、1世代前の事業用車の話題を1つ。中原区にはクモヤ90011、90013、90019が在籍したことがあり、クモヤ22111というのも在籍しておりました。私自身、このような表舞台にも出ない車輌を撮影することは稀なのですが、クモヤ90が撤退するということを聞いて、最後の最後に中原区にお邪魔させていただき撮影しました。昭和61年初頭にはクモヤ90011と90013が在籍しておりましたが、3月に入るとクモヤ145-110と116が配属されました。クモヤ90013は3月中に転出?したのですが、クモヤ90011は休車ながら5月まで在籍していました。クモヤ90019については昭和58年7月頃に中原区構内で101系T'c89と入換え作業中に衝突事故を起こし、T'c89は要検と兼ねて破損した部分の修復を行いましたが、クモヤ90019の方はそのままとなり昭和58年12月に廃車されました。なお写真は昭和61年2月6日に撮影したものですが、車輌背後の高架工事がなんともなつかしいですね。