Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

ジャカルタで活躍する日本時代の車両たち

2009年06月29日 01時13分48秒 | 他線区の103系
ちょっとこの前までは、ジャカルタへ訪問するのもまだまだ先だなーと思っておりましたが、気がついてみれば、今週の木曜日にジャカルタを訪問するわけで、あっという間に月日が過ぎてしまいました。ジャカルタ訪問するにあたっては、いまだに準備も整っておらず、以前からせめてダイヤグラムだけは作成しようと思っておりましたが、今から作成して間に合うのかどうかというようなことになっております。間に合わなければジャカルタへ行く飛行機の中でも作業はできなくもないですが、今回は肝心なインドネシア語の学習も行っておらず、ぶっつけ本番で大丈夫なのかという気もしますので、分厚い日本語とインドネシア語の辞書を持参しようかと思っております。

ところで現在ジャカルタで活躍する車両たちは、私が幼い頃によく利用した車両ばかりで、特に住んでいる場所がら国鉄の103系や東急の8000系や8500系にはお世話になりました。
現在、ジャカルタで活躍する103系については武蔵野線などで活躍した車両なのですが、これらの車両の経歴を調べると、例えばTc815 M752 M'2009 T'c822は廃車されてしまったM753 M'2010とともに武蔵野線生え抜きの車両で、非冷房車101系1000番台しか在籍していない線区に突如、救世主のように登場した車両で、登場当時の昭和55年頃にはオンボロの101系しか在籍しない南武線の車内から、この車両を見るたびに羨ましく思っておりました。
また、その後の武蔵野線においては昭和57年の秋頃に元中央線の103系1本を武蔵野線に転用(残の4両は南武線に転出)しました。昭和59年度からは205系や203系を投入し、玉突きで103系が武蔵野線に転入し冷房化率をある程度引き上げましたが、色はおおかた元の線区のままであり、水色やエメラルド、黄緑色など103系特有のカラフルな混色編成が多く見られ、103系好きなものにとっては堪らない時期でありました。その中で現在ジャカルタで活躍するMc105 M'231も例外ではなく、武蔵野線に転入当初、Mc128やMc104のユニット、T'c573とともに水色のまま活躍しておりました。武蔵野線においてはこのMc105のユニットだけは水色時代が短かったため、下手くそな写真しかありませんが、Mc128の3色混色編成(水色+黄緑色+オレンジ)やMc104の2色混色編成(水色+エメラルド)などは多く撮影しましたので、また別の機会にでも掲載したいと思います。ちなみに下のMc105の編成は、Mc105 M'231 T303 M161 M'297 T'c597と思われ、蒲田区在籍時からMc105のユニットとT'c597は組んでいるようで、常に運命をともにしているようです。


また、東急東横線もよく渋谷などへ行く時には利用しましたが、先程ちょっと写真を整理していましたら、 主にBekasi線のEkspresとして充当されている8604Fの写真が出て来ました。現在の私であれば私鉄の通勤形車両はあまり撮影しませんが、私が幼い頃はどの車両も新鮮に見えたのか、私鉄の車両の写真もなぜか多く残っております。

南武線ウォッチング

2009年06月21日 14時52分18秒 | 南武線
昨日20日も朝早くから南武線ウォッチングに行って参りました。まずは先週末と同様に今週末も485系いろどりを使用した快速「いろどり山梨さくらんぼ」号の運転があるため、その送り込みのシーンを撮影するため、多摩川の鉄橋へと行ってみることにしました。天候も曇りという条件にもかかわらず、すでに5人ほどのギャラリーが土手におられました。
ゆっくりしたスピードでいろどりが通り過ぎると、私は横浜線の八王子みなみ野へスクーターを走らせました。実は横浜線に土曜・休日に運行されている特急「はまかいじ」の運転日が時刻表上で7月末までの運行となっていたために、もしや廃止されるのではないかと思い撮影しに行ったのですが、昨日発売の時刻表を見て8月以降も運行されることを知り、余計な時間を費やしてしまいました。おかげでこの「はまかいじ」を撮影できたものの、すぐに稲城長沼方面へと引き返したのですが、肝心な「いろどり山梨さくらんぼ」号には僅か2分ほどのタッチの差で間に合いませんでした。
気を取り直して、再び南武線ウォッチングを再開しましたが、この日の運用状況は浦和区から転入したばかりの209系ナハ52編成は終日運用の53Fに充当され、横浜・神奈川デスティネーションキャンペーンのヘッドマーク付きの編成であるナハ2、32、43編成も終日運用に充当されていることから、南武線沿線でスクーターを走らせ撮影しておりました。

先日18日に中原区の様子を観察に来た時に205系MM'236の留置場所が川崎寄りに留置されていることをお伝えしましたが、この日も先日と変わった様子がありませんでした。また、この編成の一部であるTc88 MM'235 T'c88の4両が気になり大宮へ行ってみましたが、こちらのほうも下の写真のように相変わらず大宮駅の片隅に留置されたままの状態であり、修繕されるような様子がうかがえません。いつになったら修繕されるのか気になるところですが、このまま廃車にされることなく元気に復活されることを願いたいものです。

ナハ52編成、終日運用に充当

2009年06月18日 16時01分44秒 | 南武線
昨日に引き続き、昼間にちょっとプチ南武線ウォッチングに行って参りました。本日は209系2200番台のナハ52が順調に終日運用の63Fに充当されるのかどうか注目されておりましたが、当り前かもしれませんが見事にそのとおり63Fに充当され、日中にその姿を撮影することができました。今後は他の編成と同様に通常のローテーションの運用に充当されるのかどうかというところに注目されますが、まずは今週末に先週末と違い、運用に充当されるのかどうか注目されます。
また、中原電車区にも寄ってみましたが、ナハ4編成のMM'236が下の写真のように川崎寄りの留置線に移動されておりました。今後このユニットの動向が気になりますが、およそ2ヶ月前に大宮総合車両センターに回送されたナハ4編成の車両とともに修繕が実施され、復活されることを祈るばかりです。この他、区内ではヘッドマークを付けたナハ8とナハ43編成との並びの他、205系1200番台(ナハ48編成)、209系(ナハ1編成)の全てのフェイスが一度に見られるという珍事?もありました。
最後になりますが、平日にこのようなことばかりやっていないで、ちゃんと仕事をしなさいと自分自身に言い聞かせなければなりませんね。と言いつつもどうしてもやめられませんが。

ナハ52編成(209系2200番台)営業開始

2009年06月17日 23時05分45秒 | 南武線
6月12日、夕方から23F運用で、早くも営業開始したナハ52編成(209系2200番台)ですが、私自身、営業開始の12日には乗車や撮影もできず、ようやく15日夕方に12日と同じ23F運用に入ったナハ52編成に初乗車することができました。乗車区間は武蔵新城~中野島の僅かな区間であり、走行速度も遅いことから、電動機などの音が従来の209系とどこが違うのか、はっきりと聞き取れませんでしたが、気持ち静かになったようでした。また、車内の状況は、従来から南武線に在籍する209系に比べて汚れやキズなども目立ち、南武線の乗客にとっては気づかないかもしれませんが、少々利用者には気の毒のような気もします。
撮影のほうはというと、運用についているところを撮影したことがありませんでしたので、今朝、ちょっと南武線沿線に行ってみました。登戸付近で待っていると早くも724Fに入っている姿を撮影し、その後、登戸行きとなることから宿河原付近で撮影しました。この編成は本日夕方からは37F運用に入っていることから、運行に乱れがなければ明日18日は63Fの運用に入り、初めて日中の運用に入るかと思われます。明日も時間があり天候が良ければ、ちょっと撮影してみたいものですが、果たして順調に63Fに入ってもらえるのでしょうか。

南武線103系の思い出-補足など

2009年06月17日 00時15分36秒 | 南武線
先日、昭和59年3月6日に松戸区から中原区にエメラルドグリーンの103系M319 M'475が転入し、代わりに中原区のT210が松戸区、T211が豊田区へ転出したことをお伝えしましたが、その後、松戸区から転入したエメラルドグリーンを組み込み、短期間ながら全検と冷改を受けることになる59年9月まで、エメラルドグリーン+黄色+オレンジやエメラルドグリーン+黄色の混色編成を見ることができました。
写真は59年5月下旬に撮影したもので、編成はMc55 M'154 T766 M319 M'475 T'c509ですが、このMcの先頭車前面の右下を見ると黄色の塗装の色の濃さに若干差異が見られます。おそらく武蔵中原駅近くの踏切で乗用車と接触したことにより、前面や配管を破損しましたが、その後、工場まで送られることなく区内で修繕が行われたかと思われます。また、このMc55とユニットを組むM'154は58年5月19日付けで要検を受けた際に車体の色をオレンジ色から黄色に変更するとともに側引戸がステンレス製に変更されましたが、なぜかMc55はSUS支持のタイプ(201系タイプ)で、M'154は従来のタイプであるHゴム支持で、ユニット間で異なる側引戸でした。どうもこの頃から側引戸にSUS支持のタイプが採用されたようで、同時期に検査を受けたT'c510や513もこのタイプで出場し、私個人的に注目しておりましたが、101系の側引戸に対してはHゴム支持のステンレス製に取り替えるにとどまり、SUS支持のタイプは登場しませんでした。
話しは変わりますが、先日、松戸区に転出したT210を掲載したものの、T211については掲載しませんでしたが、写真が出てきましたので掲載します。おそらくこの編成はMc66 M'173 T211 T'c553だったと思われます。

南武線に快速「いろどり山梨さくらんぼ」号運転

2009年06月15日 15時16分48秒 | 南武線
先日13日と14日になりますが、南武線の川崎~中央線の竜王まで、485系のいろどりを使用して、快速「いろどり山梨さくらんぼ」号が運転されました。
私も13日朝、まずは武蔵中原駅まで行ってみることにしました。この列車を撮影に来られたギャラリーは5月に運転された黒船電車の特急「リゾート踊り子」号に比べると少ないようでしたが、南武線の各駅や沿線にファンを見ることができました。この列車の乗車率のほうはいかがなものだったのか、そこまで観察しておりませんが、今後も中央線などに直通する行楽列車の定期列車化を望みたいところです。今週末もこの列車は運行されますので、時間がありましたら南武線ウォッチングを兼ねて撮影に参りたいと思います。

8613F塗装変更

2009年06月11日 17時25分48秒 | インドネシア
ジャカルタの話題提供が久しぶりになってしまい、また、昨年11月にジャカルタへ訪問した話題も最後までお届けできておりませんが、日本の通勤車両の話題も提供しながら、ジャカルタの話題も少しづつ提供していきたいと思います。

本日は他のサイトなどでもご存知かと思いますが、東急8500系8613Fの新塗装の話題をお届けしたいと思います。(話題が古くて申し訳ありません) 今年2月に川崎港からTanjung Priok港に到着した8613Fはその後転入整備が行われ、最近流行の黄色+緑色の帯を纏っておりましたが、ジャカルタ首都圏の電車部門を管理しているPT KERETA API DIVISI JABOTABEKからPT KAI COMMUTER JABODETABEKを創設するにあたり、8613Fが再び写真のような新塗装に変更されました。
赤色+黄色の帯を纏い、先頭車の前面にはPT KAI COMMUTER JABODETABEKのロゴが取り付けられ、行先表示の部分には愛称とも言える「JALITA」という名前が付けられました。この「JALITA」の意味は鉄道会社に勤務される方の話しでは、インドネシア語のJAlan-jalan keLIling jakarTAから採用したようで、ジャカルタを周遊するという意味のようです。
この「JALITA」はEKONOMI ACに充当されているようで、この運用の確認をしておりませんが、下記のような時刻で運行されているかと思われます。

Boo6:14→Jak7:45 7:53→Dp8:59 9:08→Ak10:09 10:21→Boo11:49 12:24→Jak13:51 14:10→Boo15:39 15:56→Jak17:31 17:40→Boo19:09 19:20→Mri20:27 20:37→Boo21:44
Jak=Jakarta Kota Mri=Manggarai Dp=Depok Boo=Bogor Ak=Angke
上記の運用でないこともあるかと思いますので、現場で御確認ください。

ところで、日本はいよいよ梅雨本番の季節を迎えましたが、おおよそ南緯10度に位置するジャカルタは逆に乾期に入り、季節的にも良い季節であることから、7月2日よりジャカルタを訪問する予定です。今回は営業を開始したTanjung Priok線や日曜日に運行されているAncol行き観光列車に乗車したり、Serpong線(Serpong以西)の電化の進捗状況の調査なども考えております。また、103系も元気に運行されていることから、Bogor線Ekonomi ACに充当されている103系8連の乗務員に帯同した形でDepokの車庫出区から入区までの完全密着取材も考えております。どのような取材になるのか今から楽しみですが、情報収集のほうが今のところできておりませんので、そろそろ準備を始めたいと思っております。
この他、もちろんJABODETABEK幹部への取材も行う予定ですが、少々意外な車両計画も予定されているようなので、収穫の多い取材ができるのではないかと思っております。
Foto:Bpk.Rusdianto dan Adam

小豆色1000系を求めて秩父路へ

2009年06月10日 23時22分09秒 | その他
5月30日に秩父鉄道の旧塗装である小豆色の1000系が営業を開始ししましたが、先日7日にも早速、この小豆色の1000系を撮影するため、秩父路へ愛用のスクーターを走らせました。この日、家を出たのは早朝の5時40分頃でありますが、この季節になると日の出の時間は4時30分頃であり、天候さえよければ6時には撮影する上で十分な光量が得られます。いつも通い慣れた道を通り、秩父の影森に到着したのがちょうど2時間後の7時40分でした。15分後にこの日初めて撮影する列車が日頃の行いが良いのか、お目当ての小豆色1000系でした。この列車は三峰口行き1505列車であり、折返しどの列車に充当されるのか運用を把握しておりませんでしたので、時々お世話になっています浦山口の駅員さんのところへ尋ねてみることにしました。浦山口駅に到着すると同時に駅員さんが自家用車でちょうど到着し、駅員さんの出社に出くわしたわけなのですが、私のようなマニアでも親切に対応していただき、運用を教えていただきました。先程の小豆色が三峰口駅ですぐに折返し、1520列車に充当されることから、再び影森へ戻って小豆色の1000系を撮影することにしました。
上記の写真が影森で撮影した写真ですが、この列車は羽生まで行き、折返し1521列車に充当されますので、しばらくの間は時間を持て余すことから、長瀞駅近くにある線路際の有名な花畑に行ってみることにしました。何の花かはわかりませんが、現在はマリーゴールドに少々似ている山吹色の花が一面に咲いており、走る列車と絡めてしばらく撮影しておりました。初秋になるとこの花畑も可憐なコスモス畑に変わるかと思いますので、花好きな方は是非お試しいただければと思います。
この後は再び国道140号を走り、武州中川まで行って羽生から戻って来る小豆色を撮影することにしましたが、三峰口側を撮影する上では前パンがあるため、わたしのような撮影が下手な者にとっては、なかなか上手く撮影することができません。
以上、日記のように長くなってしまいましたので、そろそろこの辺で締めくくりたいと思いますが、今のところこの小豆色の1000系はリバイバルトレインのヘッドマークが取り付けられているものの、いずれはこのヘッドマークも取り外されることになるかと思いますので、ヘッドマークを外した時点でまた秩父路へ撮影に参りたいと思っております。

常磐線快速103系混色編成などの話題(昭和59年)

2009年06月06日 10時24分20秒 | 他線区の103系
先日、中原区から松戸区へ転出したT774やT210の話題について触れましたが、ついでに常磐線快速線の103系にとって最も興味深かった昭和59年頃の話題を簡単に述べたいと思います。

昭和59年の冬は関東地方において大雪が何度も降る年であったことを今でも鮮明に覚えておりますが、同時に松戸区の転配の動きが多くあり、とても面白い時期でもありました。私は地元ではありませんので詳しくは述べられませんが、緩行線用の203系が新製配置され、それによって103系1000番台の105系化改造と快速線転用が行われ、写真のように関東で唯一、第一次改良型先頭車で冷房装置のないTc188と1000番台の混結が見られ、1000番台と連結可能な車両にはナンバーの下に白線が引かれていました。また、大阪の各電車区や豊田区などから余剰となった車両がそのままの線区の塗装色でかき集められ、混色編成を多く見ることができました。
下手くそな写真ではありますが、下の写真のように日根野区から来たT2や宮原区のM778などを撮影し、大阪からの転入車や豊田区などからの転入車を観察しておりました。昭和39年製造のT2と昭和56年製造のM778のユニットと17年の経年差がある車両が連結されているのは非常に滑稽であり、側引戸窓に貼られている指詰め注意の赤いステッカーや戸袋窓にあった禁煙マークのステッカーも興味を引きました。



特に昭和59年の2月にエメラルド+オレンジ+水色+黄色の4色混色編成が営業に入ったということは言うまでもありませんが、私も珍しくて何度かこの路線に撮影しに参りました。非常に残念なことに4色混色編成を私はどこかの駅で撮影していたと思っていたのですが、どうもそのような写真が見つからず、もしかしたら撮影していなかったのではないかと思われますので、今となっては非常に後悔しております。
常磐線のみならず、他線区でも混色編成や異色編成が多く見られましたので、また、時間がありましたら公開していきたいと思います。

中原区103系T210、211と松戸区M319 M475のトレード

2009年06月05日 00時58分53秒 | 南武線
101系、103系のなつかしい思い出に火がついてしまいましたので、少しずつなつかしい思い出やエピソードなどを述べていきたいと思います。
南武線において昭和57年6月から翌年の3月まで豊田区から計71両の103系が転入しましたが、MT比のバランスが取れず、当時台車検査もあったことから、M車を必要としていたようで、昭和59年3月6日付けで松戸区からM319 M'475が中原区に転入し、その代わりにT210が松戸区、T211が豊田区へと転出していきました。松戸区から転入したM319 M'475は非冷房車でエメラルドグリーンのままの塗装で転入し脚光を浴びました。一方転出することになったT210とT211は一度も黄色に塗り替えられることなく中央線時代のオレンジ色のまま転出しました。
この転配は3月5日に実施され下記のような編成で回送されました。
回1490デ Mc149 M'315 M319 M'475 T'c620
回1791デ Mc149 M'315 T210 T211 T'c620
上記のように松戸区の車両に組み込んだ形で回送され、当時、私は学校の関係から回着には間に合わなかったものの、転出時には武蔵中原駅で写真のとおり撮影することができました。なお写真のMc149のユニットはこの後すぐに陸前原ノ町区へ転出したようです。

この松戸区から転入したのちの事については、以前、記述しましたので、今回は詳細に触れませんが、4月2日から写真のように3色混色編成で営業に入り、Mc54 M'153 T759 M319 M'475 T'c582の編成で4月9日まで3色混色が見られました。



豊田区へ転出したT211については青梅・五日市線用の103系として活躍し(豊田区へカムバックした頃の写真は掲載しません)、T210は写真のようにオレンジ色のまま常磐線で活躍しました。
なおT210は言うまでもありませんが、現在も南国のジャカルタで活躍しており、南武線で活躍した103系の中では唯一現存している車両です。